問曰。已知多住王舍城舍婆提因緣。於此二城。何以多住王舍城。 |
問うて曰く、已に、多く王舎城と舎婆提とに住まりたまえる因縁を知れり。此の二城に於いては、何を以ってか、多く王舎城に住まりたまえる。 |
問い、
已に、
此の、
『二城』では、
何故、
『王舎城』に、
『多く住まられたのですか?』。
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答曰。以報生地恩故。多住舍婆提。一切眾生皆念生地。如偈說
一切論議師 自愛所知法
如人念生地 雖出家猶諍
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答えて曰く、生地の恩に報ずるを以っての故には、多く舎婆提に住まりたまえり。一切の衆生は、皆、生地を念ずればなり。偈に説くが如し、
一切の論議師の、自ら所知の法を愛すること、
人の生地を念ずるが如し、出家すと雖も猶お諍う。
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答え、
『生まれた地』の、
『恩』に、
『報いる!』が故に、
『舎婆提』に、
『住まられる!』ことの、
『多い!』のは、
一切の、
『衆生』は、
皆、
『生まれた地』を、
『念じるからである!』。
譬えば、
『偈』に、こう説く通りである、――
一切の、
『論議師』が、
自ら、
『知る!』、
『法のみ!』を、
『愛する!』のは、
譬えば、
『人』が、
『生まれた!』、
『地』を、
『念じるようだ!』、
『出家しても!』、
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以報法身地恩故。多住王舍城。諸佛皆愛法身故。如偈說
過去未來 現在諸佛
供養法身 師敬尊重
法身於生身勝故。二城中多住王舍城。 |
法身の地の恩に報ずるを以っての故に、多く王舎城に住まりたまえり。諸仏は、皆、法身を愛したもうが故なり。偈に説くが如し、
過去未来、現在の諸仏は、
法身を供養し、師敬し尊重す。
法身は、生身に勝るが故に、二城中には、多く王舎城に住まりたまえり。 |
『法身の地』の、
『恩』に、
『報いる!』が故に、
『王舎城』に、
『多く!』、
『住まられた!』。
諸の、
『仏』は、
皆、
『法身』を、
『愛されるからである!』。
譬えば、
『偈』に、こう説く通りである、――
『過去、未来、現在』の、
諸の、
『仏』は、
『法身』を、
『供養、師事、恭敬、尊重する!』。
『法身』は、
『二城』中には、
『王舎城』に、
『多く!』、
『住まられたのである!』。
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師敬(しきょう):師事して敬う。
生身(しょうじん):俗界の身( earthly body )、梵語 janma-kaaya の訳、仏の肉身、化身/法身等の精神的/霊的な身に対す(
The physical body of the Buddha, as distinguished from spiritual bodies,
such as the transformation body and reality body )。
法身(ほっしん):梵語 dharma-kaaya の訳、法の身/現実の身、真実の身、戒法の身等( dharma body; reality body;
truth body; law body etc. )の義。◎一般的に大乗の教に於いては、法身は完全なる存在について名づけられ、存在の全て――真実性の実体、又は永久の原理としての仏――の示現であるとされ(
In general Mahāyāna teaching, the Dharma- body is a name for absolute existence,
the manifestation of all existences— the true body of reality, or Buddha
as eternal principle )、その本質的な身は、純粋であり、区別の為めの目印[差別相]を有せず、空と相似である( the body
of essence that is pure, possesses no marks of distinction, and is the
same as emptiness )。◎有部に於いては、仏の二身の一であり、他の一は仏の肉身である生身である( In Sarvâstivāda,
one of the two bodies of the Buddha, with the other being his physical
body )。 |
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復次以坐禪精舍多故。餘處無有。如竹園鞞婆羅跋恕薩多般那求呵因陀世羅求阿薩簸恕魂直迦缽婆羅王舍城。有五精舍。竹園在平地。餘國無此多精舍。 |
復た次ぎに、坐禅の精舎の多きを以っての故なり。余処に有ること無し。竹園、鞞婆羅跋恕、薩多般那求呵、因陀世羅求阿、薩簸恕魂直迦鉢婆羅の如き、王舎城に五精舎有り。竹園は平地に在り。余の国には、此の多き精舎無し。 |
復た次ぎに、
『坐禅の精舎』が、
『多いからである!』、
『余の処』には、
『無かった!』。
例えば、
『竹園( veNu-vana )』、
『鞞婆羅跋恕( vaibhaara-vana )』、
『薩多般那求呵( saptaparNaguhaa )』、
『因陀世羅求阿( indrazailaguhaa )』、
『薩簸恕魂直迦鉢婆羅( sarpiSkuNdika-parva? )のような!』、
『五精舎』が、
『王舎城』に、
『有り!』、
『竹園』は、
『平地』に、
『在った!』が、
『余の国』には、
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竹園(ちくおん):梵名veNu-vana、又竹林、竹林精舎と訳し、具に迦蘭陀竹園(梵kaaraNDa-veNuuvana)と称す。迦蘭陀鳥所棲の竹林。また迦蘭陀長者所有の竹林の義。摩伽陀国王舎城と上茅城の間に在り、迦蘭陀長者の所有に係わる。本、尼揵外道に与えられしが、後に仏に奉って僧園と為し、これを印度の僧園の初と為す。謂わゆる竹林精舎なり。『大智度論巻2下注:迦蘭陀竹園』参照。
鞞婆羅跋恕(びばらばつじょ):梵名vaibhaara-vana。精舎名。王舎城五山の一。一説に、この山の下にある畢鉢羅窟(梵pippalii-guhaa)に於いて迦葉は五百比丘を招集して第一次結集を行う。
薩多般那求呵(さったぱんなぐか):梵名saptaparNaguhaa。七葉窟と訳す。精舎名。王舎城五山の一。
因陀世羅求阿(いんだせらぐあ):梵名indrazailaguhaa。因陀羅石室と訳す。精舎名。王舎城五山の一。
薩簸恕魂直迦鉢婆羅(さはじょこんじかはばら):梵名sarpiSkuNdika-parva?。精舎名。王舎城五山の一。 |
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舍婆提一處。祇洹精舍更有一處。摩伽羅母堂更無第三處。 |
舎婆提には一処、祇洹精舎と、更に一処、摩伽羅母堂有りて、更に第三の処無し。 |
『舎婆提』の、
『一処』は、
『祇桓精舍( jetavana-anaathapiNDasyaaraama )であり!』、
更に、
『一処』、
『摩伽羅母堂( mRgaara-maatR-praasada )が有り!』、
更に、
『第三処』は、
『無かった!』。
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祇洹精舎(ぎおんしょうじゃ):具に祇樹給孤獨園(梵語jetavana-anaathapiNDasyaaraama)と称す。摩竭陀国の祇樹太子が樹林を施与し、給孤独長者が園地を施与せしにより名づく。『大智度論巻7下注:祇樹給孤獨園』参照。
摩伽羅母堂(まがらもどう):梵語mRgaara-maatR-praasadaの訳。又鹿子母堂とも訳す。。蜜利伽羅磨多(梵mRgaara-maatR、鹿子母と訳す)の施与せし講堂。『大智度論巻8下注:鹿子母』参照。 |
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婆羅奈斯國一處。鹿林中精舍名梨師槃陀那。 |
婆羅奈斯国に一処、鹿林中の精舎、梨師槃陀那と名づく。 |
『婆羅奈斯( baaraaNasii )国』には、
『一処』、
『鹿林中の精舎であり!』、
『梨師槃陀那( RSipatana )』と、
『呼ばれていた!』。
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婆羅奈斯国(ばらなしこく):婆羅奈斯は梵名baaraaNasii。中印度に在りし古国の名。『大智度論巻21上注:婆羅痆斯国』参照。
梨師槃陀那(りしはんだな):梵名RSipatanaの音訳。具に仙人住処鹿野苑RSipatana mRgadaava(巴isipatana migadaaya)と称し、鹿林精舎、鹿野苑等に訳す。『大智度論巻26上注:鹿野苑』参照。 |
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毘耶離二處。一名摩呵槃。二名彌猴池岸精舍。 |
毘耶離には二処、一に摩呵槃と名づけ、二に彌猴池岸精舎と名づく。 |
『毘耶離( vaizaali )』には、
『二処』、
一は、
『摩呵槃( mahaavana )』と、
『呼び!』、
二は、
『彌猴池岸精舎( markaTa-hrada )』と、
『呼ばれていた!』。
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毘耶離(びやり):梵名vaizaaliの音訳。中印度の国名。仏滅後一百年にて七百の賢聖の第二結集の処。この国内の種族を離車(梵licchavii)という。『大智度論巻2上注:吠舍釐国』参照。
摩呵槃(まかはん):梵名mahaavana。大林と訳す。毘耶離国の林名。<(丁)
彌猴池岸(みこうちがん):梵名markaTa-hradaの訳。中印度毘舎離国菴羅女園の側に位す。昔獼猴の群集まりて仏の為にこの池を作り、仏曽て此の処に於いて諸経を説きたまえり。天竺五精舎の一。 |
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鳩睒彌一處。名劬師羅園。如是諸國。或一處有精舍。或空樹林。以王舍城多精舍坐禪人所宜其處安隱故多住此。 |
鳩睒弥には、一処、劬師羅園と名づく。是の如き諸国には、或いは一処に精舎有り、或いは空樹林あり。王舎城には、精舎多く、坐禅人に宜しき所なるを以って、其の処は安隠なるが故に、多く此に住まりたまえり。 |
『拘睒弥( kauzaambii )』には、
『一処』、
『劬師羅園( kokila )』と、
『呼ばれていた!』。
是れ等の、
諸の、
『国』には、
或は、
『一処』の、
『精舎』か、
或は、
『空樹林』が、
『有るだけである!』が、
『王舎城』には、
『精舎が多く!』、
『坐禅人』には、
『宜しき所であり!』、
其の、
『処』が、
『安隠である!』が故に、
此に、
『多く!』、
『住まられたのである!』。
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鳩睒弥(くせんみ):鳩睒弥は梵名kauzaambiiの音訳。古代印度の大都市の名。『大智度論巻14下注:憍賞弥国』参照。
劬師羅園(くしらおん):劬師羅は梵名kokilaの音訳。カッコウに似た鳥の名。 |
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復次是中有富那羅等六師。自言。我是一切智人。與佛為對。及長爪梵志婆蹉姓拘迦那大等。皆外道大論議師。及長者尸利崛多提婆達多阿闍貰等。是謀欲害佛不信佛法各懷嫉妒。有是人輩故佛多住此。譬如毒草生處近邊必有良藥。 |
復た次ぎに、是の中には、富那羅等の六師有りて、自ら、『我れは是れ一切智人なり』、と言いて。仏と対を為す。及び長爪梵志、婆蹉姓の拘迦那大等は、皆、外道の大論議師なり。及び長者の尸利崛多、提婆達多、阿闍貰等は、是れ謀りて仏を害せんと欲し、仏法を信ぜず、各嫉妒を懐けり。是の人輩有るが故に、仏は多く此に住まりたまえり。譬えば、毒草の生処の近辺には、必ず良薬有るが如し。 |
復た次ぎに、
是の中には、
『富那羅( puurna )』等の、
『六師』が、
『有り!』、
自ら、
わたしは、
『一切智』の、
『人である!』と、
『言って!』、
『仏』に、
『対抗していた!』。
及び、
『長爪梵志( dirghanakhabrahamacaarin )』や、
『婆蹉姓( vatsa )の拘迦那大』等は、
及び、
『長者の尸利崛多( srigupta )』や、
『提婆達多( devadatta )』や、
『阿闍貰( ajaatazatru )』等は、
『謀略して!』、
『仏』を、
『害しよう!』と、
『思い!』、
『仏』の、
『法』を、
『信じず!』、
各々、
『嫉妒』を、
『懐いていた!』。
是のような、
『人』の、
『輩(類)』が、
『有る!』が故に、
『仏』は、
譬えば、
『毒草』の、
『生える処』の、
『近辺』には、
必ず、
『良薬』が、
『有るようなものである!』。
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富那羅(ふなら):梵名puurnaの音訳。具に富蘭那迦葉puuraNa-kazyapaと称す。釈尊在世時に中印度に勢力有る六師外道の一。『大智度論巻26上注:富蘭那迦葉』参照。
六師外道(ろくしげどう):梵語SaT-zaastaaraaHの訳。釈尊の時代に中印度に勢力ありし六人の外道論師をいう。
(1)富蘭那迦葉(ふらんなかしょう):梵名puuraNa-kazyapaの音訳。また富蘭迦葉、不蘭迦葉、富蘭那等に作り、意訳して亀、飲光、護光と訳す。『法句譬喩経巻3地獄品』によれば、富蘭那迦葉を舎衛国婆羅門師と為し、五百の弟子有り。かつて仏と道力を較量し、敗に落ちて後、水に投じて死せり、或いは説かく、それを奴隷の子と為して、常に裸形を為せり、と。『長阿含巻17沙門果経』によれば、その主張は無因論にして、無道徳論なり、衆生の迷悟等には皆因縁無し、善悪諸業にもまた果報無しと為せり。別に巴利文増支部によれば、富蘭那迦葉は人を分けて六種の階級と為す、即ち、(ⅰ)黒生:屠夫、猟師等の賎業に就く者。(ⅱ)青生:仏教の比丘及び論を業とする者、論を作す者。(ⅲ)赤生:尼乾子の徒衆。(ⅳ)黄生:在家の裸形者。(ⅴ)白生:邪命外道。(ⅵ)最勝白生:難陀婆蹉、瞿沙商吉迦、末伽梨拘舍梨子等なり。即ち殺生、偸盗等は罪を造らず、布施、修養等も福を生じないとする。
(2)末伽梨拘舍梨子(まかりくしゃりし):梵名maskarii-gozaaliiputraの音訳。また末伽梨拘賖梨子等に作る。これを自然論者と為し、衆生の苦楽は因縁に由らずして、ただ自然の産生なりと主張する者なり。末伽梨とは、乃ち常行(常に歩く)の意にして、この外道は常に行きて住まらざるが故にこれを称す。即ち衆生は霊魂、地、水、火、風、虚空、得、失、苦、楽、生、死の十二要素からなる実体であり、自己の意志に由らず、互いに影響されず、初めから840万大劫輪廻することが決定されているとする。
(3)刪闍夜毘羅胝子(さんじゃやびらちし):梵名saJjayii-vairaTiiputraの音訳。また刪闍耶毘蘭荼、散若夷毘羅梨子等に作る。仏在世時に頗る勢力有り、舎利弗と目揵連等も帰仏の前に於いてはかつてこれに師事せるも、その学説は詳ならず、或いは懐疑論の消極主義に係わって、一切の智を捨てて、専ら実践修行を重んずるものなり。即ち真理を有るがままに認識し説明することは不可能であり、来世の存在も善悪の果報も、それに関して判断することを避けた。
(4)阿耆多翅舎欽婆羅(あぎたきしゃきんばら):梵名ajitakezakambalaの音訳。また阿市多雞舍甘跋羅、阿支羅翅舍甘婆羅等に作り、無勝髪褐と意訳す。釈尊在世時、中印度にて婆羅門教の中に極めて勢力を具えし一派と為す。その学説は、『長阿含経巻17沙門果経』によれば、心物二元を共に断滅に帰し、善悪禍福、因縁果報、過去未来等を否認して、ただ現世にその快楽を尽くすことを主張せり、また即ち謂わゆる順世外道中の断滅論、唯物論、感覚論、快楽説なり。然るに別して『維摩経略疏巻4』、『注維摩経巻3』、『希麟音義巻9』等の所説によれば、則ちこれを謂って、苦行外道の一にして、現世の受苦を来世の受楽の因と為すが故に、弊衣を著け、自ら髪を披いて五熱を持って身を炙り、種種の苦行を行ずることを主張せりと為す。即ち衆生は、地、水、火、風の四元素からなり、霊魂は存在せず、死後に善悪の果報を受けることもないとする。
(5)迦羅鳩駄迦旃延(からくだかせんねん):梵名kakuda-katyaayanaの音訳。また迦羅拘陀迦旃延等に作り、剪剃と意訳す。この外道は一切の衆生の罪福は悉く自在天の所作なりと為し、自在天喜べば則ち衆生安楽、自在天瞋れば則ち衆生苦悩するが故に、まさに一切の罪福は自在天の主宰に帰すべくして、人は罪福有りと言うべからずと謂い、またもし人にして一切の衆生を殺害するも、心に慚愧を生ぜずんば、遂に悪道に堕ちざること、なお虚空の塵水を受けざるが如し、もし慚愧を生ぜば、即ち地獄に入ること、なお大水の地を潤湿するが如しと謂えり。即ち不生不滅不変の七要素である地、水、火、風、苦、楽、生命のみが実在し、個別の霊魂は無く、例え頭を切り落としても生命を奪うことにならない、剣による裂け目はただ七要素に間隙を生じたに過ぎないとする。
(6)尼乾陀若提子(にけんだにゃくだいし):梵名nigrantha-jJaatiputraの音訳。また尼乾陀、尼乾子、尼揵陀弗咀羅、尼乾弗怛羅等に作り、勒沙婆(梵rsabha)を開祖、尼乾陀若提子を中興の祖と為す。この外道は、苦行を修むるを以って世間の衣食の束縛を離れ、煩悩の結と三界の繋縛を遠離することを期す、故に離繋、不繋、無継、無結等の訳名あり。またこの外道は形を露すことを以って恥と為さざるが故に世人に、無慚外道、裸形外道と貶めらる。尼揵陀若提子の入寂後久しからずして、尼乾子外道は分かれて空衣と白衣との二派と成り、空衣派は衣を着けざる裸体生活を主唱すれば、一般に称して裸形外道、露形外道と為し、白衣派は、即ち北印度の僧訶補羅国の一帯に流行すれば、寒気を避けんが為に白衣を著く。これ或いは即ちその分裂して二派を為す原因なり。『大唐西域記巻3』によれば、本師の所説の法は、多く仏教の義を窃すみ、類に随うて法を説き、軌義に擬則す。大なるを苾芻と称し、小なるを沙彌と称し、威儀と律行とは頗る僧法に同ず。ただ少し髪を留めて、これを裸形に加え、或いは所服有るも白色を異と為せば、この流に拠って別くれば、やや区分することを用う。その天師の像は窃かに如来に類し、衣服を差と為すも、相好に異なること無し、と。即ち存在とは霊魂と、運動の条件、静止の条件、虚空、物質の要素からなり、霊魂は業の重みにより上昇できずに輪廻している。厳格な禁欲の生活はこの業を払い落して、霊魂を解脱せしむるとする。<(望)
対(たい):[本義]応当する( answer, reply )。両者が対面する/相互に( face, mutual, face to face
)、対抗/相当/相配する( match )、対比/比較/確認する( check, compare, identify )、和する/混ぜる( mix,
add )、扱う/対応する( treat, deal with, cope with )、二分する( divide into halves )、揚げる/顕揚/顕示する(
spread, make known, display one's power )、抵当に入れる( mortgage )、勝負する( have
a contest )、値する( be worthy of, not letting down )、対して/向って( subtend, be
directed at )、配偶者( spouse )、相手/敵対者( opponent )、対抗策/対策( countermeasure )、対句(
antithetical couplet )、二人共に( together )、一対( couple, pair )、[動作の対象]( to,
toward )。
長爪梵志(ちょうそうぼんし):梵名dirghanakhabrahamacaarinの訳。長爪はその名にして梵志は梵行を志す外道の総称なり。舎利弗の舅、摩訶倶郗羅(梵mahaakauSThila)、姉舎利と論義して如かざれば、倶郗羅思惟して言わく、姉の力には非ざるなり、必ず智人を懐き、母の口に寄せて言えるなり。未だ生ぜざるに乃ち爾り、生じて長大するに及ばば、まさにこれを云何せん?思惟しおわりて憍慢心を生じ、広く論義せんが故に出家して梵志と作り、南天竺国に入りて始めて経書を読めるに諸人の問うて言わく、爾は何経を習わんと欲す?長爪答えて言わく、十八種の大経は尽くこれを読まんと欲す。諸人語りて曰く、汝が寿命を尽くすもなお一も得ざらん。何をか況やよく尽くをや?長爪自ら誓いて言わく、われ爪を剪らずして要ず十八種の経を読み尽くさん。人、爪の長いを観て、号して長爪梵志と為す。既に学成りて、諸の論師を摧き、還って本国に至るに、姉の生子を問えるに、曰く、かれ生じて十六歳に至るに、論義して一切の人に勝れるも、ある釈種の道人、頭を剃りて弟子と為せり、と。長爪これを聞いて直ちに仏の所に詣り、仏に語りて曰く、瞿曇!われは一切の法を受けず、と。仏の長爪に問わく、汝が言わく一切の法を受けずとは、この見を受くるや不や?かれこの見をわれ受くと言わば則ち自らの語に相い違うと知り、便ち答えて言わく、一切の法を受けず、この見もまた受けず、と。仏の言わく、汝は一切の法を受けずしてこの見もまた受けず、則ち受くる所無く、衆人と異なり無からん。何を用って自ら高ぶり憍慢を生ずることかくの如し?長爪答うること能わずして、自ら負処に墜つるを知り、仏に於いて身心を生ずれば、仏は為に法を説いてその邪見を断じ、彼は則ち坐して聖果を得たり。<(望)『大智度論巻1、同巻25上注:長爪梵志』参照。
婆蹉(ばしゃ):梵名vatsaの音訳。また婆嗟に作る。三種の婆蹉有り、(1)仏弟子の一。常に苦行を修めて仏に称讃さる。『増一阿含経巻3』:『我声聞中第一比丘、‥‥苦身露坐、不避風雨、所謂婆嗟比丘是』。(2)仏在世時の婆蹉種の出家修行者。『雑阿含経巻34』によれば、かつて多く仏及び仏弟子に、『命と身との関係、如来に後の死の有りや無しや、有我なるや無我なるや、世間は常なるや無常なるや等の問題に関して教を請うた。これを称して婆蹉種の出家と為す。主に外道に帰依する出家。(3)犢子部。詳しくは婆蹉富楼(梵vaatsii-putriiya)に作り、意訳して犢子部と為す。<(佛)『大智度論巻2(下)注』参照。
拘迦那大(くかなだい):不明。
尸利崛多(しりくった):梵名sriguptaの音訳。徳護と訳す。王舎城の長者なり。外道の勧めを受けて門内に火坑を造り、食中に毒薬を置いて仏を請じ、これを害せんと欲するも、仏は知りてその家に至り、大神力を現せば、長者は神力を見て、慚愧し懺悔せり。『仏説徳護長者経』参照。<(望)
提婆達多(だいばだった):梵名devadattaの音訳。また調達、略して提婆、達多に作り、天熱、天授等に意訳す。仏の在世時、五逆罪を犯して僧団を破壊して仏に敵対せし悪比丘。釈尊の叔父斛飯王の子、阿難の兄弟(別に甘露飯王、白飯王、或いは善覚長者の子等の異説有り)。幼時、釈尊、難陀と共に諸芸を習うに、その技優異にして常に釈尊と競争せり。仏の成道の後、仏に随いて出家し、十二年間に於いて善心修行して精勤懈らず。後に未だ聖果を得る能わざるに因り、その心を退転せしめ漸く悪念を生じて神通を学びて利養を得んと欲するも仏許さざれば、遂に十力迦葉の処に至りて神通力を習得し、摩伽陀国阿闍世太子の供養を受く。これに由りて提婆は愈よ憍慢を加え、仏に代りて僧団を領導せんと欲するも、また未だ仏に允許を得ず。この後、提婆は五百の徒衆を率いて僧団を離脱し、自ら大師と称して五法を制定し、これを以って速かに涅槃の道を得ると為し、遂に僧伽の和合を破れり。その立つる処の五法とは、諸書の記載一ならずして、『有部毘奈耶破僧事巻10』によれば、五法を不食乳酪、不食魚肉、不食塩、受用衣時不截その縷績(即ち長布を用う)、住村舍而不住阿蘭若処と為す。また『十誦律巻4巻36』によれば、五法を尽形寿受著衲衣、尽形寿受乞食之法、尽形寿受一食の法、尽形寿受露地坐法、尽形寿受断肉法と為し、その他にも法義の解釈等に関して提婆はまたその異説を唱えること有りと為す。提婆は摩伽陀国王舎城に於いて独立教団を擁立し、阿闍世の礼遇を受くるに勢力漸く大となれり。仏はかつて屡々比丘衆に告げて誡むらく、『提婆の利養を貪る勿かれ』、と。後に提婆は阿闍世に教唆して父を弑せしめ、並びに謀りて新王の威勢を藉り、教法の王と為らんとす。阿闍世は遂にその父頻婆娑羅王を幽禁して自ら王位に登り、提婆もまた仏を迫害せんと欲して、五百人の投石器を以って仏を撃殺せんとするも未だ果たさず。また耆闍崛山に於いて大石を投下せるに、金毘羅神接阻すといえども砕片仏足を傷つけて血を出だせり。また仏の王舎城に入る時に乗じて狂象を放ちこれに害を加えんとするも、象は仏に遇うて即ち帰服し、事もまた成らず。その時、舎利弗及び目揵連は提婆の徒衆に勧め諭してまた仏の僧団に帰せしめ、阿闍世王もまた仏の教化を受けて懺悔帰依するも、提婆はなお悪念を捨てずして、蓮花色比丘尼を撲打して死に至らしめ、また十指の爪の中に毒を置いて、仏足に礼するに由り仏を傷つけんとせしも、ただ仏足の堅固なること巌を如くして、提婆は反って自ら手指を破り、乃ちその地に於いて命終せり。古来、破和合僧、出仏身血、放狂象、殺蓮花色比丘尼、十爪毒手等の五事を提婆の五逆と為し、また特に破僧、傷仏、殺比丘尼の三事を称して三逆と為す。<(望)
阿闍貰(あじゃせ):梵名ajaatazatruの音訳。仏在世時中印度摩竭陀国頻婆娑羅王(梵bimbisaara)の子。また阿闍多沙兜楼、阿闍貰、阿闍多設咄路等に作り、未生怨、法逆と意訳す。またその母を韋提希と名づくるが故にまた阿闍世韋提希子と称す。後に父王を弑して自ら立ち、大いに中印度の覇権を張れり。その母胎に処する時に於いて、占師の預言すらく、この子は降生の後まさに父を弑すべし、と。父王、占師の預言を聴いて十分に驚恐し、遂に楼上よりこれを将って投棄せるも、僅かに手指を切断せるのみにして未だ死なざれば、故にまた婆羅留支(梵valaruci、折指の義)と称せり、並びにその未だ生ずる前に既に怨を結び已れるを以って、これを称して未生怨と為す。長ずるに及び、立ちて太子と為り、提婆達多の唆を聴信するに因り、父王を地牢中に幽禁せしめて、これを死に到らしめんと欲す。即位の後、隣近の諸小国を併呑して威を四方に震わし、印度等一の基礎を定む。後に父を弑せし罪に因り、遍体に瘡を生ぜしに、仏の前に至りて懺悔すれば即ち平癒せるに、遂に仏に帰依せり。仏の滅度の後、仏教の兄弟の大護法と為り、摩訶迦葉の七葉窟の経典を結集せる時には、阿闍世王は大檀越と為りて、一切の資具を供給せり。<(望) |
参考:『雑阿含経巻34』:『如是我聞。一時。佛住王舍城迦蘭陀竹園。時。有婆蹉種出家來詣佛所。合掌問訊。問訊已。退坐一面。白佛言。瞿曇。欲有所問。寧有閑暇見答以不。佛告婆蹉種出家。隨汝所問。當為汝說。婆蹉種出家白佛言。云何。瞿曇。命即身耶。佛告婆蹉種出家。命即身者。此是無記。云何。瞿曇。為命異身異耶。佛告婆蹉種出家。命異身異者。此亦無記。婆蹉種出家白佛。云何。瞿曇。命即身耶。答言。無記。命異身異。答言。無記。沙門瞿曇有何等奇。弟子命終。即記說言。某生彼處。某生彼處。彼諸弟子於此命終捨身。即乘意生身生於餘處。當於爾時。非為命異身異也。佛告婆蹉。此說有餘。不說無餘。婆蹉白佛。瞿曇。云何說有餘。不說無餘。佛告婆蹉。譬如火。有餘得然。非無餘。婆蹉白佛。我見火無餘亦然。佛告婆蹉。云何見火無餘亦然。婆蹉白佛。譬如大聚熾火。疾風來吹。火飛空中。豈非無餘火耶。佛告婆蹉。風吹飛火。即是有餘。非無餘也。婆蹉白佛。瞿曇。空中飛火。云何名有餘。佛告婆蹉。空中飛火依風故住。依風故然。以依風故。故說有餘。婆蹉白佛。眾生於此命終。乘意生身往生餘處。云何有餘。佛告婆蹉。眾生於此處命終。乘意生身生於餘處。當於爾時。因愛故取。因愛而住。故說有餘。婆蹉白佛。眾生以愛樂有餘。染著有餘。唯有世尊得彼無餘。成等正覺。沙門瞿曇。世間多緣。請辭還去。佛告婆蹉。宜知是時。婆蹉出家聞佛所說。歡喜隨喜。從坐起而去』 |
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如偈說
譬如師子 百獸之王
為小虫吼 為眾所笑
若在虎狼 猛獸之中
奮迅大吼 智人所可
諸論議師如猛虎
在此眾中無所畏
大智慧人多見聞
在此眾中最第一
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偈に説くが如し、
譬えば師子は、百獣の王なれば、
小虫の為に吼ゆれば、衆の笑う所と為り、
若し虎狼の、猛獣の中に在りて、
奮迅大吼すれば、智人の可とする所の如し。
諸の論議師の、猛虎の如き、
此の衆中に在りても、畏るる所無し。
大智慧の人は、見聞多く、
此の衆中に在りて、最も第一なればなり。
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譬えば、
『偈』に、こう説く通りである、――
譬えば、
『師子』という、
『百獣の王』が、
『小虫』に、
『吼えれば!』、
『衆( 人)』に、
『笑われる!』が、
『虎狼』という、
『猛獣』中に於いて、
『奮迅し!』、
『大吼すれば!』、
『智人』に、
『認められるように!』、
諸の、
『論議師』は、
譬えば、
『猛虎のようである!』が、
此の、
『衆』中に於いても、
『畏れる!』ことが、
『無い!』。
『大智慧の人』は、
『多く!』、
『見、聞して!』、
此の、
『衆』中に於いて、
『最も!』、
『第一だからである!』。
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在(ざい):[本義]生存/存在する( be living, exist )。~に居る/処する( be at, be on )、依る:例山不在高水不在深(
depend on, rest with, be in )、属す/所属する( be a member of an organization,
join or belong an organization )、視察/観察:例存往者在来者( inspect )、挨拶する( greet )、到達/到着する(
arrive )、[動作の場所/時間/範囲等]~に於いて( in, on, at )、~従り( from )、ちょうど:或は正在( just,
be in )、地方/処( place )、[動詞の後に用いて可能を表示する助辞]=得、[語気を表示する助辞]、[著に相当する助辞]。 |
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以是大智多聞人皆在王舍城故。佛多住王舍城。 |
是の大智、多聞の人の皆、王舎城に在るを以っての故に、仏は多く、王舎城に住まりたまえり。 |
是の、
『大智、多聞』の、
『人』は、
皆、
『王舎城』に、
『在(い)た!』が故に、
『仏』は、
『多く!』、
『王舎城』に、
『住まられたのである!』。
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復次頻婆娑羅王。到伽耶祀舍中。迎佛及餘結髮千阿羅漢。是時佛為王說法。得須陀洹道。即請佛言。願佛及僧就我王舍城。盡形壽受我衣被飲食臥具醫藥。給所當得。佛即受請。是故多住王舍城。 |
復た次ぎに、頻婆娑羅王は、伽耶の祀舎中に到りて、仏、及び結髪を除きし千阿羅漢を迎う。是の時、仏は、王の為に法を説き、須陀洹の道を得るに、即ち仏に請うて言わく、『願わくは仏、及び僧、我が王舎城に就き、形寿を尽くすまで、我が衣被、飲食、臥具、医薬を受けたまえ。当に得べき所を給せん。』と。仏は、即ち請を受け、是の故に、多く王舎城に住まりたまえり。 |
復た次ぎに、
『頻婆娑羅王』は、
『伽耶( gaja )』の、
『祀舎(神社)』中に、
『到り!』、
『仏』と、
『結髪を除いた!』、
『千阿羅漢』を、
『迎えた!』。
是の時、
『仏』は、
『王』の為に、
『法を説いて!』、
『須陀洹(預流果)の道』を、
『得させられた!』。
『王』は、
『仏を請うて!』、こう言った、――
願わくは、
『仏と僧』が、
わたしの、
『王舎城』に、
『就いて(赴任して)!』、
『形( 身)、寿』を、
『尽くす( exhaust )まで!』、
わたしの、
『衣服、飲食、臥具、医薬』を、
『受けたまえ!』。
当然、
『得られるべき!』所を、
『支給します!』、と。
『仏』は、
そこで、
『請』を、
『受けられた!』ので、
是の故に、
『多く!』、
『王舎城』に、
『住まられたのである!』。
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伽耶(がや):梵語gajaの音訳。象の義。具に梵gaja-ziirSaと称し、象頭山と訳す。山名。是れに二処有り、一には霊鷲山附近の提婆達破僧事を作せし処、二には仏成道処の附近に在り。
祀舎(ししゃ):神を祀る社。
余結髪(よのけっぱつ):他本に従い、除結髪に改む。
須陀洹(しゅだおん):梵語srota-aapanna。四沙門果の一。即ち聖者の見惑を断尽せる者を云う。又入流、至流、逆流、或いは預流等と訳す。声聞四果中の初果の名なり。入流とは初めて聖道に入るの義、逆流とは生死の流れに違背するなり。三界の見惑を断ちて即ちこの果を得。初めて四諦の道理を認めて聖者の流れに入る位にして阿羅漢に至る最初の位。『大智度論巻18上注:須陀洹、同巻18下注:四向四果』参照。
就(しゅう):接近する/近づく( come close to, move towards )、帰する/属する( belong to )、赴任する(
assume the office of )、完成/成功する( accomplish )、終る/尽きる( end )、適応する/適する/身をゆだねる(
accommodate oneself to, suit, fit, yield )、登る/開始する( ascend, start )。
尽形寿(じんぎょうじゅ):一生涯。
衣被(えひ):衣服。
所当得(しょとうとく):得は契合の義。ちょうど必要なだけ。 |
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復次閻浮提四方中。東方為始。日初出故。次第南方西方北方。東方中摩伽陀國最勝。摩伽陀國中王舍城最勝。是中有十二億家。 |
復た次ぎに、閻浮提の四方中、東方を始と為す、日の初めて出るが故なり。次第に南方、西方、北方なり。東方中には摩伽陀国最勝なり。摩伽陀国中には王舎城最勝なり。是の中に十二億の家有り。 |
復た次ぎに、
『閻浮提』の、
『四方』中には、
『日』が、
『初めに!』、
『出る!』が故に、
『始』は、
『東方であり!』、
『次第に!』、
『南方、西方、北方である!』が、
『東方』中には、
『摩伽陀国』が、
『最も!』、
『勝れており!』、
『摩伽陀国』中には、
『王舎城』が、
『最も!』、
『勝れていて!』、
是の中には、
『十二億の家』が、
『有った!』。
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閻浮提(えんぶだい):梵名jambudvipaの音訳。又贍部州に作る。『長阿含経巻18閻浮提品』によれば、須弥山の南に天下あり、閻浮提と名づく。その土は南に狭く北に広く、縦横七千由旬あり。人面もまた爾り。この地形に拠る、とあり、即ち須弥山の南方の大洲の名にして即ち古代印度大陸を指すものと知る。或いは又吾人の住処なりともいう。閻浮提の名に関しては、其の地に閻浮と名づくる樹木あれば、之に因りて名づくると為す。 |
参考:『阿毘達磨倶舎論巻11』:『論曰。於外海中大洲有四。謂於四面對妙高山。南贍部洲北廣南陜。三邊量等。其相如車。南邊唯廣三踰繕那半。三邊各有二千踰繕那。唯此洲中有金剛座。上窮地際下據金輪。一切菩薩將登正覺。皆坐此座上起金剛喻定。以無餘依及餘處所有堅固力能持此故。東勝身洲東陜西廣。三邊量等。形如半月。東三百五十。三邊各二千。西牛貨洲圓如滿月。徑二千五百。周圍七千半。北俱盧洲形如方座。四邊量等。面各二千。等言為明無少增減。隨其洲相人面亦然。復有八中洲。是大洲眷屬。謂四大洲側各有二中洲。贍部洲邊二中洲者。一遮末羅洲。二筏羅遮末羅洲。勝身洲邊二中洲者。一提訶洲。二毘提訶洲。牛貨洲邊二中洲者。一舍搋洲。二嗢怛羅漫怛里拏洲。俱盧洲邊二中洲者。一矩拉婆洲。二憍拉婆洲。此一切洲皆人所住。有說。唯一邏剎娑居。頌曰 此北九黑山 雪香醉山內 無熱池縱廣 五十踰繕那 論曰。此贍部洲從中向北。三處各有三重黑山。有大雪山。在黑山北。大雪山北有香醉山。雪北香南有大池水。名無熱惱。出四大河。一殑伽河。二信度河。三徙多河。四縛芻河。無熱惱池縱廣正等。面各五十踰繕那量。八功德水盈滿其中。非得通人無由能至。於此池側有贍部林樹形高大其果甘美。依此林故名贍部洲。或依此果以立洲號。‥‥』 |
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佛涅槃後。阿闍貰王以人民轉少故。捨王舍大城。其邊更作一小城。廣長一由旬。名波羅利弗多羅。猶尚於諸城中最大。何況本王舍城。 |
仏の涅槃の後、阿闍貰王は、人民の転た少なきを以っての故に、王舍大城を捨てて、其の辺に更に一小城を作れり。広長一由旬、波羅利弗多羅と名づく。猶尚お諸城中に於いて最大なり。何に況んや、本の王舎城をや。 |
『仏』の、
『涅槃の後』、
『阿闍世王』は、
『人民』が、
『次第に!』、
『少なくなった!』が故に、
『王舍』の、
『大城』を、
『捨てて!』。
其の辺に、
更に、
『広長一由旬』の、
『一小城』を、
『作り!』、
『波羅利弗多羅( paaTaliputra )』と、
『呼んだ!』が、
猶お、
況して、
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由旬(ゆじゅん):梵語yojanaの訳。帝王の一日の行軍の里程。或いは四十里、或いは三十里という。凡略10㎞。
波羅利弗多羅(ぱらりぷったら):梵名paaTaliputraの音訳。中印度摩竭陀国の都城。また波吒釐子城、波吒羅城、巴羅利弗城等に作り、華氏城と意訳す。恒河の南岸に位し阿闍世王の時に之を建つ。<(望) |
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復次是中人多聰明皆廣學多識。餘國無此。 |
復た次ぎに、是の中の人は、多く聡明にして、皆広く学び、多く識るも、余の国には、此れ無し。 |
復た次ぎに、
是の中の、
『人』は、
『多く!』が、
『聡明であり!』、
皆、
『広く学んで!』、
『多く識っていた!』が、
『余の国』には、
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復次有人應得道者。待時待處待人。佛豫知釋提桓因及八萬諸天。應在摩伽陀國石室中得道。是故佛多住王舍城。 |
復た次ぎに、有る人は、応に道を得べき者にして、時を待ち、処を待ち、人を待つ。仏は豫(あらかじ)め、釈提桓因、及び八万の諸天の、応に摩伽陀国の石室中に在りて、道を得べきを知りたまえば、是の故に仏は、多く王舎城に住まりたまえり。 |
復た次ぎに、
有る、
『人』は、
当然、
『道』を、
『得るはずである!』が、
而し、
『時、処、人』を、
『待たなくてはならない!』。
『仏』は、
預( あらか)じめ、
『釈提桓因と八万の諸天』が、
『摩伽陀国の石室( indrazailaguhaa )』中に於いて、
『道を得る!』ことを、
『知っていられた!』ので、
是の故に、
『仏』は、
『多く!』、
『王舎城』に、
『住まられたのである!』。
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釈提桓因(しゃくだいかんいん):梵名zakradevaanaam-indra。具に釈迦提桓因陀羅、釈提婆那民に作り、略して釈提桓因、釈迦提婆と称し、又天帝釈、帝釈天、天主等に作り、並びに因陀羅(indra)、憍尸迦(kausika)、娑婆婆等の異称あり。須弥山頂なる忉利天善見城に住する天主なり。『雑阿含経巻40』に、『世尊、何の因、何の縁ありて釈提桓因を釈提桓因と名づくる。仏、比丘に告ぐらく、釈提桓因は本、人たりし時、頓に施を行じ、沙門婆羅門の貧窮困苦し、生を求めて行路に乞うものには、施すに飲食、銭財、穀布、華香、厳具、床臥、灯明を以ってするに堪能なるを以っての故に釈提桓因と名づく』と云い、『大智度論巻54』に、『釈提桓因とは、釈迦は秦に能と言い、提婆は秦に天と言い、因提は秦に主と言い、合してこれを言わば釈提婆那民なり』と云える是れなり。<(望)『大智度論巻21(下)注:因陀羅』参照。
摩伽陀国石室(まがだこくしゃくしつ):即ち因陀羅石室(梵名indrazailaguhaa)の意。「長阿含巻10釈提桓因問経」等に依るに、釈提桓因、及び忉利の諸天衆の此の窟中に於いて仏より教を受けたる事を記せり。 |
参考:『長阿含巻10釈提桓因問経』:『一時。佛在摩竭國菴婆羅村北。毘陀山因陀娑羅窟中。爾時。釋提桓因發微妙善心。欲來見佛。今我當往至世尊所。時。諸忉利天聞釋提桓因發妙善心。欲詣佛所。即尋詣帝釋。白言。善哉。帝釋。發妙善心。欲詣如來。我等亦樂侍從詣世尊所。時。釋提桓因即告執樂神般遮翼曰。我今欲詣世尊所。汝可俱行。此忉利諸天亦當與我俱詣佛所。對曰。唯然。時。般遮翼持琉璃琴。於帝釋前忉利天眾中鼓琴供養。時。釋提桓因.忉利諸天及般遮翼。於法堂上忽然不現。譬如力士屈伸臂頃。至摩竭國北毘陀山中。爾時。世尊入火焰三昧。彼毘陀山同一火色。時國人見。自相謂言。此毘陀山同一火色。將是如來諸天之力。時。釋提桓因告般遮翼曰。如來.至真甚難得睹。而能垂降此閑靜處。寂默無聲。禽獸為侶。此處常有諸大神天侍衛世尊。汝可於前鼓琉璃琴娛樂世尊。吾與諸天尋於後往。對曰。唯然。即受教已。持琉璃琴於先詣佛。去佛不遠。鼓琉璃琴。以偈歌曰 跋陀禮汝父 汝父甚端嚴 生汝時吉祥 我心甚愛樂 本以小因緣 欲心於中生 展轉遂增廣 如供養羅漢 釋子專四禪 常樂於閑居 正意求甘露 我專念亦爾 能仁發道心 必欲成正覺 我今求彼女 必欲會亦爾 我心生染著 愛好不捨離 欲捨不能去 如象為鉤制 如熱遇涼風 如渴得冷泉 如取涅槃者 如水滅於火 如病得良醫 飢者得美食 充足生快樂 如羅漢遊法 如象被深鉤 而猶不肯伏 [馬*奔]突難禁制 放逸不自止 猶如清涼池 眾花覆水上 疲熱象沐浴 舉身得清涼 我前後所施 供養諸羅漢 世有福報者 盡當與彼供 汝死當共死 汝無我活為 寧使我身死 不能無汝存 忉利天之主 釋今與我願 稱汝禮節具 汝善思察之 爾時。世尊從三昧起。告般遮翼言。善哉。善哉。般遮翼。汝能以清淨音和琉璃琴稱讚如來。琴聲.汝音。不長不短。悲和哀婉。感動人心。汝琴所奏。眾義備有。亦說欲縛。亦說梵行。亦說沙門。亦說涅槃‥‥』 |
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復次其國豐樂乞食易得。餘國不如。 |
復た次ぎに、其の国の豊楽にして、乞食の得易きこと、余の国は如かず。 |
復た次ぎに、
其の、
『国』は、
『豊かで!』、
『楽しく!』、
『乞食して!』、
『食』を、
『得易い!』が、
余の、
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又以三因緣故。一者頻婆娑羅王約敕。宮中常作千比丘食。二者樹提伽。雖人中生常受天富樂。又多富貴諸優婆塞。三者阿波羅邏龍王。善心受化作佛弟子。除世飢饉故常降好雨。是故國豐。 |
又、三因縁を以っての故なり。一には頻婆娑羅王約勅して、宮中に常に千比丘の食を作す。二には樹提伽は、人中に生ずと雖も、常に天の富楽を受け、又富貴の諸の優婆塞多し。三には阿波羅邏龍王の善心、化を受けて仏弟子と作れば、世の飢饉を除かんが故に、常に好雨を降らす。是の故に国豊かなり。 |
又、
『三因縁』の故に、
『王舎城』に、
『多く!』、
『住まられた!』、――
一には、
『頻婆娑羅王』が、
『宮』中に於いて、
『常に千比丘の食を作る!』と、
『約束し!』、
『勅命した!』。
二には、
三には、
『阿波羅邏龍王( apalaala )』の、
『善心』が、
『化を受け!』、
『仏弟子』と、
『作った!』ので、
『世の飢饉』を、
『除く!』為に、
『常に!』、
『好雨を降らせた!』ので、
是の故に、
『国』が、
『豊かであった!』。
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約勅(やくちょく):約束して命じる。
樹提伽(じゅだいが):梵名jyotiska。印度摩竭陀国王舎城の人、一説には瞻婆国の人にして仏弟子の一なり。又聚底色迦、殊底色迦、殊提、樹提等に作り、星暦、有命、火生、光明と意訳す。『南本大般涅槃経巻28』に依れば、瞻婆城に大長者あり、年老いて子無く、六師外道に奉持し以って子を得んことを求む。久しからずして、その妻懐胎す。六師に問うに、六師皆言わく、『是れ女子にして長命ならず』、と。復た仏に問うに、仏言わく、『必ず男子にして、妙相と福徳を具足す』、と。六師之を聞くに因り嫉妬して、乃ち菴羅果を以って毒薬に和合し母をしてこれを服せしむるに、未だ幾ばくならずして死す。其の長者乃ち薪を積みて火葬せり。時に、火死屍を焼いて腹裂け、子中より出でて火中に端坐す。仏、耆婆を遣わして火に入れ児を抱かしむるに、清涼の大河の中に入るが如く、児を抱いて還る。長者、また仏に請うて之に命名す。仏の謂わく、この児、猛火(梵jyotis、樹提と音訳す)中に生ずれば、故に名を取りて樹提迦と為せ、と。別に『光明童子因縁経』によれば、樹提迦は後に仏の所に至って出家し、煩悩を断除して阿羅漢果を証せり、と。<(佛)
優婆塞(うばそく):梵語upaasaka、又烏波索迦、優波娑迦等に作り、近事、近事男、近善男、信士、信男、清信士等に意訳す。即ち在家のまま三宝に親近奉持して五戒を受持する男居士。在家二衆の一、四衆の一、七衆の一にして、優婆夷と同じく在家にて仏法を信仰するに係わる者を指す。『仏本行集経巻32』によれば、仏は成道の後、差梨尼迦樹(kSiriNika、善く乳汁を出だす樹)林に至りて結跏趺坐するに、爾の時、北天竺より来たれる提謂(trapusa)、波利(bhallika)なる二商主、麨、酪、蜜を和えし所の摶(だん、団子)を以って仏に供養し、三自帰戒を受く、是れを最初の優婆塞と為す、と。<(佛)
阿波羅囉(あぱらら):梵名apalaala、又阿波邏羅に作る。龍王の名。北印度烏仗那(udyaana)国の池は阿波羅囉の所住なれば、故に之を阿波羅囉龍泉と名づく。
化(け):教化( to teach )、梵語 asaadhya の訳、征服/支配される/勝たれる/従順になる( to be subdued or
mastered or won or managed, conquerable, amenable )の義、改宗させる/導く/変える( To
proselytize, to guide; to transform. )の意。 |
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如佛涅槃後。長老摩呵迦葉欲集法思惟。何國豐樂乞食易得疾得集法。如是思已。憶王舍城中頻婆娑羅王約敕常設千比丘食。 |
仏の涅槃の後、長老摩訶迦葉の法を集めんと欲して、思惟するが如し、『何れの国か豊楽にして、乞食して得易く、疾かに法を集むることを得ん。』と。是の如く思い已りて、憶すらく、『王舎城中には、頻婆娑羅王の約勅すらく、常に千比丘の食を設けんと。』と。 |
例えば、
『仏』の、
『涅槃の後』、
『長老摩訶迦葉』は、
『法』を、
『集めたい!』と、
『思い!』、
こう思惟した、――、
何の、
『国』が、
『豊かで!』、
『楽しく!』、
『乞食して!』、
『食』を、
『得易い!』が故に、
疾かに、
『法』を、
『集めることができるのか?』、と。
是のように思惟して、
『王舎城』中には、
『頻婆娑羅王』が、
『約束して!』、
『勅命した!』ので、
常に、
『千比丘の食が設けられている!』ことを、
『憶いだした!』。
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頻婆娑羅王雖死此法不斷。是中食易得易可集法。餘處無如是常供。若行乞食時諸外道來共論議。若共論議集法事廢。若不共論便言諸沙門不如我。如是思惟。擇取最上千阿羅漢。將就耆闍崛山集結經藏。以是三因緣。故知摩伽陀國乞食易得。 |
『頻婆娑羅王死すと雖も、此の法は断ぜず。是の中には食を得ること易(たやす)く、法を集むべきこと易し。余処は是の如き常に供する無し。若しは乞食に行く時、諸の外道来たりて共に論議せん。若し共に論議せば、法を集むる事廃れん。若し共に論ぜざれば、便ち言わん、諸の沙門は、我れに如かずと。』と、是の如く思惟し、最上の千阿羅漢を択び取り、将いて耆闍崛山に就き、経蔵を集結せり。是の三因縁を以っての故に知る、摩伽陀国は乞食して得易しと。 |
『頻婆娑羅王』は、
『死んでいた!』が、
此の、
『法』は、
『断たれていない!』ので、
是の中は
『食を得易く!』、
『法を集め易い!』が、
余の処は、
是のような、
『供給』は、
『常設されていない!』ので、
若し、
『乞食を行う!』時、
諸の、
『外道が来れば!』、
『共に!』、
『論義するだろう!』。
若し、
『共に論議すれば!』、
諸の、
『法を集める!』、
『事(仕事)』は、
『廃止されるだろう!』。
若し、
『共に論議しなければ!』、
諸の、
『沙門』は、
『わたし達に及ばない!』と、
『言うだろう!』と、
是のように思惟すると、――
『最上』の、
『千阿羅漢』を、
『択んで!』、
『取り!』、
『将( ひき)いて!』、
『耆闍崛山』に、
『就け(赴任させ)!』、
『経蔵』を、
『集めて!』、
『結んだ!』。
是の、
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如阿含及毘尼中說言。毘耶離國時時有飢餓。如降難陀婆難陀龍王兄弟經中說。舍婆提國飢餓。餘諸國亦時時有飢餓。摩伽陀國中無是事。以是故知。摩伽陀國豐樂乞食易得 |
阿含、及び毘尼中の如きに説いて言わく、『毘耶離国は、時時、飢餓有り。』と。『降難陀婆難陀龍王兄弟経』中の如きに言わく、『舎婆提国は、飢餓あり。余の諸国も亦た時時飢餓有り。摩伽陀国中に、是の事無し』と。是を以っての故に知るらく、『摩伽陀国は豊楽にして、乞食得易し。』と。 |
例えば、
『阿含( 経蔵)、毘尼( 律蔵)中の説』は、こう言っている、――
例えば、
『降難陀婆難陀龍王兄弟経中』には、こう説いている、――
『舎婆提国』は、
『飢餓しており!』、
『余の諸国』にも、
『時々!』、
『飢餓が有る!』が、
『摩伽陀国』中には、
是の故に、こう知る、――
『摩伽陀国』は、
『豊かで!』、
『楽しく!』、
『乞食して!』、
『食』を、
『得易い!』、と。
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参考:『雑宝蔵経巻3龍王偈縁』:『佛在王舍城。提婆達多。往至佛所。惡口罵詈。阿難聞已。極生瞋恚。驅提婆達多令出去。而語之曰。汝若更來。我能使汝得大苦惱。諸比丘見已。白佛言。希有世尊。如來常於提婆達多。生慈愍心。而提婆達多。於如來所。恒懷惡心。阿難瞋恚。即驅使去。佛言。非但今日。於過去世。亦曾如此。昔於迦尸國。時有龍王。兄弟二人。一名大達。二名優婆大達。恒雨甘雨。使其國內。草木滋長。五穀成熟。畜生飲水。皆得肥壯。牛羊蕃息。時彼國王。多殺牛羊。至於龍所。而祠於龍。龍即現身。而語王言。我既不食。何用殺生。而祠我為數語不改。兄弟相將。遂避此處。更到一小龍住處。名屯度脾。屯度脾龍。晝夜瞋恚。惡口罵詈。大達語言。汝莫瞋恚。比爾還去。優婆大達。極大忿怒。而語之言。唯汝小龍。常食蝦蟆。我若吐氣。吹汝眷屬。皆使消滅。大達語弟。莫作瞋恚。我等今當還向本處。迦尸國王。渴仰我等。迦尸國王。作是言曰。二龍若來。隨其所須。以乳酪祀。更不殺生。龍王聞已。即還本處。於是大達。而作是偈言 盡共合和至心聽 極善清淨心數法 菩薩本緣所說事 今佛顯現故昔偈 天中之天三佛陀 如來在世諸比丘 更出惡言相譏毀 大悲見聞如此言 集比丘僧作是說 諸比丘依我出家 非法之事不應作 汝等各各作麤語 更相誹謗自毀害 汝不聞知求菩提 修集慈忍難苦行 汝等若欲依佛法 應當奉行六和敬 智者善聽學佛道 為欲利益安眾生 普於一切不惱害 修行若聞應遠惡 出家之人起忿諍 猶如冰水出於火 我於過去作龍王 兄弟有二同處住 若欲隨順出家法 應斷瞋諍合道行 第一兄名為大達 第二者名優婆達 俱不殺生持淨戒 有大威德厭龍形 恒向善趣求作人 若見沙門婆羅門 修持淨戒又多聞 變形供養常親近 八日十四十五日 受持八戒撿心意 捨己住處詣他方 有龍名曰屯度脾 見我二龍大威德 知己不如生嫉恚 恒以惡口而罵詈 [月*逢]頷腫口氣麤出 瞋怒心盛身脹大 出是惡聲而謗言 幻惑諂偽見侵逼 聞此下賤惡龍罵 優波大達極瞋恚 請求其兄大達言 以此惡語而見毀 恒食蝦蟆水際住 如此賤物敢見罵 若在水中惱水性 若在陸地惱害人 聞惡欲忍難可堪 今當除滅身眷屬 一切皆毀還本處 大力龍王聞弟言 所說妙偈智者讚 若於一宿住止處 少得供給而安眠 不應於彼生惡念 知恩報恩聖所讚 若息樹下少蔭涼 不毀枝葉及花果 若於親厚少作惡 是人終始不見樂 一餐之惠以惡報 是不知恩行惡人 善果不生復消滅 如林被燒而燋兀 後還生長復如故 背恩之人善不生 若養惡人百種供 終不念恩必報怨 譬如仙人象依住 生子即死仙養活 長大狂逸殺仙人 樹木屋宇盡蹋壞 惡人背恩亦如是 心意輕躁不暫停 譬如洄澓中有樹 不修親友無返復 如似白[疊*毛]甄叔染 若欲報怨應加善 不應以惡而毀害 智者報怨皆以慈 擔負天地及山海 此擔乃輕背恩重 一切眾生平等慈 是為第一最勝樂 如渡河津安隱過 慈等二樂亦如是 不害親友是快樂 滅除憍慢亦是樂 內無德行外憍逸 實無有知生憍慢 好與強諍親惡友 名稱損減得惡聲 孤小老者及病人 新失富貴羸劣者 貧窮無財失國主 單己苦厄無所依 於上種種困厄者 不生憐愍不名仁 若至他國無眷屬 得眾惡罵忍為快 能遮眾惡鬥諍息 寧在他國人不識 不在己邦眾所輕 若於異國得恭敬 皆來親附不瞋諍 即是己國親眷屬 世間富貴樂甚少 衰滅苦惱甚眾多 若見眾生皆退失 制不由己默然樂 怨敵力勝自羸弱 親友既少無所怙 自察如是默然樂 非法人所貪且慳 不信無慚不受言 於彼惡所默然樂 瞋恚甚多殘害惡 好加苦毒於眾生 如此人邊默然樂 不信強梁喜自高 得逆諂偽詐幻惑 於如此人默然樂 破戒兇惡無慮忍 恒作非法無信行 於此人所默然樂 妄語無愧好兩舌 邪見惡口或綺語 傲慢自高深計我 極大慳貪懷嫉妒 於此人所默然樂 若於他處不知己 亦無識別種性行 不應自高生憍慢 至餘國界而停住 衣食仰人不自在 若得毀罵皆應忍 他界寄住仰衣食 若為基業欲快樂 亦應如上生忍辱 若住他界仰衣食 乃至下賤來輕己 諸是智者宜忍受 在他界住惡知友 愚小同處下賤人 智者自隱如覆火 猶如熾火猛風吹 炎著林野皆焚燒 瞋恚如火燒自他 此名極惡之毀害 瞋恚欲心智者除 若修慈等瞋漸滅 未曾共住輒親善 恒近惡者是癡人 不察其過輒棄捨 作如上事非智者 若無愚小智不顯 如鳥折翅不能飛 智者無愚亦如是 以多愚小及無智 不能覺了智有力 以是義故諸賢哲 博識多聞得樂住 智者得利心不高 失利不下無愚癡 所解義理稱實說 諸有所言為遮惡 安樂利益故宣辯 為令必解說是語 智者聞事不卒行 思惟籌量論其實 明了其理而後行 是名自利亦利他 智者終不為身命 造作惡業無理事 不以苦樂違正法 終不為己捨正行 智者不慳無嫉恚 亦不嚴惡無愚癡 危害垂至不恐怖 終不為利讒搆人 亦不威猛不怯弱 又不下劣正處中 如此諸事智者相 威猛生嫌懦他輕 去其兩邊處中行 或時默然如啞者 或時言教如王者 或時作寒猶如雪 或時現熱如熾火 或現高大如須彌 或時現卑如臥草 或時顯現猛如王 或時寂滅如解脫 或時能忍飢渴苦 或時堪忍苦樂事 於諸財寶如糞穢 自在能調諸瞋恚 或時安樂縱伎樂 或時恐怖猶如鹿 或時威猛如虎狼 觀時非時力無力 能觀富貴及衰滅 忍不可忍是真忍 忍者應忍是常忍 於羸弱者亦應忍 富貴強盛常謙忍 不可忍忍是名忍 嫌恨者所不嫌恨 於瞋人中常心淨 見人為惡自不作 忍勝己者名怖忍 忍等己者畏鬥諍 忍下劣者名盛忍 惡罵誹謗愚不忍 如似兩石著眼中 能受惡罵重誹謗 智者能忍花雨象 若於惡罵重誹謗 明智能忍於慧眼 猶如降雨於大石 石無損壞不消滅 惡言善語苦樂事 智者能忍亦如石 若以實事見罵辱 此人實語不足瞋 若以虛事而罵辱 彼自欺誑如狂言 智者解了俱不瞋 若為財寶及諸利 忍受苦樂惡罵謗 若能不為財寶利 設得百千諸珍寶 猶應速疾離惡人 樹枝被斫不應拔 人心已離不可親 便從異道遠避去 可親友者滿世間 先敬後慢而輕毀 亦無恭敬不讚歎 如似白鵠輕飛去 智者遠愚速應離 好樂鬥諍懷諂曲 喜見他過作兩舌 妄言惡口亦綺語 輕賤毀辱諸眾生 更出痛言入心髓 不護身業口與意 智者遠離至他方 嫉妒惡人無善心 見他利樂及名稱 心生熱惱大苦毒 言語善濡意極惡 唯智能遠至他方 人樂惡欲貪利養 諂曲要取無慚愧 內不清淨外亦然 智者速遠至他方 若人無有恭恪心 憍慢所懷無教法 自謂智者實愚癡 慧者遠離至他方 此處飲食得臥具 并諸衣被憑活路 應當擁護念其恩 猶如慈母救一子 愛能生長一切苦 先當斷愛而離瞋 悉能將人至惡趣 自高憍慢亦應捨 富貴親友貧賤離 如此之友當速遠 若為一家捨一人 若為一村捨一家 若為一國捨一村 若為己身捨天下 若為正法捨己身 若為一指捨現財 若為身命捨四支 若為正法捨一切 正法如蓋能遮雨 修行法者法擁護 行法力故斷惡趣 如春盛熱得蔭涼 修行法者亦復然 與諸賢智趣向俱 多得財利不為喜 若失重寶不為憂 不常懃苦求乞索 是名堅實大丈夫 施他財寶甚歡喜 世間過惡速捨離 安立己身深於海 是名雄健勝丈夫 若解義理眾事巧 為人柔軟共行樂 諸人歎說善丈夫 優波大達作是言 我今於兄倍信敬 假使遭苦極困厄 終不復作諸惡事 若死若活得財產 及失財產不造惡 兄今當知我奉事 願以持戒而取死 不以犯戒而取生 何故應當為一生 而可放逸作惡行 生死之中莫放逸 我於生死作不善 遭值惡友造非法 得遇善友以斷除 佛入宿命知了說 告諸比丘是本偈 爾時大達是我身 優波大達是阿難 當知爾時屯度脾 即是提婆達多身 比丘當知作是學 是名集法總攝說 宜廣慎行應恭敬 諸比丘僧修是法』 |
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復次王舍城在山中閑靜。餘國精舍平地故。多雜人入出來往易故不閑靜。又此山中多精舍。諸坐禪人諸聖人皆樂閑靜多得住中。佛是聖人坐禪人主。是故多住王舍城。如是等種種因緣故多住王舍城。 |
復た次ぎに、王舎城は山中に在りて閑静なり。余の国の精舎は平地なるが故に、多雑の人の入出、来往易きが故に閑静ならず。又此の山中には精舎多く、諸の坐禅人、諸の聖人は、皆閑静を楽しむに、多く中に住まることを得。仏は、是れ聖人、坐禅人の主なり。是の故に多く王舎城に住まりたもう。是の如き種種の因縁の故に、多く王舎城に住まりたまえり。 |
復た次ぎに、
『王舎城』は、
『余の国』では、
『精舎』が、
『平地に在る!』が故に、
『雑多な人』の、
『入出、来往』が、
『容易であり!』、
『閑静でない!』。
又、
此の、
『山』中には、
『精舎が多い!』が故に、
諸の、
『坐禅人』や、
『聖人』が、
皆、
『閑静』を、
『楽しんでおり!』、
多くが、
『精舎』中に、
『住まることができた!』が、
『仏』は、
『聖人』と、
『坐禅人』との、
『主であり!』、
是の故に、
『王舎城』に、
『多く!』と、
『住まられた!』。
是れ等のような、
種種の、
『因縁』の故に、
『多く!』、
『王舎城』に、
『住まられたのである!』。
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問曰。若住王舍城可爾。何以不多住竹園而多住耆闍崛山。 |
問うて曰く、若しは、王舎城に住まること、爾るべし。何を以ってか、竹園に住まること多からず、而も耆闍崛山に住まること多きや。 |
問い、
若し、
『王舎城』に、
『住まられる!』ことが、
『爾うだとすれば!』、
何故、
『竹園』に、
『住まる!』ことは、
『多くなく!』、
『耆闍崛山』には、
『多く!』、
『住まられたのですか?』。
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答曰。我已答。聖人坐禪人樂閑靜處。 |
答えて曰く、我れは已に答えたり。聖人、坐禅人は、閑静の処を楽しむと。 |
答え、
わたしは、
已に、こう答えた、――
『聖人、坐禅人』は、
『閑静の処』を、
『楽しむ!』、と。
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問曰。餘更有四山。鞞婆羅跋恕等。何以不多住。而多住耆闍崛山。 |
問うて曰く、余にも更に四山有り。鞞婆羅跋恕等には、何を以ってか、多く住まらず、而も耆闍崛山に多く住まりたまえる。 |
問い、
余にも、
更に、
『四山』、
『有る!』が、
何故、
『鞞婆羅跋恕』等には、
『住まられる!』ことが、
『多くなく!』、
而も、
『耆闍崛山』に、
『多く!』、
『住まられたのですか?』。
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答曰。耆闍崛山於五山中最勝故。云何勝。耆闍崛山精舍近城而山難上。以是故雜人不來。近城故乞食不疲。以是故佛多在耆闍崛山中。不在餘處。 |
答えて曰く、耆闍崛山は五山中に於いて最勝なるが故なり。云何が勝るる。耆闍崛山の精舎は、城に近くして、而も山は上り難し。是を以っての故に、雑人来たらず。城に近きが故に、乞食して疲れず。是を以っての故に、仏は多く、耆闍崛山中に在(ましま)すも、余の処には在せず。 |
答え、
『耆闍崛山』は、
『五山』中に、
『最も!』、
『勝れているからである!』。
何のように、
『勝れていたのか?』、――
『耆闍崛山』の、
『精舎』は、
『城に近い!』が、
『城に近い!』が故に、
則ち、
『乞食して!』、
『疲れないからである!』。
是の故に、
『仏』は、
『多く!』、
『耆闍崛山』中に、
『在(お)られ!』、
『余の処』に、
『在られた!』のは、
『多くなかったのである!』。
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