巻第二(上)
home

初品總說如是我聞釋論第三(卷第二)
 龍樹菩薩造
 後秦龜茲國三藏法師鳩摩羅什奉 詔譯


如是我聞一時総説

如是我聞一時今當總說。 『是の如く我れ聞けり、一時』を、今、当に総説すべし。
『是のように!』、
『わたしは、聞いた!――』、
『一時(或る時)』を、
今、
『総じて説かねばならない!』、――
問曰。若諸佛一切智人。自然無師不隨他教不受他法。不用他道不從他聞而說法。何以言如是我聞。 問うて曰く、若し諸仏にして、一切智人なれば、自然にして師無く、他の教に随わず、他の法を受けず、他の道を用いず、他より聞かずして、法を説かん。何を以ってか、『是の如く我れ聞けり』と言う。
問い、
若し、
諸の、
『仏』が、
『一切智の人ならば!』、
則ち、
『自然であり!』、
『師が無く!』、
『他の教に随わず!』、
『他の法を受けず!』、
『他の道を用いず!』、
『他より聞かずに!』、
『法』を、
『説かれたはずだ!』。
何故、こう言うのか?――
『是のように!』、
『わたしは、聞いた!――』、と。
  一切智(いっさいち):梵語薩婆若sarva-jJataaの訳。又sarva-jJaa、或はsarva-jJaanaに作る。一切智性の義。三智の一。内外一切の法相を了知する智をいう。『大智度論巻37上注:一切智、一切種智、道種智』参照。
  三智(さんち):『大智度論巻84釈三慧品』所説の一切智、道種智、一切種智を指す。(一)一切智:即ち一切の諸法の総相、別相を了知する智慧なり。総相とは即ち空相なり。この智を乃ち声聞、縁覚の智と為す。(二)道種智:また道種慧、道相智に作り、即ち一切の諸法の別相を了知する智なり。別相とは即ち種種差別ある道法なり。この智は乃ち菩薩の智と為す。(三)一切種智:また一切相智に作り、乃ち総相と別相に通達する智にして即ち仏智なり。<(佛)
  一切智(いっさいち):梵語にsarvajJaに作り、音訳して薩婆若に作る。内外の一切の法相を了知する智を指す。三智の一なり。『瑜伽師地論巻38』によれば、「一切界、一切事、一切品、一切時に於いて智の無礙にして転ずるを、一切智と名づく』と云えるが如く、即ち如実に一切の世界、衆生界、有為、無為の事、因果界趣の差別、及び過去、現在、未来三世を了知する者を称して一切智と為す、『華厳経大疏巻16』に「如来は無尽の智を以って、無尽の法を知り、故に一切智と称す」と云えるが如し。また一切智を一切種智に対すれば総相、別相の二義有り、もし総の義に依れば則ち総じて仏智と称し、義は一切種智と同一なり。もし別義に依れば、則ち一切智を平等界を見る空性の智と為し、これ即ち声聞、縁覚の所得の智と為し、一切種智を差別界を見る事相の智と為し、乃ち「平等相、即ち差別相」の仏智なり、『大智度論巻27』に「総相とはこれ一切智、別相とはこれ一切種智、因はこれ一切智、果はこれ一切種智、略説するは一切智、広説するは一切種智なり。一切智とは、総じて一切法の中の無明の闇を破り、一切種智とは種種の法門を観じて、諸の無明を破る。(中略)仏は自ら説きたまわく、一切智はこれ声聞、辟支仏の事、道智はこれ諸の菩薩の事、一切種智はこれ仏の事なり、と。声聞、辟支仏は、ただ総の一切智有るのみにして、一切種智無し」、と。<(佛)
  一切種智(いっさいしゅち):梵にsarvathaa-jJaanaに作り、三智の一なり。また仏智に作り、広義についてこれを言えば、一切種智は薩婆若(さばにゃ、sarvajJa、一切智)に同ず。然るに三智の中に於いては、一切智に相い対し、則ち仏のみよくこれを得る智を指す。即ちよく一種の智慧を以って一切の道法、一切の衆生の因種を覚知し、並びに諸法の寂滅相、及びその行類の差別に了達する智なり。『大乗起信論』には「諸仏如来は見相を離れて遍からざる所無く、心真実なるが故に、即ちこれ諸法の性にして、自体は一切の妄法を顕照して、大智の用、無量の方便有り、諸の衆生のまさに得解すべき所に随いて、皆よく種種の法義を開示し、この故に一切種智と名づくるを得』と云い、また『大智度論巻27』には「所謂禅定、智慧等の諸法は、仏尽く諸法の総相、別相を知りたまい、故に名づけて一切種智と為す。(中略)一切智はこれ声聞、辟支仏の事、道智はこれ諸菩薩の事、一切種智はこれ仏の事なり』、と云えるこれなり。<(望)
  道智(どうち):三智の一と為す。即ち遍く世間、出世間の一切の道門の差別を知る智慧なり。この種の智慧は乃ち菩薩の「不共智」に属す。また一切道種智、道種慧、道智、道相智と称す。『大智度論巻27』によれば、六波羅蜜中に於いて、よく分別思惟を行う智を称して道種智と為し、また広く一切の道法を学んで以って衆生を済度する菩薩の智を指す。
答曰。如汝所言。佛一切智人自然無師。不應從他聞法而說。佛法非但佛口說者。是一切世間真實善語。微妙好語皆出佛法中。 答えて曰く、汝が言う所の如く、仏は一切智人なり。自然にして師無く、応に他より法を聞きて説くべからず。仏法は、但だ、仏の口に説く者、是れなるに非ず。一切の世間の真実の善語、微妙の好語は、皆、仏法中より出づ。
答え、
お前の、言うように、――
『仏』は、
『一切智の人であり!』、
『自然であり!』、
『師が無い!』が故に、
当然、
『他』より、
『法』を、
『聞いて!』、
『説くはずがない!』。
『仏の法』は、
但だ、
是れは、
『仏の口』に、
『説かれたものだけではない!』。
一切の、
『世間』の、
『真実の善語』、
『微妙の好語』は、
皆、
『仏の法』中より、
『出るのである!』。
如佛毘尼中說。何者是佛法。佛法有五種人說。一者佛自口說。二者佛弟子說。三者仙人說。四者諸天說。五者化人說。 仏の毘尼中に説きたまえるが如し、『何者か、是れ仏法なる。仏法には五種の人の説く有り。一には、仏自ら口もて説き、二には、仏の弟子説き、三には、仙人説き、四には、諸の天説き、五には化人説く。
例えば、
『仏』は、
『毘尼(律蔵)』中に、こう説かれている、――
何が、
『仏の法だろうか?』、――
『仏の法』には、
『五種の人』の、
『説』が有る、――
一には、
『仏』が、
自ら、
『口で説き!』、
二には、
『仏』の、
『弟子』が、
『説き!』、
三には、
『仙人』が、
『説き!』、
四には、
諸の、
『天』が、
『説き!』、
五には、
『化人』が、
『説いた!』。
  毘尼(びに):梵語vinaya、又毘奈耶とも称す。律蔵の意。『大智度論巻24(下)注:律』参照。
  参考:『十誦律巻9』:『法者。佛所說。弟子所說。天所說。仙人所說。化人所說。顯示布施持戒生天泥洹。』
復次如釋提桓因得道經。佛告憍尸迦。世間真實善語微妙好語皆出我法中。如讚佛偈中說
 諸世善語  皆出佛法 
 善說無失  無過佛語 
 餘處雖有  善無過語 
 一切皆是  佛法之餘 
 諸外道中  設有好語 
 如虫食木  偶得成字 
 初中下法  自共相破 
 如鐵出金  誰當信者 
 如伊蘭中  牛頭栴檀 
 如苦種中  甘善美果 
 設能信者  是人則信 
 外經書中  自出好語 
 諸好實語  皆從佛出 
 如栴檀香  出摩梨山 
 除摩梨山  無出栴檀 
 如是除佛  無出實語
復た次ぎに、釈提桓因得道経の如し。仏の憍尸迦に告げたまわく、『世間の真実の善語、微妙の好語は、皆我が法中に出づ。』と。仏を讃ずる偈中に説くが如し、
諸の世の善語は、皆仏法に出づ
善説にして失無く、過無きは仏語なり
余処に善にして、過無き語有りと雖も
一切は皆是れ、仏法の余なり
諸の外道中に、設(も)し好語有らんも
虫の木を食うて、偶ま字を成すを得るが如し
初中下の法、自ら共に相い破ること
鉄の金を出すが如きを、誰か当に信ずべき者なる
伊蘭中の、牛頭栴檀の如き
苦種中の、甘き善美の果の如きを
設し能く信ずる者、是の人なれば則ち信ぜん
外の経書中に、自ら好語を出すと
諸の好き実語は、皆仏より出づること
栴檀香の、摩梨山に出づるが如し
摩梨山を除きて、栴檀を出す無し
是の如く仏を除きて、実語を出す無し
復た次ぎに、
例えば、
『釈提桓因得道経』中に、
『仏』は、
『憍尸迦』に、こう告げられている、――
『世間』の、
『真実の善語』や、
『微妙の好語』は、
皆、
わたしの、
『法』中より、
『出たのである!』、と。
例えば、
『讃仏の偈』中に、こう説く通りである、――
諸の、
『世間の善語』は、
皆、
『仏の法』より、
『出る!』、
『仏の語』は、
皆、
『善く説かれ!』て、
『過失が無い!』。
余の処にも、
『善く説かれ!』、
『過失の無い!』、
『語』は、
『有る!』が、
一切は、
皆、
『仏法の余である!』。
諸の、
『外道』中に、
若し、
『好語』が、
『有るとしても!』、
『虫』が、
『木を食って!』、
偶(たまた)ま、
『字』と、
『成ったようなものである!』。
『初、中、下の法』は、
自ら、
『共に互に!』、
『破り合っている!』。
譬えば、
『鉄より!』、
『金』が、
『出たとしても!』、
誰が、
『信じられるのか?』。
譬えば、
『伊蘭』中より、
『出た!』、
『牛頭栴檀』や、
『苦い種』中より
『出た!』、
『甘、善、美の果』を、
若し、
『信じられれば!』、
是の、
『人』は、
『外道の経書』中の、
『好語』を、
『信じるだろう!』。
諸の、
『好、実の語』は、
皆、
『仏より!』、
『出る!』。
譬えば、
『栴檀香』は、
『摩梨山より!』、
『出て!』、
『摩梨山でなければ!』、
『栴檀』を、
『出さないように!』、
是のように、
『仏でなければ!』、
『実語を出す!』者は、
『無い!』。
  釈提桓因得道経(しゃくだいかんいんとくどうきょう):不明。
  憍尸迦(きょうしか):梵名kauzika、帝釈天の異名。『大智度論巻21下注:因陀羅』参照。
  伊蘭(いらん):梵名eraNDa、又伊那拔羅に作り、極臭木と訳す。学名Rcinus communis.蓖麻(タウゴマ)なり。其の種子より蓖麻子油を製す。一年生草本なれども、熱帯地にては灌木様、又木本様となることあり。「観仏三昧海経巻1」に、「譬えば伊蘭と栴檀と倶に末利山に生ずるが如し。牛頭栴檀は伊蘭叢中に生じ、未だ長大に及ばずして地下に在る時、芽茎枝葉、閻浮提の竹筍の如し。衆人知らずして、此の山中は純ら是れ伊蘭のみ、栴檀あることなしと言う。伊蘭の臭は臭膖屍の如く、四十由旬に熏ず。其の華紅色にして甚だ愛楽すべし。若し食する者あらば発狂して死す。牛頭栴檀此の林に生ずと雖も、未だ成就せざるが故に、香を発すること能わず。仲秋月満ち、卒に地より出でて栴檀樹となれば、衆人皆栴檀上妙の香を聞き、永く伊蘭悪臭の気なし」と云えり。是れ蓋し此の草の茎及び葉、並びに種皮に毒を含めるより、転じて悪臭ある毒草として喩えらるるに至りしものならん。「慧苑音義巻下」に、伊那跋羅龍王を解する中、「伊羅とは樹の名なり。此に臭気と云うなり」と云えるも、恐らく今の伊蘭を指せるものなるべく、又「翻梵語巻10」には伊蘭を香と訳せり。印度の古諺に、智者なき所にては少しく智慧あるものも称揚せらる。樹なき国に於いては伊蘭も木となるというと。鳥なき里の蝙蝠の同一趣向なり。又「慧琳音義巻25」、「十門辯惑論巻上」、「翻訳名義集巻7」等に出づ。<(望)
  牛頭栴檀(ごづせんだん):梵語goziirSa-candanaの訳。印度に産する香樹の名。銅赤色にして、栴檀中最も香気あるもの。「新華厳経巻67」に、「摩羅耶山に栴檀香を出す、名づけて牛頭と曰う」と云い、「悲華経巻2」に、「牛頭栴檀を以って一一の声聞の為に諸の牀榻を作り、一一の牀辺に牛頭栴檀を以って机隥を為す」と云い、又「栴檀林に於いて牛頭栴檀を取り、仏の為に大衆は火を然して食を熟す」と云い、「経律異相巻6」に、「波斯匿王は仏を見んと思欲し、牛頭栴檀を刻して如来の像を作り、仏の坐処に置く」と云える皆其の例なり。此の中、「華厳経」に摩羅耶山といえるは即ち南印度に在る山脈にして、其の南西をマラヤ地方と称し、栴檀の産地として有名なり。故に栴檀を一名摩羅耶産malaya-jaとも称す。之を牛頭と名づくる所以は詳ならず、若し「正法念処経巻69」に依らば、鬱単越に十大山あり、其の第五を高聚山と云い、之に亦た五大峯あり、其の第二銀峯に多く牛頭栴檀を産す。此の山峯は状牛頭に似たり、故に此の峯中に生ずる栴檀樹を号して牛頭栴檀と名づくと云えり。但し「法華経巻2信解品」、「同巻5分別功徳品の偈」、並びに「同巻6薬王菩薩本事品」等に牛頭栴檀の訳語を掲ぐるも、「梵文法華経」には只単に之をcandanaとし、又「分別功徳品の長行」に赤栴檀とあるを、梵文にはlohita-candana(赤銅色栴檀)とせり。此の中、赤栴檀は恐らく牛頭栴檀の一名なるべし。香気を有し、久しきに亘りて朽ちざるが故に、古来此の樹を以って仏像、殿堂、器具等を造り、又其の粉末は時に医薬の料として使用せられ、其の油は香水の原料に供せらる。又「観仏三昧海経巻1」、「十誦律巻39」、「高僧法顕伝」、「大唐西域記巻9」、「慧苑音義巻上」、「翻訳名義集巻8」等に出づ。<(望)
  栴檀(せんだん):梵名candana、巴梨名同じ。又旃陀那、旃弾那、旃檀那、旃檀娜、或いは真檀に作り、義訳して与薬と云う。印度等に産する香樹の名。学名Sirium myrtifolium.巨木にして高さ数丈に達し、材に芳香あり。以って像又は器を作り、又其の材及び根を粉末して香となし、之を栴檀香或いは檀香と称す。「中阿含巻34喩経」に、「不放逸は諸の善法に於いて最第一と為す。猶お諸根香には沈香を第一と為すが如く、猶お諸樹香には赤旃檀を第一と為すが如し」と云い、「無量寿経巻上」に、「口気香潔なること優鉢羅華の如く、身の諸の毛孔より栴檀香を出す」と云い、「大仏頂首楞厳経巻7」、「其の糞を取りて栴檀に和合し、以って其の地に泥すべし」と云える是れなり。「慧苑音義巻上」に、「旃檀は此に与薬と云う。謂わく白檀は能く熱病を治し、赤檀は能く風腫を去る。皆是れ疾を除く。身安の薬なるが故に与薬と名づく」と云えり。是れ其の香は薬用に供せらるるが故に、義釈して与薬となせるものなり。又旃檀には赤白紫黒黄等の数種あり、就中、摩羅耶山に産するものを特に牛頭栴檀と称す。「玄応音義巻23」に、「栴檀。此れ外国の香木なり。赤白紫等の諸種あり」と云い、又「観仏三昧海経巻1」、「大智度論巻10」、「大唐西域記巻2、10」、「翻梵語巻9」、「慧琳音義巻3」、「翻訳名義集巻3」等に出づ。<(望)
  摩梨山(まりせん):梵名malaya、摩羅耶山に作る。牛頭栴檀を産出する山の名。
  釈提桓因(しゃくだいかんいん):また釈迦提婆因提、釈迦因陀羅、釈迦羅因陀羅、賒羯羅因陀羅、釈迦提桓因陀羅に作り、梵にzakra devaanaam-indraに作る。釈羅を名と為し、訳して能といい、提婆を訳して天といい、因陀羅を訳して主、また帝といい、即ち能天主なり。須弥山の頂上に住し、忉利天(traayastriJza、即ち三十三天)の主なり。略して釈帝、帝釈と称す。
  憍尸迦(きょうしか、kauzika):忉利天(三十三天)の主。また憍支迦に作り、帝釈天の異名と為す。『大智度論巻56』によれば、帝釈天を昔摩伽陀国の婆羅門と為し、姓を憍尸迦、名を摩伽といい、この因縁を以っての故に憍尸迦と称す、と。<(佛)
  伊蘭(いらん、eraNda):樹名。花は愛すべきも悪臭酷く、周囲四十里に臭う。
  牛頭栴檀(ごづせんだん):牛頭旃檀に作り、梵にgoziirSa-candanaに作る。旃檀(candana)は檀香木の一にして即ち旋檀中の最も香気を具うるものなり。印度に産する常緑樹にして、幹は高さ約0.9丈、その材に芳香有りて灰黄色、或いは赤銅色を呈し、以って彫刻に用うべく、或いは根と与に研きて粉末を為し、以って焚香に供し、或いは香油を制す。南印度摩羅耶山(malaya)より生ずるに、その山の形の牛頭に似たるを以って、故に牛頭旃檀と名づく。<(佛)



阿難誦出の因縁

復次如是我聞。是阿難等佛大弟子輩說。入佛法相故名為佛法。如佛般涅槃時。於俱夷那竭國薩羅雙樹間。北首臥將入涅槃。爾時阿難親屬愛未除未離欲故。心沒憂海不能自出。 復た次ぎに、『是の如く、我れ聞く』とは、是れ阿難等の仏の大弟子輩の説にして、仏の法相に入るが故に名づけて、仏法と為す。仏の般涅槃の時の如し、倶夷那竭国の薩羅双樹の間に首を北にし、臥せたまいて、将(まさ)に涅槃に入らんとしたまえり。爾の時、阿難は、親属の愛、未だ除(のぞ)こらず、未だ欲を離れざるが故に、心、憂海に没して、自ら出す能わず。
復た次ぎに、
『是のように!』、
『わたしは、聞いた!』とは、――
是れは、
『阿難』等の、
『仏』の、
『大弟子輩』の、
『説であり!』、
『仏の法』の、
『相(種種相)』中に
『入る(理解する)ものである!』が故に、
『仏』の、
『法』と、
『呼ばれるのである!』。
例えば、
『仏』の、
『般涅槃(涅槃)の時』、
『拘夷那竭国』の、
『薩羅双樹の間』で、
『仏』は、
『頭』を、
『北にして!』、
『臥せり!』、
『涅槃』に、
『入ろうとする!』時、
爾の時、
『阿難』は、
『親属の愛』が、
未だ、
『除かれておらず!』、
『欲』も、
未だ、
『離れていなかった!』が故に、
『心』が、
『憂』の、
『海』に、
『没して!』、
自ら、
『憂より!』、
『出られなかった!』。
  法相(ほうそう):諸法の義相/法の種種相の意。『大智度論巻15上注、同巻29下注:法相』参照。
  般涅槃(はつねはん):梵語pari-nirvaaNaの訳。完全なる涅槃nirvaaNaの意。寂滅、滅度、無生等と訳し、離繋、解脱等の同義の辞。『大智度論巻1注:涅槃、同巻3上注:般涅槃』参照。
  倶夷那竭(くいなが):梵名kuzinagara、中印度の国名、釈尊入滅の地。『大智度論巻26上注:拘尸那竭羅』参照。
  薩羅双樹(さらそうじゅ):梵名薩羅zaalaは樹木の名。此の二本の樹の間に於いて釈尊入滅したまえりと伝う。『大智度論巻26上注:娑羅林双樹、同注:拘尸那竭羅』参照。
  阿難(あなん):梵名aananda、釈尊の侍者。又十大弟子中の一、多聞第一と称す。『大智度論巻24下注:阿難』参照。
  般涅槃(はつねはん、parinirvaaNa):涅槃は梵にnirvaaNaに作り、また泥洹、泥曰、涅槃那、涅隷槃那等に作り、意訳して滅、寂滅、滅度、寂、無生と作す。択滅、離繋、解脱等の詞と同義なり。またこれを般涅槃に作るは、般は梵にpariに作り、完全の義にして、意訳して円寂と作すも、ほぼ同義なり。涅槃の原は吹滅を指すより来たりて、或いは吹滅の状態を表し、その後転じて煩悩を燃焼する火の滅尽せるを指し、悟智(即ち菩提)の境地の完成を指す。この解釈に種種有りて、(一)『小乗』に於いては、涅槃は即ち煩悩を滅却せる状態にして、その中にまた有余涅槃と無余涅槃の分あり、前者はこれ煩悩を断つといえども肉体(意は即ち残余の衣身、略称して余依、或いは余)の残存する情形なり、後者はこれ灰身滅智の状態にして、即ち一切が滅無に帰する状況を指す。『有部』等は「涅槃乃ち一存在の実体なり」と主張し、『経量部』等は涅槃を視て煩悩の滅尽せる状態の仮名と為し、その本身と並んで実体無しと主張す。(二)『中論』等は、実相を以って涅槃と為し、実相はまた即ち因縁所生の法の上の空性なるが故に生死世間と区別有ること無しと主張す。<(望)
  倶夷那竭(くいなが):梵にkuzinagaraに作り、又拘尸那竭羅(くしながら)、拘尸那伽羅、倶尸那、拘尸那、瞿師羅、劬師羅、拘尸城等に作り、意を吉祥草の都城と為す。中印度の都城或いは国名にして即ち釈尊入滅の地なり。古くは拘舎婆提と称し、意訳して上茅城、香茅城、茅宮城、少茅城、茅城、草城、角城等と為す。この城は仏在世時の十六大国中の末羅国(malla)に位し、末羅種族の領土に係れり。<(佛)
  薩羅双樹(さらそうじゅ):娑羅(しゃら、zaala)の木の林が拘尸那竭羅国の阿利跋提(ありばっだい、ajitavatii)河のほとりに在り、この中の二本対になった娑羅の木をいう。<(望)
  阿難(あなん、aananda):阿難陀の略。訳して歓喜、慶喜という。斛飯王の子にして、提婆達多の弟、仏の弟子、十大弟子の一なり。仏成道の夜に生れ、仏寿五十五、阿難二十五歳の時出家し、仏に従侍すること二十五年、一切の仏法を受持せり。<(丁)
爾時長老阿泥盧豆語阿難。汝守佛法藏人。不應如凡人自沒憂海。一切有為法是無常相。汝莫愁憂。又佛手付汝法。汝今愁悶失所受事。汝當問佛。佛般涅槃後我曹云何行道。誰當作師。惡口車匿云何共住。佛經初作何等語。如是種種未來事應問佛。 爾の時、長老阿尼廬豆の阿難に語らく、『汝は、仏の法蔵を守る人なり。応に凡人の如く、自ら憂海に没すべからず。一切の有為法は、是れ無常の相なり。汝、愁憂する莫(な)かれ。又仏手づから、汝に法を付したまえるも、汝、今愁悶せば、受くる所の事を失わん。汝は、当に仏に問うべし、仏般涅槃したまいし後、我曹(われら)云何が道を行ぜん。誰をか、当に師と作すべき。悪口の車匿と、云何が共住すべき。仏の経の初には、何等の語をか作さん。是の如く、種種の未来の事を、応に仏に問うべし。』と。
爾の時、
『長老阿泥盧陀』が、
『阿難』に、こう語った、――
お前は、
『仏の法蔵』を、
『守る!』、
『人である!』。
自ら、
『凡人のように!』、
『憂の海』に、
『没していてはならぬ!』。
一切の、
『有為法』は、
『無常の相である!』。
お前は、
『無常』を、
『憂えてはならない!』。
又、
『仏』は、
『手づから!』、
お前に、
『法』を、
『付属された!』が、
お前が、
今、
『愁え!』、
『悶えておれば!』、
お前は、
『仏』より、
『受けた!』、
『法を失うだろう!』。
お前は、
『仏』に、こう問わねばならぬ、――
『仏』の、
『涅槃の後』に、
わたし達は、
何のように、
『道』を、
『行えばよいのか?』。
誰を、
『師』と、
『作せばよいのか?』。
何のように、
『悪口の車匿』と、
『共に住めばよいのか?』。
『仏』の、
『経の初』には、
何のような、
『語』を、
『作せばよいのか?』と、
是のような、
種種の、
『未来の事』を、
『仏』に、
『問わねばならぬ!』、と。
  阿尼廬豆(あにるだ):梵名aniruddha、釈尊十大弟子中の一、天眼第一と称される。『大智度論巻33上注:阿[少/兔]楼駄』参照。
  有為法(ういほう):梵語saMskRta-dharmaの訳。為作ある法の義。即ち因縁所成の現象の諸法を云う。『大智度論巻23上注:有為、同巻43上注:無為法』参照。
  無常(むじょう):梵語anityaの訳。常住することなきの意。常住に対す。即ち一切の有為法は生滅遷流して常住するものなきを云う。『大智度論巻1上注:無常』参照。
  (そう):梵語lakSaNa、又はnimittaの訳。形相、又は状態の意。性に対す。即ち諸法の形像状態を云う。『大智度論巻1上注:相』参照。
  (ふ):付属。付託。託して授けること。
  我曹(がそう):我等。
  共住(くじゅう):寺院に於いて共に住むこと。
  悪口(あっく):麁悪の語を発して他を毀訾するを云う。十悪の一。『大智度論巻26下注:悪口』参照。
  車匿(しゃのく):梵名chandakaの音訳。悉達太子出家踰城の時、馭者として扈従し、後出家して阿羅漢果を証せし比丘なり。『大智度論巻33上注:車匿』参照。
  阿泥盧豆(あにるだ、aniruddha):また阿[少/兔]楼駄、阿那律、阿難律、阿楼陀等に作り、意訳して無滅、如意、無障、無貪、随順義人、不浄有無等と為す。乃ち釈尊十大弟子の一にして天眼第一と称さる。中印度迦毘羅衛城の釈氏にして、仏の従弟にして或いは斛飯王と為し、或いは甘露飯王の子と為す。仏成道後の帰郷時に、阿那律は、阿難、難陀、優波離等と倶に出家して仏弟子と為れり。阿那律は、精進して道を修め、模範と称さるるに堪えたり。彼はかつて仏の説法の中に於いて酣睡し、仏に呵責せらるるに及びて、遂に不眠の誓を立て、而して眼疾に罹りて失明に至るも、修行益々進むを以って、心眼ようやく開きて終に仏の弟子中天眼第一と成り、よく天上地下六道の衆生を見ると云えり。<(望)
  車匿(しゃのく、chandaka):初めて六分比丘の一と為す。また闡陀迦、闡特、闡怒、羼陀、孱那、車那、闍那、旃檀等に作り、訳して、応作、楽作、覆蔵と為す。乃ち浄飯王の僕役にして、悉達太子踰城出家の時、太子の馭者と為り、太子の意堅く返らざれば遂に第四の剃脱せる鬚髪、宝冠、明珠を持ちて宮に還り、仏成道帰城の時に仏に随って出家せり。初め傲慢にして悪口の性を改めず、罪を犯して悔過せず、諸の比丘と和せざれば、人これを称して悪口車匿、悪性車匿と為す。仏の涅槃せんと欲する時、阿難は仏に示を請い、如何が闡怒等の悪行比丘と相い処せん、と問えるに、仏の答うらく、「わが滅度の後、もし彼の闡怒、威儀に順ぜず、教誡を受けずんば、汝等まさに共に梵檀の罰を行じて、諸の比丘に、与に語るを得ずと勅し、また往返すること勿く教授し従事せよ」、と。これは即ち後世の弟子と教誡を受けざる者との相い処する道なり。仏の入滅の後、弟子は法に依ってこれを治せるに、車匿比丘は始めて悔悟し、後に阿難に随うて道を学びて阿羅漢果を証せり。『長阿含経巻4遊行経』参照。<(望)
阿難聞是事。悶心小醒得念道力。助於佛末後臥床邊。以此事問佛。 阿難は、是の事を聞きて、悶心小(すこ)しく醒め、念、道、力の助けを得て、仏の末後の臥床の辺に於いて、此の事を以って、仏に問えり。
『阿難』は、
是の、
『事』を、
『聞く!』と、
『悶えた心』が、
『小(すこ)し!』、
『醒め!』、
『念(四念処)、道(八聖道分)、力(五力)』の、
『助け!』を、
『得て!』、
『仏』の、
『末後』の、
『臥床の辺』で、
此の、
『事』を、
『仏に問うた!』。
  (ねん):身、受、心、法等を念ずる。『大智度論巻15下注:四念処』参照。
  (どう):正見、正語等の正しい道。『大智度論巻18上注:八正道』参照。
  (りき):信、精進、念、定、慧等の道を得るに必須の力。『大智度論巻15下注:五力』参照。
佛告阿難。若今現前。若我過去後自依止法依止不餘依止。 仏の阿難に告げたまわく、『若しは今現前に、若しは我が過去りし後に、自らに依止し、法に依止して、余に依止せざれ。
『仏』は、
『阿難』に、こう告げられた、――
若しは、
『今』の、
『現在でも!』、
若しは、
わたしの、
『過去った後でも!』、
お前たちは、――
『自己』と、
『法』とを、
『依止(拠り所)として!』、
『余(その他)』を、
『依止としてはならない!』。
  現前(げんぜん):梵語 pratyakSa の訳。眼前に現起するの意。又具に現在前とも云う。「無量寿経巻上」に、「若し大衆の為に囲遶せられて、其の人の前に現ぜずんば正覚を取らじ」と云い、又「大毘婆沙論巻27」に、「若し欲界に生じて眼識現在前せば、此の識は、眼及び無間滅の意を以って依及び所依と為す」と云い、又「顕揚聖教論巻3」に、「多分任運に相続する妙智現前す、是の故に此の地を現前と名づく」と云える其の例なり。又「成唯識論巻9」に、欲界に於いて見道に入る者に就き、上二界を不現前界、欲界を現前界と名づけ、「南海寄帰内法伝巻4亡財僧現の條」には、四方僧伽に対して常住の僧を現前僧伽と称し、其の所用の資具を現前僧物と呼べり。<(望)
  依止(えし):有力、有徳の処に依頼し、止住して離れざること。<(丁)依存し止住する意。或る事物を所依として止住し又は執著するをいう。「法華経巻2譬喩品」に、「若し貪欲を滅すれば、依止する所なしa-nizritaa、諸苦を滅尽するを第三の諦と名づく」と云い、「小品般若経巻2塔品」に、「若し我が現在、若しは我が滅後、菩薩は常に応に般若波羅蜜に依止すべし pratisartavya 」といい、「大乗入楞伽経巻3」に、「意識は心の因と為り、心は意の境界と為る。因及び所縁の故に諸識の依止 samaazrita 生ず」といい、「金光明最勝王経巻5重顕空性品」に、「識は幻化の如く真実に非ず、根処に依止して妄に貪求す。(中略)心識此の身に依止して種種の善悪の業を造作す(中略)煩悩の熾火、衆生を焼き、救護あることなく、依止なし」といい、「大乗荘厳経論巻4述求品」には、依止aazraya作意を十八種作意の一とし、「同巻8」に依止 nizraya を八無上の一に数えているのはその例である。なお外典にも、周礼の夏官祭兵干山川の注に「山川は蓋し軍の依止なり」等の用例がある。又「雑阿含経巻32」、「大堅固婆羅門縁起経巻上」、「法華経巻1方便品」、「同巻5従地涌出品」、「小品般若経巻1序品」、「同巻9見阿閦仏品」、「大品般若経巻18夢誓品」、「旧華厳経巻23、44」、「大宝積経巻1、105、111」、「大乗大集地蔵十輪経巻3」、「大乗密厳経巻下阿賴耶微密品」、「入楞伽経巻10」、「大乗入楞伽経巻6、7」、「金光明経巻1讃歎品」、「大乗本生心地観経巻3」、「秘密相経巻上」、「摩訶僧祇律巻16、29」、「善見律毘婆沙巻4」、「転法輪経憂波提舎」、「大智度論巻18」、「十地経論巻6」、「辯中辺論巻上辯相品」、「顕揚聖教論巻17成不思議品」、「梁訳摂大乗論釈巻1」、「大乗荘厳経論巻3、5」等に出づ。<(望)
云何比丘自依止法依止不餘依止。於是比丘內觀身。常當一心智慧勤修精進。除世間貪憂。外身內外身觀亦如是。受心法念處亦復如是。是名比丘自依止法依止不餘依止。 云何が、比丘は自らに依止し、法に依止して、余に依止せざる。是の比丘の、身を内観するに於いて、常に当に一心、智慧を勤修し、精進して世間の貪憂を除くべし。外身、内外身の観も亦た、是の如し。受、心、法の念処も亦た、復たかくの如し。是れを比丘は、自らに依止し、法に依止して、余に依止せずと名づく。
何のように、
『比丘』は、
『自己』と、
『法』とに、
『依止し!』、
『余』に、
『依止しないのか?』。
是の、
『比丘』の、
『身』を、
『内観する!』時、
常に、
『一心(禅定)』と、
『智慧』とを、
『求めて!』、
『勤修し!』、
『精進して!』、
『世間の貪、憂』を、
『除かねばならぬ!』。
『外身の観』と、
『内外身の観』も、
亦た、
『是の通りであり!』、
『受、心、法の念処』も、
亦た、
『是の通りである!』。
是れを、
『比丘』が、
『自己』と、
『法』とに、
『依止して!』、
『余』に、
『依止しない!』と、
『称する!』。
  念処(ねんじょ):念ずべき処の意。身、受、心、法の四種あり。『大智度論巻15下注:四念処』参照。
  依止(えし):依存して止住するの義。ある事物に依存して執著すること。
  内身(ないしん):眼耳鼻舌身意の六根。自身。
  外身(げしん):色声香味触法の六境。他身。
  内外身(ないげしん):自己の心中に映ずる他身。
  一心(いっしん):他に心を奪われない唯一の信心。
  勤修(ごんしゅ):修行に勤める。
  精進(しょうじん):懸命に努力する。
  貪憂(とんう):貪欲の憂い。世間の五欲(色声香味触)を貪ることによって生じる憂い。
  :常に念を懸けて置く場所。皆、四念処の中の一。
  四念処(しねんじょ):常楽我淨の四顛倒(てんどう、逆しまの見解)を破る。
  (1)身念処:身は不淨である観察として、身は浄であるとする顛倒を破る。
  (2)受念処:受は苦であると観察して、受は楽であるとする顛倒を破る。
  (3)心念処:心は無常であると観察して、心は常であるとする顛倒を破る。
  (4)法念処:法は無我であると観察して、法(事物、肉体と心)にわが有るとする顛倒を破る。
從今日解脫戒經即是大師。如解脫戒經說。身業口業應如是行。 今日より、解脱戒経は、即ち是れ大師なり。解脱戒経に説くが如く、身業、口業を、応に是の如く行ずべし。
今日より、
『解脱戒経(戒本)』が、
即ち、
『大師である!』。
『解脱戒経』の、
『説くように!』、
是のように、
『身業、口業』を、
『行わねばならぬ!』。
  解脱戒経(げだつかいきょう):具足戒、即ち比丘の受くるべき二百五十戒、比丘尼の三百五十戒の要旨を箇条書きしたもの。戒本、或いは波羅提木叉praatimokSaとも称す。『大智度論巻2上注:戒本、波羅提木叉』参照。
  戒本(かいほん):比丘比丘尼の受持すべき学処sikkhapada即ち禁戒の條目を集めたるもの。即ち波羅提木叉paatimokkhaにして、四分五分等の諸律は皆之を注釈敷衍したるものなり。「巴梨文律蔵」に就いて言わば、sutta-vibhaGgaは戒本の序分nidaanaを除き、余の部分の説明なり。就中、比丘戒本には四波羅夷paaraajika、十三僧伽婆尸沙saGghaadisesa、二不定aniyata、三十尼薩耆波逸提nissaggiya-paacittiya、九十二波逸提paacittiya、四波羅提提舎尼paaTidesaniiya、七十五衆学sekhiya、七滅諍adhikaraNasamathaを列ね、比丘尼戒本には、八波羅夷、十僧伽婆尸沙、十二尼薩耆、九十六波逸提、八提舎尼を述べ、四波羅夷及び衆学は比丘戒に同じとせり。支那にては曹魏曇柯迦羅始めて「僧祇戒心」を訳出せりと伝え、後東晋曇摩侍は竺仏念と共に「十誦比丘戒本二百六十戒」を伝訳したるも、共に現存せず。尋いで姚秦鳩摩羅什は「十誦比丘波羅提木叉戒本」、劉宋法頴は「十誦比丘尼波羅提木叉戒本(集出)」、姚秦仏陀耶舎は「四分僧戒本」、「四分律比丘戒本」、「四分比丘尼戒本」、東晋仏陀跋陀羅は「摩訶僧祇律大比丘戒本」、東晋法顕は覚賢と共に「摩訶僧祇比丘尼戒本」、劉宋仏陀什等は「弥沙塞五分戒本」、梁明徽は「五分比丘尼戒本(集)」、唐義浄は「根本説一切有部戒経」、「根本説一切有部苾芻尼戒経」、元魏瞿曇般若流支は「解脱戒経」を出し、各一巻あり。又此の他に近年敦煌出土の写経中、羅什訳と推定すべき「十誦比丘尼波羅提木叉戒本」あり。蓋し戒本は小乗部派に依りて、其の伝承を異にし、「四分比丘比丘尼戒本」及び「巴梨戒本」は法蔵部に、「弥沙塞五分比丘比丘尼戒本」は化他部に、「十誦比丘比丘尼戒本」等は薩婆多部に、「解脱戒経」は迦葉毘部に、「摩訶僧祇比丘比丘尼戒本」は大衆部に、「根本説一切有部比丘比丘尼戒本」及び「西蔵所伝の戒本」は説一切有部摂に属せり。又大乗戒に於いては「地持論」より抽出したる「菩薩戒本(曇無讖訳)」、「瑜伽論」より抽出したる「菩薩戒本(玄奘訳)」等あり。又「出三蔵記集巻11」、「高僧伝巻1」等に出づ。<(望)
  波羅提木叉(はらだいもくしゃ):梵語praatimokSa、又pratimokSa、巴梨語paaTimokkha、或いはpaatimokkha、又波羅提目叉、婆羅提木叉、般羅底木叉、鉢喇底木叉、波羅提毘木叉に作り、従解脱、随順解脱、別別解脱、別解脱、処処解脱、別処処解脱、保解脱、保得解脱、最勝、或いは無等学と訳す。別別に過非を解脱するの意。即ち戒行を持して別別に身口七支の過非を防ぎ、以って漸次に諸煩悩に於いて解脱を得るを云う。「毘婆尸仏経巻下」に、「我れ今波羅提目叉を演説して曰わく、(中略)殺害と身口七支の過を遠離す。此の戒を持して具足せば大智慧を発生し、仏の清浄身を得て世間に上あることなく、無漏智を出生して苦苦の生死を尽くさん」と云い、「善見律毘婆沙巻7」に、「波羅提木叉とは無等学と名づく。諸の光明に於いて日光を王と為し、諸山の中に於いて須弥を最と為し、一切世間の学には波羅提木叉を最と為す。如来出世すれば便ち此の法あり、若し仏の出世なくんば、衆生の能く此の法を竪立するものあることなし。身口意に行ずる諸の悪業は、仏は無等学を以って制す」と云い、又「五分律巻18」に、「波羅提木叉とは、此の戒を以って諸根を防護し、善法を増長す。諸の善法に於いて最も初門pamukhaたるが故に名づけて波羅提木叉と為す。復た次ぎに此の戒法を数え、名句を分別するを総じて名づけて波羅提木叉と為す」と云える是れなり。是れ此の戒を持して身口七支の過非を別別に解脱するが故に名づけて波羅提木叉となし、又此の戒の條目を数え、其の名句を分別するを亦た波羅提木叉と名づくることを明にせるなり。此の中、戒法を数え名句を分別すとは、戒を波羅夷、僧残、不定、捨堕、単堕、波羅提提舎尼、衆学、滅諍法等の八種に類別することを説けるものにして、謂わゆる戒本を云うなり。即ち半月布薩の日に当り、上座の比丘は此の戒條を誦し、諸比丘中、若し所犯ある者は衆の前に於いて懺悔せしむるを法とし、之を説戒と称す。「中阿含巻36瞿默目揵連経」に、「我等若し村邑に依りて遊行せんも、十五日従解脱を説く時、集まりて一処に坐し、若し比丘の法を知る者あらば、彼の比丘を請じて我等の為に法を説かしめ、若し彼の衆清浄ならば、我等は一切歓喜して彼の比丘の所説を奉行し、若し彼の衆清浄ならずば、法の所説に随って我等は是れを作すことを教えん」とあり。是れ即ち半月布薩の日に於いて波羅提木叉を誦すべきことを説けるものなり。又「中阿含巻9瞻波経」、「大般涅槃経巻下」、「大般涅槃経巻4」、「仏遺教経」、「梵網経巻下」、「五分律巻1」、「摩訶僧祇律巻1」、「優婆塞五戒威儀経」、「毘尼母経巻3、4、6」、「律二十二明了論」、「善見律毘婆沙巻18」、「根本薩婆多部律摂巻1」、「四分律疏巻1本(法礪)」、「同含注戒本疏巻1」、「同行事鈔巻上中一」、「同開宗記巻1本」、「大乗法苑義林章巻3末」、「梵網経菩薩戒本疏巻上(法蔵)」、「同古述記巻下本」、「華厳経疏巻1」、「同疏演義鈔巻9」、「翻訳名義集巻10」等に出づ。<(望)
車匿比丘我涅槃後。如梵法治。若心濡伏者。應教刪陀迦旃延經。即可得道。 車匿比丘は、我が涅槃の後、梵法の如く治せよ。若し心濡伏せば、応に刪陀迦旃延経を教うべし。即ち道得べし。
『車匿比丘』は、
わたしの、
『涅槃の後』には、
『梵法(黙擯の法)のように!』、
『治めよ!』。
若し、
『濡伏(柔軟・屈伏)すれば!』、
『刪陀迦旃延経』を、
『教えねばならぬ!』。
それで、
『道』を、
『得ることになろう!』。
  梵法(ぼんぽう):悪行の比丘に対し、共に語らざる制法。『大智度論巻2上注:梵檀』参照。
  梵檀(ぼんだん):梵語prahma-daNDa。巴梨語同じ。又梵怛に作り、梵法、或いは默擯と訳す。治罪法の一種にして、即ち共に語らざる制法を云う。「長阿含巻4遊行経」に、「仏阿難に告ぐ、我れ滅度の後、若し彼の闡怒channaが威儀に順ぜず、教誡を受けずば、汝等当に共に梵檀の罰を行うべし。諸比丘に勅して与に語ることを得ざれ。亦た往返教授して事に従うことなかれ」と云い、「増一阿含経巻37」に、「但だ与に語らず、即ち是れ梵法の罰なり。然も由(ナ)お改めずば当に将いて衆中に詣り、諸人は共に弾じて出さしむべし。与に説戒することなかれ、亦た与に法会して事に従うことなかれ」と云える是れなり。是れ威儀に順ぜず、教誡を受けざる比丘に対し、梵檀即ち不共語の法を以って罰すべきことを説けるものなり。又「維摩経略疏巻1」に、「亦た云わく、彼の梵天の治罪法は別に一壇を立て、其の法を犯ぜし者をして此の壇に入らしめ、諸梵は共に語ることを得ず」と云い、「法華経玄賛巻1」には、唯黙して打罵すべからずと云えり。「四分律行事鈔巻上2」に、之を以って九種治罪法(「十誦律巻31般荼盧伽法」、「大般涅槃経巻3」、「毘尼母経巻5」等所説の七種擯罪に悪馬、默擯の二法を加えたるもの)の一となせり。其の羯磨法に関し、「摩訶僧祇律巻24」に擯出等に同じく白三羯磨となし、又「有部毘奈耶雑事巻37」には、被治の比丘懺悔し、衆其の改まるを知らば、共に歓喜を施して常の如く共語すべしと云えり。又「五分律巻30」、「大智度論巻2」、「梵網菩薩戒経疏刪補巻下」、「翻梵語巻3」、「翻訳名義集巻5、13」、「四分律行事鈔資持記巻上2」、「釈氏要覧巻下」等に出づ。<(望)
  濡伏(にゅぶく):柔軟・屈伏すること。
  刪陀迦旃延経(さんだかせんねんきょう):我等に関し、有無の二辺を離れたる正見を説く。
  参考:『雑阿含経巻12(301)』:『如是我聞。一時。佛住那梨聚落深林中待賓舍。爾時。尊者[跳-兆+散]陀迦旃延詣佛所。稽首佛足。退住一面。白佛言。世尊。如世尊說正見。云何正見。云何世尊施設正見。佛告[跳-兆+散]陀迦旃延。世間有二種依。若有.若無。為取所觸。取所觸故。或依有.或依無。若無此取者。心境繫著使不取.不住.不計我苦生而生。苦滅而滅。於彼不疑.不惑。不由於他而自知。是名正見。是名如來所施設正見。所以者何。世間集如實正知見。若世間無者不有。世間滅如實正知見。若世間有者無有。是名離於二邊說於中道。所謂此有故彼有。此起故彼起。謂緣無明行。乃至純大苦聚集。無明滅故行滅。乃至純大苦聚滅。佛說此經已。尊者[跳-兆+散]陀迦旃延聞佛所說。不起諸漏。心得解脫。成阿羅漢』
  梵法(ぼんぽう):衆僧が共に言葉を交えざる罰。外道の法には、梵天王は宮殿の前に一壇を立て、天衆の如法ならざる物を壇上に立たせて、往来する者は共に語を交えず、というにより、これに習う。
復次我三阿僧祇劫所集法寶藏。是藏初應作是說。如是我聞一時佛在某方某國土某處樹林中。何以故。過去諸佛經初。皆稱是語。未來諸佛經初。亦稱是語。現在諸佛末後般涅槃時。亦教稱是語。今我般涅槃後。經初亦應稱如是我聞一時。 復た次ぎに、我が三阿僧祇劫に集めし所の法宝の蔵は、是の蔵の初めは、応に是の説を作すべし、『是の如く我れ聞けり。一時、仏は、某方、某国土、某処の樹林中に在り。』と。何を以っての故に、過去の諸仏の経の初めは、皆、是の語を称し、未来の諸仏の経の初めも、亦た是の語を称し、現在の諸仏の末後の般涅槃の時にも、亦た教えて、是の語を称せしむればなり。今、我が般涅槃の後、経の初めも、亦た応に『是の如く我れ聞けり。一時』と称すべし。
復た次ぎに、
わたしが、
『三阿僧祇劫』に、
『集めた!』所の、
『法宝の蔵』は、
是の、
『蔵の初』には、
是の、
『説』を作さねばならぬ、――
是のように、
わたしは、
聞いた、――
『一時(ある時)』、
『仏』は、
『謀方、謀国土、謀処』の、
『樹林』中に、
『在った!』、と。
何故ならば、
『過去の諸仏』の、
『経の初』にも、
皆、
是の、
『語』を、
『称(とな)え!』、
『未来の諸仏』の、
『経の初』にも、
亦た、
是の、
『語』を、
『称え!』、
『現在の諸仏』の、
『末後』の、
『般涅槃の時』にも、
亦た、
是の、
『語を教えて!』、
『称えさせる!』ので、
今、
わたしの、
『般涅槃の後』の、
『経の初』にも、
亦た、
こう称えねばならぬ、――
『是のように!』、
『わたしは、聞いた!』、
『一時』、と。
  阿僧祇劫(あそうぎこう):梵語asaMkhya-kalpa、超越的時間の単位。『大智度論巻2上注:阿僧祇、劫』参照。
  阿僧祇(あそうぎ):梵語asaMkhya、無数と訳す。印度数目の一、無量数或いは極大数の意と為す。また阿僧伽、阿僧企耶、阿僧、僧祇等に作る。意訳して不可算計、或いは無量数、無央数と称するは、一阿僧祇には一千万万万万万万万万兆(万万を億と為し、万億を兆と為す)有るに拠る。印度の六十種の数目単位の中に阿僧祇を第五十二数と為す。<(佛)
  (こう):梵にkalpaに作り、音訳して劫波、劫跛、劫簸、羯臘波に作り、意訳して分別時分、分別時節、長時、大時、時と為す。原、古代印度婆羅門教の極大時限の時間単位なり。仏教はこれに沿うて、これを視て不可計算の長大年月と為し、故に経論中に多く譬喩を以っての故に事に喩えてこれを顕す。婆羅門教の認むる所は世界はまさに無数劫を経歴すべしと為し、一説には一劫は大梵天の一白昼に、或いは一千時(yuga)、即ち人間の四十三億二千万年に相当し、劫末に劫火の出現有りて一切を焼毀し、また重ねて世界を創る、と。別の一説は則ち一劫に四時有りと為す、即ち(一)円満時(梵kRtayuga):一百七十二万八千年に相当す。(二)三分時(梵tretaayuga):一百二十九万六千年に相当す。(三)二分時(梵dvaayuga):八十六万四千年に相当す。(四)争闘時(梵kaliyuga):四十三万二千年に相当す。四者凡そ四百三十二万年なり。現に正しく争闘時に処すと称し、この外に上記の一劫四時の説法に拠り、婆羅門教は並びに四時を相い較べて、時間を上るにいよいよ形短少し、人類の道徳もまた日に疾かに低落すと為し、もし争闘時結束せば即ち劫末と為し、世界は即ちまさに毀滅すべし、と認む。仏教の時間に対する観念は、劫を基礎と為すを以って来たして、世界の生成と毀滅の過程を説き明かす。劫に関する分類は、諸経論に各種の説法有り、『大智度論巻38』によれば、劫に二種有り、一を大劫と為し、二を小劫と為すと云い、『妙法蓮華経憂波提舎』は五種の劫に分く、即ち夜、昼、月、時、年なり。『大毘婆沙論巻135』には劫を以って中間劫、成壊劫、大劫の三種有りとし、『倶舎論巻12』には壊劫、成劫、中劫、大劫等の四種有りと為し、『彰所知論巻上』には劫を分ちて中劫、成劫、住劫、壊劫、空劫、大劫等の六種有り、『瑜伽師地論略纂巻1下』には九種の劫有りと為す、即ち(一)日月歳数なり、(二)増減劫なり、即ちこれ饑、病、刀の小三災劫を称して中劫と為す、(三)二十劫を一劫と為す、即ち梵衆天劫なり、(四)四十劫を一劫と為す、即ち梵前益天劫なり、(五)六十劫を一劫と為す、即ち大梵天劫なり、(六)八十劫を一劫と為す、即ち火災劫なり、(七)七火を一劫と為す、即ち水災劫なり、(八)七水を一劫と為す、即ち風災劫なり、(九)三大阿僧祇劫なり。諸経論中にまた小劫、中劫、大劫の名目有るも、小劫、中劫は同じく梵語antara-kalpaの訳と為し、大劫は則ち梵語mahaa-kalpaの訳と為す。鳩摩羅什訳の法華経中は皆小劫と称し、法意訳する所の提婆達多品中は則ち中劫と称するも、二者は皆同じくantara-kalpaの訳と為す。また『大楼炭経巻5』には刀兵等の三災を以って三小劫と為し、『起世経巻9』にはこれを称して三種の中劫と為し、『立世阿毘曇論巻9』には八十小劫を以って一大劫と為し、『大毘婆沙論巻135』には則ち八十中劫を以って一大劫と為し、これ等の差異は均しくantara-kalpaの異訳と視るべし。ただし『大智度論巻38』に「またある人言わく、時節歳数を名づけて小劫と為す」と云い、また窺基の『瑜伽論劫章頌』に「日月歳時を小劫に収む」と云えるは、即ち日月歳時を名づけて小劫と為すの説にして、婆沙等の中劫とはその時量固より同じからず。これに依るに旧の小劫には自ら二種の別有るを知るべし。蓋し劫は時の時限を意味するものにして、その分類もまたかくの如く多種なりといえども、その中、長時の劫は多く世界の成立及び破壊等の経過に関連して説明せらるるを見るなり。前述の『大毘婆沙論』等に劫を中間劫、成壊劫、及び大劫の三種とし、また『倶舎論』等に成劫、住劫、壊劫、空劫の四種となせるが如き皆その説なり。就中、『大毘婆沙論巻135』に中間劫にもまた減劫、増劫、増減劫の三種有りとし、就中、減劫とは人寿無量歳より減じて十歳に至る間を云い、増劫とは人寿十歳より増して八万歳に至る間を云い、増減劫とは人寿十歳より増して八万歳に至り、また八万歳より減じて十歳に至る間を云うとす。蓋しこの三種の劫は、住劫二十中劫の差別を示せるものにして、『大毘婆沙論巻135』に「成じおわりて住の中に二十中劫あり、初の一は唯減、後の一は唯増、中間の十八は亦増亦減なり」と云い、『倶舎論巻12』には「この洲の人寿は、無量時を経て住劫の初に至りて、寿はまさにようやく減じ、無量より減じて極十年に至るを、即ち名づけて初の一住中劫と為す。この後の十八は皆増減あり、謂わく十年より増して八万に至り、また八万より減じて十年に至る。爾るを乃ち名づけて第二の中劫と為す。次後の十七も例して皆かくの如し。十八の後に於いて、十歳より増して極めて八万歳に至るを第二十劫と名づく。一切の劫増は八万を過ぐることなく、一切の劫減は唯極十年なり」と云えり。これに依るに住劫二十中劫の中、初の第一劫は即ち減劫、後の第二十劫は即ち増劫、中間の十八劫は即ち増減劫なるを知るべし。ただし劫の時量は各中劫に相い等し。即ち初の減劫は有情の福勝るるが故に下ること極めて遅く、後の増劫は有情の福劣るが故に、上ること極めて遅く、中間の十八は上下交も遅疾あるが故に、この三劫の量は相い等しと為す。これ所謂小乗の説なり。またもし『瑜伽師地論巻2』、『大乗阿毘達磨雑集論巻6』、『瑜伽師地論略纂巻1』等に依らば、大乗は二十中劫の各劫に皆増減有りと立て、故に必ずしも『大毘婆沙論』の所説の三種の劫の如くあらずして、即ち各中劫を以って唯一の増減劫と為すなり。別に『優婆塞戒経巻7』の所説の如きは、十歳より増して八万歳に至り、八万歳より減じて十歳に至り、かくの如く増減すること十八反を満たすを称して中劫と為すと、これ一種の異説なり。またこの中劫の中には定んで皆三災現ずることあり、三災とは刀兵災、疾疫災、饑饉災なり、これを小の三災と名づく。然るに災の現ずる時限等に就きては異説あり。『大毘婆沙論巻135』に依るに、各中劫の中に劫現じ、人寿極十歳に至る毎に乃ちこの三災現ず。就中、刀兵災とは、その時の人心に瞋毒増上して相い見れば則ち猛利の害心を起し、手に随って執る所皆利刀なり、各兇狂を逞しくして互いに相い残害するを云う。七日七夜にして即ち止む。疾疫災とは、刀兵災の後、非人毒を吐いて疾疫流行し、遇えば輒ち命終して救療し難きを云う。七月七日七夜にして即ち止む。饑饉災とは、疾疫災の後、天龍忿恚して甘雨を降さず。これに由りて饑饉し、人多く命終するを云う。七年七月七日七夜にして即ち止むと云えり。『雑阿毘曇心論巻11』、『倶舎論巻12』等また皆これに同じ。但し『瑜伽師地論巻2』に依るに、災の時日は婆沙等に異ならざるも、人寿三十歳の時に倹災(即ち饑饉災)起り、二十歳の時に病災起り、十歳の時に刀災起るとなせり。これ共に、一劫中に三災並び起ると為すの説なり。然るに『立世阿毘曇論巻9』には住劫二十小劫の中、第一劫現じ、人寿十歳の時に大疾疫災起り、第二劫人寿十歳の時に大刀兵災起り、第三劫人寿十歳の時に大飢餓災起り、共に七日にして一時に息滅す。乃至かくの如く一劫の中に次第に一災起る。今は第九の滅劫なるが故にまさに大飢餓災起ることあるべしと云えり。これ一劫一災の説なり。もし婆沙等の如く一劫中に三災並び起ると説かば、住劫二十中劫は各尽く小三災劫なり。もし立世阿毘曇論の如く別劫に次第に一災起ると説かば、第一劫は疾疫劫(rogaantara-kalpa)、第二劫は刀兵劫(zastraantara-kalpa)、第三劫は饑饉劫(durubhikSaantara-kalpa)、乃至第十九劫は疾疫劫と称すべし。住劫にかくの如く二十中劫あり、壊劫、空劫、成劫にもまた各二十中劫あり、合して八十中劫なり。ただし壊、空、成の三劫には増減の別無しといえども、而もその時量は住劫と等しきに由り、彼に準じて各二十中劫と為すなり。またこの八十中劫を名づけて一大劫と称す。一大劫は即ち成、住、壊、空の四劫を総括し、世界の一始終の期間なり。壊劫の時、器世間壊し火、水、風等の三災有り、称して大三災と為し、以って前説の小三災に別す。その中、火災は七日輪の出現するに由りて起る。風猛焔を吹いて、初禅以下は尽く焚焼を被る。水災は雨霖に由りて起り、第二禅以下は悉く浸没を被る。風災は風の相い撃つに由り起り、第三禅以下は悉く飄散を被る。その次第は初に火災を以って壊滅すること七回、また水災を以って壊滅すること一回、水災の後また七火あり、かくの如き水災の七次を満たして、更に七火起り、この後一風災起りて、第三禅以下の器世界は等しく飄散を被り、総計して八次七火災、一次七水災、一次風災あり、即ち所謂六十四転大劫なり。かくの如く初禅以下の器世界は一大劫を経る毎にこれを壊し、第二禅は八大劫毎にこれを壊し、第三禅は六十四大劫毎に一たびこれを壊す。色界中、第四禅のみは三災の為に壊せらるることなし。この故に、初禅大梵天の寿量は六十中劫即ち一大劫(空劫二十劫を除く)、第二禅天の寿量は八大劫、第三禅天の寿量は六十四大劫なり。また大劫を累ねて十百千と為し、乃至積んで阿僧祇の数に至るを一阿僧祇劫(asaMkhyeya-kalpa)と名づけ、また積んで三に至るを三阿僧祇劫と名づく、但しその計量に関しては異説あり。『大毘婆沙論巻177』には四説を挙げ、一説は中劫を積んで阿僧企耶に至るを一阿僧祇劫となすと云い、一説は成劫を積むと云い、一説は壊劫を積むと云い、かくの如き説者は今の如く大劫を積むと云えり。また『菩薩地持経巻9』には「劫に二種あり、一には日月昼夜時節歳数無量なるが故に阿僧祇と名づく。二には大劫無量なるが故に阿僧祇と名づく』と云えり。この中、後説は婆沙の正義に同じく、前説は歳数劫に亦して説けるものなり。蓋し通論するに、劫の時限は悠久にして算数を以ってこれを計ること難し。故に『長阿含経巻21三災品』に「四事あり、長久無量無限にして日月歳数を以って称計すべからざるなり。云何が四と為す。一には世間災漸く起り、この世を壊する時、中間長久無量無限にして日月歳数を以って称計すべからず。二にはこの世間壊しおわりて中間空曠にして世間あることなく、長久逈遠にして日月歳数を以って称計すべからず。三には天地初めて起りて向に成ぜんと欲する時、中間長久にして日月歳数を以って称計すべからず。四には天地成じおわりて久住して壊せざるを日月歳数を以って称計すべからず」と云えり。これ即ち成、住、壊、空の四劫の長久無限なるを説けるものなり。また『雑阿含経巻34』には芥子劫盤石劫の説を出だせり、即ち「譬えば、鉄城あり、方一由旬にして、高下もまた爾り、中に芥子を満つ。人あり百年に一芥子を取りてその芥子を尽くすもなお竟らざるが如し』と云い、また「大石山の不断不壊にして、方一由旬なるが如き、もし士夫あり、迦尸(kaazi)の劫貝を以って百年に一たび払い、これを払うてやまず、石山ついに尽くるも劫はなお竟らず」と云えるこれなり。『大毘婆沙論巻135』、『大智度論巻5、38』等もまたこの譬喩を引けり。この中、前者を芥子劫(sarSapoopama-kalpa)と名づけ、後者を盤石劫(parvatoopama-kalpa)と名づく。更に種種の劫の説明あるもここに挙げず。<(佛)
是故當知是佛所教非佛自言如是我聞。佛一切智人自然無師故。不應言我聞。若佛自說如是我聞。有所不知者。可有此難。阿難問佛。佛教是語。是弟子所言。如是我聞。無有咎。 是の故に、当に知るべし、是れは仏の教うる所にして、仏自ら、『是の如く我れ聞けり』と言えるに非ず。仏は、一切智の人なれば、自然にして師無きが故に、応に『我れ聞けり』と言うべからず。若し、仏自ら、『是の如く我れ聞けり』と説きて、知らざる所有らば、此の難有るべし。阿難の仏に問えるに、仏は是の語を教えたまえり。是れ弟子の言う所の、『是の如く我れ聞けり』なれば、咎有ること無し。
是の故に、
こう知らねばならぬ、――
是れは、
『仏』に、
『教えられた!』、
『語であり!』、
『仏』、
自ら、こう言われるのではない、――
『是のように!』、
『わたしは、聞いた!』、と。
『仏』は、
『一切智』の、
『人であり!』、
『自然であり!』、
『師が無い!』が故に、
『わたしは、聞いた!』と、
『言われるはずがない!』。
若し、
『仏』が、
自ら、こう説いて――
『是のように!』、
『わたしは、聞いた!』、と。
若し、
『知らない!』所の、
『事』が、
『在れば!』、
此のような、
『難』が、
『有るかもしれない!』が、
『阿難』が、
『仏』に、
『問い!』、
『仏』が、
『阿難』に、
是の、
『語』を、
『教えられたのであり!』、
是れは、
『弟子』の言う、――
『是のように!』、
『わたしは聞いた!』であるが故に、
是れに、
『咎』は、
『無い!』。



三蔵結集の因縁

復次欲令佛法久住世間故。長老摩訶迦葉等諸阿羅漢問阿難。佛初何處說法。說何等法。阿難答如是我聞一時佛在波羅捺國仙人鹿林中。為五比丘說是苦聖諦。我本不從他聞。法中正憶念得眼智明覺。 復た次ぎに、仏法を世間に久住せしめんと欲するが故に、長老摩訶迦葉等の諸の阿羅漢の阿難に問わく、『仏は初めて、何れの処にか法を説きたまい、何等の法をか説きたまえる。』と。阿難の答うらく、『是の如く我れ聞けり。一時、仏は波羅奈国、仙人鹿林中に在し、五比丘の為に、是の苦聖諦を説きたまえり。我れは本より、他に従って聞かず、法中に正憶念せば、眼、智、明、覚を得たり。』と。
復た次ぎに、
『仏の法』を、
『世間』に、
『永久に住(とど)めたい!』と、
『思う!』が故に、
『長老摩訶迦葉』等の、
諸の、
『阿羅漢』は、
『阿難』に、こう問うた――
『仏』が、
何処で、
『初めて!』、
『法を説かれたのか?』、
何のような、
『法』が、
『説かれたのか?』、と。
『阿難』は、こう答えた、――
是のように、
わたしは、聞いた、――
『一時』、
『仏』は、
『波羅奈国』の、
『仙人鹿林』中に、
『在()られ!』、
『五比丘』の為めに、こう説かれた、――
是の、
『苦聖諦』は、
わたしが、
本より、
『他より!』、
『聞いたものではない!』。
『法』中に、
『正憶念して!』、
『得た!』、
『眼、智、明、覚』を、
『用いて!』、
是の、
『法』を、
『得たのである!』、と。
  久住(くじゅう):永久にとどめる。
  摩訶迦葉(まかかしょう):梵名mahaakaazyapa。仏十大弟子中の一。頭陀第一と称す。『大智度論巻33上注:摩訶迦葉』参照。
  阿羅漢(あらかん):梵語arhat。応、応供、応真と訳す。声聞四果の一。又如来十号の一。一切の煩悩を断尽して尽智を得、世人の供養を受くるに適当なる聖者を云う。『大智度論巻17下注:阿羅漢』参照。
  波羅奈(はらな):梵名vaaraaNasii、或いはvaaraNasii、varaaaNasii、varaNasii。中印度の国名。即ち現今のベナレスbenares市に当る。『大智度論巻21上注:婆羅痆斯国』参照。
  仙人鹿林(せんにんろくりん):梵名RSipatana mRgadaavaの訳。中印度婆羅痆斯国に在りし園林の名。仏初転法輪の地と伝う。『大智度論巻26上注:鹿野苑』参照。
  五比丘(ごびく):梵語paJca bhikSavaHの訳。五人の比丘の意。又五群比丘とも名づく。釈尊成道の後、初めて教化を受けたる五人の比丘を云う。一に阿若憍陳如aajJaata-kauNDinya、二に阿説示azva-jit、三に摩訶男mahaa-raaman、四に婆提bhadrika、五に婆数vaaSpaなり。『大智度論巻22下注:五比丘』参照。
  苦聖諦(くしょうたい):梵語duHkha-satyaの訳。苦に関する真理の義。即ち生苦、老苦、病苦、死苦、怨憎会苦、愛別離苦、所求不得苦、略五盛陰苦を云う。四聖諦の一。『大智度論巻18下注:四聖諦』参照。
  眼智明覚(げんちみょうがく):四諦の法を聞きて思惟する中に生ずる眼cakSus、智jJaana、明vidyaa、覚buddhiの四種の功徳を云う。「雑阿含経巻15」に、「爾の時、世尊、五比丘に告ぐ、此の苦聖諦は、本より未だ曽て聞かざる所の法なり、当に正思惟すべし。時に、眼、智、明、覚を生ぜん。此の苦集、此の苦滅、此の苦滅道跡聖諦は、本より未だ曽て聞かざる所の法なり、当に正思惟すべし、時に眼、智、明、覚を生ぜん」と云える是れなり。就中、眼とは、即ち吾人の眼を以って正しく観るを云い、智とは、即ち観し所を正しく認識、或いは洞察することを云い、明とは、即ち認識したる所を正しく知識と為すことを云い、覚とは、知識を以って正しく思惟するを云う。但し、此の眼智明覚に関して、「大毘婆沙論巻79」には両解を掲げ、一解には眼は法智忍、智は諸の法智、明は諸の類智忍、覚は諸の類智なりとし、一解には眼は観見の義、智は決断の義、明は照了の義、覚は警察の義となせり。『大智度論巻25上注:三転十二行相』参照。
  参考:『中阿含経巻7』:『諸賢。云何愛習苦習聖諦。謂眾生實有愛內六處。眼處。耳.鼻.舌.身.意處.於中若有愛.有膩.有染.有著者。是名為習。諸賢。多聞聖弟子知我如是知此法。如是見。如是了。如是視。如是覺。是謂愛習苦習聖諦。如是知之。云何知耶。若有愛妻.子.奴婢.給使.眷屬.田地.屋宅.店肆.出息財物。為所作業。有愛.有膩.有染.有著者。是名為習。彼知此愛習。苦習聖諦。如是外處。更樂.覺.想.思.愛。亦復如是。諸賢。眾生實有愛六界。地界。水.火.風.空.識界。於中若有愛.有膩.有染.有著者。是名為習。諸賢。多聞聖弟子知我如是知此法。如是見。如是了。如是視。如是覺。是謂愛習苦習聖諦。如是知之。云何知耶。若有愛妻.子.奴婢.給使.眷屬.田地.屋宅.店肆.出息財物。為所作業。有愛.有膩.有染.有著者。是名為習。彼知是愛習苦習聖諦。諸賢。過去時是愛習苦習聖諦。未來.現在時是愛習苦習聖諦。真諦不虛。不離於如。亦非顛倒。真諦審實。合如是諦。聖所有。聖所知。聖所見。聖所了。聖所得。聖所等正覺。是故說愛習苦習聖諦。諸賢。云何愛滅苦滅聖諦。謂眾生實有愛內六處。眼處.耳.鼻.舌.身.意處。彼若解脫。不染不著.斷捨吐盡.無欲.滅.止沒者。是名苦滅。諸賢。多聞聖弟子知我如是知此法。如是見。如是了。如是視。如是覺。是謂愛滅苦滅聖諦。如是知之。云何知耶。若有不愛妻.子.奴婢.給使.眷屬.田地.屋宅.店肆.出息財物。不為所作業。彼若解脫。不染不著.斷捨吐盡.無欲.滅.止沒者。是名苦滅。彼知是愛滅苦滅聖諦。如是外處。更樂.覺.想.思.愛亦復如是。諸賢。眾生實有愛六界。地界。水.火.風.空.識界。彼若解脫。不染不著.斷捨吐盡.無欲.滅.止沒者。是名苦滅。諸賢。多聞聖弟子知我如是知此法。如是見。如是了。如是視。如是覺。是謂愛滅苦滅聖諦。如是知之。云何知耶。若有不愛妻.子.奴婢.給使.眷屬.田地.屋宅.店肆.出息財物。不為所作業。彼若解脫。不染不著。斷捨吐盡.無欲.滅.止沒者。是名苦滅。彼知是愛滅苦滅聖諦。諸賢。過去時是愛滅苦滅聖諦。未來.現在時是愛滅苦滅聖諦。真諦不虛。不離於如。亦非顛倒。真諦審實。合如是諦。聖所有。聖所知。聖所見。聖所了。聖所得。聖所等正覺。是故說愛滅苦滅聖諦。諸賢。云何苦滅道聖諦。謂正見.正志.正語.正業.正命.正方便.正念.正定。諸賢。云何正見。謂聖弟子念苦是苦時。習是習。滅是滅。念道是道時。或觀本所作。或學念諸行。或見諸行災患。或見涅槃止息。或無著念觀善心解脫時。於中擇.遍擇.次擇。擇法.視.遍視。觀察明達。是名正見。諸賢。云何正志。謂聖弟子念苦是苦時。習是習。滅是滅。念道是道時。或觀本所作。或學念諸行。或見諸行災患。或見涅槃止息。或無著念觀善心解脫時。於中心伺.遍伺.隨順伺。可念則念。可望則望。是名正志。諸賢。云何正語。謂聖弟子念苦是苦時。習是習。滅是滅。念道是道時。或觀本所作。或學念諸行。或見諸行災患。或見涅槃止息。或無著念觀善心解脫時。於中除口四妙行。諸餘口惡行遠離除斷。不行不作。不合不會。是名正語。諸賢。云何正業。謂聖弟子念苦是苦時。習是習。滅是滅。念道是道時。或觀本所作。或學念諸行。或見諸行災患。或見涅槃止息。或無著念觀善心解脫時。於中除身三妙行。諸餘身惡行遠離除斷。不行不作。不合不會。是名正業。諸賢。云何正命。謂聖弟子念苦是苦時。習是習。滅是滅。念道是道時。或觀本所作。或學念諸行。或見諸行災患。或見涅槃止息。或無著念觀善心解脫時。於中非無理求。不以多欲無厭足。不為種種伎術咒說邪命活。但以法求衣。不以非法。亦以法求食.床座。不以非法。是名正命。諸賢。云何正方便。謂聖弟子念苦是苦時。習是習。滅是滅。念道是道時。或觀本所作。或學念諸行。或見諸行災患。或見涅槃止息。或無著念觀善心解脫時。於中若有精進方便。一向精勤求。有力趣向。專著不捨。亦不衰退。正伏其心。是名正方便。諸賢。云何正念。謂聖弟子念苦是苦時。習是習。滅是滅。念道是道時。或觀本所作。或學念諸行。或見諸行災患。或見涅槃止息。或無著念觀善心解脫時。於中若心順念.背不向念.念遍.念憶.復憶.心心.不忘心之所應。是名正念。諸賢。云何正定。謂聖弟子念苦是苦時。習是習。滅是滅。念道是道時。或觀本所作。或學念諸行。或見諸行災患。或見涅槃止息。或無著念觀善心解脫時。於中若心住.禪住.順住。不亂不散。攝止正定。是名正定。諸賢。過去時是苦滅道聖諦。未來.現在時是苦滅道聖諦。真諦不虛。不離於如。亦非顛倒。真諦審實。合如是諦。聖所有。聖所知。聖所見。聖所了。聖所得。聖所等正覺。是故說苦滅道聖諦』
  参考:『雑阿含経(379)巻15』:『如是我聞。一時。佛住波羅奈鹿野苑中仙人住處。爾時。世尊告五比丘。此苦聖諦。本所未曾聞法。當正思惟。時。生眼.智.明.覺。此苦集.此苦滅.此苦滅道跡聖諦。本所未曾聞法。當正思惟。時。生.眼.智.明.覺。復次。苦聖諦智當復知。本所未聞法。當正思惟。時。生眼.智.明.覺。苦集聖諦已知當斷。本所未曾聞法。當正思惟。時。生眼.智.明.覺。復次。苦集滅。此苦滅聖諦已知當知作證。本所未聞法。當正思惟。時。生眼.智.明.覺。復以此苦滅道跡聖諦已知當修。本所未曾聞法。當正思惟。時。生眼.智.明.覺。復次。比丘。此苦聖諦已知。知已出。所未聞法。當正思惟。時。生眼.智.明.覺。復次。此苦集聖諦已知。已斷出。所未聞法。當正思惟。時。生眼.智.明.覺。復次。苦滅聖諦已知.已作證出。所未聞法。當正思惟。時。生眼.智.明.覺。復次。苦滅道跡聖諦已知.已修出。所未曾聞法。當正思惟。時。生眼.智.明.覺。諸比丘。我於此四聖諦三轉十二行不生眼.智.明.覺者。我終不得於諸天.魔.梵.沙門.婆羅門聞法眾中。為解脫.為出.為離。亦不自證得阿耨多羅三藐三菩提。我已於四聖諦三轉十二行生眼.智.明.覺。故於諸天.魔.梵.沙門.婆羅門聞法眾中。得出.得脫。自證得成阿耨多羅三藐三菩提』
  参考:『阿毘達磨大毘婆沙論巻79』:『如契經說佛告苾芻。我於四聖諦三轉十二行相。生眼智明覺。問此應有十二轉四十八行相。何故但說三轉十二行相耶。答雖觀一一諦皆有三轉十二行相。而不過三轉十二行相故作是說。如預流者極七反有。及七處善并二法等。此中眼者。謂法智忍。智者。謂諸法智。明者。謂諸類智忍。覺者。謂諸類智。復次眼是觀見義。智是決斷義。明是照了義。覺是警察義』
  摩訶迦葉(まかかしょう、mahaa-kaazyapa):また迦葉波、迦摂波に作り、意を飲光と為す。仏の十大弟子中の頭陀第一なり。王舎城近郊の婆羅門の家に生れ、仏成道後の第三年に於いて仏弟子と為り、八日後には即ち阿羅漢の境地に証入せり。仏の弟子中、最も執著の念の無き者にして、人格清廉、深く仏の信頼を受け、仏入滅の後には教団の統率者と為りて、王舎城に於いて第一次経典結集を招集せり。<(望)
  頭陀(づだ、dhuuta):所謂煩悩の塵垢の除去を指す。苦行の一にして、また杜荼、杜多、投多、偸多、塵吼多に作り、意訳して抖擻、抖捒、斗藪、修治、棄除、沙汰、浣洗、紛弾、揺振と為す。意は即ち衣、食、住等に対してその貪著を棄て、以って身心を修練するなり。また頭陀行、頭陀事、頭陀功徳(dhuuta-guNa)と称す。日常生活に立つる所は以下の如き十二種の修行規定あり、即ち住に頭陀行と称す、(一)在阿蘭若処:世人の居処を離れて安静の所に住す。(二)常行乞食。(三)次第乞食:乞食の時、貧富の家を分たず、門に沿うて托鉢す。(四)受一食法:一日一食。(五)節量食:過食せざるを指し、即ち鉢中にはただ一団飯を受く。(六)中後不得飲漿:中食の後、再び飲漿せず。(七)著弊衲衣:廃棄布にて作す所の襤褸衣を穿著す。(八)但三衣:三衣を除く外に、多余の衣無し。(九)塚間住:墓地に於いて住す。(十)樹下止。(十一)露地坐:露天の地に於いて坐す。(十二)但坐不臥:即ち常坐なり。頭陀を行じて或いは諸方に遊歴する時、大乗の比丘の常に携帯する所の十八種の道具を称して頭陀十八物と為し、略して十八物と称す。後世に至りて頭陀行は則ち転じて三耶を巡歴してよく艱苦に耐うる行脚修行の意と為し、或いは特に乞食に行法を指して言う。<(佛)
  阿羅漢(あらかん、arhat):仏弟子中の煩悩を断った者に対する尊称。
  波羅奈国(はらなこく、vaaraaNasii):中印度古王国なり。また波羅奈斯国、波羅捺国、波羅痆斯国、波羅捺写国に作り、旧称を伽尸国(kaazi)と為し、近世には称して貝那拉斯(benares)と為す。即ち今の瓦拉那西(varanasi)なり。城の西北の鹿野苑は即ち仏成道の後、最初に五比丘を教化せる地にして、その後も、仏は常に遊化して此に至り衆生を教化せる六大説法処の一なり。<(望)
  仙人鹿林(せんにんろくりん):梵名をmRgadaavaに作り、釈尊成道後の初転法輪の地と為す。即ち今の沙爾那斯(saarnaath、即ち梵名saaraGganaatha、鹿主の意)これなり。今の北印度瓦拉那西市(varanasi)に於いて北約6kmの処に位し、また訳して鹿野苑、鹿野園、鹿野、鹿苑、仙苑、仙人園に作す。<(望)
  五比丘(ごびく):梵にpaJca bhikSavaHに作り、また五群比丘に作る。仏成道の後、初めて法輪を転じて化度する五人の比丘。悉達多太子、城を踰えて出家せるに、その父浄飯王は大いに驚き、使いを遣わして追わしむるも、太子の発心堅固なれば、王乃ち王師中より憍陳如等の五人を出だして伴なわせ、太子の学道に奉持せしむるに、この五人は太子と共に苦行を修む。しかし太子が六年の苦行を以ってしても、未だ解脱に到達せざるを以っての故に苦行を放棄し、尼連禅河に於いて沐浴して牧羊女より乳糜の供養を受くるに及んで、憍陳如等の五人は以って太子はすでに道心を退失せりと為し、遂に太子を離れて鹿野苑の苦行林に赴き、苦行を継続せるを、釈尊は成道の後、この五人を先に度脱すべしと念じ、因るが故に、鹿野苑に至りて五人の為に四聖諦、八正道、布施、持戒、生天等の法を説き、法眼浄を得しむ。五人の中の憍陳如と阿湿卑とは釈尊の母系の親属、余の三人は父系の親属と為す。この五人の名は経典の挙ぐる所に出入有り、『四分律巻32』によれば得道の順に(1)阿若憍陳如(あにゃきょうちんにょ)、(2)阿湿卑(あしつひ)、阿説示(あせつじ)、(3)摩訶摩男(まかまなん)、摩訶男(まかなん)、(4)婆提(ばだい)、(5)婆数(ばすう)となる。<(望)
  苦聖諦(くしょうたい):この世は苦しみであると明了に知ること。四聖諦、或いは四諦の一。
  四諦(したい):梵語catvaary aarya-satyaaniの訳にして、具に四聖諦といい、また四真諦とも称す。諦は梵語にsatyaといい、審実不虚の義なり。即ち四種の真実にして改まらざる理義をいう。一に苦諦duHkha-satya、二に集諦samudaya-satya、三に滅諦nirodha-satya、四に道諦maarga-satyaなり。また苦聖諦、苦集聖諦、苦滅聖諦、苦出要聖諦といい、或いは苦聖諦、苦習聖諦、苦滅聖諦、苦滅道聖諦、或いは苦諦、苦集諦、苦尽諦、苦出要諦、或いは苦聖諦、集聖諦、真聖諦、道聖諦とも名づく。『長阿含巻8衆集経』に「また四法あり、謂わく四聖諦なり、苦聖諦、苦集聖諦、苦滅聖諦、苦出要聖諦なり」と云い、『中阿含巻7分別聖諦経』に「世尊はわれ等の為に世に出づ、謂わく他の為にこの四聖諦を広教し広示して、分別し発露し開仰し、施設し顕現して趣向せしむ。云何が四と為す、謂わく苦聖諦、苦習、苦滅、苦滅道聖諦なり。諸賢、云何が苦聖諦なる、謂わく生苦、老苦、病苦、死苦、怨憎会苦、愛別離苦、所求不得苦、略して五陰盛苦なり、(中略)諸賢、云何が愛習苦習聖諦なる、謂わく衆生には実に愛の内の六処あり、眼処、耳鼻舌身意処なり。中に於いてもし愛あり、膩あり、染あり、著あらばこれを名づけて習と為す。諸賢、多聞の聖弟子は、われかくの如くこの法を知り、かくの如く見、かくの如く了し、かくの如く視、かくの如く覚すと知る。これを愛習苦聖諦と謂う。(中略)諸賢、云何が愛滅苦滅聖諦なる、謂わく衆生には実に愛の内の六処あり、眼処、耳鼻舌身意処なり、彼もし解脱して染せず著せず断捨し吐尽し、無欲にして滅し止没せばこれを苦滅と名づく。諸賢、多聞の聖弟子は、われかくの如くこの法を知り、かくの如く見、かくの如く了し、かくの如く視、かくの如く覚すと知る、これを愛滅苦滅聖諦と謂う。(中略)諸賢、云何が苦滅道聖諦なる、謂わく正見、正志、正語、正業、正命、正方便、正念、正定なり」と云い、また『仏遺教経』に「仏の説きたもう苦諦は真実にこれ苦なり、楽ならしむべからず。集は真にこれ因なり、更に異の因なし。苦もし滅すれば即ちこれ因滅す、因滅するが故に果滅す。滅苦の道は実にこれ真の道なり、更に余の道なし」と云えるこれなり。この中、世間は四苦八苦の相にして実に苦なり、これ審実にして虚ならざるを苦諦といい、苦の因は集にして、即ち内の眼等の六処より起る愛著に由りて苦の果を生ず、これ審実にして虚ならざるを集諦といい、彼の愛著を解脱し断捨せば即ち苦滅することを得、これ審実にして虚ならざるを滅諦といい、苦を滅するの道は即ち正見等の八正道にして、これまた審実不虚なるを道諦と名づく。就中、苦集二諦は世間有漏の因果を顕し、滅道二諦は出世間無漏の因果を示す。即ち世間有漏の果は苦諦、世間有漏の因は集諦、出世間無漏の果は滅諦、出世間無漏の因は道諦なり。<(望)
  憶念(おくねん):記憶と思念。
  眼智明覚(げんちみょうがく):眼は明るくなって見通すことができ、智慧は覚って曇りが無いの意。また或いは、見道中の智の別称。苦法智忍を眼と為し、苦法智を智と為し、苦類智忍を明と為し、苦類智を覚と為す。苦法智等は『大智度論巻15(上)』参照。
是經是中應廣說。如集法經中廣說。佛入涅槃時。地六種動諸河反流。疾風暴發黑雲四起。惡雷掣電雹雨驟墮處處星流師子惡獸哮吼喚呼。諸天世人皆大號咷。 是の経は、是の中にも、応に広く説くべし。集法経中に、広く説けるが如し、仏の涅槃に入りたまいし時、地は六種に動き、諸の河は反流し、疾風暴発して、黒雲四もに起り、悪雷掣電、雹雨驟堕し、処処に星流れ、師子悪獣、哮吼喚呼し、諸天、世人、皆大号咷す。
是の、
『経(涅槃経)』は、――
是の中に、
『広く!』、
『説かねばならない!』。
例えば、
『集法経』中には、
『広く(詳しく)!』、こう説かれている、――
『仏』が、
『涅槃に入られた!』時、
『地が、六種に動き!』、
『諸河が、逆流し!』、
『疾風が、暴発し!』、
『黒雲が、四方に起り!』、
『悪雷が、轟き!』、
『稲妻が、長く延び!』、
『雹雨が、急速に堕ち!』、
『処処に、星が流れ!』、
『師子・悪獣が咆吼し、喚呼し!』、
『諸天、世人』は、
皆、
『大声で!』、
『泣き叫んだ!』。
  反流(ほんる):逆流。
  悪雷(あくらい):激烈なる雷鳴。
  掣電(せいでん):長くのびた稲妻。
  雹雨(ひょうう):雹の雨。雹は空より降る氷塊。
  驟堕(しゅうだ):にわかにおちる。
  哮吼(こうく):ほえたける。
  喚呼(かんこ):さけびよぶ。
  号咷(ごうちょう):大声を挙げて泣きさけぶ。
諸天人等皆發是言。佛取涅槃一何疾哉。世間眼滅。當是時間。一切草木藥樹華葉一時剖裂。諸須彌山王盡皆傾搖。海水波揚地大震動山崖崩落。諸樹摧折四面煙起。甚大可畏。陂池江河盡皆嬈濁。彗星晝出。 諸の天人等皆、是の言を発すらく、『仏の涅槃を取りたもうこと、一えに何と疾きかな。世間の眼は滅したり。』と。是の時間に当りて、一切の草木、藥樹、華葉は一時に剖裂し、諸の須弥山王は尽く皆傾揺し、海水に波揚がり、地は大いに震動し、山崖は崩落し、諸樹は摧折し、四面に煙起り、甚だ大いに畏るべし。陂池、江河は尽く、皆嬈濁し、彗星は昼に出でたり。
諸の、
『天、人』等は、
皆、
是の、
『言』を発した、――
『仏』が、
『涅槃』を、
『取られる!』のは、
『何と、疾(はや)いことか!』。
『世間』の、
『眼』が、
『滅して(潰れて)しまった!』、と。
是の、
『時の間』に当り、
一切の、
『草木、藥樹、華葉』が、
『一時に!』、
『剖裂し!』、
諸の、
『須弥山王』は、
『悉く皆!』、
『傾揺し!』、
『海水』は、
『波を揚げ!』、
『地』は、
『大いに!』、
『震動し!』、
『山崖』は、
『崩落し!』、
諸の、
『樹』は、
『摧折し!』、
『四方』に、
『煙が起って!』、
『甚だ畏ろしく!』、
『陂池(蓄水池)』も、
『江河』も、
『尽く皆!』、
『嬈濁(乱濁)し!』、
『彗星』が、
『昼に出た!』。
  一何(いっか):何とまあ( how )。
  剖裂(ほうれつ):さけちぎれる。
  須弥山王(しゅみせんおう):須弥sumeruは梵語。或は須弥山王と称す。一世界の中央に聳立せる大高山の名。『大智度論巻9上注:須弥山』参照。
  傾揺(きょうよう):傾きゆれる。
  波揚(はよう):波があがる。
  摧折(さいせつ):くじけおれる。
  陂池(はち):ため池。蓄水池。
  嬈濁(にょうじょく):みだれ濁る。
諸人啼哭諸天憂愁。諸天女等郁伊哽咽涕淚交流。諸學人等默然不樂。諸無學人。念有為諸法一切無常。如是天人夜叉羅剎犍闥婆甄陀羅摩睺羅伽及諸龍等。皆大憂愁。 諸人啼哭し、諸天憂愁す。諸の天女等は郁伊、哽咽して涕涙交(こもご)も流る。諸の学人等は黙然として楽しまず。諸の無学人は、有為の諸法の一切無常なることを念ず。是の如く天、人、夜叉、羅刹、犍闥婆、甄陀羅、摩睺羅伽、及び諸の龍等、皆、大いに憂愁せり。
諸の、
『人』は、
『啼哭(号泣)し!』、
諸の、
『天』は、
『憂愁し!』、
諸の、
『天女』等は、
『鬱勃として!』、
『むせび泣き!』
『涕、涙が交(こもご)も流れた!』 。
諸の、
『学人(須陀洹、斯陀含、阿那含)』等は、
『黙然として!』、
『楽しまず!』、
諸の、
『無学人(阿羅漢)』は、
『有為の諸法』は、
一切が、
『無常である!』と、
『念じた!』。
是のように、
『天、人、夜叉、羅刹、犍闥婆、甄陀羅、摩睺羅伽』と、
諸の、
『龍』等は、
皆、
『大いに!』、
『憂愁した!』。
  啼哭(たいこく):大声を挙げて泣く。
  郁伊(いくい):心が晴れないさま。
  哽咽(こうえつ):むせび泣く( choke with sobs )。
  涕涙(たいるい):はなみずと涙。
  学人(がくにん):梵語zaiksa、或いはsacchisyaの訳。尚お学すべきものある人の意。有学人の略称。無学人に対す。『大智度論巻1下注:学人』参照。
  無学人(むがくにん):無学道(梵語azaikSa-maarga)に在る者の意。即ち阿羅漢果を証して更に学すべき勝果の道なき人を云う。『大智度論巻22上注:無学道』参照。
  有為(うい):梵語saMskRtaの訳。無為に対す。為作あるの義、拵えられたる者の義。色等の五蘊を指す。即ち因縁所成の現象の諸法を云う。『大智度論巻23上注:有為』参照。
  夜叉(やしゃ):梵名yakSa。八部衆の一。即ち地上又は空中等に住し、威勢ありて人を悩害し、或いは正法を守護する鬼類を云う。『大智度論巻25下注:夜叉』参照。
  羅刹(らせつ):梵名raakSasa、其の女姓を羅刹斯raakSasiiと云う。「玄応音義巻24」に、「羅刹娑、或いは阿落刹娑と言う。是れ悪鬼の通名なり。又羅叉娑と云い、此に護者と云う。若し女は則ち羅叉私と名づく。旧に羅刹と云うは訛略なり」と云い、「慧琳音義巻25」に、「羅刹は此に悪鬼と云うなり。人の血肉を食い、或いは空を飛び、或いは地を行き、捷疾にして畏るべきなり」と云える是れなり。『大智度論巻23上注:羅刹』参照。
  犍闥婆(けんだつば):梵名gandharva八部衆の一。帝釈天の雅楽を司る神の名。『大智度論巻25下注:乾闥婆』参照。
  甄陀羅(きんだら):梵語kiMnara、疑人、疑神、或いは人非人と訳し、又歌神、歌楽神、音楽天とも云う。八部衆の一。『大智度論巻17下注:緊那羅』参照。
  摩睺羅伽(まごらが):梵名mahoraga、大腹行、或いは大蟒神と訳す。八部衆の一。『大智度論巻25下注:摩睺羅伽』参照。
  (りゅう):梵語那伽naagaの訳。其の長を龍王、或いは龍神と称す。八部衆の一。多く水中に住して雲を呼び、雨を起すと信ぜられたる蛇形の鬼類を云う。『大智度論巻25下注:龍』参照。
  八部衆(はちぶしゅ):仏会に現れて聴聞し、仏法を守護する衆生。
  (1)天:身に光明を放って苦労なく楽しみが多い。
  (2)龍:水中の生き物の王。
  (3)夜叉(やしゃ):空中を飛行する鬼神。
  (4)犍闥婆(けんだつば):香神、香を嗅いで身を養う。
  (5)阿修羅(あしゅら):戦闘神、容貌醜悪で力が強く、常に帝釈天と戦う。
  (6)迦楼羅(かるら):金翅鳥(こんじちょう)、翼を広げると三百三十万里あり、龍を取って食う鳥。
  (7)甄陀羅(きんだら):頭上に角があるため非人、人非人と呼ばれる。帝釈天の楽神。
  (8)摩睺羅伽(まごらか):大腹行。地を這う龍。
諸阿羅漢度老病死海。心念言
 已渡凡夫恩愛河 
 老病死券已裂破 
 見身篋中四大蛇 
 今入無餘滅涅槃
諸の阿羅漢は、老病死の海を度(わた)りて、心に念じて言わく、
已に凡夫の恩愛の河を渡りて
老病死の券は已に裂破す
身篋中に四大の蛇を見る
今は無余滅涅槃に入らん
諸の、
『阿羅漢』は、
『老、病、死』の、
『海』を、
『渡りながら!』、
『心』に、
『念じて!』、こう言った、――
已(すで)に、
『凡夫』の、
『恩愛(親愛)』の、
『河』を、
『渡り!』、
『老、病、死』の、
『券(通行券)』は、
『裂け破れた!』。
『身』という、
『篋(こばこ)』中に、
『四大(地水火風)の蛇』を、
『見て!』、
今、
『無余涅槃』に、
『入られた!』、と。
  老病死海(ろうびょうしのうみ):老病死の苦を以って、汲めど尽くせぬ海の水に喩える。
  恩愛(おんない):互いに恩を施し愛著するの意。親子夫妻等の恋恋たる愛情を云う。『大智度論巻21上注:恩愛』参照。
  老病死券(ろうびょうしのけん):券は割り符、通行券の義。老病死の苦を受け生死に輪廻する為の通行券に喩える。
  身篋(しんきょう):身を小箱に喩える。
  四大蛇(しだいのへび):身を構成する四大要素。即ち地大、水大、火大、風大を以って命根を奪う毒蛇に喩える。
  無余滅涅槃(むよめつねはん):無余涅槃とも称す。肉体を滅尽し、生死の苦を永く離れたる涅槃の意。『大智度論巻1上注:涅槃』参照。
  参考:『増一阿含経巻23』:『聞如是。一時。佛在舍衛國祇樹給孤獨園。爾時。世尊告諸比丘。猶如四大毒蛇極為凶暴。舉著一函中。若有人從四方來。欲令活.不求死。欲求樂.不求苦。不愚不闇。心意不亂。無所繫屬。是時。若王.若王大臣喚此人而告之曰。今有四大毒蛇極為兇暴。汝今當隨時將養沐浴令淨。隨時飲食無令使乏。今正是時。可往施行是時。彼人心懷恐懼。不敢直前。便捨。馳走莫知所湊深。復重告彼人作是語。今使五人皆持刀劍而隨汝後。其有獲汝者。當斷其命。不足稽遲。是時。彼人畏四大毒蛇。復畏五人捉持刀劍者。馳走東西。不知如何。復告彼人曰。今復使六怨家使隨汝後。其有得者當斷其命。欲所為者可時辦之。是時。彼人畏四大毒蛇。復畏五人持刀杖者。復畏六怨家。便馳走東西。彼人若見空墟之中。欲入中藏。若值空舍。若破牆間無堅牢處。若見空器。盡無所有。若復有人與此人親友。欲令免濟。便告之曰。此間空閑之處多諸賊寇。欲所為者今可隨意。是時。彼人復畏四大毒蛇。復畏五人持刀杖者。復畏六怨家。復畏空墟村中。便馳走東西。彼人前行。若見大水極深且廣。亦無人民及橋梁可度得至彼岸。然復彼人所立之處多諸惡賊。是時。彼人作是思惟。此水極為深廣。饒諸賊寇。當云何得度彼岸。我今可集聚材木草蘘作筏。依此筏從此岸得至彼岸。是時。彼人便集薪草作筏已。即得至彼岸。志不移動。諸比丘當知。我今作喻。當念解之。說此義時。為有何義。言四毒蛇者。即四大是也。云何為四大。所謂地種.水種.火種.風種。是謂四大。五人持刀劍者。此是五盛陰也。云何為五。所謂色陰.痛陰.想陰.行陰.識陰是也。六怨家者。欲愛是也。空村者。內六入是也。云何為六。所謂六入者。眼入.耳入.鼻入.口入.身入.意入。若有智慧者而觀眼時。盡空無所有。亦不牢固。若復觀耳.鼻.口.身.意時。盡空無所有。皆虛.皆寂。亦不牢固。云水者。四流是也。云何為四。所謂欲流.有流.無明流.見流。大筏者。賢聖八品道是也。云何為八。正見.正治.正語.正方便.正業.正命.正念.正定。是謂賢聖八品道也。水中求度者。善權方便精進之力也。此岸者。身邪也。彼岸者。滅身邪也。此岸者。阿闍世國界也。彼岸者。毘沙王國界也。此岸者。波旬國界也。彼岸者。如來之境界也。是時。諸比丘聞佛所說。歡喜奉行』
諸大阿羅漢。各各隨意於諸山林流泉谿谷處處捨身而般涅槃。更有諸阿羅漢。於虛空中飛騰而去。譬如鴈王。現種種神力。令眾人心信清淨。然後般涅槃。 諸の大阿羅漢は、各各意の随(まま)に、諸の山林、流泉、渓谷に於いて、処処に身を捨て、般涅槃す。更に有る諸の阿羅漢は、虚空中に於いて飛騰して去ること、譬えば雁王の如く、種種の神力を現して、衆人の心をして信清浄ならしめ、然る後に般涅槃す。
諸の、
『大阿羅漢』は、
各各の、
『意のままに!』、
諸の、
『山林、流泉、溪谷』に於いて、
処処に、
『身』を、
『捨てて!』、
『般涅槃に入った!』。
更に、
有る、
諸の、
『阿羅漢』は、
『虚空』中に、
『飛騰して!』、
『去る!』と、
譬えば、
『雁王のように!』、
種種の、
『神力』を、
『現しながら!』、
『衆人』の、
『心』を、
『信じさせて!』、
『清浄にし!』、
その後、
『般涅槃』に、
『入った!』。
  神力(じんりき):梵語Rddhiの訳。巴梨語iddhi、神通力の意。仏菩薩等が種種の希有奇特の事を示現する不思議の力用を云う。「無量寿経巻上」に、「其の国土には、須弥山及び金剛鉄囲一切の諸山なく、亦大海小海渓渠井谷なきも、仏の神力の故に見んと欲すれば則ち現ず」と云い、「法華経巻6如来神力品」に、「爾の時、世尊は文殊師利等の無量百千万億の旧住娑婆世界の菩薩摩訶薩、及び諸の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、天、龍、夜叉、犍闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人、非人等の一切衆の前に於いて大神力を現じ、広長舌を出して上梵世に至らしめ、一切の毛孔より無量無数色の光を放ちて皆悉く徧く十方の世界を照らす。衆宝樹下の師子座の上の諸仏も、亦復た是の如く広長舌を出して無量の光を放つ」と云える其の例なり。「大智度論巻8」に仏が神力を用うる所由を説き、「人の衣を染めんと欲するに、先づ塵土を去るが如く、仏も亦た是の如し、先づ三千世界の衆生をして、仏の神力を見て敬心柔軟ならしめ、然る後説法す。是の故に六種に地を動ず」と云い、又「法華経文句巻10下」に其の語義を釈し、「神は不測に名づけ、力は幹用に名づく。不測は則ち天然の体深きなり、幹用は則ち転変の力大なるなり」と云い、「華厳経疏巻52」には又神通と神力との別を説き、「神通は多く外用の壅がるなきに約し、神力は多く内の幹能あるに約す」と云えり。又「大智度論巻9」、「讃阿弥陀仏偈」、「往生論註巻下」、「法華経玄賛巻10本」等に出づ。<(望)
  神通(じんづう):梵語adhijJaaの訳。巴梨語abhiJJaa、妙用無礙の意。又神通力、或いは神力と云い、略して通とも名づく。即ち仏菩薩等の定慧力に依りて示現する無礙自在の妙用を云う。「増一阿含経巻34」に、「彼の山に依りて皆神通得道の人あり、彼の間に居す」と云い、「法華経巻5如来寿量品」に、「如来の秘密神通の力は、一切世間の天人及び阿修羅をして、皆今の釈迦牟尼仏は釈氏宮を出で、伽耶城を去る遠からず道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たりと謂わしむ」と云える是れなり。得通の方法及び其の種類等に関しては、「大薩遮尼揵子所説経巻7」に、「諸禅に入るが故に身軽輭なるを得。是の如く身の軽と心の柔とを成就して如意分(神足)に入る。善く如意分に入り已りて即ち神通を生ず。(中略)何者か如来の神通智行なる、答えて言わく、沙門瞿曇の神通行に六種あり、一に天眼通、二に天耳通、三に他心通、四に宿命通、五に如意通、六に漏尽通なり」と云い、又「大智度論巻28」に、「菩薩は五欲を離れて諸禅を得、慈悲あるが故に衆生の為に神通を取り、諸の希有奇特の事を現じて衆生の心をして清浄ならしむ。何を以っての故に、若し希有の事なければ多くの衆生をして得度せしむること能わざればなり。菩薩摩訶薩は是の念を作し已りて、心を身中の虚空に繋け、麁重の色相を滅して常に空軽の相を取り、大欲精進心を発し、智慧籌量して心力能く身を挙げんと。未だ籌量せざるに、已に自ら心力大にして能く其の身を挙ぐること、譬えば趠を学ぶが如くなるを知る。常に色の麁重の相を壊し、常に軽空の相を修すれば是の時便ち能く飛ぶ。二には亦能く諸物を変化し、地をして水となし、水をして地となし、風を火となし、火を風となし、是の如く諸大をして皆転易せしむ。金をして瓦礫となし、瓦礫をして金となし、是の如く諸物をして各能く化せしむ。地を変じて水相となし、常に修して水を念じて多ならしめ、復た地相を憶念せず。是の時地相は念の如く即ち水と作る。是の如き等の諸物皆能く変化す。問うて曰く、若し然らば一切入と何等の異あるや。答えて曰わく、一切入は是れ神通の初道なり。先に已に一切入と背捨と勝処とに其の心を柔伏せば、然る後神通に入り易し。復た次ぎに一切入の中には一身のみ自ら変じて水となるを見、余人は見ざるも神通は則ち然らず、自ら実に是れ水なりと見、他人も亦実の水なりと見るなり。問うて曰わく、一切入は亦是れ大定なり、何を以って是れ実の水は己身のみにして、他人をして皆見せしむること能わざるや、答えて曰わく、一切入の観処は広く、但だ能く一切をして是れ水相ならしむるも、而も実に是れ水ならしむる能わず。神通は一切に遍ずる能わざるも、而も能く地をして転じて水たらしむ。即ち是れ実の水なり。是を以っての故に二の定力各別なり。問うて曰わく、二定の変化は実とせんや虚とせんや。若し実ならば云何ぞ石は金となり地は水となる。若し虚ならば云何ぞ聖人にして不実を行ずるや。答えて曰わく、皆実にして聖人には虚なきなり。三毒已に抜くが故に、一切法各各定相なきを以っての故に、地を転じて或いは水相となすべし、酥膠蝋は是れ地の類なるも、火を得れば則ち消して水となりて則ち湿相を成じ、水寒を得れば則ち結して氷を成じて堅相となり、石汁は金となり、金敗すれば銅となり、或いは還って石となるが如し。衆生も亦た是の如く、悪も善となすべく、善も悪となるべし。是を以っての故に一切法は定相なきを知る。故に神通力を用って変化するも実にして誑ならず。若し本と各各定相あらば則ち変ずべからず。三には諸賢聖の神通は六塵の中に於いて意に随って自在なり。好を見て好く厭想を生じ、醜を見て好く楽想を生じ、亦能く好醜の相を離れて捨心を行ず。是れを三種の神通と名づく。此の自在神通は唯仏のみ具足す」と云えり。是れ主として神境通を説けるものにして、即ち其の中に飛行と変化と随意自在との三種の別あることを明せるなり。又神通には普通に天眼等の六種の別ありとし、就中、漏尽智通は唯無学の聖者のみ之を得し、余の五通は四根本静慮に依りて起す所なるが故に、但だ聖者のみに限らず、外道異生等も亦之を得すとなせり。又「新華厳経巻28十通品」には、善知他心智神通、無礙天眼智神通、知過去際劫宿住智神通、知尽未来際劫智神通、無礙清浄天耳智神通、住無体性無動作往一切仏刹智神通、善分別一切言辞智神通、無数色身智神通、一切法智神通、入一切法滅尽三昧智神通の十通を出し、其の説稍婆沙等と異なる所あり。又「宗鏡録巻15」には、一切の通力に道通、神通、依通、報通、妖通の五種の別あることを説けり。又「旧華厳経巻28十明品」、「大薩遮尼揵子所説経巻8」、「集異門足論巻15」、「阿毘曇甘露味論巻下」、「大毘婆沙論巻70、141」、「大智度論巻5」、「成実論巻16」、「瑜伽師地論巻98」、「顕揚聖教論巻2」、「倶舎論巻27」、「大乗阿毘達磨蔵集論巻7、14」、「大乗義章巻20本」、「摩訶止観巻9下」、「法界次第初門巻中之上」、「華厳経疏巻46」、「同演義鈔巻74」、「倶舎論光記巻27」、「雑集論述記巻10」等に出づ。<(望)
  信清浄(しんしょうじょう):四諦、三宝、善悪の業果等を信ずること、即ち心清浄なりの意。『大智度論巻2上注:信、清浄』参照。
  (しん):梵語zraddhaaの訳。巴梨語saddhaa、心所の名。七十五法の一、百法の一。不信に対す。即ち心をして澄浄ならしむる精神作用を云う。「入阿毘達磨論巻上」に、「信は謂わく心をして境に於いて澄浄ならしむ。謂わく三宝因果相属有性等の中に於いて眼前に忍許するが故に名づけて信となす。是れ能く心の濁穢の法を除遣す。清水珠を池内に置かば濁穢の水をして皆即ち澄清ならしむるが如く、是の如く信の珠、心池に内に在らば、心の諸の濁穢は皆即ち除遣す。仏は菩提を証すと信じ、法は是れ善説なりと信じ、僧は妙行を具すと信じ、亦た一切外道の迷う所の縁起の法性は是れ信の事業なりと信ず」と云い、「倶舎論巻4」に、「信とは心をして澄浄ならしむ。有が説く、諦と宝と業と果との中に於いて現前に忍許するが故に名づけて信となす」と云い、「成唯識論巻6」に、「云何が信となす、実と徳と能とに於いて深く忍し楽欲して心浄なるを性となし、不信を対治し、善を楽うを業となす。然るに信の差別に略して三種あり、一に実有を信ず、謂わく諸法の実の事理の中に於いて深く信忍するが故なり。二に有徳を信ず、謂わく三宝の真浄の徳の中に於いて深く信楽するが故なり。三に有能を信ず、謂わく一切の世出世の善に於いて、深く力ありて能く得し能く成ずと信じ、希望を起すが故なり。斯に由りて彼れを信ぜざる心を対治し、世出世の善を愛楽し証修す」と云える是れなり。是れ即ち清水珠が濁水をして澄清ならしむる如く、信は能く心をして澄浄ならしめ、四諦三宝善悪業果等の事理に就いて現前に忍許する精神作用なることを明にせるなり。「大毘婆沙論巻29」には信を以って不染汙の愛なりとし、染汙の愛との別を説き、「愛に二種あり、一に染汙は謂わく貪なり、二に不染汙は謂わく信なり。問う、諸の貪は皆愛なりや、答う、応に順前句を作すべし、謂わく貪は皆愛なり。愛にして貪に非ざるあり、此れ即ち是れ信なり。問う、諸の信は皆愛なりや、有るは是の説を作す、諸の信は皆愛なり。愛にして信に非ざるあり、謂わく染汙愛なりと。応に是の説を作すべし。信に二種あり、一は境に於いて唯信じて求めず、二には境に於いて亦た信じ亦た求む。是の故に此の中応に四句を作るべし、是れ信にして愛に非ざるあり、謂わく信じて求めず。是れ愛にして信に非ざるあり、謂わく染汙の愛なり。亦信にして亦愛なるあり、謂わく信じて亦求む、信に非ず愛に非ざるあり、謂わく前相を除く」と云えり。是れ信には唯信じて求めざると、信じて且つ求むるとの二種あり、其の中、唯信じて求めざるものは即ち信にして愛に非ず、信じて且つ求むるものは信にして亦愛なることを説けるものなり。然るに「倶舎論巻4」に、有説は有徳を忍許するを以って信となし、此の忍許を先として方に愛楽を生ずるが故に、愛は信に非ずとなすと云い、又「成唯識論巻6」には、信は愛楽を以って相となすと説かば、唯善に限らずして広く三性に通ずべしとなし、又一師が信は随順なりと説くを非し、若し印順の義ならば勝解にして信の因なり、楽順の義ならば即ち欲にして信の果なり。故に随順を以って信の義となすべからずと云えり。以って諸説の異同を見るべし。蓋し信は入道の初門なるが故に、五根五力の最初に各之を置き、又諸経論に信の発起を勧むるもの甚だ多し。「旧華厳経巻6賢首菩薩品」に、「信は道の元、功徳の母と為す。一切の諸の善法を増長し、一切の諸の疑惑を除滅し、無上道を示現し開発す。浄信は垢を離れて心堅固に、憍慢を滅除し、恭敬の本なり。信は是れ宝蔵第一の法なり、清浄の手と為りて衆行を受く。信は捨にして能く諸の染著を離れ、信は微妙甚深の法を解し、信は能く転勝して衆善を成じ、究竟じて必ず如来の処に至る」と云い、「大智度論巻1」に、「仏法の大海には信を能入となし、智を能度となす。如是の義は即ち是れ信なり。若し人、心中に信清浄なるものあらば、是の人は能く仏法に入る。若し信なければ是の人は仏法に入ること能わず」と云える如き皆其の説なり。又所信の法に関しては、「倶舎」等に四諦三宝善悪業果等の事理の法を挙ぐるも、「雑阿含経巻30」等には仏法僧及び聖戒の四証浄信を説き、「梁訳摂大乗論釈巻7」には信に三処あり、一に自性住仏性の実有を信じ、二に其の可得を信じ、三に無窮の功徳あることを信ずべしと云い、「大乗起信論」には真如及び仏法僧の四種に対して信心を起すべしとなし、曇鸞の「往生論註巻下」には三不三信を説き、善導の「観経散善義」には、人に就き行に就きて各其の信を立つべきことを明し、爾後浄土の諸家は信行具足を以って浄土往生の要諦となし、特に親鸞一派は信心為本の教旨を主張するに至れり。又「信力入印法門経巻2」、「品類足論巻3」、「大毘婆沙論巻42」、「顕揚聖教論巻1」、「大乗阿毘達磨蔵集論巻1」、「順正理論巻11」、「倶舎論光記巻4」、「成唯識論述記巻6本」、「大乗起信論義記巻上」、「百法問答鈔巻1」等に出づ。<(望)
  清浄(しょうじょう):梵語zuddhaの訳。巴梨語suddha、又は梵語zuddhi、巴梨語suddhi、或いは梵語vizuddha、巴梨語visuddha、或いは又梵語parizuddha、巴梨語parisuddha、又単に浄とも名づく。即ち汙穢不浄を遠離し、清白浄潔なるを云う。之に心清浄、身清浄、器世間清浄、自性清浄、離垢清浄等の別あり。「大品般若経巻16不退品」に、「須菩提、仏に白して言わく、世尊、云何が菩薩摩訶薩は身清浄を得、心清浄を得ん。仏言わく、菩薩摩訶薩は其の所得に随って善根を増益し、心曲心邪を滅除す、須菩提、是れを菩薩摩訶薩の身清浄と名づく。是の身心清浄を以っての故に、能く声聞辟支仏地を過ぎて菩薩位の中に入る」と云い、又「倶舎論巻16」に、「諸の身語意三種の妙行を身語意三種の清浄と名づく。暫と永とに一切の悪行と煩悩の垢を遠離するが故に名づけて清浄と為す」と云い、「華厳経探玄記巻4」に、「三業過なきを清浄と云う」と云えるは、心の邪曲を滅除し、煩悩悪行を遠離せるを身清浄心清浄と名づけたるなり。又無性の「摂大乗論釈巻2」には、煩悩の伏断に約して世間清浄出世間清浄の二種を分ち、「清浄に二あり、一に世間清浄は、有漏道を以って暫時現煩悩を損伏するが故なり。二に出世間清浄は、無漏道を以って畢竟じて彼の随眠を断滅せるが故なり」と云えり。是れ有漏道を以って一時煩悩を伏するを世間清浄とし、無漏道を以って畢竟じて煩悩を断ずるを出世間清浄となすなり。又「維摩経巻1仏国品」に、「其の心浄きに随って即ち仏土浄し」と云い、天親の「往生論」に、「此の清浄に二種あり。応に知るべし、何等か二種なる、一には器世間清浄、二には衆生世間清浄なり。器世間清浄とは、向に説くが如き十七種の荘厳仏土功徳成就なり、是れを器世間清浄と名づく。衆生世間清浄とは、向に説くが如き八種の荘厳仏功徳と四種の四種の荘厳菩薩功徳成就となり、是れを衆生世間清浄と名づく」と云えるは、即ち衆生及び国土の二種清浄を説けるものなり。又「究竟一乗宝性論巻4身転清浄成菩提品」には、心に自性清浄離垢清浄の別あることを説き、「清浄とは略して二種あり。何等をか二と為す、一には自性清浄、二には離垢清浄なり」と云い、「梁訳摂大乗論巻中」には、真実性に四種清浄の法あることを明し、「此の性の四種清浄の法とは、一に此の法は本来自性清浄なり、謂わく如如空実際無相真実の法界なり。二に無垢清浄とは、謂わく此の法は一切客塵の障垢を出離す。三に至得道清浄とは、謂わく一切の助道法及び諸波羅蜜等なり。四に道生境界清浄とは、謂わく正しく大乗法を説くなり」と云えり。此の中、自性清浄とは、法爾として自性本来清浄なるを云い、離垢清浄とは、客塵煩悩の障垢を離れて清浄なるを云い、至得道清浄とは、四念処等の助道法及び諸波羅蜜を云い、道生境界清浄とは修多羅十二部経等の資粮を云うなり。此の他、又諸経論に清浄の種別を説けるもの多し、「成実論巻1清浄品」に、戒品清浄、定品清浄、慧品清浄、解脱品清浄、解脱知見品清浄の五種清浄を挙げ、「顕揚聖教論巻3」に尸羅清浄、心清浄、見清浄、度疑清浄、道非道智見清浄、行智見清浄、行断智見清浄、無縁寂滅清浄、国土清浄の九種清浄を出し、「大乗本生心地観経巻7」に、三昧、智慧、神通、現身、及び多聞に各八種の清浄あることを説き、又吉蔵の「観無量寿経義疏」に、浄土に時節浄、化主浄、化処浄、教門浄、徒衆浄の五種の清浄ありとし、懐感の「釈浄土群議論巻1」に、亦浄土に真実浄相似浄、究竟浄非究竟浄等の別あることを明せる如き皆即ち其の説なり。又「大品般若経巻12歎浄品」、「大宝積経巻14、39」、「無上依経巻上」、「集異門足論巻6」、「大智度論巻63」、「瑜伽師地論巻74」、「摂大乗論釈巻4」、「往生論註巻下」、「成唯識論述記巻1本」、「華厳経疏巻33」等に出づ。<(望)
  神力(じんりき):又神通力とも称す。神を妙用不測の義と為し、通を通融自在の義と為し、力を力用の義と為す。謂わゆる不測の妙力の変ずること、融通自在なり。是れ定、慧に在り、定力の所生にして、慧に属すと為す。<(丁)
六欲天乃至遍淨天等。見諸阿羅漢皆取滅度。各心念言。佛日既沒種種禪定解脫智慧弟子光亦滅。是諸眾生有種種婬怒癡病。是法藥師輩今疾滅度誰當治者。無量智慧大海中生。弟子蓮華今已乾枯。法樹摧折法雲散滅。大智象王既逝象子亦隨去。法商人過去。從誰求法寶。 六欲天、乃至遍浄天等は、諸の阿羅漢の皆滅度を取れるを見て、各心に念じて言わく、『仏日既に没し、種種の禅定、解脱、智慧たる弟子の光も、亦滅せんとす。是の諸の衆生は、種種の婬怒癡の病有り、是の法の薬師輩、今、疾かに滅度せば、誰か当に治する者なる。無量の智慧の大海中に生ぜし弟子の蓮華は、今已に乾枯せり。法樹摧折し、法雲散滅す。大智の象王、既に逝き、象子も亦た随って去れり。法の商人過去れば、誰によってか、法宝を求めん。』と。
『六欲天、乃至遍浄天』等は、
諸の、
『阿羅漢』が、
皆、
『滅度を取る!』のを、
『見て!』、
各各、
『心に念じて!』、こう言った、――
『仏の日』が、
已に、
『没する!』と、
種種の、
『禅定、解脱、智慧』という、
『弟子の光』も、
『滅してしまった!』。
是の、
諸の、
『衆生』には、
種種の、
『婬、怒、癡』の、
『病』が、
『有る!』のに、
是の、
『法』の、
『薬師の輩』が、
今、
『疾(すみや)かに!』、
『滅度すれば!』、
誰が、
『治すことになるのか?』。
無量の、
『智慧の大海』中に、
『生じた!』、
『弟子の蓮華』は、
今、
『已に!』、
『乾枯した!』。
『法の樹』は、
『摧(くだ)けて!』、
『折れ!』、
『法の雲』は、
『散じて!』、
『滅した!』。
『大智の象王』は、
既に、
『逝き!』、
『象の子』も、
『随従して!』、
『去った!』。
『法の商人』が、
『過去れば!』、
誰から、
『法の宝』を、
『求めるのか?』、と。
  六欲天(ろくよくてん):欲界に存する六種の天の総称。即ち他化自在天、化楽天、兜率天、夜摩天、忉利天、四天王天なり。『大智度論巻9上注:他化自在天、化楽天、兜率天、夜摩天、忉利天、四天王天、同巻22下注:天』参照。
  遍浄天(へんじょうてん):色界第三静慮の最頂位となすべき天の名。『大智度論巻1上注:色界、同巻22下注:天』参照。
  婬怒癡(いんぬち):出世の善心を毒害する三種の煩悩の総称。又貪瞋癡等とも云う。『大智度論巻1上注:貪、同巻18上注:三毒、瞋、癡』参照。
  滅度(めつど):涅槃の岸に渡るの意。涅槃に同じ。『大智度論巻1上注:涅槃』参照。
  六欲天(ろくよくてん):欲界の六天。以下に示す中に四王天は須弥山の中腹に在り、忉利天は須弥山の頂上に在るが故にこれを地居天という。兜率天以上は空中に在るが故にこれを空居天という。
  (1)四王天(しおうてん):持国、広目、増長、多聞の四王故に四王天と名づく。
  (2)忉利天(とうりてん):三十三天と訳す。帝釈天を中央にして、四方に各八天有るが故に天数に従って三十三天と名づく。
  (3)夜摩天(やまてん):時分と訳す。彼の天中には時時に『快きかな』と唱うるが故に名づく。
  (4)兜率天(とそつてん):喜足と訳す。色声香味触の五欲の楽に喜足の楽を生じるが故に名づく。
  (5)楽変化天(らくへんげてん):五欲の境に自ら楽しんで変化するが故に名づく。
  (6)他化自在天(たけじざいてん):五欲の境に於いて他をして自在に変化せしむるが故に名づく。
如偈說
 佛已永寂入涅槃 
 諸滅結眾亦過去 
 世界如是空無智 
 癡冥遂增智燈滅
偈に説くが如し、
仏已に永寂して涅槃に入る
諸の滅結の衆も亦た過去れり
世界は是の如く空しくして無智なり
癡冥遂増して智灯滅せり
譬えば、
『偈』に、こう説く通りである、――
『仏』は、
既に、
『永く滅して!』、
『涅槃に入り!』、
諸の、
『結使』を、
『滅した!』、
『弟子衆』も、
亦た、
『過去った!』。
『世界』は、
是のように、
『空しく!』、
『無智である!』。
『愚癡』の、
『冥(暗がり)』が、
『次第に増してくる!』のに、
『智慧』の、
『灯』は、
『滅してしまった!』、と。
  永寂(ようじゃく):永久に寂滅する。
  滅結(めっけつ):結使を滅した者の意。煩悩のない人。
  癡冥(ちみょう):愚癡を闇冥に喩える。
  遂増(ずいぞう):増してきわまる。いやます。
  智灯(ちとう):智慧を灯明に喩える。
爾時諸天禮摩訶迦葉足。說偈言
 耆年欲恚慢已除 
 其形譬如紫金柱 
 上下端嚴妙無比 
 目明清淨如蓮華
如是讚已。白大迦葉言。大德迦葉。仁者知不。法船欲破法城欲頹。法海欲竭法幢欲倒。法燈欲滅說法人欲去。行道人漸少。惡人力轉盛。當以大慈建立佛法
爾の時、諸天、摩訶迦葉の足を礼して、偈を説いて言わく、
耆年は欲恚慢已に除こり
其の形譬えば紫金の柱の如し
上下の端、厳、妙なること比(たぐい)無く
目の明るく清浄なること蓮華の如し
是の如く讃じ已りて、大迦葉に白して言わく、『大徳迦葉、仁者(なんじ)知るや不や。法船の破れんと欲し、法城の頽れんと欲し、法海の竭(かわ)かんと欲し、法幢の倒れんと欲し、法灯の滅せんと欲し、法を説く人の去らんと欲するに、道を行ずる人の漸く少なく、悪人の力転(うた)た盛んなるを。当に大慈を以って、仏法を建立すべし。』と。
爾の時、
諸の、
『天』は、
『摩訶迦葉』の、
『足』を、
『礼し!』、
『偈を説いて!』、こう言った、――
『耆年(長老)』は、
『欲、恚、慢』が、
『已に!』、
『除かれ!』、
其の、
『形(姿)』は、
『紫金の柱のようだ!』。
『身の上、下』の、
『端正、厳浄、微妙』には、
『比(たぐい)』が、
『無く!』、
『目』は、
『明るく!』、
『蓮華のように!』、
『清浄だ!』、と。
是のように、
『讃じる!』と、
『大迦葉』に白して、こう言った、――
大徳迦葉!
あなたは、知らないのか?――
『法』の、
『船』は、
『破れようとし!』、
『法』の、
『城』は、
『崩れようとし!』、
『法』の、
『海』は、
『竭(かわ)こうとし!』、
『法』の、
『幢(旗竿)』は、
『倒れようとし!』、
『法』の、
『灯』は、
『滅しようとし!』、
『法を説く!』、
『人』は、
『去ろうとし!』、
『道を行く!』、
『人』は、
『次第に少なく!』、
『悪人』の、
『力』は、
『益々盛んになる!』のを。
当然、
『大慈を発(おこ)して!』、
『仏の法』を、
『建立せねばならぬ!』、と。
  耆年(ぎねん):梵語sthaviraの訳。尊敬すべきの義。『大智度論巻42下注:長老』参照。
  欲恚慢(よくいまん):貪瞋癡、或いは婬怒癡に凡ぼ同じ。『大智度論巻1注:貪、巻18上注:三毒、瞋、癡、巻49下注:慢』参照。
  紫金(しこん):梵語suvarNaの訳。金の義。上質の金には紫焔気を帯ぶるものあるによりこの名あり。『大智度論巻9上注:閻浮檀金』参照。
  (たん):端正/傾斜しないこと( upright, strait )、端緒/始め/終り( extremity, beginning, end )。
  (ごん):厳格/厳正/厳重( severe, strict, tight )。
  大徳(だいとく):梵語bhadantaの訳。大いに徳行ある者の意。原、これを仏を称する名と為すも、律中に在りては則ち比丘の称と為す。『大智度論巻8上注:大徳』参照。
  仁者(にんじゃ):仁徳の有る人。
  (たい):崩壊。
  法幢(ほうどう):法を幢に喩える。幢は柱状のはた、軍の指揮に用いる。
爾時大迦葉心如大海澄靜不動。良久而答。汝等善說實如所言。世間不久無智盲冥。於是大迦葉默然受請。爾時諸天禮大迦葉足。忽然不現各自還去。 爾の時、大迦葉は、心大海の澄静なるが如く不動なり、良(やや)久しくして、答うらく、『汝等、善く説けり。実に言う所の如し。世間は、久しからずして、無智、盲冥とならん。』と。是(ここ)に於いて大迦葉、黙然として請を受く。爾の時、諸天、大迦葉の足を礼して、忽然と現われず、各自ら還り去れり。
爾の時、
『大迦葉の心』は、
『大海のように!』、
『澄んで静かであり!』、
『動かなかった!』が、
『やや久しくして!』、こう答えた、――
お前たちは、
『善く!』、
『説いた!』。
実に、
お前たちの言うように、――
『世間』は、
『久しからずして!』、
『無智の盲冥(闇冥)となるだろう!』、と。
是の時、
『大迦葉』は、
『黙然として!』、
『請(請願)』を、
『受けた(受諾した)!』。
爾の時、
『諸天』は、
『大迦葉』の、
『足』を、
『礼して!』、
忽然として(フッと)、
『見えなくなり!』、
各各、
自ら、
『還り去った!』。
  澄静(ちょうじょう):水が澄んで波立たず、静かなるさま。
  (ろう):善良/親切( good and honest, kindhearted )、良好( good, fine, nice )、優秀( excellent )、和悦/温和/親切( amiable, amicable, genial )、長い/久しい/深い( long, deep )、誠実( honest )、極めて/非常に( truly, very )、確実/果然( certainly )、首/頭( head )、首領/首長( boss, chief, chieftain )、墳墓( grave )、良民/公民( law-abiding people )、高く評価する( have a high opinion of )、可能( can )、得意( be good at )。
  良久(ろうく):稍久しく/かなり長い間( quite a while )。
  盲冥(もうみょう):目無きがごとく薄暗いさま。
  黙然(もくねん):請を受くる時、無言を以って承諾の意を示す。『大智度論巻41下注:黙然』参照。
  忽然(こつねん):たちまち。とつぜん。
是時大迦葉思惟。我今云何使是三阿僧祇劫難得佛法而得久住。如是思惟竟。我知是法可使久住。應當結集修妒路阿毘曇毘尼作三法藏。如是佛法可得久住。未來世人可得受行。所以者何。佛世世勤苦慈愍眾生故。學得是法為人演說。我曹亦應承用佛教宣揚開化。 是の時、大迦葉の思惟すらく、『我れは今、云何が是の三阿僧祇劫にも得難き、仏法をして、久住するを得しめん。』と。是の如く思惟し竟りぬ、『我れ知る、是の法は、久住せしむべし。応当(まさ)に修妒路、阿毘曇、毘尼を結集して、三法蔵と作し、是の如くせば、仏法は久住するを得べく、未来世の人は受けて行ずるを得べし。所以は何んとなれば、仏は、世世に勤苦して、衆生を慈愍するが故に、是の法を学び得て、人の為に演説したまえばなり。我曹(われら)も亦た応に仏の教を承用して、宣揚開化すべし。』と。
是の時、
『大迦葉』は、
こう思惟した、――
わたしは、
今、
何うすれば、
是の、
『三阿僧祇劫』にも、
『得難い!』、
『仏法』を、
『久住させられるのか?』、と。
是のように思惟すると、――
わたしは、知っている、――
是の、
『法』は、
『久住させねばならない!』。
当然、
『修妒路(経蔵)』、
『阿毘曇(論蔵)』、
『毘尼(律蔵)』を、
『結集して!』、
『三法蔵』を、
『作らねばならぬ!』。
是のようにして、
『仏法』を、
『久住させられれば!』、
『未来世の人』も、
『受持して!』、
『修行できるだろう!』。
何故ならば、
『仏』は、
『世世に勤苦して!』、
『衆生』を、
『慈愍する!』が故に、
是の、
『法』を、
『学んで!』、
『得られ!』、
『人』の為めに、
『演説されたのであり!』、
わたし達も、
亦た、
『仏の教』を、
『承()け!』、
『用いて!』、
『人』の為めに、
『宣揚(宣伝挙揚)し!』、
『開化(化導)せねばならぬ!』。
  久住(くじゅう):梵語 cira- sthitika の訳、永続して住まること/永久に存続すること( long existing, lasting a long existing )。
  修妒路(しゅとろ):梵名suutra、経、契経等と訳す。十二部経の一。修妒路蔵は三蔵の一。『大智度論巻1上注:三蔵、同巻22上注:十二部経』参照。
  阿毘曇(あびどん):梵名abhidharma、論と訳す。阿毘曇蔵は三蔵の一。『大智度論巻1上注:三蔵』参照。
  毘尼(びに):梵名vinaya、律と訳す。毘尼蔵は三蔵の一。『大智度論巻1上注:三蔵』参照。
  結集(けつじゅう):むすび集める。一処に集めること。
  勤苦(ごんく):苦労。苦心。
  慈愍(じみん):いつくしんで憐れむ。
  演説(えんぜつ):延べ説くこと。敷衍して説明すること。
  承用(じょうゆう):受け取りて用いる。
  宣揚(せんよう):さかんにする。広く世に顕わす。
  開化(かいけ):智慧の目を開かしめて悪を善に変化せしむ。
是時大迦葉作是語竟。住須彌山頂。撾銅揵稚。說此偈言
 佛諸弟子  若念於佛 
 當報佛恩  莫入涅槃
是の時、大迦葉は、是の語を作し竟ると、須弥山頂に住(とど)まり、銅の揵稚を撾(う)ちて、此の偈を説いて言わく、
仏の諸の弟子よ、若し仏を念ぜば、
当に仏の恩に報ゆべし、涅槃に入る莫かれ
是の時、
『大迦葉』は、
是のように、
『言い終る!』と、
『須弥山頂に住まって!』、
『銅の揵稚()』を、
『撾()ち!』、
『偈』を説いて、こう言った、――
『仏』の、
『諸の弟子』は、
若し、
『仏』を、
『念じるならば!』、
当然、
『仏の恩』に、
『報いねばならぬ!』。
皆、
『涅槃』に、
『入るな!』。
  揵稚(けんち):梵語ghaNTaaの訳。巴梨名同じ、又揵遅、犍地、揵抵、揵植、揵槌、揵鎚に作る。揵椎に作るは非なり。時を報ずる器具。「増一阿含経巻14」に、「尊者阿難此の語を聞き已りて、歓喜踊躍自ら勝ゆる能わず、即ち講堂に昇りて手に揵稚を執り、並びに是の説を作す、我れ今此の如来の信鼓を撃つ。諸の有らゆる如来の弟子衆は尽く当に普集すべし」と云い、「五分律巻18」に、諸の比丘布薩の時、肯て時に集まらず、坐禅行道を廃せしを以って、仏乃ち時の至れるを唱えしめんが為に、若しは揵稚を打ち、若しは鼓を打ち、若しは螺を吹かしめ、唯だ三通打すべきを命じ給いしと云える是れなり。又「玄応音義巻1」には、「揵稚は経中に或は揵遅に作る。案ずるに梵本には臂吒揵稚とあり、臂吒は此に打と云う、揵稚は所打の木なり。或は檀、或は桐、此に正翻なし。彼に鐘磐なきを以っての故なり。但し椎と稚と相濫ず。所以に誤をなすこと已に久し」と云えり。本と木製にして、後世の所謂板(ハン)の如きものなりしが如く、「五分律巻18」にも、「諸の比丘、何の木を以って揵稚を作るべきかを知らず、是を以って仏に白す。仏言わく、漆樹毒樹を除いて余木の鳴るものは作ることを聴す」とあり。然るに「大智度論巻2」に、大迦葉は須弥山頂に往きて銅の揵稚を撾つと云えば、後世には銅製のものもありしを知るべし。又「梵文法華経にcatur dizaM……evaM ghaNTayaa ghoSaapayitavaan(斯の如く揵稚によりて四方に宣言せり)とあるを、之に相当する「法華経巻4提婆達多品」に、「鼓を撃ちて四方に宣令す」と訳し、「正法華経巻6七宝塔品」に、「鼓を撃ち鐸を振りて華裔に宣令す」と云い、又「薩曇分陀利経」に、「鼓を撾ち鈴を揺り、自ら身を衒えて言わく」と翻ぜり。又「梵文法華経」にpaTTa-ghaNTaa(板揵稚)とあるを、「法華経巻4見宝塔品」には之を宝鈴と訳せり。されば揵稚は鼓、鈴又は鐸等と訳されたるが如し。但し「四分律行事鈔巻上」に、「揵稚は此に磐と名づく。亦名づけて鐘となす」と云うは正しからざるべし。「大比丘三千威儀巻下」に、五事に揵稚を打つべきことを明し、「一には当に会すべし、二には当に会して読経すべし、三には布薩、四には僧を会して飯せしむ、五には一切の非常なり」と云い、更に此等各時の打法を記し、又「四分律疏飾宗記巻8本」にも其の打法を説き、「創め疎にして軽く、漸く急ににして重く、将に了せんと欲する時漸く細にして漸く没す。名づけて一通と為し、是の如く三たびに至るを名づけて三通と曰う。是の後の通に於いて声没するの次、大に打つこと三下、或いは二、或いは一、以って声の絶ゆるを表す」と云えり。又「自誓三昧経」、「楽瓔珞荘厳方便経」、「薩婆多毘尼毘婆沙巻4」、「四分律巻35」、「同行事鈔資持記巻上1之4」、「同刪補随機羯磨疏巻1下」、「同開宗記巻7末」、「玄応音義巻14、16、20」、「慧琳音義巻34、51、80」、「翻訳名義集巻18」等に出づ。<(望)
是揵稚音大迦葉語聲。遍至三千大千世界。皆悉聞知。諸有弟子得神力者。皆來集會大迦葉所。 是の揵稚の音と、大迦葉の語声とは、遍く三千大千世界に至り、皆、悉く聞き知れり。諸の有らゆる弟子は、神力を得たる者なれば、皆来集して、大迦葉の所に会せり。
是の、
『揵稚の音』と、
『大迦葉の語る声』とは、
遍く、
『三千大千世界』に、
『至り!』、
皆悉く、
『聞いて!』、
『知り!』、
諸の、
有らゆる、
『弟子』の、
『神力を得た!』者は、
皆、
『来て!』、
『大迦葉の所』に、
『集会した!』。
爾時大迦葉告諸會者。佛法欲滅。佛從三阿僧祇劫。種種勤苦慈愍眾生學得是法。佛般涅槃已。諸弟子知法持法誦法者皆亦隨佛滅度。法今欲滅。未來眾生甚可憐愍。失智慧眼愚癡盲冥。佛大慈悲愍傷眾生。我曹應當承用佛教。須待結集經藏竟。隨意滅度。 爾の時、大迦葉の諸の会者に告ぐらく、『仏法滅せんと欲す。仏は三阿僧祇劫より、種種勤苦し衆生を慈愍して、是の法を学び得たまえり。仏、般涅槃したまえるに、諸の弟子の法を知り、法を持(たも)ち、法を誦す者は、皆、亦た仏に随いて滅度せり。法は、今にも滅せんと欲す。未来の衆生は、甚だ憐愍すべし、智慧の眼を失いて愚癡盲冥たり。仏は大慈悲もて、衆生を愍傷し、我曹は、応当に仏の教を承用して、経蔵を結集し竟るを須待し、意の随(まま)に滅度すべし。』と。
爾の時、
『大迦葉』は、
諸の、
『集会の者』に、こう告げた、――
『仏法』は、
『滅しようとしている!』。
『仏』が、
『三阿僧祇劫』に、
種種に、
『勤苦して!』、
『衆生』を、
『慈愍する!』が故に、
是の、
『法』を、
『学んで!』、
『得られた!』が、
『仏』が、
『滅度される!』と、
諸の、
『弟子』の、
『法を知り!』、
『法を持ち!』、
『法を誦す!』者も、
皆、
『仏』に、
『随って!』、
『滅度した!』。
『法』は、
今、
『滅しようとしている!』。
『未来』の、
『衆生』は、
『甚だ哀れである!』、――
『智慧』の、
『眼』を、
『失って!』、
『愚癡』に、
『盲いて!』、
『頑迷となっている!』。
『仏』は、
『大慈悲』で、
『衆生』を、
『愍傷された!』、――
わたし達も、
『仏の教』を、
『承けて!』、
『用い!』、
『経蔵』の、
『結集し終る!』のを、
『待ってから!』、
『意のままに!』、
『滅度しよう!』。
  会者(えしゃ):集会の衆。
  憐愍(れんみん):憐れみ憂う。
  愚癡(ぐち):おろか。道理に暗いこと。『大智度論巻18上注:癡』参照。
  (みょう):薄暗い/智慧の明を失って暗い。
  愍傷(みんしょう):哀れみいたむ。
  須待(しゅたい):まつ。
諸來眾會皆受教住。爾時大迦葉選得千人。除善阿難。盡皆阿羅漢得六神通。得共解脫無礙解脫。悉得三明禪定自在。能逆順行諸三昧皆悉無礙。誦讀三藏知內外經書。諸外道家十八種大經盡亦讀知。皆能論議降伏異學。 諸の衆会に来たるもの、皆、教を受けて住(とど)まれり。爾の時、大迦葉、千人を選び得るに、善阿難を除き、尽く皆、阿羅漢にして、六神通を得、共解脱、無礙解脱を得、悉く三明を得、禅定の自在なること、能く逆、順に行じ、諸の三昧は、皆、悉く無礙なり。三蔵を誦読し、内外の経書を知り、諸の外道家の十八種の大経を尽く亦た読知りて、皆能く論義して、異学を降伏せり。
諸の、
『来会の者』たちは、
皆、
『教を受けて!』、
『住まった!』。
爾の時、
『大迦葉』は、
『千人』を、
『選んで!』、
『得た!』が、
『善良な阿難』を、
『除いて!』、
『尽く!』、
皆、
『阿羅漢であり!』、
『六神通を得て!』、
『九解脱、無礙解脱を得ており!』、
悉く、
『三明、禅定の自在を得て!』、
諸の、
『三昧』を、
『逆に行うこともでき!』、
『順に行うこともでき!』、
悉くに、
『無礙であり!』、
『三蔵』を、
『誦読して!』、
『内外』の、
『経書を知り!』、
諸の、
『外道の家』の、
『十八種の大経』も、
尽く、
『読んで!』、
『知り!』、
諸の、
『外道の異学』を、
皆、
『論義して!』、
『降伏させることができた!』。
  衆会(しゅえ):梵語 pariSad, parSad の訳、取り囲む( surrounding, besetting )の義、集会/会合/集団/仲間/聴衆/会議( an assembly, meeting, group, circle, audience, council )の意。
  除善阿難(ぜんあなんをのぞく):善良なる阿難の意。阿難の仏に近侍すること多年なるも、其の間一度として、悪心を起さざるに由る。善阿難の語他より得られざるに、或いは美しき阿難の意なりや。蓋し阿難は仏の十大弟子の一、全て称すれば阿難陀(あなんだ)と云い、歓喜と訳す。仏の従弟。出家して後の二十余年の間、弟子として常に仏に随い、善く記憶して、仏の説法に対すること多く、善く朗々と記誦したるが故に多聞第一と称さる。阿難の天性は容貌端正にして面貌は満月の如く、眼は青蓮花の如く、その身光は浄らかで明鏡の如きなるが故に、出家の後も、却ってしばしば婦女の誘惑に遭うが、阿難は志操堅固にして遂に梵行を全うしたるを云えるものならん。又一本には、除去阿難とあれば、或いは是れ正翻なりや、委細審議すべからず。『大智度論巻24下注:阿難』参照。
  六神通(ろくじんづう):仏菩薩、或いは阿羅漢の有する六種の神力。『大智度論巻18下注:六神通』参照。
  共解脱(くげだつ):煩悩、及び解脱の二障を併せ断ずるの意。『大智度論巻18(下)注:解脱』参照。
  無礙解脱(むげげだつ):唯仏のみ煩悩障礙、定障礙、一切法障礙の三種の礙を解脱せりの意。『大智度論巻18下注:解脱、同巻21下注:無礙解脱』参照。
  三明(さんみょう):三種の明の意。無学位に至りて愚闇を除尽し、三事に於いて通達無礙なる智明の意。即ち一に宿命智証明、二に生死智証明、三に漏尽智証明なり。『大智度論巻16下注:三明』参照。
  禅定(ぜんじょう):禅と定の総称。共に心を一境に専注して散乱せざらしむの意。『大智度論巻6下注:禅定、同巻7下注:四禅、同巻17上注:禅、同巻17下注:定』参照。
  逆順行(ぎゃくじゅんにぎょうず):四禅の定を行ずるに、初禅より順に次第に四禅に入り、四禅より逆に次第して初禅に入ることを云う。『大智度論巻7下注:四禅』参照。
  三昧(さんまい):梵語samadhi。心の一境に住して動かざる状態を云う。『大智度論巻20上注:三昧』参照。
  内外経書(ないげのきょうしょ):仏典と、外道の経書を云う。
  十八種大経(じゅうはっしゅのだいきょう):外道の信奉する経に十八種の別あることを云う。『大智度論巻25上注:十八大経』参照。
  六神通(ろくじんつう):六種の神通力。(1)神足通:如意ともいい、これに三種有り、(i)能到:即時に何処にでも行くことが出来る能力。(ii)転変:即座に何にでも姿を変える能力。(iii)聖如意:外の六塵中の愛すべからざる不浄物も、よく観察して浄ならしめ、愛すべき浄物も、よく観察して不浄ならしむ、事物の本質を見る能力。『大智度論巻5』参照。(2)天眼通:世間の全てを見通す能力。(3)天耳通:世間の全てを聞く能力。(4)他心通:他の心を全て知る能力。(5)宿命通:自他の過去世を全て知る能力。(6)漏尽通:煩悩が全くないこと。
  共解脱(くげだつ):心が貪愛等の繋縛を離れるのを心解脱といい、慧で無明煩悩を離れるを慧解脱というとき、心慧共に解脱するを共解脱という。無明は十二因縁の第一で、我の存在を妄信する第一原因。
  無礙解脱(むげげだつ):煩悩の障、禅定の障、一切法(万物)の障等の一切の障礙(しょうがい)を離れ、自由自在であること。
  三明(さんみょう):阿羅漢の智慧の力で闇を照らす三種の神通力。(1)宿命明、自他の過去世の生死の相を知る。(2)天眼明、自他の未来世に於ける生死の相を知る。(3)漏尽明、現在の苦の相を知り、一切の煩悩を尽くす智慧。『大智度論巻2、巻4』参照
  十八種大経:外道の学問の基本をなす十八種の経典。四吠陀(べいだ)、六論、八論の総称にして婆羅門の修めるべき学問の全体。(1)利倶(りぐ)吠陀:太古よりの賛美歌の集成。(2)撒買(さんまい)吠陀:賛歌に音楽を付して祭式に実用したもの。(3)亜求羅(あぐら)吠陀:季節ごとの祭祀の時の散文による呪文を集めたもの。(4)加阿他羅滑(かあたらかつ)吠陀:さまざまな災難から遁れる呪文等の日常の祈念に用いる祭歌などを集めたもの。(5)式叉(しきしゃ)論:六十四種の能法(のうほう、技芸学問)を釈す。(6)毘伽羅(びから)論:諸音声の法を釈す。(7)柯刺波(からは)論:諸天、仙人の上古以来の因縁と名字を釈す。(8)竪底沙(じゅていしゃ)論:天文地理算数等の法を釈す。(9)闡陀(せんだ)論:仏弟子、五通の仙人等を偈によって説く。(10)尼鹿多(にろくた)論:一切の物名を立て因縁を釈す。(11)肩亡婆(けんもうば)論:諸法の是非を簡単に釈す。(12)那邪毘薩多(なじゃびさった)論:諸法の道理を明かす。(13)伊底呵婆(いていかば)論:伝記、宿世の事を明かす。(14)僧佉(そうきゃ)論:二十五諦なる者を明かす。(15)課伽(かが)論:心を摂する法を明かす。(16)陀菟(だつ)論:用兵の法を釈す。(17)揵闥婆(けんだつば)論:音楽の法を明かす。(18)阿輸(あゆ)論:医方なる者を明かす。<(丁)
問曰。是時有如是等無數阿羅漢。何以故正選取千人不多取耶。 問うて曰く、是の時には、是の如き等の無数の阿羅漢有り。何を以っての故にか、正しく千人を選び取りて、多く取らざるや。
問い、
是の時、
是れ等のような、
『阿羅漢』が、
『無数』に、
『有った!』のに、
何故、
正しく、
『千人』を、
『選取して!』、
而も、
『多く!』を、
『取らなかったのですか?』。
答曰。頻婆娑羅王得道。八萬四千官屬亦各得道。是時王教敕宮中。常設飯食供養千人。阿闍貰王不斷是法。 答えて曰く、頻婆娑羅王道を得て、八万四千の官属も、亦た各道を得たり。是の時、王、宮中に教勅して、常に飯食を設けて、千人を供養し、阿闍世王も、是の法を断たざり。
答え、
『頻婆娑羅王』が、
『道』を、
『得る! 』と、
亦た、
『八万四千』の、
『官属』も、
各、
『道』を、
『得ることになった!』。
是の時、
『王』は、
『宮』中に、
『教勅して(命じて)!』、
『飯食』を、
『常設させ!』、
『千人』の、
『比丘』を、
『供養したのである!』が、
『阿闍世(頻婆娑羅の太子)王』も、
是の、
『法(千人供養)』を、
『断絶させなかった!』。
  頻婆娑羅王(びんばしゃらおう):頻婆娑羅bimbisaaraは梵名。仏在世時に中印度摩揭陀国に君臨せし王の名。『大智度論巻17上注:頻婆娑羅王』参照。
  教勅(きょうちょく):教え諭して命じる。
  飯食(ぼんじき):食事。
  供養(くよう):梵語puujanaaの訳。供給資養の義。また給施、供給、或は略して供とも称す。即ち飲食衣服等の物を以って、仏法僧の三宝及び父母師長亡者等に供給しこれを資養するを云う。『大智度論巻33上注:供養』参照。
  阿闍貰王(あじゃせおう):阿闍貰ajaatazatruは梵名。中印度摩竭陀国の王。前国王頻婆娑羅の太子。『大智度論巻26下注:阿闍世』参照。
爾時大迦葉思惟言。若我等常乞食者。當有外道強來難問廢闕法事。今王舍城。常設飯食供給千人。是中可住結集經藏。以是故選取千人。不得多取。 爾の時、大迦葉の思惟して言わく、『若し、われ等、常に乞食せば、当に外道の強いて来たりて、難問する有りて、法事を廃欠すべし。今、王舎城には、常に飯食を設けて、千人に供給す。是の中に住まりて、経蔵を結集すべし。』と。是を以っての故に、千人を選び取りて、多く取るを得ざりき。
爾の時、
『大迦葉』は、
『思惟して!』、こう言った、――
若し、
わたし達が、
『常に!』、
『乞食していれば!』、
有る、
『外道』が、
『強いて来て!』、
『難問(問答)し!』、
『法』の、
『事(仕事)』は、
『廃欠(廃止)させられるだろう!』。
今、
『王舎城』には、
『飯食を常設して!』、
『千人』に、
『供給している!』ので、
是の中に、
『住まり!』、
『経蔵』を、
『結集するのがよかろう!』、と。
是の故に、
『大迦葉』は、
『千人』を、
『選び取り!』、
『多く!』を、
『取れなかったのである!』。
  廃欠(はいけつ):やめてうしなう。毀損して喪失する。
  供給(くきゅう):供養に同じ。
是時大迦葉與千人俱到王舍城耆闍崛山中。告語阿闍世王。給我等食日日送來。今我曹等結集經藏不得他行。 是の時、大迦葉は、千人と倶(とも)に、王舎城の耆闍崛山中に到り、阿闍世王に告げて語らく、『我等に食を給し、日日送り来たれ。今我曹等、経蔵を結集すれば、他行を得ず。』と。
是の時、
『大迦葉』は、
『千人』と倶に、
『王舎城』に、
『到り!』、
『阿闍世』に告げて、こう語った、――
わたし達に、
『食を給(あた)え!』、
『日日』、
『送ってください!』。
わたし達は、
今、
『経蔵を結集している!』ので、
『他の事』は、
『行えません!』、と。
  耆闍崛山(ぎじゃくっせん):耆闍崛gijjha-kauuTaは巴梨名。中印度摩揭陀国王舎城の東北に位する山の名。釈尊在世時の精舎の地。『大智度論巻27下注:耆闍崛山』参照。
是中夏安居三月初十五日說戒時。集和合僧。大迦葉入禪定。以天眼觀今是眾中誰有煩惱未盡。應逐出者。唯有阿難一人不盡。餘九百九十九人。諸漏已盡清淨無垢。 是の中に、夏安居すること三月、初の十五日の説戒の時、和合僧を集む。大迦葉は、禅定に入り、天眼を以って観るらく、『今是の衆中の誰か、煩悩有りて未だ尽きず、応に逐出すべき者なる。唯だ阿難一人のみ尽きざる有り。余の九百九十九人は、諸漏已に尽き、清浄無垢なり。』と。
是の、
『王舎城』中の、
『夏安居の三月』の、
初の、
『十五日毎の説戒の時』、
『大迦葉』は、
『和合僧を集める!』と、
『禅定』に、
『入り!』、
『天眼』で、こう観察した、――
今の、
是の、
『衆』中の、
誰が、
『煩悩が有るのか?』、
『漏(煩悩)が尽きていないのか?』、
誰を、
『逐出(駆逐)せねばならぬのか?』。
唯()だ、
『阿難』の、
『一人のみ!』は、
『尽きていない!』が、
余の、
『九百九十九人』は、
『諸漏』が、
『已に、尽きており!』、
『清浄・無垢である!』、と。
  夏安居(げあんご):梵語vaaSikaの訳。雨期の義。又安居とも云う。即ち仏弟子が雨季の三ヶ月間(四月十六日乃至七月十六日)を定めて一所に居止し、静かに道心を修養するを云う。『大智度論巻32下注:安居』参照。
  説戒(せっかい):梵語布薩poSadhaの訳。即ち毎半月十五日等に集会し、各罪過を懺悔して清浄に住するを云う。『大智度論巻13下注:布薩』参照。
  和合僧(そう):梵語僧佉saMghaを和合と訳す。即ち梵漢併挙の称なり。又単に僧とも云う。三人以上の仏弟子の一処に於いて和合するの意。『大智度論巻26上注:僧』参照。  天眼(てんげん):梵語divya-cakSusの訳。五眼の一。即ち色界諸天の眼にして人中には色界の禅定を修めるに由り、之を得べし。遠近、内外、昼夜を問わず、皆能く見ることを得。『大智度論巻5上注:天眼』参照。
  (ろ):梵語aasravaの訳。漏泄の意。諸の煩悩の異名。『大智度論巻20下注:漏』参照。
  夏安居(げあんご):印度では雨季の三ヶ月間(四月十六日乃至七月十六日)は旅ができないので、この間は諸国を遊行せずに過ごす。
  三月初十五日:印度の暦法では一月を半月半月とし、初の十五日間を白月、後の十四日乃至十五日間を黒月と称す。
  説戒(せっかい):梵にposadha、upavasatha、upoSadha、upavaasaに作り、音訳して優波婆素陀、優婆娑、布薩陀婆、布灑他、布沙他、鄔波婆沙、逋沙陀、褒灑陀、烏逋沙他、布薩等に作り、意訳して長浄、長養、増長、善宿、浄住、長住、近住、共主、断、捨、斉、断増長等と為し、或いは説戒と称して、即ち比丘の威儀作法の一なり。同住の比丘は半月ごとの終りに、即ち白月であれば十五日に、黒月であれば十四日または十五日に大衆が集まって戒経を読み、半月の間に犯した罪を反省して、その罪を告白し、罪に応じた罰を受け、善を長じて悪を除くものなり。この説戒は秘密なれば、受戒の比丘以外は聴くことを許されず。<(望)
大迦葉從禪定起。眾中手牽阿難出言。今清淨眾中結集經藏。汝結未盡不應住此。 大迦葉は、禅定より起ちて、衆中より手もて、阿難を牽き出して言わく、『今、清浄の衆中に経蔵を結集せんとするに、汝が結、未だ尽きず。応に此に住まるべからず。』と。
『大迦葉』は、
『禅定』より、
『起つ!』と、
『衆』中より、
『手』で、
『阿難』を、
『牽()き出して!』、
こう言った、――
今、
『清浄の衆』中に、
『経蔵』を、
『結集しようとする!』のに、
お前の、
『結(煩悩)』は、
『未だ尽きていない!』、
お前が、
『此処に!』、
『住まっていてはならぬのだ!』、と。
  (けつ):梵語bandhanaの訳。結縛の義。煩悩の異名。衆生を結縛して生死を出でざらしむの意。『大智度論巻41下注:結』参照。
是時阿難慚恥悲泣而自念言。我二十五年。隨侍世尊供給左右。未曾得如是苦惱。佛實大德慈悲含忍。念已白大迦葉言。我能有力久可得道。但諸佛法阿羅漢者。不得供給左右使令。以是故我留殘結不盡斷耳。 是の時、阿難は慚恥し悲泣して、自ら念じて言わく、『我れ二十五年、世尊に随侍し、供給し、左右せしも、未だ曽て是の如き苦悩を得ざりき。仏は実に大徳にして、慈悲もて含忍したまえり。』と。念じ已りて大迦葉に白して言わく、『我れは能く力有りて、久しく道を得べかりき。但だ諸仏の法には、阿羅漢なる者は、供給し、左右し、使令するを得ず。是を以っての故に、我れは結を留残し、尽くは断せざるのみ。』と。
是の時、
『阿難』は、
『恥じ入り!』、
『悲しんで!』、
『泣きながら!』、
自ら、
『念じて!』、こう言った、――
わたしは、
『二十五年』
『世尊に随侍し!』、
『左右』に、
『供給(給仕)してきた!』が、
未だ、
曽て、
是のような、
『苦悩』を、
『得たことはなかった!』。
『仏』は、
実に、
『大徳であり!』、
『慈悲』で、
『含忍(忍受)されていたのだ!』、と。
こう念じ終ると、――
『大迦葉』に白して、こう言った、――
わたしは、
久しく、
『道を得るだけ!』の、
『力が有った!』が、
但だ、
『諸仏の法』では、――
『阿羅漢』は、
『左右に供給したり!』、
『使令することができない!』ので、
是の故に、
わたしは、
『結』を、
『留めて!』、
『残し!』、
『全部』を、
『断じなかっただけである!』、と。
  慚恥(ざんち):はじる。
  悲泣(ひきゅう):悲しみてなく。
  随侍(ずいじ):したがい侍る。近侍。
  供給(くきゅう):給仕する。
  左右(さゆう):身の回りの世話をする。
  含忍(ごんにん):心に懐く忍情を表に現さないこと。
  使令(しりょう):人を使い命令する。
  留残(るざん):とどめ残す。
  尽断(じんだん):断じつくす。断尽に同じ。
  不得(ふとく):かなわない。不適。契合しない。
大迦葉言。汝更有罪。佛意不欲聽女人出家。汝慇懃勸請佛聽為道。以是故佛之正法五百歲而衰微。是汝突吉羅罪。 大迦葉の言わく、『汝は更に罪有り、仏の意は、女人の出家を聴(ゆる)すを欲したまわず。汝が慇懃に勧請したれば、仏は道を為すを聴したまえり。是を以っての故に、仏の正法は五百歳にして、衰微せん。是れ汝が突吉羅の罪なり。、
『大迦葉』は、
こう言った、――
お前には、
『更に!』、
『罪が有る!』。
『仏の意』には、
『女人』が、
『出家する!』ことを、
『聴(ゆる)されなかった!』のに、
お前が、
『熱心に!』、
『勧請した!』ので、
『仏』は、
『聴して!』、
『道と為されたのだ!』。
是の故に、
『仏』の、
『正法』が、
『五百歳』で、
『衰微することになった!』。
是れは、
お前の、
『突吉羅罪(軽微な罪)である!』、と。
  (ちょう):ゆるす。許可。
  慇懃(おんごん):懇切。真面目に/熱心に/心から( earnestly, sincerely, cordially )。
  勧請(かんじょう):すすめ願うて乞うこと。
  突吉羅(とっきら):梵語duSkRtaの訳。小過、軽垢、失意等と訳す。即ち律中の諸の軽罪を云う。『大智度論巻27下注:突吉羅』参照。
阿難言。我憐愍瞿曇彌。又三世諸佛法皆有四部眾。我釋迦文佛云何獨無。 阿難の言わく、『我れは瞿曇弥を憐愍せり。又三世の諸仏の法には、皆、四部の衆有り。我が釈迦文仏のみ、云何が独り無きや。』と。
『阿難』は、
こう言った、――
わたしは、
『瞿曇弥』を、
『憐愍したのである!』。
又、
『三世』の、
『諸仏の法』にも、
皆、
『四部衆(比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷)』が、
『有る!』のに、
わたしの、
『釈迦文仏だけ!』が、
何故、
『独り!』、
『無いのか?』、と。
  瞿曇弥(くどんみ):梵名gautamii。釈迦族の女の義。釈尊の母摩訶摩耶の妹。又摩訶波闍波提mahaa-prajaapatiiとも称し、大愛道比丘尼と名づく。仏母亡き後、仏を養育せることを伝う。『大智度論巻10(下)注:摩訶波闍波提』参照。
  四部衆(しぶのしゅ):仏の教団を構成すべき四部の衆の意。即ち出家の男、女の比丘、及び比丘尼、在家の男、女の優婆塞、及び優婆夷を云い、或いは皆出家に訳して、具足戒を受けし成人男、女の比丘、及び比丘尼、未だ具足戒を受けずして、十戒のみを受けたる年少の男、女の沙弥、及び沙弥尼を云う。『大智度論巻3下注:四衆、同巻9上注:五衆』参照。
  釈迦文(しゃかもん):仏名。また釈迦牟尼に作り、梵語Zaakyamuniの音訳。印度迦毘羅城(kapilavastu)の主浄飯王(zuddhodana)の子、母を摩耶(maayaa)といい、名を悉多(siddhaartha)太子と呼ぶ。城東嵐毘尼園(lumbini)に於いて生まれ、生後七日にして母歿し、姨母波闍波提(prajaapati)これを養育し、跋陀羅尼(bharani)これを教養す。幼にして人生の諸現象に対し、すでに思惟する処あり。或は閻浮樹の下に耕農の苦を思い、或は諸獣相い食うを見て人生の闘争を厭い、また四門に於いて出遊の途上、生老病死の相を観て遁世の志有り。遂に月夜に乗じて侍者車匿(chaNDaka)をして伴わしめ、白馬犍陟(kaNThaka)に跨がりて出家し、跋伽婆(bhaargava)を尋ねて苦行出離の道を聞き、更に摩竭陀国王舎城北弥楼山(meru)に阿藍迦藍(aaraaDakaalaama)を訪いて僧佉派(saaJkhya、数論派)の法を聞き、転じて鬱陀羅仙(udraka)を歴問するも、皆求むる所の大法を得ざれば、去りて漚楼頻螺村(uruvilvaa)の苦行林に入りて厳苦すること六年、形容削廋し、酷烈の苦を極め、継いで以って苦行は解脱涅槃の道に非ずと為し、断然として前日の行を改め、尼連禅河(nairaJjana)に於いて浴し、以って身垢を去り、村女の捧ぐる所の乳糜を受けて正覚山菩提樹の下に思惟して曰く、等正覚を得ずんばこの坐を起たず、と。思惟すること七七日、四諦十二因縁の法を観、ここに於いて覚者(buddha)、世尊(lokajyestha)と成り、人天の師と為ること、時に年三十五、これより以後四十余年、四方に遊歴して群類を化導し、西歴紀元前四百八十七年拘尸那城(kuzinagara)外の沙羅双樹に於いて、白花の香に包まれて遂に大般涅槃せり。<(望)
  参考:『中阿含巻28瞿曇弥経』:『我聞如是。一時。佛遊釋羇瘦。在迦維羅衛尼拘類樹園。與大比丘眾俱受夏坐。爾時。瞿曇彌大愛往詣佛所。稽首佛足。卻住一面。白曰。世尊。女人可得第四沙門果耶。因此故。女人於此正法.律中。至信.捨家.無家.學道耶。世尊告曰。止。止。瞿曇彌。汝莫作是念。女人於此正法.律中。至信.捨家.無家.學道。瞿曇彌。如是汝剃除頭髮。著袈裟衣。盡其形壽。淨修梵行。於是。瞿曇彌大愛為佛所制。稽首佛足。繞三匝而去。爾時。諸比丘為佛治衣。世尊不久於釋羇瘦受夏坐竟。補治衣訖。過三月已。攝衣持缽。當遊人間。瞿曇彌大愛聞諸比丘為佛治衣。世尊不久於釋羇瘦受夏坐竟。補治衣訖。過三月已。攝衣持缽。當遊人間。瞿曇彌大愛聞已。復詣佛所。稽首佛足。卻住一面。白曰。世尊。女人可得第四沙門果耶。因此故。女人於此正法.律中。至信.捨家.無家.學道耶。世尊亦再告曰。止。止。瞿曇彌。汝莫作是念。女人於此正法.律中。至信.捨家.無家.學道。瞿曇彌。如是汝剃除頭髮。著袈裟衣。盡其形壽。淨修梵行。於是。瞿曇彌大愛再為佛所制。稽首佛足。遶三匝而去。彼時。世尊於釋羇瘦受夏坐竟。補治衣訖。過三月已。攝衣持缽。遊行人間。瞿曇彌大愛聞世尊於釋羇瘦受夏坐竟。補治衣訖。過三月已。攝衣持缽。遊行人間。瞿曇彌大愛即與舍夷諸老母。俱隨逐佛後。展轉往至那摩提。住那摩提揵尼精舍。於是。瞿曇彌大愛復詣佛所。稽首佛足。卻住一面。白曰。世尊。女人可得第四沙門果耶。因此故。女人於此正法.律中。至信.捨家.無家.學道耶。世尊至三告曰。止。止。瞿曇彌。汝莫作是念。女人於此正法.律中。至信.捨家.無家.學道。瞿曇彌大愛。如是汝剃除頭髮。著袈裟衣。盡其形壽。淨修梵行。於是。瞿曇彌大愛三為世尊所制。稽首佛足。繞三匝而去。彼時。瞿曇彌大愛塗跣污足。塵土坌體。疲極悲泣。住立門外。尊者阿難見瞿曇彌大愛塗跣污足。塵土坌體。疲極悲泣。住立門外。見已。問曰。瞿曇彌。以何等故。塗洗污足。塵土坌體。疲極悲泣。住立門外。瞿曇彌大愛答曰。尊者阿難。女人不得於此正法.律中。至信.捨家.無家.學道。尊者阿難語曰。瞿曇彌。今且住此。我往詣佛。白如是事。瞿曇彌大愛白曰。唯然。尊者阿難。於是。尊者阿難往詣佛所。稽首佛足。叉手向佛。白曰。世尊。女人可得第四沙門果耶。因此故。女人得於此正法.律中。至信.捨家.無家.學道耶。世尊告曰。止。止。阿難。汝莫作是念。女人得於此正法.律中。至信.捨家.無家.學道。阿難。若使女人得於此正法.律中。至信.捨家.無家.學道者。令此梵行便不得久住。阿難。猶如人家多女少男者。此家為得轉興盛耶。尊者阿難白曰。不也。世尊。如是。阿難。若使女人得於此正法.律中。至信.捨家.無家.學道者。令此梵行不得久住。阿難。猶如稻田及麥田中。有穢生者必壞彼田。如是。阿難。若使女人得於此正法.律中。至信.捨家.無家.學道者。令此梵行不得久住。尊者阿難復白曰。世尊。瞿曇彌大愛為世尊多所饒益。所以者何。世尊母亡後。瞿曇彌大愛鞠養世尊。世尊告曰。如是。阿難。如是。阿難。瞿曇彌大愛多饒益我。謂母亡後。鞠養於我。阿難。我亦多饒益於瞿曇彌大愛。所以者何。阿難。瞿曇彌大愛因我故。得歸佛.歸法.歸比丘僧。不疑三尊及苦.習.滅.道。成就於信。奉持禁戒。修學博聞。成就布施而得智慧。離殺.斷殺.離不與取.斷不與取。離邪婬.斷邪婬。離妄言.斷妄言。離酒.斷酒。阿難。若使有人因人故。得歸佛.歸法.歸比丘僧。不疑三尊及苦.習.滅.道。成就於信。奉持禁戒。修學博聞。成就布施而得智慧。離殺.斷殺。離不與取.斷不與取。離邪婬.斷邪婬。離妄言.斷妄言。離酒.斷酒。阿難。設使此人為供養彼人衣被.飲食.臥具.湯藥.諸生活具。至盡形壽。不得報恩。阿難。我今為女人施設八尊師法。謂女人不當犯。女人奉持。盡其形壽。阿難。猶如魚師及魚師弟子。深水作塢。為守護水。不令流出。如是。阿難。我今為女人說八尊師法。謂女人不當犯。女人奉持。盡其形壽。云何為八。阿難。比丘尼當從比丘求受具足。阿難。我為女人施設此第一尊師法。謂女人不當犯。女人奉持。盡其形壽。阿難。比丘尼半月半月往從比丘受教。阿難。我為女人施設此第二尊師法。謂女人不當犯。女人奉持。盡其形壽。阿難。若住止處設無比丘者。比丘尼便不得受夏坐。阿難。我為女人施設此第三尊師法。謂女人不當犯。女人奉持。盡其形壽。阿難。比丘尼受夏坐訖。於兩部眾中。當請三事。求見.聞.疑。阿難。我為女人施設此第四尊師法。謂女人不當犯。女人奉持。盡其形壽。阿難。若比丘不聽比丘尼問者。比丘尼則不得問比丘經.律.阿毘曇。若聽問者。比丘尼得問經.律.阿毘曇。阿難。我為女人施設此第五尊師法。謂女人不當犯。女人奉持。盡其形壽。阿難。比丘尼不得說比丘所犯。比丘得說比丘尼所犯。阿難。我為女人施設此第六尊師法。謂女人不當犯。女人奉持。盡其形壽。阿難。比丘尼若犯僧伽婆尸沙。當於兩部眾中。十五日行不慢。阿難。我為女人施設此第七尊師法。謂女人不當犯。女人奉持。盡其形壽。阿難。比丘尼受具足雖至百歲。故當向始受具足比丘極下意稽首作禮。恭敬承事。叉手問訊。阿難。我為女人施設此第八尊師法。謂女人不當犯。女人奉持。盡其形壽。阿難。我為女人施設此八尊師法。謂女人不當犯。女人奉持。盡其形壽。阿難。若瞿曇彌大愛奉持此八尊師法者。是此正法.律中。出家學道。得受具足。作比丘尼。於是。尊者阿難聞佛所說。善受善持。稽首佛足。繞三匝而去。往詣瞿曇彌大愛所。語曰。瞿曇彌。女人得於此正法.律中。至信.捨家.出家.學道。瞿曇彌大愛。世尊為女人施設此八尊師法。謂女人不當犯。女人奉持。盡其形壽。云何為八。瞿曇彌。比丘尼當從比丘求受具足。瞿曇彌。世尊為女人施設此第一尊師法。謂女人不當犯。女人奉持。盡其形壽。瞿曇彌。比丘尼半月半月往從比丘受教。瞿曇彌。世尊為女人施設此第二尊師法。謂女人不當犯。女人奉持。盡其形壽。瞿曇彌。若住止處無比丘者。比丘尼不得受夏坐。瞿曇彌。世尊為女人施設此第三尊師法。謂女人不當犯。女人奉持。盡其形壽。瞿曇彌。比丘尼受夏坐訖。於兩部眾中當請三事。求見.聞.疑。瞿曇彌。世尊為女人施設此第四尊師法。謂女人不當犯。女人奉持。盡其形壽。瞿曇彌。若比丘不聽比丘尼問者。比丘尼不得問比丘經.律.阿毘曇。若聽問者。比丘尼得問經.律.阿毘曇。瞿曇彌。世尊為女人施設此第五尊師法。謂女人不當犯。女人奉持。盡其形壽。瞿曇彌。比丘尼不得說比丘所犯。比丘得說比丘尼所犯。瞿曇彌。世尊為女人施設此第六尊師法。謂女人不當犯。女人奉持。盡其形壽。瞿曇彌。比丘尼若犯僧伽婆尸沙。當於兩部眾中。十五日行不慢。瞿曇彌。世尊為女人施設此第七尊師法。謂女人不當犯。女人奉持。盡其形壽。瞿曇彌。比丘尼受具足雖至百歲。故當向始受具足比丘極下意稽首作禮。恭敬承事。叉手問訊。瞿曇彌。世尊為女人施設此第八尊師法。謂女人不當犯。女人奉持。盡其形壽。瞿曇彌。世尊為女人施設此八尊師法。謂女人不當犯。女人奉持.盡其形壽。瞿曇彌。世尊如是說。若瞿曇彌大愛奉持此八尊師法者。是此正法.律中。出家學道。得受具足。作比丘尼。於是。瞿曇彌大愛白曰。尊者阿難。聽我說喻。智者聞喻則解其義。尊者阿難。猶剎利女。梵志.居士.工師女。端正姝好。極淨沐浴以香塗身。著明淨衣。種種瓔珞嚴飾其容。或復有人為念彼女。求利及饒益。求安穩快樂。以青蓮華鬚.或瞻蔔華鬘.或修摩那華鬚.或婆師華鬚.或阿提牟多華鬚。持與彼女。彼女歡喜。兩手受之。以嚴其頭。如是尊者阿難。世尊為女人施設此八尊師法。我盡形壽頂受奉持。爾時。瞿曇彌大愛於正法.律中。出家學道。得受具足。作比丘尼。彼時瞿曇彌大愛於後轉成大比丘尼眾。與諸長老上尊比丘尼為王者所識。久修梵行。共俱往詣尊者阿難所。稽首作禮。卻住一面。白曰。尊者阿難。當知此諸比丘尼長老上尊為王者所識。久修梵行。彼諸比丘年少新學。晚後出家。入此正法.律甫爾不久。願令此諸比丘為諸比丘尼隨其大小稽首作禮。恭敬承事。叉手問訊。於是。尊者阿難語曰。瞿曇彌。今且住此。我往詣佛。白如是事。瞿曇彌大愛白曰。唯然。尊者阿難。於是。尊者阿難往詣佛所。稽首佛足。卻住一面。叉手向佛。白曰。世尊。今日瞿曇彌大愛與諸比丘尼長老上尊為王者所識。久修梵行。俱來詣我所。稽首我足。卻住一面。叉手語我曰。尊者阿難。此諸比丘尼長老上尊為王者所識。久修梵行。彼諸比丘年少新學。晚後出家。入此正法.律甫爾不久。願令此諸比丘為諸比丘尼隨其大小稽首作禮。恭敬承事。叉手問訊。世尊告曰。止。止。阿難。守護此言。慎莫說是。阿難。若使汝知如我知者。不應說一句。況復如是說。阿難。若使女人不得於正法.律中。至信.捨家.無家.學道者。諸梵志.居士當以衣布地而作是說。精進沙門可於上行。精進沙門難行而行。令我長夜得利饒益。安隱快樂。阿難。若女人不得於此正法.律中。至信.捨家.無家.學道者。諸梵志.居士當以頭髮布施而作是說。精進沙門可於上行。精進沙門難行而行。令我長夜得利饒益。安隱快樂。阿難。若女人不得於此正法.律中。至信.捨家.無家.學道者。諸梵志.居士若見沙門.當以手奉種種飲食。住道邊待而作是說。諸尊。受是食是。可持是去。隨意所用。令我長夜得利饒益。安隱快樂。阿難。若女人不得於此正法.律中。至信.捨家.無家.學道者。諸信梵志見精進沙門。敬心扶抱。將入於內。持種種財物與精進沙門而作是說。諸尊。受是可持是去。隨意所用。令我長夜得利饒益。安隱快樂。阿難。若女人不得於此正法.律中。至信.捨家.無家.學道者。此日月有大如意足。有大威德。有大福祐。有大威神。然於精進沙門威神之德猶不相及。況復死瘦異學耶。阿難。若女人不得於此正法.律中。至信.捨家.無家.學道者。正法當住千年。今失五百歲。餘有五百年。阿難。當知女人不得行五事。若女人作如來.無所著.等正覺。及轉輪王.天帝釋.魔王.大梵天者。終無是處。當知男子得行五事。若男子作如來.無所著.等正覺。及轉輪王.天帝釋.魔王.大梵天者。必有是處。佛說如是。尊者阿難及諸比丘聞佛所說。歡喜奉行』
  瞿曇弥(くどんみ、gautamii):また憍曇弥、瞿答弥、喬答弥に作り、或いは瞿夷、裘夷に作り、印度刹帝利種族の一姓と為し、即ち瞿曇(gautama)の女声にして釈迦族女子の通称と為す。諸経の中に於いては、特に釈尊の姨母の摩訶波闍波提(まかはじゃはだい、mahaaprajaapatii)を尊称して瞿曇弥と為せり。<(望)
  釈迦文(しゃかもん):釈迦牟尼(しゃかむに)。
  四部衆(しぶしゅ):仏教の教団を構成する四部。(1)比丘(びく):出家の男、(2)比丘尼(びくに):出家の女、(3)優婆塞(うばそく):在家の男、(3)優婆夷(うばい):在家の女。この中、優婆塞、優婆夷は教団の雑務に従事する。
大迦葉復言。佛欲涅槃時。近俱夷那竭城脊痛。四疊漚多羅僧敷臥。語汝言。我須水。汝不供給。是汝突吉羅罪。 大迦葉の復た言わく、『仏の涅槃せんと欲したもう時、倶夷那竭城に近づくに脊痛みたまえば、四畳の漚多羅僧を敷きて臥したまい、汝に語りて言わく、我れは水を須(もと)むと。汝は供給せざりき。是れ汝が突吉羅の罪なり。』と。
『大迦葉』は、
復た、こう言った、――
『仏』は、
『涅槃されようとする!』時、
『倶夷那竭城に近づき!』、
『脊(脊骨)』が、
『痛まれた!』ので、
『漚多羅僧(上衣)』を、
『四つ畳みにして!』、
『敷いて!』、
『臥せられ!』、
お前に、
『語って!』、こう言われたが、――
わたしには、
『水』が、
『必要だ!』、と。
お前は、
『水』を、
『供給しなかった!』。
是れは、
お前の、
『突吉羅罪である!』、と。
  倶夷那竭城(くいながじょう):倶夷那竭kuzi-nagaraは梵名。中印度の一国城の名。末羅malla族の住処。釈尊涅槃の地。『大智度論巻26上注:拘尸那竭羅』参照。
  四畳(しじょう):四枚にたたんだ。四重の。
  漚多羅僧(うったらそう):梵名uttaraasaGga。上衣と訳す。三衣の一。常服中最も上なるが故に上衣と云う。僧中に於ける儀式に用う。『大智度論巻26上注:鬱多羅僧、三衣』参照。
  『長阿含経巻3』:『佛命阿難。吾渴欲飲。汝取水來。阿難白言。向有五百乘車於上流渡。水濁未清。可以洗足。不中飲也。如是三敕。阿難。汝取水來。阿難白言。今拘孫河去此不遠。清冷可飲。亦可澡浴。時。有鬼神居在雪山。篤信佛道。即以缽盛八種淨水。奉上世尊。佛愍彼故。尋為受之。而說頌曰 佛以八種音  敕阿難取水  吾渴今欲飲  飲已詣拘尸  柔軟和雅音  所言悅眾心  給侍佛左右  尋白於世尊  向有五百車  截流渡彼岸  渾濁於此水  飲恐不便身  拘留河不遠  水美甚清冷  往彼可取飲  亦可澡浴身  雪山有鬼神  奉上如來水  飲已威勢強  眾中師子步  其水神龍居  清澄無濁穢  聖顏如雪山  安詳度拘孫』
阿難答言。是時五百乘車截流而渡令水渾濁。以是故不取。大迦葉復言。正使水濁佛有大神力能令大海濁水清淨。汝何以不與。是汝之罪。汝去作突吉羅懺悔。 阿難の答えて言わく、『是の時、五百乗の車が、流れを截りて渡り、水をして渾濁せしむ。是を以っての故に取らざりき。』と。大迦葉の復た言わく、『正しく水をして濁らしむべし。仏には大神力有り、能く大海の濁水をして、清浄ならしめたまわん。汝は、何を以ってか与えざりしか。是れ汝が罪なり。汝去りて、突吉羅の懺悔を作せ。』と。
『阿難』は、
『答えて!』、こう言った、――
是の時は、
『五百乘()の車』が、
『流(ながれ)』を、
『横切って渡り!』、
『水』を、
『渾濁(混濁)させた!』ので、
是の故に、
『取らなかったのだ!』、と。
『大迦葉』は、
復た、こう言った、――
正しく、
『水』は、
『濁らせればよいのだ!』。
『仏』には、
『大神力が有り!』、
『大海の濁水でも!』、
『清浄にさせられる!』のに、
お前は、
何故、
『与えなかったのか?』。
是れは、
お前の、
『罪である!』。
お前は、
『去って!』、
『突吉羅の罪』を、
『懺悔せよ!』。
  (じょう):兵車を数える語。
  渾濁(こんじょく):にごす。混濁。
  懺悔(さんげ):過非を悔謝して其の忍容を請うの意。「四分律比丘戒本」に、「若し自ら犯あることを知らば、即ち応に自ら懺悔すべし」と云い、「有部毘奈耶巻44」に、「既に罪愆あり、何事をか作さんと欲する。仏言わく、二龍の所に就いて懺摩を為せ」と云い、「大般涅槃経巻19」に、「王若し懺悔して慚愧を懐かば、罪即ち除滅して清浄なること本の如し」と云い、「仏為首迦長者説業報差別経」に、「若し人あり重罪を造り、作り已りて深く自ら責め、懺悔して更に造らずんば能く根本の業を抜く」と云える皆其の例なり。是れ罪を作り、又は戒を犯せる時、皆懺悔を用うことを説けるものなり。懺悔の語議に関しては、「四分律含注戒本疏巻1下之1」に、「悔は是れ此の土の言、懺は是れ西方の略語なり。梵本の音の如きは懺摩なり」と云い、義浄の「有部毘奈耶巻15」の注にも、「懺悔と云うは、懺は是れ西音、悔は是れ東語なり」と云えり。之に依るに懺は梵語懺摩kSamaの訛略、悔は訳語にして追悔の意なるを知るべく、所謂梵漢併挙の語なりというべし。但し梵語懺摩は忍の義にして、即ち前人に向かいて我が罪を忍容せんことを請うの意なり。其の語中に正しく追悔又は悔過の義を含まざるを以って、義浄は之を追悔の意に解すべからずとなし、若し己が非を説くの意に依らば、宜しく痾鉢底鉢喇底提舎那aapatti-pratidezanaの語を用うべしと云えり。「有部毘奈耶巻15」の注に「若し悔罪ならば本に阿鉢底提舎那と云うべし。阿鉢底は是れ罪、提舎那は是れ説なり。応に説罪と云うべし」と云い、「南海寄帰内法伝巻2」に、「梵に痾鉢底鉢喇底提舎那と云う、痾鉢底は罪過なり、鉢喇底提舎那は即ち他に対して説くなり。己の非を説いて清浄ならしめんことを冀う、自ら須らく各局分に依るべくんば、即ち罪滅期すべし。若し総相に愆を談ぜば、律の許す所に非ず、旧に懺悔と云うは説罪に関するに非ず、何となれば懺摩は乃ち是れ西音にして、自ら忍の義に当り、悔は乃ち東夏の字にして追悔を目と為す。悔と忍に逈に相関せず。若し的に梵本に依らば、諸の除罪の時は応に至心説罪と云うべし。斯を以って詳察するに、懺摩を翻じて追悔と為すは由来罕なるに似たり。西国の人は但だ触誤し、及び身錯りて相触著することあらば、大小を問うことなく、口に懺摩と云う。意は是れ恕を請い、瞋責すること勿かれと願うなり。律の中に提舎那と云うは、後滞を懐かんことを恐るるなり。他に就きて謝を致すには即ち懺摩の言を説き、必ず自己陳罪するが如きは即ち提舎那と云う。後滞を懐かんことを恐れて用って先迷を除く。習俗久しく成る可しと雖も、而も事は須らく本に依るべし」と云える即ち其の説なり。是れ蓋し懺摩は忍の義にして、忍と悔と逈に相関せざるが故に、懺悔と熟字して之を悔過の意に解するを不可とし、且つ懺摩は唯恕を請うの意なれば其の義軽く、提舎那は説罪の意なれば其の義重く、之を混同すべからずとなせるものにして、其の言的確なりというべし。按ずるに痾鉢底鉢喇底提舎那は説罪の義にして、支那にても古くは之を悔過と訳したるが如し。「舎利弗悔過経」、「文殊悔過経」、及び律中の悔過法(波羅提提舎尼)の如き皆其の例と見るべし。然るに懺摩と提舎尼と其の義相類し、且つ懺摩にも自己の過罪を追悔するの意あるべきを以って之を懺悔と熟字し、訳家相次いで襲用せしが故に、遂に提舎尼をも亦た懺悔と訳し、此の両者を同視するに至りしものの如し。「梵文金光明経」を検するに、「漢訳懺悔品」の語に相当する処にdezanaaとあり。又「同品」の、「身口意の悪、集むる所の三業、是の如きの衆罪、今悉く懺悔す」の偈に相当する文に、「kaaya-vaaG-maanasaM paaraM tridhaatu-caritaM ca tat,yat kRtam iidRzai ruupais tat sarvaM dezayaamy aham」とあり。是れ提舎那を懺悔と訳したるなり。其の他にも恐らく此の種の例少なからざるべし。されば義浄の所論は正鵠を得たるものなりと雖も、諸経律等に出せる懺悔の語は、必ずしも皆懺摩の対訳ならざることを察せざるべからず。智顗の「金光明経文句巻3」には懺悔の二字を共に訳語とし、各字に諸種の義意ありとなせるも是れ正しからず。即ち彼の文に、「懺とは首なり、悔とは伏なり。世人の罪を王に得るに、伏欵順従して敢て違逆せざるが如し。不逆を伏と為し、順従を首と為す。行人も亦爾り。三宝の足下に伏し、正しく道理に順じて敢て非を作さず。故に懺悔と名づく。又懺を白法に名づけ、悔を黒法に名づく。黒法は須らく悔いて而も作すこと勿かるべく、白法は須らく企てて而も之を尚ぶべし。取捨合論す、故に懺悔と云う。又懺は来を修するに名づけ、悔は往を改むるに名づく。往日所作の悪不善の法は鄙しんで而も之を悪む、故に名づけて悔と為す。往日所棄の一切の善法は、今日已去誓願して勤修す、故に名づけて悔と為す。往を棄て来を求むるが故に懺悔と名づく。又懺は衆失を披陳し、過咎を発露して、敢て隠諱せざるに名づけ、悔は相続心を断じて厭悔捨離するに名づく。能作所作合せ棄つるが故に懺悔と言う。又懺は慚に名づけ、悔は愧に名づく。慚は則ち天に慚じ、愧は則ち人に愧づ。人は其の顕を見、天は其の冥を見る。冥は細にして顕は麁なり。麁細皆悪なるが故に懺悔と言う」と云える其の説なり。知礼の「金光明経文句記巻3上」に之を救釈して、「然るに懺悔の二字は、即ち双べて二音を挙ぐ。梵語懺摩は華に悔過と言う。悔過は是れ首、伏等の五種の義なるに由るを以ってなり。今既に華梵二音並べ列ぬ。是の故に大師は首を以って懺を釈し、伏を以って悔を釈し、乃至慚愧を懺悔に対釈し、禀者をして即ち二字に於いて首伏の行及び慚愧等を修せしめんと欲すればなり。斯れ乃ち善巧説法の相なり。故に華梵詁訓を以って而も責を為す可からざるなり」と云えるも、是れ固より強辯たるを免れず。蓋し懺悔又は悔過の法は仏在世の時、仏が事に触れて弟子等をして行わしめたるは事実にして、事は多く諸経律に散見する所なり。就中、布薩及び自恣の二法は即ち定時の懺悔にして、前者は半月毎に僧伽の中に於いて戒本を誦して罪過の種類を数え、各自若し之に觝觸するものあらば、則ち衆の中に告白懺悔し、上座は之に対して訓誡し、宥恕除罪を宣す。後者は毎年夏安居の最終日に行われ、会衆互いに隔意なく戒告し、各自懺悔して其の徳行の錬磨を図るものなり。又律の中に四條或いは八條(比丘尼)の提舎尼の制定あり。僧残、波逸提等も皆亦た懺悔を必要となすものなれば、即ち仏は懺悔を以って其の教団に於ける最も重要なる軌式として之を行わしめたるものなるを知るべし。懺悔の儀則に関しては、「四分律刪補随機羯磨疏巻4六聚法篇」に、懺を行ぜんと欲する時は須らく五縁を具すべし、一に十方の仏菩薩等を請し、二に経呪を誦し、三に己が罪名を説き、四に誓言を立て、五に教の如く証を明さんと云い、「円覚経略疏鈔巻12」等には、小乗の懺悔は必ず大比丘を請して証と為し、大僧に対しては、一に右肩を袒ぎ、二に右膝を地に著け、三に合掌し、四に罪の名種を説き、五に足を礼するの五法を具し、小僧に対しては余の四種を具し、礼足を要せず。大乗の懺悔は先づ道場を荘厳し、香泥を地に塗り、室内に円壇を作り、五色の幡を懸け、香を焼き灯を燃やし、高座を敷きて以って二十四尊の像を請し、餚饍を設け、新浄の衣服を著すべしとなせり。又懺悔滅罪の相及び其の功徳に関しては、「占察善悪業報経巻上」に、若し衆生ありて三業の善相を得る時、光明其の室に遍満し、殊特異好の香気を聞ぎて身意快然たり。或いは夢に仏菩薩来たりて手づから其の頭を摩し、歎じて言わく、善哉、汝今清浄なるが故に我れ来たりて汝を証す等と云い、「大乗本生心地観経巻3」には、「若し能く如法に懺悔せば、所有の煩悩悉く皆除く。猶お劫火の世間を壊するに、須弥並びに巨海を焼尽するが如し。懺悔は能く煩悩の薪を焼き、懺悔は能く天路に往生し、懺悔は能く四禅の楽を得、懺悔は宝摩尼珠を雨ふらし、懺悔は能く金剛寿を延ばし、懺悔は能く常楽の宮に入り、懺悔は能く三界の獄を出で、懺悔は能く菩提の華を開き、懺悔は仏の大円鏡を見、懺悔は能く宝所に至る」等と云えり。又懺悔に数多の種別あり。「四分律羯磨疏巻1」、「同済縁記巻1」等に依るに、凡そ懺悔に制教懺、化教懺の二種あり。戒律に違するの罪は制教の懺悔を用い、業道の罪は化教の懺悔を用う。中に於いて制教懺は出家の五衆、小乗、現犯、事業に局り、化教懺は道俗七衆、大小乗、三世、十業に通ず。又制教の懺悔に衆法懺と対首懺と心念懺とあり、衆法懺とは、四人以上の僧中にて懺悔するを云い、対首懺とは師一人に対して懺悔するを云い、心念懺とは、本尊に対して之を念じて懺悔するを云うとせり。又「摩訶止観巻2上」に依るに懺悔に事懺と理懺との別あり、事懺とは又随事分別懺悔とも名づく。事とは即ち事儀にして、身に礼拝瞻敬し、口に称唱讃誦し、意に聖容を存想して三業に慇懃に哀を求め、過去現在所作の罪業を懺悔するを云う。通途に懺悔と言うは多くは事懺なり。理懺とは又観察実相懺悔とも名づく。過現所作の一切の罪業は皆心より起る、故に若し自心の本性空寂なるを了せば、則ち一切の罪相亦皆空寂なり。是の如く実相の理を観察して其の罪を滅するが故に之を理懺となすと云えり。「観普賢菩薩行法経」に、「一切業障の海は皆妄想より生ず。若し懺悔せんと欲する者は、端坐して実相を念ぜよ。衆罪は霜露の如く、慧日能く消除せん」と云えるは、即ち理懺を説けるものなり。又「釈禅波羅蜜次第法門巻2」、「維摩経文疏巻15」、「金光明経文句記巻3」等には、大小乗に就いて更に三種の懺悔を説けり。三種とは一に作法懺悔、二に取相懺悔、三に無生懺悔なり。作法懺悔とは仏制に准じて自ら其の罪咎を説き、敢て覆蔵せざるを云い、取相懺悔とは又観相懺悔とも名づく。十二種等の好相を得て罪滅するを云い、無生懺悔とは又観無生懺悔とも名づく。無念の念を以って実相を念じ、罪体無生を観ずるを云う。此の中、作法と取相とは事懺に属し、無生は即ち理懺なり。又「観普賢菩薩行法経」には、刹利居士の五種の懺悔法を出せり。所謂三宝を謗せず、乃至六念等を修するを第一懺悔とし、父母に孝養し、師長を恭敬するを第二懺悔とし、正法を以って国を治し、人民を邪枉せざるを第三懺悔とし、六斎日に於いて不殺を行ぜしむるを第四懺悔とし、深く因果を信じ、一実道を信じて仏の不滅を知るを第五懺悔と名づくるなり。本如の「同経義疏巻下」には、此の中の第一は奪三宝物罪を懺し、第二は作五逆罪を懺し、第三は害仏弟子罪を懺し、第四は教十悪罪を懺し、第五は誹謗正法罪を懺するに似たりと云えり。又「往生礼讃」には要略広及び上中下の三懺悔を説けり。要とは「南無懺悔十方仏、願滅一切諸罪根、今将久近所修善、廻作自他安楽因、恒願一切臨終時、勝縁勝境悉現前、願覩弥陀大悲主、観音勢至十方尊、仰願神光蒙授手、乗仏本願生彼国」の偈を唱うるを云い、略とは懺悔、勧請、随喜、回向、発願の五悔を修するを云い、広とは広く仏法僧の三宝並びに現在同行の大衆に向かいて、過去及び現在の罪業を懺悔するを云う。別に広懺悔の文あり。但し普通には「華厳経普賢行願品巻40」所出の、「我昔所造諸悪業、皆由無始貪瞋癡、従身語意之所生、一切我今皆懺悔」の偈を唱うるを略懺悔と称せり。又上中下の三懺悔とは、身の毛孔の中より血流れ、眼中より血出づるを上品懺悔と名づけ、遍身熱汗毛孔より出で眼中より血流るるを中品懺悔と名づけ、遍身微熱して眼中より涙出づるを下品懺悔と名づく。或いは時に約して三品の別を論ずることあり、所謂造罪と念を隔てずして懺悔の心を起すを上とし、時を隔てずして懺悔の心を起すを中とし、日を隔てずして懺悔の心を起すを下とす。之を念時日の三懺悔と称す。又「雑阿含経巻40」、「大宝積経巻91」、「四分律巻37」、「五分律巻10」、「有部毘奈耶雑事巻13、26」、「根本説一切有部目得迦巻6」、「根本説一切有部百一羯磨巻4」、「摩訶止観巻7下」、「翻訳名義集巻11」、「法苑珠林巻86」等に出づ。<(望)
大迦葉復言。佛問汝。若有人四神足好修。可住壽一劫若減一劫。佛四神足好修。欲住壽一劫若減一劫。汝默然不答。問汝至三。汝故默然。汝若答佛佛四神足好修。應住一劫若減一劫。由汝故。令佛世尊早入涅槃。是汝突吉羅罪。 大迦葉の復た言わく、『仏は汝に問いたまわく、若し有る人の四神足、好修なれば、寿一劫、若しくは減一劫を住すべしと。仏は四神足好修なれば、寿一劫若しくは減一劫住せんと欲したまえるに、汝は、黙然として答えず、汝に問いたまえること三たびに至り、汝故(ことさら)に黙然たり。汝が若し仏に、仏の四神足は好修りと答うれば、応に一劫、若しくは減一劫住したもうべし。汝に由るが故に、仏世尊をして、早く涅槃に入らしめたり。是れ汝が突吉羅の罪なり。』と。
『大迦葉』は、
復た、こう言った、――
『仏』は、
お前に、こう問われた、――
若し、
有る、
『人』が、
『四神足』を、
『好く!』、
『修めるならば!』、
『住まるべき!』、
『寿(よわい)』は、
『一劫か、減一劫である!』、と。
『仏』の、
『四神足』は、
『好く!』、
『修められていた!』ので、
『寿』を、
『一劫か、減一劫』、
『住めようとされたのである!』が、
お前は、
『黙然として!』、
『答えなかった!』。
若し、
お前が、
『仏』に、
『仏』の、
『四神足』は、
『好く修められている!』と、
『答えたならば!』、
『仏』は、
『一劫や、減一劫』、
『住まられていたはずだ!』。
お前に、
『由る!』が故に、
『仏世尊』をして、
早かに、
『涅槃』に、
『入らせてしまった!』。
是れは、
お前の、
『突吉羅罪である!』。
  四神足(しじんそく):梵語catvaara Rddihi-paadaaHの訳。欲、心、勤、観の力に由り引発せられ、種種の神用を現起する四種の定を云う。『大智度論巻18下注:四神足』参照。
  減一劫(げんいっこう):世界の生滅に係る極大長の一時間単位。『大智度論巻2上注:劫、同巻38下注:減劫』参照。
  参考:『長阿含経巻2』:『佛告阿難。眾僧於我有所須耶。若有自言。我持眾僧。我攝眾僧。斯人於眾應有教命。如來不言。我持於眾。我攝於眾。豈當於眾有教令乎。阿難。我所說法。內外已訖。終不自稱所見通達。吾已老矣。年粗八十。譬如故車。方便修治得有所至。吾身亦然。以方便力得少留壽。自力精進。忍此苦痛。不念一切想。入無想定。時我身安隱。無有惱患。是故。阿難。當自熾燃。熾燃於法。勿他熾燃。當自歸依。歸依於法。勿他歸依。云何自熾燃。熾燃於法。勿他熾燃。當自歸依。歸依於法。勿他歸依。阿難。比丘觀內身精勤無懈。憶念不忘。除世貪憂。觀外身.觀內外身。精勤不懈。憶念不忘。除世貪憂。受.意.法觀。亦復如是。是謂。阿難。自熾燃。熾燃於法。勿他熾燃。當自歸依。歸依於法。勿他歸依。佛告阿難。吾滅度後。能有修行此法者。則為真我弟子第一學者。。佛告阿難。俱至遮婆羅塔。對曰。唯然。如來即起。著衣持缽。詣一樹下。告阿難。敷座。吾患背痛。欲於此止。對曰。唯然。尋即敷座。如來坐已。阿難敷一小座於佛前坐。佛告阿難。諸有修四神足。多修習行。常念不忘。在意所欲。可得不死一劫有餘。阿難。佛四神足已多修行。專念不忘。在意所欲。如來可止一劫有餘。為世除冥。多所饒益。天人獲安。爾時。阿難默然不對。如是再三。又亦默然。是時阿難為魔所蔽。曚曚不悟。佛三現相而不知請。佛告阿難。宜知是時。阿難承佛意旨。即從座起。禮佛而去。去佛不遠。在一樹下靜意思惟。其間未久。時魔波旬來白佛。佛意無欲。可般涅槃。今正是時。宜速滅度。佛告波旬。且止。且止。我自知時。如來今者未取涅槃。須我諸比丘集。又能自調。勇捍無怯。到安隱處。逮得己利。為人導師。演布經教。顯於句義。若有異論。能以正法而降伏之。又以神變。自身作證。如是弟子皆悉未集。又諸比丘尼.優婆塞.優婆夷。普皆如是。亦復未集。今者要當廣於梵行。演布覺意。使諸天人普見神變。時。魔波旬復白佛言。佛昔於鬱鞞羅尼連禪水邊。阿遊波尼俱律樹下初成正覺。我時至世尊所。勸請如來可般涅槃。今正是時。宜速滅度。爾時。如來即報我言。止。止。波旬。我自知時。如來今者未取涅槃。須我諸弟子集。乃至天人見神變化乃取滅度。佛今弟子已集。乃至天人見神變化。今正是時。何不滅度。佛言。止。止。波旬。佛自知時不久住也。是後三月。於本生處拘尸那竭娑羅園雙樹間。當取滅度。時。魔即念。佛不虛言。今必滅度。歡喜踊躍。忽然不現。』
  参考:『阿毘達磨大毘婆沙論巻135』:『劫名何法。答此增語所顯半月月時年。問何故作此論。答為釋經故。如契經說。有一苾芻來詣佛所。頂禮雙足卻住一面。白世尊言。佛恒說劫。此為何量。佛言。苾芻。劫量長遠非百千等歲數可知。苾芻復言。有譬喻不。世尊言有。今為汝說。如近城邑有全段石山。縱廣高量各踰繕那。迦尸細縷百年一拂。山已磨滅此劫未終。苾芻當知。汝等長夜經此劫數無量百千。在於地獄傍生鬼趣。及人天中。受諸劇苦生死輪轉未有盡期。何得安然不求解脫。‥‥』
  参考:『阿毘達磨大毘婆沙論巻135』:『劫有三種。一中間劫。二成壞劫。三大劫。中間劫復有三種。一減劫。二增劫。三增減劫。減者從人壽無量。歲減至十歲。增者從人壽十歲增至八萬歲。增減者從人壽十歲增至八萬歲。復從八萬歲減至十歲。此中一減一增十八增減。有二十中間劫經二十中劫世間成。二十中劫成已住。此合名成劫。經二十中劫世間壞。二十中劫壞已空。此合名壞劫。總八十中劫合名大劫。成已住中二十中劫初一唯減。後一唯增。中間十八亦增亦減。問此三誰最久。有說。減劫最久。增劫為中。增減最促。‥‥』
  四神足(しじんそく):欲願、努力、心念、智慧が自在なることの義。(1)欲如意足、(2)精進如意足、(3)心如意足、(4)慧如意足をいう。『大智度論巻19(下)四如意足』参照。
  (こう)、減劫(げんこう):長時と訳し、極めて長い時間の意。減劫は別の譬え。『大智度論巻5(下)』参照。
阿難言。魔蔽我心。是故無言。我非惡心而不答佛。 阿難の言わく、『魔、我が心を蔽えり。是の故に無言たりき。我が悪心にして、仏に答えざるに非ず。』と。
『阿難』は、
こう言った、――
『魔』が、
わたしの、
『心』を、
『蔽(おお)った!』ので、
是の故に、
『無言だったのだ!』。
わたしが、
『悪心』で、
『仏』に、
『答えなかったのではない!』、と。
大迦葉復言。汝與佛疊僧伽梨衣以足蹈上。是汝突吉羅罪。 大迦葉の復た言わく、『汝は、仏の与(ため)に僧伽梨を畳まんとして、足を以って上を蹈(ふ)めり。是れ汝が突吉羅の罪なり。』と。
『大迦葉』は、
復た、こう言った、――
お前は、
『仏』の、
『僧伽梨(大衣)』を、
『畳む!』時、
『足』で、
『僧伽梨の上』を、
『踏んだな!』。
是れは、
お前の、
『突吉羅罪だ!』、と。
  僧伽梨(そうぎゃり):梵語saGghaaTi。三衣の一。王宮又は聚落に入る時著用するが故に入王宮聚落衣と云い、又諸衣中最大なるが故に大衣と云う。『大智度論巻26上注:僧伽梨、三衣』参照。
阿難言。爾時有大風起無人助。我捉衣時風吹來墮我腳下。非不恭敬故蹈佛衣。 阿難の言わく、『爾の時、有る大風起るも、人の助け無ければ、我れは衣を捉らうる時、風吹き来たりて、我が脚下に堕ちしむ。恭敬せざるが故に、仏の衣を蹈めるに非ず。』と。
『阿難』は、
こう言った、――
爾の時は、
有る、
『大風』が、
『起っても!』、
『助ける!』、
『人』が、
『無かった!』ので、
わたしが、
『衣』を、
『捉える!』と、
爾の時、
『風』が、
『吹いて!』、
『来て!』、
わたしの、
『脚の下』に、
『堕としたのだ!』、
『恭敬しなかった!』が故に、
『仏の衣』を、
『踏んだのではない!』、と。
大迦葉復言。佛陰藏相般涅槃後以示女人。是何可恥。是汝突吉羅罪。 大迦葉の復た言わく、『仏の陰蔵相をば、般涅槃の後、以って女人に示せり。是れ何んが恥づべき。是れ汝が突吉羅の罪なり。』と。
『大迦葉』は、
復た、こう言った、――
『仏の陰蔵相』を、
『般涅槃の後』に、
『女人』に、
『示したな!』。
是れは、
何と、
『恥ずべきことか?』。
是れは、
お前の、
『突吉羅罪である!』、と。
  陰蔵相(おんぞうそう):梵語kozoopagata-vasti-guhyaの訳。仏に有する三十二相の一。陰相其の勢高くして峯の如くなるも、而も隠密して現ぜざること、馬王の如く又象王の如くなるを云う。『大智度論巻21下注:三十二相』参照。
阿難言。爾時我思惟。若諸女人見佛陰藏相者。便自羞恥女人形。欲得男子身修行佛相種福德根。以是故我示女人。不為無恥而故破戒。 阿難の言わく、『爾の時、我が思惟すらく、若し諸の女人、仏の陰蔵相を見ば、便ち自ら女人の形を羞恥して、男子の身を得んと欲し、仏の相を修行して、福徳の根を種(う)えんと。是を以っての故に、我れは女人に示せり。無恥の為の故に戒を破りしにあらず。』と。
『阿難』は、
こう言った、――
爾の時、
わたしは、こう思惟した、――
若し、
諸の、
『女人』が、
『仏の陰蔵相』を、
『見れば!』、
たちまち、
自ら、
『女人』の、
『形』を、
『羞恥して!』、
『男子』の、
『身』を、
『得ようとして!』、
『仏相を修行して!』、
『福徳の根』を、
『種えるだろう!』、と。
是の故に、
わたしは、
『女人』に、
『示したのである!』。
わたしが、
『恥知らずであった!』が故に、
『破戒したのではない!』。
大迦葉言。汝有六種突吉羅罪。盡應僧中悔過。阿難言諾。隨長老大迦葉及僧所教。是時阿難長跪合手。偏袒右肩脫革屣。六種突吉羅罪懺悔。 大迦葉の言わく、『汝には六種の突吉羅罪有り。尽く応に僧中に悔過すべし。』と。阿難の言わく、『諾、長老大迦葉、及び僧の教うる所に随わん。』と。是の時、阿難は長跪合手し、偏袒右肩し、革屣を脱ぎて、六種の突吉羅の罪を懺悔せり。
『大迦葉』は、
こう言った、――
お前には、
『六種』の、
『突吉羅罪』が、
『有る!』。
『一一』を、
『僧』中に、
『悔過せよ!』。
『阿難』は、
こう言った、――
諾( yes )!
『長老大迦葉』と、
『僧(僧伽)』の、
『教える!』所に、
『随おう!』、と。
是の時、
『阿難』は、
『長く跪づいて手を合せ!』、
『衣の右肩を袒(はだぬ)ぎ!』、
『革屣(革のサンダル)を脱ぐ!』と、
『六種』の、
『突吉羅罪』を、
『懺悔した!』。
  悔過(けか):過罪を懺悔するの意。
  (なく):はい、おうと答えること。応答の言葉の調子緩やかにして恭敬の心に欠けるもの。
  長跪合手(ちょうきごうしゅ):尻を上げて腰を伸ばし、臂を頭より前にし、低く跪いた姿勢でする合掌。
  偏袒右肩(へんたんうけん):衣の右肩を脱ぎ肩を顕わして恭敬するを表わす。
  革屣(かくし):革のはきもの。
大迦葉於僧中手牽阿難出。語阿難言。斷汝漏盡然後來入。殘結未盡汝勿來也。如是語竟便自閉門。 大迦葉は、僧中に於いて、手もて阿難を牽き出し、阿難に語りて言わく、『汝が漏を断じ尽くして、然る後、来入せよ。残結未だ尽きざれば、汝来たる勿かれ。』と。是の如く語り竟りて、便ち自ら門を閉ざせり。
『大迦葉』は、
『僧』中より、
『手』で、
『阿難』を、
『牽いて出し!』、
『阿難』に語って、こう言った、――
お前の、
『漏』が、
『断じたならば!』、
その後、
『来て!』、
『入れ!』。
お前の、
『残結』が、
『尽きていなければ!』、
『来てはならない!』、と。
是のように語ると、――
すぐさま、
自ら、
『門』を、
『閉ざした!』。
爾時。諸阿羅漢議言。誰能結集毘尼法藏者。長老阿泥盧豆言。舍利弗是第二佛有好弟子。字憍梵波提(秦言牛齝)柔軟和雅常處閑居。住心寂燕能知毘尼法藏。今在天上尸利沙樹園中住。遣使請來。 爾の時、諸の阿羅漢の議(はか)りて言わく、『誰か能く毘尼法蔵を結集する者なる。』と。長老阿尼廬豆の言わく、『舎利弗は、是れ第二の仏なるに、好き弟子有り、憍梵波提(秦に牛齝と言う)と字(な)づけ、柔軟、和雅にして常に閑居に処(お)り、心を寂燕に住せしめ、能く毘尼法蔵を知る。今は、尸利沙樹園中に在りて住す。使を遣わして請うて来たらしめよ。』と。
爾の時、
諸の、
『阿羅漢』は議して、こう言った、――
誰が、
『毘尼』の、
『法蔵』を、
『結集できるのか?』、と。
『長老阿尼廬豆』が、こう言った、――
『第二の仏』の、
『舎利弗』には、
『憍梵波提(牛齝)』と、
『呼ばれる!』、
『好い!』、
『弟子』が、
『有る!』。
『憍梵波提』は、
『柔軟、和雅であり!』、
『閑居』に、
『常に処()り!』、
『心』を、
『寂燕(寂静・安楽)に住めて!』、
『毘尼法蔵を、知ることができ!』、
今は、
『天上』の、
『尸利沙樹園』中に、
『住まっている!』ので、
『使者』を、
『遣(つかわ)し!』、
『請()うて来させよ!』、と。
  (ぎ):はかる。評論。事理に就きて其の是非を分つを論といい、事例に就きて其の是非を定むるを論という。
  阿尼廬豆(あにるだ):梵名aniruddha。釈尊十大弟子中の一、天眼第一と称せらる。『大智度論巻33上注:阿[少/兔]楼駄』参照。
  憍梵波提(きょうぼんはだい):梵名gavaaMpati、牛齝と訳す。釈尊の弟子にして、舎利弗を師とす。『大智度論巻26上注:憍梵波提』参照。
  閑居(げんこ):閑静なるすまい。
  寂燕(じゃくえん):燕は蓋し梵語pratisaMlayanaの音訳を省略したるものにして、漢梵併挙の称なり。又燕坐とも称す。寂然安息の義。即ち閑居に処するを云う。
  尸利沙樹園(しりしゃじゅおん):尸利沙は梵名ziriSa、巴梨名siriisa合歓と訳す。樹木の名。蓋し「摩訶僧祇律巻32」に、「復た遣わして三十三天尸利沙翅宮に至らしめ、憍梵波提を呼ばしむ」と云えるに依れば、三十三天中の宮殿の名となすべきなるが如し。
  参考:『摩訶僧祇律巻32』:『五百比丘集法藏者。佛住王舍城。爾時阿闍世王韋提希子。與毘舍離有怨。如大泥洹經中廣說。乃至世尊在毘舍離於放弓杖塔邊捨壽。向拘尸那城熙連禪河側力士生地堅固林中雙樹間般泥洹。於天冠塔邊闍維。乃至諸天使火不然。待尊者大迦葉故。時尊者大迦葉在耆闍崛山賓缽羅山窟中坐禪。時尊者大迦葉作是念。世尊已捨壽。欲何處般泥洹。今在何處。少病少惱安樂住不。作是念已即入正受三昧。以天眼觀一切世界。見世尊在拘尸那竭城熙連河側力士生地堅固林中雙樹間天冠塔邊闍維。乃至火不然。見已慘然不悅復作是念。及世尊舍利未散。當往禮敬。尋復念言。我今往見世尊最後身。不宜乘神足往。宜應步詣。時尊者大迦葉語諸比丘言。諸長老。世尊已般泥洹。各持衣缽共詣拘尸那竭。禮覲世尊。諸比丘聞已皆言善哉。時尊者摩訶迦葉。即與眾多比丘俱詣拘尸那竭路經一聚落。聚落中有一摩訶羅比丘。先在中住。尊者摩訶迦葉告摩訶羅言。持衣缽來。共汝詣拘尸那竭城禮覲世尊。摩訶羅言。長老大迦葉。且待前食後食訖。然後當去。迦葉答言。不宜待食。摩訶羅勤勤至三。迦葉故言不宜待。時摩訶羅恚言。沙門有何急事匆匆乃爾。如死烏不直一錢。且待須臾。食已當去。尊者大迦葉復言。宜且置食。世尊今已泥洹。及未闍維宜應速往。時摩訶羅聞佛已般泥洹。語尊者摩訶迦葉言。我今永得解脫。所以者何。彼阿羅訶在時常言。是應行是不應行。今已泥洹。應行不應行自在隨意。時大迦葉聞此語已慘然不悅。即彈右指火出。右足蹈地。摩訶羅見已大怖而走。乃至大迦葉往詣佛所。世尊即現兩足。從棺雙出。時尊者大迦葉見佛足已。偏袒右肩頭面作禮。說此偈言 如來足踝滿  千輻相輪現  指纖長柔軟  合縵網文成  是故我今日  頂禮最勝足  最勝柔軟足  曾遊行世間  大悲濟群生  從今永不會  是故我今日  稽首如來足  如來救濟我  解脫得應真  我今最後見  永已不復覲  斷世眾疑惑  離欲中最上  利益一切眾  無不得歡喜  是故我今日  頂禮最勝足  佛有如是德  善答決眾疑  今日時已過  慈慧光永滅  是故我今日  稽首最勝足  我證四真諦  說佛功德寶  偈讚禮敬訖  還攝雙足入  諸比丘各議言。誰應闍維。時尊者大迦葉言。我是世尊長子。我應闍維。是時大眾皆言善哉。即便闍維。闍維已。迦葉憶聚落中摩訶羅比丘語。乃至欲行便行。不行則止。即語諸比丘言。長老世尊舍利非我等事。國王長者婆羅門居士眾求福之人自當供養。我等事者宜應先結集法藏。勿令佛法速滅。尋復議言。我等宜應何處結集法藏。時有言。向舍衛者。有言向沙祇。有言向瞻婆。有言向毘舍離。有言向迦維羅衛。時大迦葉作是言。應向王舍城結集法藏。所以者何。世尊記王舍城韋提希子阿闍世王聲聞優婆塞無根信中最為第一。又彼王有五百人床臥供具。應當詣彼。皆言爾。世尊先語尊者阿那律言。如來般泥洹。汝應守舍利。勿使諸天持去。所以然者。過去世時如來般泥洹。諸天持舍利去。世人不能得往。失諸功德。諸天能來人間供養。世人不能往彼。除其神足。是故應好守護。侍者阿難復以供養故不去。時大迦葉即與千比丘俱。詣王舍城至剎帝山窟。敷置床褥莊嚴世尊座。世尊座左面敷尊者舍利弗座。右面敷尊者大目連座。次敷大迦葉座。如是次第安置床褥已辦四月供具。結集法藏故悉斷外緣。大眾集已。中有三明六通德力自在者。於中有從世尊面受誦。一部比尼者。有從聲聞受誦一部比尼者。有從世尊面受誦二部比尼者有從聲聞受誦二部比尼者。眾共論言。此中應集三明六通德力自在從世尊面受誦二部比尼者。從聲聞受二部比尼者。集已數少二人。不滿五百。復議言。應滿五百。長老阿那律後到猶少一人。時尊者大迦葉為第一上座。第二上座名那頭盧第三上座名優波那頭盧。時尊者大迦葉自昇己座。唯留尊者舍利弗目連阿難座已。諸比丘各隨次而坐。時尊者大迦葉告尊者目連共行弟子梨婆提長老。汝至三十三天呼[口*束]提那比丘來。世尊已般涅槃。比丘僧集欲結集法藏。即受命往三十三天白。長老。世尊已般泥洹。比丘僧集欲結集法藏故來相呼。比丘聞已慘然不悅。世尊已般泥洹耶。答言爾。便言。世尊在閻浮提者當往。世尊已般泥洹世間眼滅。即以神足上昇虛空。入火光三昧以自闍維。見已即還。來入僧中具說上事。乃至言入火光三昧。復遣至三十三天尸利沙翅宮。呼憍梵波提。次長老善見在香山。長老頗頭洗那在遊戲山。長老拔佉梨在瞻婆山。復有長老鬱多羅在淨山。尊者目連弟子名大光在光山。尊者舍利弗弟子摩藪盧在慢陀山。尊者羅杜在摩羅山。如是等乃至聞喚。皆般泥洹。復遣使往毘沙門天宮。喚修蜜哆。使至已作是言長老世尊已般泥洹。比丘僧集欲結集法藏。故來相喚。比丘聞已慘然不悅言。世尊已般泥洹耶。答言爾便言。世尊在閻浮提者我當詣彼。世尊般泥洹後世間眼滅。即以神足上昇虛空。入火光三昧以自闍維。入於般泥洹。使還僧中具白僧如上。大迦葉言。諸長老且止勿復喚餘諸聞喚者便自泥洹。若更喚者復當般泥洹。如是世間便空無有福田。有比丘言。諸長老。尊者阿難是佛侍者親受法教。又復世尊記阿難有三事。第一宜應喚來。大迦葉言不爾。如此學人入無學德力自在眾中。猶如疥[癈-(弓*殳)+虫]野干入師子群中。時尊者阿難料理供養訖。來到一聚落中作是言。我今此中宿。明日當往王舍城。時有天來語阿難言。大迦葉言。尊者是疥[癈-(弓*殳)+虫]野干。阿難作是念。世尊已泥洹。我今正欲依附。云何持我作疥[癈-(弓*殳)+虫]野干。心生不悅。復作是念。是大迦葉。足知我眷屬姓字。正當以我結使未盡故作是言耳。時尊者阿難勤加精進經行不懈欲盡有漏。時尊者阿難以行道疲苦。又復世尊泥洹憂惱纏心。先所聞持不復通徹。尋作是念。世尊記我。於現法中心不放逸。得盡有漏用太苦為。心不捨定傾身欲臥。頭未至枕得盡有漏。三明六通德力自在。即以神足乘空而去。到剎帝窟戶外。而說偈言 多聞有辯才  給侍世尊者  瞿曇子阿難  今在門外立  由不與開門  又復說偈言 多聞利辯才  給侍世尊者  已捨結使擔  瞿曇子在外  爾時大迦葉而說偈言 汝捨煩惱擔  自說言得證  未入瞿曇子  來入瞿曇子  阿難入已。禮世尊座訖次禮上座。到己座處便坐。時大迦葉語阿難言。我不自高。亦不輕慢於汝。故作是言。但汝求道不進。欲使精勤盡諸有漏故。說此言耳。阿難言我亦知。但以我。結使未盡。欲使勤進斷諸有漏。時尊者大迦葉問眾坐言。今欲先集何藏。眾人咸言。先集法藏。復問言。誰應集者。比丘言。長老阿難。阿難言不爾。更有餘長老比丘。又言。雖有餘長老比丘。但世尊記汝多聞第一。汝應結集。阿難言。諸長老若使我集者。如法者隨喜。不如法者應遮。若不相應應遮。勿見尊重而不遮。是義非義願見告語。眾皆言。長老阿難。汝但集法藏。如法者隨喜。非法者臨時當知。時尊者阿難即作是念。我今云何結集法藏。作是思惟已便說經言。如是我聞。一時佛住鬱毘羅尼連河側菩提曼陀羅。尊者阿難適說是語。五百阿羅漢德力自在者。上昇虛空咸皆喟歎。我等目見世尊。今已言聞。悉稱南無佛已還復本座。爾時阿難說此偈言 勤修習正受  見諸法生滅  知法從緣起  離癡滅煩惱  勤修習正受  見諸法生滅  知法從緣起  證諸法滅盡  勤修習正受  見諸法生滅  知法從緣起  摧伏諸魔軍  勤修習正受  見諸法生滅  知法從緣起  如日除眾冥  尊者阿難誦如是等一切法藏。文句長者集為長阿含。文句中者集為中阿含。文句雜者集為雜阿含。所謂根雜力雜覺雜道雜。如是比等名為雜。一增二增三增乃至百增。隨其數類相從。集為增一阿含。雜藏者。所謂辟支佛阿羅漢自說本行因緣。如是等比諸偈誦。是名雜藏。爾時長老。阿難說此偈言 所有八萬諸法藏  如是等法從佛聞  所有八萬諸法藏  如是等法從他聞  如是等法我盡持  是佛所說趣泥洹  是名撰集諸法藏  次問。誰復應集比尼藏者。有言長老優波離。優波離言不爾。更有餘長老比丘。有言。雖有長老比丘。但世尊記長老成就十四法。除如來應供正遍知。持律第一。優波離言。諸長老。若使我集者。如法者隨喜。不如法者應遮。若不相應應遮。勿見尊重。是義非義願見告示。皆言。長老優波離但集。如法者隨喜。非法者臨時當知。尊者優波離即作是念。我今云何結集律藏。五淨法。如法如律隨喜。不如法律者應遮。何等五。一制限淨。二方法淨。三戒行淨。四長老淨。五風俗淨。制限淨者。諸比丘住處作制限。與四大教相應者用。不相應者捨。是名制限淨。方法淨者。國土法爾。與四大教相應者用。不相應者捨。是名方法淨。戒行淨者。我見某持戒比丘行是法。若與四大教相應者用。若不相應者捨。是名戒行淨。長老淨者。我見長老比丘尊者舍利弗目連行此法。與四大教相應者用。不相應者捨。是名長老淨。風俗淨者。不得如本俗法。非時食飲酒行婬。如是一切本是俗淨。非出家淨。是名風俗淨。如是諸長老。若如法者隨喜。若不如法應遮。諸比丘答言。相應者用。若不相應者臨時應當遮。時尊者優波離語阿難。長老有罪。清淨眾中應當悔過。阿難言。有何等罪。答言。世尊乃至三制不聽度女人出家。而汝三請。是越比尼罪。時尊者大迦葉擲籌置地言。是第一籌。即時震動三千大千世界。復次佛在毘舍離。佛告阿難。毘舍離般樂放弓杖塔可樂。若得四神足者可住。壽一劫一劫有餘。若佛在世世人得見汝言。如是世尊。如是修伽陀。汝不請佛住世。越比尼罪。次擲第二籌。復次汝右腳指躡世尊僧伽梨衣縫而汝不知是僧伽梨。是諸天世人塔應恭敬耶。是越比尼罪。次下第三籌。復次佛告阿難取水來。如是至三汝不與。世尊取水。是越比尼罪。下第四籌。復次佛告阿難。我臨般泥洹時當語我。我當為諸比丘捨細微戒。而汝不白。越比尼罪。下第五籌。復次佛般泥洹。而汝以佛陰馬藏示比丘尼。是越比尼罪。下第六籌。復次佛般泥洹已。力士諸老母臨世尊足上啼。淚墮足上。汝為侍者不遮。是越比尼罪。下第七籌。爾時阿難不受二罪作是言。長老。過去諸佛皆有四眾。是故三請度比丘尼。佛在毘舍離。三告不請佛住世者。我爾時是學人。為魔所蔽。是故不請。是中犯五越比尼罪。長老如法作已。時尊者優波離作是言。諸長老是九法序。何等九。一波羅夷。二僧伽婆尸沙。三二不定法。四三十尼薩耆。五九十二波夜提六四波羅提提舍尼。七眾學法。八七滅諍法。九法隨順法。世尊在某處為某甲比丘制此戒。不皆言如是優波離如是優波離。復言。比尼有五事記。何等五。一者修多羅。二比尼。三義。四教。五輕重。修多羅者。五修多羅。比尼者。二部比尼略廣。義者。句句有義。教者。如世尊為剎利婆羅門居士說四大教法。輕重者。盜滿五重。減五偷蘭遮。是名五事記比尼。長老如是應學。復有五比尼。何等五。一者略比尼。二者廣比尼。三者方面比尼。四者堅固比尼。五者應法比尼。略比尼者。五篇戒。廣比尼者。二部比尼。方面比尼者。輸奴。邊地聽五事。堅固比尼者。受迦絺那衣捨五罪別眾食乃至。不白離同食。應法比尼者。是中法羯磨和合羯磨。是名應法比尼。餘者非羯磨。如是集比尼藏竟。喚外千比丘入。語言諸長老。如是集法藏。如是集比尼藏。有比丘言。諸長老。世尊先語阿難。欲為諸比丘捨細微戒。為捨何等。有比丘言。世尊若捨細微戒者。正當捨威儀。有言。不正捨威儀亦當捨眾學。有言。亦捨四波羅提提舍尼。有言。亦應捨九十二波夜提。有言。亦應捨三十尼薩耆波夜提。有言。亦應捨二不定法。時六群比丘言諸長老。若世尊在者一切盡捨。大迦葉威德嚴峻猶如世尊。作是言。咄咄莫作是聲。即時一切咸皆默然。大迦葉言。諸長老。若已制復開者。當致外人言。瞿曇在世儀法熾盛。今日泥洹法用頹毀。諸長老。未制者莫制。已制者我等當隨順學。此法從何處聞。從尊者道力聞比尼阿毘曇雜阿含。增一阿含。中阿含。長阿含。道力復從誰聞。從尊者弗沙婆陀羅聞。尊者弗沙婆陀羅復從誰聞。從尊者法勝聞。法勝從誰聞。從尊者僧伽提婆聞。僧伽提婆從誰聞。從尊者龍覺聞。龍覺從誰聞。從尊者法錢聞。法錢從誰聞。從尊者提那伽聞。提那伽從誰聞。從尊者法護聞。法護從誰聞。從尊者耆婆伽聞。耆婆伽從誰聞。從尊者弗提羅聞。弗提羅從誰聞。從尊者耶舍聞。耶舍從誰聞。從尊者差陀聞。差陀從誰聞。從尊者護命聞。護命從誰聞。從尊者善護聞。善護從誰聞。從尊者牛護聞。牛護從誰聞。從尊者巨舍羅聞。巨舍羅從誰聞。從尊者摩求哆聞。摩求哆從誰聞。從尊者摩訶那聞。摩訶那從誰聞。從尊者能護聞。能護從誰聞。從尊者目哆聞。目哆從誰聞。從尊者巨醯聞。巨醯從誰聞。從尊者法高聞。法高從誰聞。從尊者根護聞。根護從誰聞。從尊者耆哆聞。耆哆從誰聞。從尊者樹提陀娑聞。樹提陀娑從誰聞。從尊者陀娑婆羅聞。陀娑婆羅從誰聞。從尊者優波離聞。優波離從誰聞。從佛聞。佛從誰聞。無師自悟更不從他聞。佛有無量智慧。為饒益諸眾生故授優波離。優波離授陀娑婆羅。陀娑婆羅授樹提陀娑。樹提陀娑如是乃至授尊者道力。道力授我及餘人 我等因師教  從無上尊聞  聞持誦比尼  賢聖所行法  世尊內法藏  紹繼釋迦後  各各共護持  令法得久住』
  憍梵波提(きょうぼんはだい、gavaaJpati):憍梵鉢提、迦梵波提、笈房鉢底等に作り、意訳して牛齝、牛呵、牛王、牛相等に為す。かつて舍利弗の指導を受く。その過去の世に、一茎の粟を摘み、数顆の穀粒を地に堕とすに因って、遂に五百世の中に牛身を受く。故に遺りて牛の習性有り。食後に常に牛の反芻の如く咀嚼せるが故に、『牛相の比丘』と呼ばれる。その態度鈍重なれど恬淡として人と争うこと無く、寛宏の気あれば、釈尊、その常に人の毀謗に遭うて衆苦に堕するを憐れみ、乃ち命じて忉利天宮尸利娑園に住め、禅定を修習せしむ。仏の入滅の後に、迦葉等の諸の尊者、法蔵を結集する時、人を天宮に遣わしてそれを迎えんとするも、師は始めて世尊及び舍利弗等のすでに入滅せるを知り、未だ久しからぬに、また帰寂せり。<(望)
大迦葉語下坐比丘。汝次應僧使。下坐比丘言。僧有何使。大迦葉言。僧使汝至天上尸利沙樹園中憍梵波提阿羅漢住處。 大迦葉の下坐の比丘に語らく、『汝、次いで応に僧の使たるべし。』と。下坐の比丘の言わく、『僧に、何の使か有る。』と。大迦葉の言わく、『僧は、汝を使わして、天上の尸利沙樹園中の憍梵波提の住処に至らしめん。』と。
『大迦葉』は、
『下坐の比丘』に、こう語った、――
お前は、
次に、
『僧使となれ!』。
『下坐の比丘』は、こう言った、――
『僧』には、
何のような、
『使命』が、
『有るのか?』、と。
『大迦葉』は、こう言った、――
『僧』は、
お前を、
『天上の尸利沙樹園』中の、
『憍梵波提阿羅漢』の、
『住処』に、
『行かせることにした!』、と。
  (じ):止宿する( stop )、その次/第二( the next in order, the second )、副/次席( second, vice- )、下位品質( subquality )、順序/次第( sequence, order )、回数( times )、旅行途次の宿舎( stopover )。
  僧使(そうし):僧の使者。
是比丘歡喜踊躍受僧敕命。白大迦葉言。我到憍梵波提阿羅漢所陳說何事。 是の比丘は歓喜し踊躍して、僧の勅命を受け、大迦葉に白して言わく、『我れ憍梵波提阿羅漢の所に到りて、何事をか陳(の)べ説かん。』と。
是の、
『比丘』は、
『歓喜・踊躍して!』、
『僧』の、
『勅命』を、
『受ける!』と、
『大迦葉』に白(もう)して、こう言った、――
わたしは、
『憍梵波提阿羅漢の所』に、
『到って!』、
何のような、
『事』を、
『伝えるのか?』、と。
  勅命(ちょくめい):命令。
  陳説(ちんせつ):明言する/伝える/説明する( state, express, explain )。
大迦葉言。到已語憍梵缽提。大迦葉等漏盡阿羅漢。皆會閻浮提。僧有大法事。汝可疾來 大迦葉の言わく、『到り已らば、憍梵波提に語れ、大迦葉等の漏尽の阿羅漢、皆、閻浮提に会せり。僧に大法事有り、汝、疾(すみや)かに来たるべし。』と。
『大迦葉』は、こう言った、――
『天上に到れば!』、
『憍梵波提』に、こう語れ、――
『大迦葉』等の、
『漏尽の阿羅漢』が、
皆、
『閻浮提』に、
『集まるような!』、
『僧』に、
『大きな!』、
『法事』が、
『有ります!』。
あなたも、
『疾(すみや)かに!』、
『来られよ!』、と。
  漏尽阿羅漢(ろじんのあらかん):漏即ち煩悩の尽きたるを阿羅漢と称す。
是。下坐比丘頭面禮僧右繞三匝。如金翅鳥飛騰虛空。往到憍梵波提所。頭面作禮。語憍梵波提言。軟善大德少欲知足常在禪定。大迦葉問訊有語。今僧有大法事。可疾下來觀眾寶聚。 是の下坐の比丘は頭面に僧を礼して、右繞三匝し、金翅鳥の如く虚空に飛騰し、往きて憍梵波提の所に到り、頭面に礼を作して、憍梵波提に語りて言わく、『軟善なる大徳、少欲知足にして、常に禅定に在(ましま)すや。大迦葉問訊して語有り、今僧に大法事有り、疾かに下り来たりて、衆宝の聚を観るべしと。』と。
是の、
『下坐の比丘』は、
『頭面』に、
『僧を礼して!』、
『右繞三匝し!』、
『金翅鳥のように!』、
『虚空』に、
『飛騰して!』、
『憍梵波提の所』に、
『往って!』、
『到り!』、
『頭面』に、
『礼を作し!』、
『憍梵波提』に語って、こう言った、――
『軟善の大徳』は、
『少欲・知足にして!』、
『禅定に、常に在()られるか?』と、
『大迦葉』が、
『問訊して!』、こう語っている、――
今、
『僧』には、
『大きな法事』が、
『有る!』ので、
疾かに、
『下って来て!』、
『衆宝(僧宝)の聚』を、
『観られるがよかろう!』、と。
  右繞三匝(うにょうさんそう):尊敬すべき者に対し右肩を内にして、其の周囲を三周迴る礼法の意。右繞は梵語鉢喇特崎拏pradakSiNaの訳。又右旋、旋右、右遶等に作る。蓋し旋右は印度に於ける致敬の一儀式にして、仏又は塔に対して先づ礼をなし、而して後之を行うを例とす。其の或いは唯だ一周し、或は復た三匝(環繞一周するを一匝という)し、或いは宿願、別請等の時には、遶数は則ち礼者の意に随うと雖も、其の旋匝は必ず右繞を法となす。「大智度論巻67」に、「又供養は常法の如く右繞して応に閻浮提の人を度すべし。此の因縁を以っての故に東方より南方に至り、南方より西方に至るべし」と云えり。是れ仏又は塔の右辺より繞るを右繞と称したるものにして、礼者より言わば左方より始めて右方に転ずるなり。<(望)
  金翅鳥(こんじちょう):梵名迦楼羅garuDa、龍を取って食う巨鳥。『大智度論巻25下注:迦楼羅』参照。
  軟善(なんぜん):柔軟善良の義。「解脱道論巻6」に、「幻諂を離るるが故に軟善と名づけ、身口の邪曲悪を離るるが故に軟善と名づく」と云える是れなり。
  少欲知足(しょうよくちそく):少欲と知足との併称。少欲は梵語alpecchaの訳。巴梨語appicchataa。知足は梵語saMtuSTaの訳。巴梨語santuTThita。又喜足少欲、或いは無欲知足とも称す。即ち未得の事法に於いて多く求めず貪せざるを少欲と云い、已得の事法に於いて少しく得るも満足するを知足と云うなり。「長阿含巻12自歓喜経」に、「鬱陀夷、汝当に世尊の少欲知足なるを観ずべし。今我れ大神力あり、大威力あり、而も少欲知足にして楽って欲に在らず」と云い、又「仏遺教経」に、「汝等比丘当に知るべし、多欲の人は多く利を求むるが故に苦悩も亦た多し。少欲の人は求むることなく欲なければ則ち此の患なし。(中略)汝等比丘、若し諸の苦悩を脱せんと欲せば当に知足を観ずべし、知足の法は則ち是れ富楽安穏の処なり。知足の人は地上に臥すと雖も猶お安楽と為す。不知足の者は天堂に処すと雖も亦意に称(カナ)わず」と云える是れなり。此の中、少欲と知足の別に関しては、「大般涅槃経巻27」に、「世尊、少欲と知足と何の差別かある。善男子、少欲とは求めず取らず、知足とは少を得る時心に悔恨せず。少欲とは少しく所欲あり、知足とは但だ法事を為して心愁悩せず。(中略)未来所欲の事を求めざる是れを少欲と名づけ、得て著せざる是れを知足と名づく。恭敬を求めざる是れを少欲と名づけ、得て積聚せざる是れを知足と名づく。善男子、亦少欲にして知足と名づけざるあり、知足にして少欲と名づけざるあり、亦少欲亦知足なるあり、知足ならず少欲ならざるあり。少欲なるは謂わく須陀洹、知足なるは謂わく辟支仏、少欲知足なるは謂わく阿羅漢、少欲ならず知足ならざるは所謂菩薩なり」と云い、又「大毘婆沙論巻41」に、「未得の可愛の色声香味触衣服飲食牀座医薬及び余の資具に於いて、諸の希わず求めず尋ねず索めず思慕せず方便せざる、是れを少欲と謂う。(中略)已得の可愛の色声香味触衣服飲食牀座医薬及び余の資具に於いて、諸の復た希わず復た欲せず復た楽わず復た求めざる、是れを喜足と謂う」と云えり。以って其の不同を見るべし。蓋し少欲知足は修道の要諦にして諸経論に広く散説する所なり。就中、「中阿含巻18八念経」、「八大人覚経」、「仏遺教経」等には之を八大人覚の初の二法とし、「放光般若経巻4治地品」には、菩薩の四地中に於いて行ずべき十事法の第二第三とし、「大般涅槃経巻27」には仏性と見るべき十法中の初の二法とし、「十住毘婆沙論巻16護戒品」には少欲戒知足戒の二を挙げ、又「増一阿含経巻43」には此の二を合して十事功徳の第一とし、「倶舎論巻22」には亦合して身器清浄三因中の第二の因となせり。又「長阿含巻9十上経」、「大品般若経巻6発趣品」、「大方等大集経巻17」、「大毘婆沙論巻42、96、181」、「成実論巻1三不護品」、「同巻14善覚品」、「大荘厳論経巻2」、「釈氏要覧巻下」等に出づ。<(望)
  問訊(もんじん):梵にpratisaMmodanaに作り、問い訊ぬるの義にして敬礼法の一種なり。即ち合掌曲躬して安否を問うをいう。『中阿含巻6教化病経』に「長者給孤独は仏足に稽首して世尊に問訊すらく、聖体康強安快にして病なく、起居軽便にして気力常の如くなるや」と云い、『法華経巻5従地涌出品』に「この四菩薩はその衆中に於いて最も上首唱導の師たり。大衆の前に在りて各々共に合掌して釈迦牟尼仏を観、而も問訊して言わく、世尊少病少悩にして安楽に行ずるや不や、まさに度すべき所の者は教を受け易きや不や、世尊をして疲労せしめざるや」と云えるこの例なり。『大智度論巻10』には問訊は世界の法にして、世人問訊するが故に仏もまた問訊すと云い、その下に二種の問訊あることを明して「また次ぎに、二種の問訊の法あり。身を問訊すると、心を問訊するとなり。もし少悩少病興居軽利及び気力ありやと言わば、これ身を問訊するなり。もし安楽なりや不やと言わば、これは心を問訊するなり」と云えり。これ即ち少病少悩なりや不やを問うを身の問訊と為し、安楽なりや不やを問うを心の問訊と為し、二種の問訊ありと為せり。<(望)
是時憍梵波提心覺生疑。語是比丘言。僧將無鬥諍事喚我來耶。無有破僧者不。佛日滅度耶。是比丘言。實如所言。大師佛已滅度。 是の時、憍梵波提は、心に疑の生ずるを覚え、是の比丘に語りて言わく、『僧は、将(な)お闘諍の事無きに、我れを呼びに来たるや。破僧の者有ること無きや不や。仏日の滅度したまえるや。』と。是の比丘の言わく、『実に言う所の如し。大師の仏は已に滅度したまえり。』と。
是の時、
『憍梵波提』は、
『心』に、
『疑の生じる!』のを、
『覚(おぼ)え!』、
是の、
『比丘』に語って、こう言った、――
『僧』に、
『闘諍の事が無い!』のに、
わたしを、
『呼びに来たのではあるまい?』。
『僧』を、
『破る!』者が、
『有るのか?』。
『仏の日』が、
『滅度されたのか?』、と。
是の、
『比丘』は、こう言った、――
実に、言われるように、――
『大師』の、
『仏』は、
『已に滅度されました!』、と。
  (しょう):扶助/補助( support )、従事する( follow )、送って行く( send )、携帯する( bring )、案内する( lead, guide )、服従する( be obedient to, submit to )、供養する/養う( provide for )、保養する( recuperate, rest, maintain )、行く/進む( advance, go )、使用する( use )、~せんとす( will, be going to )、必ず( certainly )、正しく( just )、近い( nearly )、[反語]まさか/豈に( really )、[手段]以って( by, by means of )、於いて/在( at, in )、若し( if )、或は( or )。
  破僧(はそう):梵語saMgha-bheda、巴梨語saGgha-bhedakaの訳。又破和合僧、或いは闘乱衆僧に作る。即ち虚誑語を以って僧の和合を破するを云う。『大智度論巻24上注:五逆』参照。
憍梵波提言。佛滅度大疾。世間眼滅。能逐佛轉法輪將我和上舍利弗今在何所。答曰。先入涅槃。 憍梵波提の言わく、『仏の滅度は大いに疾かなり。世間の眼滅せり。能く仏を逐うて転法輪の将たる、我が和上舎利弗は、今何所に在(ましま)すや。』と。答えて曰く、『先に涅槃に入れり。』と。
『憍梵波提』は、
こう言った、――
『仏』の、
『滅度』は、
『余りにも!』、
『疾すぎる!』。
『世間』の、
『眼』は、
『滅してしまった!』。
『仏』に、
『逐()いで!』、
『法輪を転じる!』、
『将である!』、
わたしの、
『和上(師匠)』の、
『舎利弗』は、
今、
何処に、
『在()られるのか?』、と。
答えて、こう言った、――
『仏』より、
『先に!』、
『涅槃に入られた!』、と。
  大疾(だいしつ):甚だしくはやい。
  転法輪将(てんぽうりんのしょう):法輪を転ずるの大将たりの意。
  和上(わじょう):梵語upaadyaaya、又和尚とも称す。即ち受戒の人の為の師表となる者を云う。『大智度論巻13下注:和尚』参照。
憍梵波提言。大師法將各自別離。當可奈何。摩訶目伽連今在何所。是比丘言。是亦滅度。 憍梵波提の言わく、『大師、法将各自ら別離したまえり。当に奈何(いかん)がすべし。摩訶目伽連は今何所に在すや。』と。是の比丘の言わく、『是れも亦た滅度したまえり。』と。
『憍梵波提』は、こう言った、――
『大師』と、
『法の将』とが、
各、
『自ら!』、
『別離されたのか?』。
いったい、
『何うすればよいのか?』。
『摩訶目伽連(目乾連)』は、
今、
『何処に!』、
『在られるのか?』、と。
是の、
『比丘』は、こう言った、――
是れも、
亦た、
『滅度されたのだ!』、と。
  摩訶目伽連(まかもくがれん):梵名mahaamaudgalyaayana。釈尊十大弟子中の一。神足第一と称す。『大智度論巻21下注:摩訶目犍連』参照。
  摩訶目伽連(まかもくがれん):梵にmahaa-maudgalyaayanaに作り、十大弟子中の神通第一。また摩訶目犍連、大目犍連、大目乾連、大目連、目連、目乾連、目犍連、目揵連、目伽連、目伽略、勿伽羅、目犍連延、目犍羅夜耶、没特伽羅、毛伽利耶夜那に作り、別に拘律陀(くりつだ、kolita)と名づけ、拘律、倶哩多、拘離迦、拘理迦、倶離多に作り、意訳して天抱と為し、神通第一の誉れを被る。古代印度摩伽陀国王舎城外拘律陀村の人にして婆羅門種なり。生まれつ容貌端正にして、幼きより即ち舎利弗と交情甚だ篤く、同じく刪闍耶(saJjaya)外道の弟子と為りて各々徒衆二百五十人を領せり。かつて舎利弗と互いに、先に悟りを得て解脱せば、必ず以って相い告ぐべし、と約すれば、遂に共に競いて精進修行し、後に舎利弗は、仏の弟子の阿説示(azavajit)に逢うに因って諸法無我の理を悟り、並びに目犍連に告ぐるに、目犍連も遂に弟子一同を率いて仏に拝謁し、その教化を蒙り、時一月を経て阿羅漢果を証得せり。目犍連は舎利弗と仏に帰依せし後、共同して精進して道を修め、遂に諸弟子中の上首と成り、仏の教化を補翼す。その事蹟に関しては経典中に時に記載あり、また『雑阿含経巻23』、『中阿含経巻48牛角娑羅林経』、『増一阿含経巻36』、『大智度論巻41』等の中に於いては、皆特にこれを称して「神通第一」と為せり。<(望)
憍梵波提言。佛法欲散大人過去眾生可愍。問長老阿難今何所作。是比丘言。長老阿難佛滅度後。憂愁啼哭迷悶不能自喻。 憍梵波提の言わく、『仏法は散ぜんと欲し、大人は過去れり。衆生は愍(あわれ)むべし。』と。問わく、『長老阿難は、今何をか作す所なる。』と。是の比丘の言わく、『長老阿難は、仏の滅度の後、憂愁啼哭迷悶して、自ら喩(やわら)ぐ能わず。』と。
『憍梵波提』は、
こう言った、――
『仏』の、
『法』が、
『散ろうとしている!』。
『大人が過去れば!』、
『衆生』は、
『哀れなものだ!』。
こう問うた、――
『長老阿難』は、
今、
『何をしているのか?』。
是の、
『比丘』は、こう言った、――
『長老阿難』は、
『仏』が、
『滅度された!』後、
『憂愁し!』、
『啼哭し!』、
『迷悶して!』、
自らを、
『喻(さと)れないほどだ!』、と。
  (ゆ):告知( inform )、報告( report )、さとる/熟知( know )、譬喩/類似点を示す( draw an analogy )。
憍梵波提言。阿難懊惱由有愛結別離生苦。羅睺羅復云何。答言。羅睺羅得阿羅漢故無憂無愁。但觀諸法無常相。憍梵波提言。難斷愛已斷無憂愁。 憍梵波提の言わく、『阿難の懊悩は、愛結有るに由り、別離の苦を生ずるなり。羅睺羅は、復た云何。』と。答えて言わく、『羅睺羅は、阿羅漢を得たるが故に、無憂無愁なり。但だ諸法の無常相を観る。』と。憍梵波提の言わく、『断じ難き愛を已に断じたれば、憂愁無きなり。』と。
『憍梵波提』は、
こう言った、――
『阿難』の、
『懊悩する!』のは、
『阿難』に、
『愛結が有り!』、
『別離の苦』を、
『生じたからだ!』。
『羅睺羅』は、
いったい、
『何うしている!』、と。
答えて、こう言った、――
『羅睺羅』は、
『阿羅漢』を、
『得た!』が故に、
『憂愁する!』ことは、
『無い!』、
但だ、
『諸法』の、
『無常相』を、
『観ているだけだ!』、と。
『憍梵波提』は、
こう言った、――
『断ち難い!』、
『愛が断たれている!』が故に、
『憂愁する!』ことが、
『無いのだ!』。
  懊悩(おうのう):恨み悩むこと。
  愛結(あいけつ):梵語anunaya-saMyojanaの訳、又随順結と訳す。九結の一。即ち境に染著する貪煩悩を云う。『大智度論巻41下注:結、同巻42上注:愛』参照。
  羅睺羅(らごら):梵名raahula。仏十大弟子の一。釈尊出家以前の子にして、妃耶輸陀羅の生む所なり。『大智度論巻24下注:羅睺羅』参照。
  羅睺羅(らごら):梵名raahula。仏の十大弟子中の密行第一にして、また釈尊の出家以前の実子なり。また羅護羅、羅怙羅、羅吼羅、曷羅怙羅、羅云、羅雲に作り、意訳して覆障、障月、執日と為す。その羅睺羅阿修羅王の月を障蝕せる時に於いて生るるを以って、また六年母胎中に処するに因り、胎に覆わるるを以って、故に障月、覆障の名有り。羅睺羅の生母に関しては、諸経論中の説法一ならず、或いは瞿夷なりと謂い、或いは耶輸陀羅なりと謂えり。『未曽有因縁経巻1』によれば、仏成道の後の六年、始めて迦毘羅城に還り、羅睺羅をして出家受戒せしむるに、舎利弗を以って和尚と為し、目犍連を阿闍梨と為せり。これ即ち沙彌の始なり。その沙彌たりし時、種種不如法有りしも、仏の訓誡を受けて後に制戒を厳守し、精進して道を修め阿羅漢果を得れば、古より誉めて密行第一と称えらる。<(望)
憍梵波提言。我失離欲大師。於是尸利沙樹園中住。亦何所為。我和上大師皆已滅度。我今不能復下閻浮提。住此般涅槃。 憍梵波提の言わく、『我れは離欲の大師を失えり。是の尸利沙樹園中に於いて住まるも、亦た何の為す所かあらん。我が和上、大師は皆已に滅度したまえり。我れは今、復た閻浮提に下る能わず、此(ここ)に住まりて般涅槃せん。』と。
『憍梵波提』は、
こう言った、――
わたしは、
『離欲』の、
『大師』を、
『失った!』。
此の、
『尸利沙樹園』中に、
『住まって!』、
『何うしようというのか?』。
わたしの、
『和上』も、
『大師』も、
皆、
『已に滅度された!』。
わたしは、
今、
復た、
『閻浮提』に、
『下ることはできそうにもない!』。
此処に、
住まって、
『般涅槃』に、
『入ろう!』、と。
說是言已入禪定中。踊在虛空。身放光明。又出水火。手摩日月現種種神變。自心出火燒身。身中出水四道流下。至大迦葉所。水中有聲。說此偈言
 憍梵缽提稽首禮 
 妙眾第一大德僧 
 聞佛滅度我隨去 
 如大象去象子隨
是の言を説き已りて、禅定中に入り、踊りて虚空に在り、身より光明を放ち、又水火を出し、手もて日月を摩(な)で、種種の神変を現し、自ら心より火を出して身を焼き、身中より水を出すに、四道に流下して、大迦葉の所に至る。水中に声有り、此の偈を説いて言わく、
憍梵波提稽首して
妙衆第一大徳の僧を礼す
仏の滅度を聞く、我れも随って去らん
大象去りて象子随うが如し
『憍梵波提』は、
こう言うと、――
『禅定中に入り!』、
『虚空』で、
『踊りながら!』、
『身』より、
『光明を放って!』、
『水、火を出し!』、
『手』で、
『日、月を摩()でて!』、
種種の、
『神変』を、
『現す!』と、
自ら、
『心』より、
『火を出して!』、
『身』を、
『焼き!』、
『身』中より、
『水を出して!』と、
『四道(地獄、餓鬼、畜生、人間)』を、
『流下させて!』、
『大迦葉の所』に、
『至らせた!』。
『大迦葉の所』では、
『水』中に、
『声』が、
『有って!』、
此の、
『偈』を説いて、こう言った、――
『憍梵波提』は、
『第一の妙衆である!』、
『大徳の僧』を、
『稽首礼する!』。
『仏の滅度』を、
『聞いて!』、
わたしも、
『随従して!』、
『去ることにした!』。
『大象』が、
『去り!』、
『子象』が、
『随うように!』。
  神変(じんぺん):梵語vikurvaNaの訳。又はRddhi、巴梨語vikubbana、又はiddhi、不思議の変異、或いは天心より示現する変異の意。又神変化、或いは単に神、若しくは変とも称す。即ち仏菩薩等が衆生教化の為に其の身上に示現する種種不可思議の変異を云う。「長阿含経巻1」に、「大衆の中に於いて虚空に上昇し、身より水火を出して諸の神変を現じ、而も大衆の為に微妙の法を説く」と云い、「菩薩瓔珞経巻1」に、「大光明を放ちて照らさざる所なく、復た神変を以って十方を感動す」と云える是れなり。「法華経文句巻2下」に神変の字義を釈し、「神変とは神は内なり、変は外なり。神は天心に名づく、即ち是れ天然の内慧なり。変は変動に名づく、即ち是れ六瑞の外に彰れたるなり」と云い、又「法華経玄賛巻2末」に、「或は雨華、動地、放光、遠照、外に物機に応ずるを皆神変と名づく」と云えり。是れ主として仏等の身業所現の変異を神変と名づけたるものにして、即ち三示現の中の神通示現に当れり。又神通、他心及び教誡の三示現を総じて神変と名づくることあり。「大宝積経巻86」に、「我れ三種の神変を以って衆生を調伏す。一には説法、二には教誡、三には神通なり」と云える其の例なり。又「法華経文句巻1下」には仏の十種の神変を出し、「仏は十種の変を作す。謂わく龍毒中らず、龍火焼かず、恒水に溺れず、三方に果を取り、北に粳糧を取り、忉利甘露し、嫌を知りて隠去し、念を知りて現来し、火滅して然えず、斧挙ぐるも下らざるなり」と云えり。是れ元と「太子瑞応本起経巻下」に出す所にして、仏が迦葉の教化に際し示現せられたる神変を列挙せるなり。又神境智通の能変に震動、熾然、流布、示現、転変、往来、巻、舒、衆像入身、同類往趣、顕、隠、所作自在、制他神通、能施辯才、能施憶念、能施安楽、放大光明の十八種あり、之を十八変、又は十八神変と称するなり。又「大日経開題(法界浄心)」には「大日経疏巻1」の説に基づき神変に四種の別ありとし、「神変とは測られざるを神と曰い、常に異なるを変と名づく。即ち是れ心の業用なり。始終知り難く、三種の凡夫は識知すること能わず、十地の聖者も未だ其の辺を知らず、唯仏のみ能く知り能く作すが故に大神変と曰う。此の神変無量無辺なり、大に分って四と為す。一に下転神変、二に上転神変、三に亦上亦下、四に非上非下なり。下転とは本覚の神心より随縁流転して六道の神変を作す。又声聞縁覚等も分に神通変化を作す、並びに是れ迷うの神変なり。法仏の如来は大悲大定より能く難思の事業を作して聾唖の耳目を警覚す、是の如き等の事は下転神変なり。上転神変とは若し衆生ありて菩提心を発し、自乗の教理を修行し、昇進して本覚の一心を証すれば、則ち能く迷識の神心を転変して自乗の覚智を証得し、一切難思の妙業心に随って能く作す。即ち是れ上転神変なり。亦上亦下とは、法界の身雲、恒沙の性徳形として形ならざるなく、像として像ならざるなし。一切の形像を以って一切法性塔と為す、是れ則ち上に臨むれば則ち下、下に臨むれば則ち上なり。並びに皆四種の身を具して大神通を起す、故に亦上亦下神変と云う。非上非下神変とは非有為非無為の一心の本法と、及び不二の中の不二の本法とは、諸の戯論を越えて諸の相待を絶す、難思の本変化の源なり。故に非上非下神変と云う」と云えり。以って義別を見るべし。又「長阿含経巻2」、「中本起経巻上化迦葉品」、「大般若経巻469」、「法華経巻7妙荘厳王本事品」、「仁王護国般若波羅蜜多経巻下不思議品」、「瑜伽師地論巻25」、「法華経文句巻1上、巻10下」等に出づ。<(望)
  四道(しどう):人道、畜生道、餓鬼道、地獄道の意。五道中より天を除く。
  稽首礼(けいしゅらい):頭を地に著ける礼法。
爾時下坐比丘。持衣缽還僧。是時中間阿難思惟諸法求盡殘漏。其夜坐禪經行慇懃求道。 爾の時、下坐の比丘は、衣鉢を持ちて僧に還り、是の時の中間に、阿難は諸法を思惟して、残漏を尽くさんことを求む。其の夜、坐禅、経行して慇懃に道を求む。
爾の時、
『下坐の比丘』は、
『衣鉢を持って!』、
『僧』に、
『還ってきた!』。
是の時、
『阿難』は、
諸の、
『法』を、
『思惟して!』、
『残漏を尽す!』、
『道』を、
『求めながら!』、
其の、
『夜』にも、
『坐禅し!』、
『経行しながら!』、
『慇懃(熱心)に!』、
『道』を、
『求めていた!』。
  衣鉢(えはつ):梵名paatra-ciivaraの訳。巴梨名patta-ciivara、三衣と鉢とを云う。元と僧尼常用の法具なりしが、禅家等にて付法の信標として之を師資相承せしより、遂に転じて法の名に代用せられ、単に法を伝うるを衣鉢を伝うと称するに至れり。「付法蔵因縁伝巻1」に、摩訶迦葉入寂の時鶏足山に入り、草座を敷きて坐し、「我れ今此の身に仏の与うる所の糞掃衣を著し、自ら己れの鉢を持し、乃ち弥勒に至りて朽壊せざらしめん」とあり。是れ摩訶迦葉が仏の糞掃衣を持して当来出世の弥勒に伝えんことを期したりとなすの説なり。蓋し此の説話は「増一阿含経巻44」、「弥勒下生経」、「阿育王伝巻4」、「大毘婆沙論巻135」、並びに「大智度論巻3」等にも悉く記する所にして、有名なる事実として伝えらるる所なるも、「中阿含巻13説本経」には、弥勒は釈尊より金縷織成の衣を受け、且つ仏の命によりて之を仏法衆に施したりと云い、「大毘婆沙論巻178」には、弥勒は金色衣を仏の上首の僧に奉施せし因縁によりて、彼れの当来に於ける金色相業が円満せしことを記せり。此の中、弥勒金色衣受領の説は恐らく弥勒当来補処説の起原をなしたりと認むべきを以って、其の説は即ち迦葉伝衣説の先駆をなしたるものというべく、又迦葉伝衣の説にしても之を弥勒に伝えんことを期したるものなれば、弥勒に関係あることは明らかなりとせざるべからず。然るに「付法蔵因縁伝」等に摩訶迦葉以下師資付法すとなすを以って、禅家に於いては達摩は其の衣鉢を持して支那に来たり、之を二祖慧可に伝え、転じて六祖慧能に至り、六祖滅後は之を曹渓の宝林寺に秘蔵して敢て伝えずとなせり。此の六祖相伝の衣鉢は、令鞱の記に依るに、唐宋二朝に於いて尊重せらるること甚だしく、宮中に迎えて再度之を供養せしことありと云えり。此の衣鉢は恐らく慧能が則天武后より受けたる衲衣と縁鉢とを指せるものなるべし。爾来禅宗に於いては衣鉢を以って付法の信となし、之を師資付囑すること支那及び日本に行われ、其の他の宗派に於いても亦之に摸倣して、開山等の衣鉢を秘重し、之を伝持するに至れり。<(望)
  坐禅(ざぜん):静坐して禅定に入るの意。禅は梵語褝那dhyaanaの略にして、静慮と訳す。即ち結跏趺坐して縁慮を止め三昧に住するを云う。蓋し坐禅は印度哲学の特質たる梵我一如の思想並びに其の修行法としての内省的方法にして、その起原は遠く古ウパニシャッドに求むるを得べく、彼のヤージュニャヴァルキャyaajJavalkyaが、意を制して我を直観することを説くに依れば、当時既に修行法として一般に所謂瑜伽の行われしを見るを得べし。後学派時代に及び、終に禅定法として確立するに至りしが如く、シュヴェーターシュワタラ・ウパニシャッドzvetaazvataroopaniSad(II.8-9)に初めて其の方法を規定し、胸、頸及び頭の三所を一斉にし、身体を直立の姿勢に保ち、五感を意識と倶に心臓に転入せしめ、知識あるものは之に依りて梵の船を艤し、我等に怖畏を齎し来たる一切の瀑流を超度すべし。此の身に於ける気息を遏止し、其の動作を調節し、殆ど気息の絶ゆるまでに僅かに鼻孔に依りて呼吸すべし。猛悪なる富に縛せられたる車の御者に於けるが如く、智者は心を許さず、其の意識を摂持すべしと云えり。仏も亦た此等当時の坐禅法を採用し、常に自ら樹下に於いて坐禅し、諸弟子等をして亦之を修習せしめられたり。「大般涅槃経巻中」に、「爾の時一の満羅仙人の子あり、(中略)忽ち中路に於いて如来の樹下に坐息せるを見、合掌問訊して却って一面に坐し、仏に白して曰さく、夫れ出家の法は坐禅の業最も第一となす」と云い、「分別功徳論巻2」に、「阿難便ち般涅槃せし時、諸比丘各坐禅を習いて復た誦習せず。云わく仏に三業あるも坐禅第一なりと。遂に各諷誦を廃す。」と云い、又「阿育王伝巻5」に、「優波毱多は相好なしと雖も而も仏事を作し、我が声聞中に坐禅を教授すること最も第一となす」と云える如き、皆当時坐禅の深く重んぜられたるを伝うるものというべし。爾来大小乗を通じて皆之を修習し、其の種別として数息、不浄、慈心、因縁、念仏、四無量等の諸種の禅法行われ、又般舟三昧、首楞厳三昧等の多数の三昧を生ずるに至れり。僧叡の「関中出禅経序」に、羅什訳の「坐禅三昧経は優婆鞠多、婆数蜜、僧伽羅刹、馬鳴、勤比丘、僧伽斯那、鳩摩羅羅陀等の禅要中より抄集せしものなることを記し、「達摩多羅禅経巻上」には禅法は大迦葉以来、優波崛、婆数蜜、僧伽羅叉、達摩多羅等次第伝授すと云えり。之に依るに此等の諸師は皆禅法を修習し、之を後世に伝えたることを知るなり。支那に流伝するに及び、僧叡、慧遠等の師夙に之を修し、又天台智顗は大に摩訶止観の法を鼓吹し、尋いで禅宗の興隆と共に坐禅は広く行わるるに至れり。其の規儀に関しては、「大比丘三千威儀巻上」に、「坐禅せんと欲するに復た五事あり、一には当に時に随うべし、二には当に安牀を得べし、三には当に輭座を得べし、四には当に閑処を得べし、五には当に善知識を得べし。復た五事あり、一には当に好善檀越を得べし、二には当に善意あるべし、三には当に善薬あるべし、四には当に服薬すべし、五には当に善助を得べし。爾らば乃ち猗を得ん。随時とは謂わく四時なり、安牀とは謂わく縄床なり、輭座とは謂わく毛座なり、閑処とは謂わく山中樹下なり、亦謂わく寺中の人と共ならざるなり。善知識とは謂わく同居の善なり、善檀越とは謂わく人をして所求なからしむるなり、善意とは謂わく能く善を観ずるなり、善薬とは謂わく能く意を伏するなり、能服薬とは謂わく万物を念ぜざるなり、善助とは謂わく禅帯なり」と云い、又智顗の「修習止観坐禅法要」には、具に具縁、呵欲、棄蓋、調和、方便、正修、善発、覚魔、治病、証果の十科を立てて止観を修習する方則を明せり。此の中、具縁に五あり、一に持戒清浄、二に衣食具足、三に得閑居静処、四に息諸縁務、五に近善知識なり。呵欲に亦五あり、所謂世間の色声香味触の五欲を呵責するなり。棄蓋に亦五あり、即ち貪欲等の五蓋を棄つるなり。調和に亦五あり、一に調食、二に調睡眠、三に調身、四に調息、五に調心なり。方便に亦五あり、一に欲とは世間一切の妄想顛倒を離れんと欲し、一切の諸の禅定智慧門を得んと欲するを云い、二に精進とは堅く禁戒を持して五蓋を棄て、初中後夜に勤行精進するを云い、三に念とは世間の欺誑にして軽んずべく賎しむべく、禅定智慧の重んずべく貴ぶべきを念ずるを云い、四に巧慧とは世間の楽と禅定智慧の楽の得失軽重等を籌量するを云い、五に一心とは念慧分明にして明に世間の患うべく悪むべきを見、善く禅定智慧の尊ぶべく貴ぶべきを識るを云う。即ち此の五五二十五法を方便として正修に入るべきことを説くなり。又「勅修百丈清規巻下大衆章坐禅儀の條」には、「夫れ般若を学する菩薩は大悲心を起し、弘誓願を発し、三昧を精修し、誓って衆生を度すべし。一身の為に独り解脱を求めず、諸縁を放捨し万念を休息して、身心一如動静間なく、其の飲食を量り、其の睡眠を調え、閑静の処に於いて厚く坐物を敷きて結跏趺坐し、或いは半跏趺し、左掌を以って右掌の上に安じ、両の大拇指相拄えて正身端坐し、耳をして肩と対し、鼻をして臍と対せしめ、舌は上顎を拄え、唇歯相著け、目は須らく微に開くべし。昏睡を致すことを免れん。若し禅定を得ば其の力最も勝るべし。古の定を習う高僧は坐して常に目を開く。法雲の円通禅師が人の目を閉じて坐禅するを呵して、黒山鬼窟と謂えるは深旨あり。一切の善悪都べて思量すること莫かれ。念起らば即ち覚せよ。常に覚して昧ならずば昏ならず散ならず、万年一念、非断非常、此れ坐禅の要術なり。坐禅は乃ち安楽の法門なるも而も人多く疾を致すことは、蓋し其の要を得ざればなり。其の要を得ば則ち自然に四大軽安精神爽利にして、法味神を資く。寂にして常に照らし、寤寐一致、生死一如、但だ肯心を辨ぜよ。必ず相賺らざれ。然れども恐る道高ければ魔盛んに、逆順万端ならんことを。若し能く正念現前せば、一切留礙すること能わじ。首楞厳経、天台の止観、圭峯の修証儀の如き、具に魔事を明せり。皆自心より生じ、外に由りて有るに非ず。定慧の力勝れんには、魔障自ら消せん。若し定を出でんと欲せば、徐々に身を動かし、安詳として起ちて、卒暴なることを得ざれ。出定の後は常に方便を作して定力を護持せよ。諸の修行の中には禅定を最と為す。若し安禅静慮せずんば、三界流転し、境に触れて茫然たらん。所以に道わく、珠を探らんには宜しく浪を静むべく、動水には取ること応に難かるべし。定水澄清ならば心珠自ら現ぜん」と云えり。以って坐禅の方便規式を見るべし。又「六妙法門」には、坐禅中に報障、煩悩障、業障の三種の障起ることあるを説き、此の中、報障の起るに三種の相あり、一に覚観の心浮動明利にして諸境を攀縁し、心縦横に散ずること猿猴の樹を得て制録すべきこと難きが如くならば、之を対治するに数息門の観を用い、二に坐禅中に於いて、或る時は其の心亦昏く、或る時は亦散ぜば、之を調心するに随息門の観を用い、三に坐禅中に於いて若し信心急に気麁に、心散じて流動するを覚えば、止門の観を用いて之を対治すべし。煩悩障の起るに亦三種の相あり、一に坐禅中に於いて貪欲の煩悩障起る時は、観心門の中の九想、初背捨、二勝処等の諸の不浄門を用いて之を対治し、二に瞋恚の煩悩障起る時は、観心門の中の慈悲喜捨等を用いて之を対治し、三に愚癡邪見の煩悩障起る時は、還門の観を用いて十二因縁三空道品を反照し、心源を破拆して本性に還帰すべし。業障の起るに亦三種の相あり、一に坐禅中に於いて、黒闇業起りて忽然として垢心昏闇に、境界を迷失することあらば、即ち浄門中の方便浄応身三十二相清浄光明を念じて以って之を対治し、二に坐禅中に於いて、忽然として悪念生ずることありて貪欲を思惟し、悪として造らざることなきは、是れ過去罪業の然らしむる処なれば、即ち浄門中の報仏一切種智円浄浄楽功徳を念じて之を対治し、三に坐禅中に於いて、若し種種の諸の悪境界の相現ずることあり、乃至身心を逼迫することあらば、即ち是れ過去今世の所造の諸の悪業障の所発なりと知りて、浄門中の法身本浄不生不滅本性清浄を念じて之を対治す。乃至復た次ぎに行者若し坐禅中に於いて、諸余の禅深定智慧解脱を発し、種種の業障起ることあらば、即ち六門の中に於いて善巧して対治の法を用うべしと云えり。又「大乗起信論」及び「摩訶止観巻8下」等に、定中に魔事の起ることあるを説き、各其の対治の法を明せり。又「坐禅三昧経」、「五門禅経要用法」、「観心論疏巻1」、「法界次第初門巻上之下」等に出づ。<(望)
  経行(きょうぎょう):梵語caGkramanaの訳。巴梨語caGkamana、一定の個処を往復歩行するを云う。又「キンヒン」と発音す。「法華経巻1方便品」に、「我れ始め道場に坐して観樹し亦経行す」と云える其の例なり。其の方式に関しては「十誦律巻57」に、「経行の法とは、比丘応に直く経行して、遅からず疾からざるべし。若し直きこと能わずんば、当に地を画して相を作り、相に随って直行すべし。是れを経行の法と名づく」と云い、又「四分律巻50」に、「時に諸の比丘、露地に経行し、風雨を患い日に曝されて患を得。仏言わく、経行堂を作ることを聴すと。云何が作るべきかを知らず。仏言わく、長行に作ることを聴す。堂を作る所須一切給与せよと。時に彼の上座、老病羸頓にして、経行の時地に倒る。仏言わく、縄索を両頭に繋け、索に循って行くを聴すと。索を捉らえて行くに、手輭にして手を破す。仏言わく、捲若しくは竹筒を作り、縄を以って筒を穿ち、手に捉らえて循行するを聴すと。経行の時、疲極まれば両頭を牀に安ずるを聴す」と云えり。又「大比丘三千威儀巻上」には、経行は五処に於いて作すべしとし、「一に当に閑処に於いてすべし、二に当に戸前に於いてすべし、三に当に講堂の前に於いてすべし、四に当に塔下に於いてすべし、五に当に閣下に於いてすべし」と云い、又「四分律巻59」には、「経行に五事の好あり、遠行に堪え、能く思惟し、病少なく、食飲を消し、定久住を得」と云えり。是れ蓋し衛生の為に行う一種の運動法にして、印度に於いては道俗共に之を為し、仏及び諸弟子も亦常に之を行えり。「南海寄帰内法伝巻3経行少病の條」に、「五天の地は道俗多く経行を作す。直去直来唯だ一路に遵う。時に随い性に適して、閙処に居ることなし。一に則ち痾を痊し、二に能く食を鎖す。禺中日昳は即ち行時なり。或いは寺を出でて長引し、或いは廊下に於いて徐行すべし。若し之を為さざれば身に病苦多く、遂に脚腫れ、肚腫れ、臂疼み髆疼ましむ。但だ痰癊鎖せざるあるは、並びに是れ端居の致す所なり。必ず若し能く此の事を行ずれば、実に身を資け道を長ずべし。故に鷲山覚樹の下、鹿苑王城の内、及び余の聖跡に皆世尊経行の基あり。闊さは二肘ばかり、長さ十四五肘、高さ二肘余にして、壘甎にて之を作り、上には乃ち石灰にて蓮華の開く勢を塑作す。高さ二肘ばかり、闊さ纔かに一尺、十四五の表聖足跡あり」と云い、又「大唐西域記巻8」にも、「菩提樹の北に仏経行の処あり、如来正覚を成じ已りて座を起たず、七日寂定す。其の起つや、菩提樹の北に至りて七日経行し、東西往来往くこと十余歩、異華迹に随いて、十有八文あり。後人此に於いて壘甎基を為し、高さ三尺に余る」と云うに依りて知るを得べし。後世に至り其の法に多少の異同を生じたるが如く、「無畏三蔵禅要」には、「汝等習定の人、復た須らく経行の法を知るべし。則ち一の静処に於いて浄地を平治し、面長二十五肘、両頭に標を竪て、頭に通じて索を繋け、纔かに胸と斉しくし、竹筒を以って索を盛り、長く手に執るべし。其の筒は日に随って右に転じ、平直に来往し、融心普く周く、前六尺を視、三昧覚に乗じて本心を任持し、諦了分明に忘失せしむることなく、但だ一足を下ろして便ち一の真言を誦し、是の如く四真言し、初より後に至り、終りて復た始む」と云い、又「修禅要訣」には、「宜しく平坦の地に依り、二十步より以来、四十五歩以上の中に於いて経行すべし。経行の時は左手を覆せ、大指を以って屈して掌中に著け、余の四指を以って大指を把りて拳と作し、然して右手を覆せて左の手腕を把り、即ち端坐して少時心を摂して住せしむ。謂わく鼻端等に住するなり。乃ち行く。行くには太急太緩なること勿かれ。行くには只だ心を接して行き、界畔に至れば即ち日を逐うて身を廻らし、還って来処に向かいて住立すること少時にして、前の如くに復た行く。行く時は即ち目を開き、住する時は即ち閉づ。是の如く久しく行じ、稍倦めば、即ち休むべし。経行は唯昼に在り、夜は行ぜざるなり」と云えり。又禅家にては、坐禅中昏睡を催せる時、之を行わしむ。「坐禅用心記」に、「猶お未だ醒めざる時は、座を起ちて経行せよ。正に要ず順行せよ。順行若し一百許歩に及ばば昏睡必ず醒めん。経行の法は、一息恒に半歩なるべし。行くも亦行かざるが如く、寂静にして動ぜず」と云える是れなり。又「阿弥陀経」に、「食時を以って還りて本国に到り、飯食し経行す」と云える文の経行は梵語divaa-vihaaraの訳にして、「称讃浄土仏摂受経」には遊天住と訳され、今の経行caGkramaNaの意に非ず。西蔵訳阿弥陀経の「Jin-no gnas-pahi phyir」は、「昼休息の為に」の意にして、是れ恐らくは梵語divaa vihaaraayaを訳せるものなるべし。又「十誦律巻14」、「五分律巻25」、「法華経文句巻5上」、「釈氏要覧巻下」等に出づ。<(望)
  衣鉢(えはつ):六物中の衣と鉢。比丘の所有物の中でも中心的な物。
  六物(ろくもつ):比丘の六種の所有物。これ以外を私有することは許されない。(1)僧伽梨(そうがり):九條乃至二十五條の大衣、(2)漚多羅僧(うったらそう):七條の中衣、(3)安陀会(あんだえ):五條の下衣、以上を三衣という、(4)鉄多羅(てつたら):鉄鉢、(5)尼師壇(にしだん):坐具、(6)漉水嚢(ろくすいのう):水中の虫の命を護る具。
  十八物(じゅうはちもつ):大乗では比丘の所有を次の十八種と為す。(1)楊枝、(2)澡豆(そうづ):水に和して手を洗う豆の粉、(3)三衣、(4)軍持(ぐんじ):瓶と訳す、浄水の瓶、(5)鉢、(6)坐具、(7)錫杖、(8)香爐、(9)漉水嚢、(10)手巾、(11)刀子、(12)火燧(かすい):火打ち金、(13)鑷子(にょうし):毛抜き、(14)縄床(じょうしょう):携帯用寝台、(15)経、(16)律:梵網経、(17)仏像、(18)菩薩像:文殊、弥勒の像。
是阿難智慧多定力少。是故不即得道。定智等者乃可速得。 是の阿難は、智慧多く、定力少なく、是の故に即ち道を得ず。定、智等しくば、乃ち速かに得べし。
是の、
『阿難』は、
『智慧が多く!』、
『定力』が、
『少ない!』ので、
是の故に、
すぐには、
『道』を、
『得られなかった!』。
『定』と、
『智』との、
『力』が、
『等しくなって!』、
ようやく、
『速かに!』、
『得られるのである!』。
後夜欲過疲極偃息。卻臥就枕頭未至枕。廓然得悟。如電光出闇者見道。阿難如是入金剛定。破一切諸煩惱山。得三明六神通共解脫。作大力阿羅漢。即夜到僧堂門敲門而喚。 後夜を過ぎんと欲するころ、疲極まりて偃息し、却(しりぞ)きて臥せ、枕に頭を就けんとして、未だ枕に至らざるに、廓然として悟ることを得ること、電光出でて、闇に道を見るが如し。阿難は、是の如く金剛定に入りて、一切の諸の煩悩の山を破り、三明、六神通、共解脱を得て、大力の阿羅漢と作り、即夜に僧堂の門に到りて、門を敲(たた)きて喚(よ)べり。
『阿難』は、
『後夜が過ぎようとする!』時、
『疲労』が、
『極まって!』、
『休息しようとし!』、
『却いて臥せ!』、
『枕』に、
『頭』を、
『就けたか就けない!』時、
『電光』が、
『闇を開いて!』、
『道』が、
『見えるように!』、
『パッと閃いて!』、
『道』を、
『悟ることができた!』。
『阿難』は、
是のようにして、
『金剛定に入る!』と、
一切の、
諸の、
『煩悩の山』を、
『破り!』、
『三明、六神通、共解脱を得て!』、
『大力』の、
『阿羅漢』と、
『作った!』。
そこで、
『夜になると!』、
『僧堂の門に到り!』、
『門』を、
『敲(たた)いて!』、
『喚()んだ!』。
  後夜(ごや):夜半過ぎて暁を迎えるまで。
  偃息(えんそく):休養/休憩( rest )、停止( cease, stop )。
  廓然(かくねん):開けて静かな様子( open and quiet )、静かに( quietly )。
  金剛定(こんごうじょう):梵語vajra-samaadhiの訳。金剛vajraは雷電の義にして、山を摧く器具の意。乃ち金剛の如く、諸の煩悩の山を摧く定を云う。『大智度論巻17下注:定、同巻22下注:金剛』参照。
  三明(さんみょう):梵語tisro vidyaaHの訳。無学位に至りて愚闇を除尽し、三事に於いて通達無礙なる智明を云う。又三達、或は三証法とも名づく。即ち一に宿命智証明、二に生死智証明、三に漏尽智証明なり。『大智度論巻16下注:三明』参照。
  六神通(ろくじんづう):梵語SaD abhijJaaHの訳。略して六通とも名づく。仏菩薩の定慧力に依りて示現する六種の無礙自在の妙用を云う。即ち一には神足通証、二には天耳通証、三には知他心通証、四には宿命通証、五には天眼通証、六には漏尽通証なり。『大智度論巻18下注:六神通』参照。
  共解脱(くげだつ):煩悩、及び解脱の二障を併せ断ずるの意。『大智度論巻18(下)注:解脱』参照。
大迦葉問言。敲門者誰。答言。我是阿難。大迦葉言。汝何以來。阿難言。我今夜得盡諸漏。 大迦葉の問うて言わく、『門を敲く者は誰ぞ。』と。答えて言わく、『我れは是れ阿難なり。』と。大迦葉の言わく、『汝は、何を以ってか来たる。』と。阿難の言わく、『我れは、今夜、諸の漏を尽くすを得たり。』と。
『大迦葉』は、
『問うて!』、こう言った、――
誰が、
『門』を、
『敲いているのか?』、と。
『答えて!』、こう言った、――
わたしは、
『阿難である!』、と。
『大迦葉』は、こう言った、――
お前は、
何しに、
『来たのか?』、と。
『阿難』は、こう言った、――
わたしは、
今夜、
諸の、
『漏』を、
『尽すことができた!』、と。
大迦葉言。不與汝開門。汝從門鑰孔中來。阿難答言。可爾。即以神力從門鑰孔中入。禮拜僧足懺悔。大迦葉莫復見責。 大迦葉の言わく、『汝の与(ため)には、門を開けず。汝は、門の鑰孔中より来たれ。』と。阿難の答えて言わく、『爾るべし。』と。即ち神力を以って、門の鑰孔中より入り、僧の足を礼拝し懺悔せり、『大迦葉、復た責めを見(あらわ)したもうこと莫かれ。』と。
『大迦葉』は、
こう言った、――
お前には、
『門』を、
『開けてやらない!』。
お前は、
『門の鑰孔(鍵穴)』中より、
『来い!』、と。
『阿難』は、
答えて、こう言った、――
『爾れがよかろう!』、と。
そして、
『神力』で、
『門の鑰孔』中より、
『入る!』と、
『僧の足』を、
『礼拜して!』、
『懺悔する!』と、こう言った、――
大迦葉!
もう、
『責め!』を、
『見せるな!』、と。
  鑰孔(やくく):かぎあな。
  (けん):見る/見える( see, catch sight of )、会見/訪問する( meet, call on )、顕れる/現れる( come into contact with, be exposed to )、観察/了解する( observe, know )、見解( opinion )、見識( view )、らる/被る( be+過去分詞 )、手に入る/見える( available, visible )、≪現の古字≫見せる/現す/顕現/実現する( appear )、推薦する( recommend )、現在/今( now )。
  :鑰孔を通るの義、即ち是れ維摩経所説の如し、所謂我が証する所の無漏とは、即ち是れ無為法身なり。無為法身世界に遍満すれば、既に本より中に在り。然れども、汝が欲する所の法の結集とは、即ち是れ有為法ならんや。有為法なれば、応に無為法身を須つべからず、亦た応に外に残れる有為肉身を須ちて法を説かしむべし。汝中に在りて待たんよりは、寧ろ直ちに鑰孔を通りて我が肉身を迎えに来よ!
大迦葉手摩阿難頭言。我故為汝使汝得道。汝無嫌恨。我亦如是以汝自證。譬如手畫虛空無所染著。阿羅漢心亦如是。一切法中得無所著。復汝本坐。 大迦葉の、手もて阿難の頭を摩でて言わく、『我れは、故(もと)より汝が為に、汝をして、道を得しめんとせり。汝、嫌恨すること無かれ。我れも、亦た是の如く、汝を以って、自ら証せり。譬えば、手もて虚空に画くに、染著する所無きが如く、阿羅漢の心も、亦た是の如し、一切の法中に、著する所無きを得れば、汝が、本の坐に復(もど)れ。』と。
『大迦葉』は、
『手』で、
『阿難の頭』を、
『摩でながら!』、こう言った、――
わたしは、
故(もと)より、
お前の為めに、
『お前に!』
『道』を、
『得させたのだ!』。
お前は、
わたしを、
『悪(にく)み!』、
『恨んではならない!』。
わたしも、
亦た、
是のように、
お前の、
『お蔭で!』、
『自ら!』、
『証(確信)することができた!』、――
譬えば、
『手』で、
『虚空』に、
『画いても!』、
『虚空』には、
『染著する!』所が、
『無いように!』、
『阿羅漢の心』も、
是のように、
一切の、
『法』中に、
『著する!』所を、
『無くせるのだ!』。
お前は、
『本の坐』に、
『復(もど)れ!』、と。
  嫌恨(けんこん):嫌悪忿恨。悪んで恨む。
是時僧復議言。憍梵波提已取滅度。更有誰能結集法藏。 是の時、僧は復た議(はか)りて言わく、『憍梵波提は、已に滅度を取れり。更に、誰か、能く法蔵を結集するもの有る。』と。
是の時、
『僧』は、
復た、
『議して!』、こう言った、――
『憍梵波提』は、
已に、
『滅度』を、
『取ってしまった!』が、
更に、
誰か、
『法蔵を結集できる!』者が、
『有るだろうか?』、と。
長老阿泥盧豆言。是長老阿難。於佛弟子常侍近佛。聞經能持佛常歎譽。是阿難能結集經藏。 長老阿尼廬豆の言わく、『是の長老阿難は、仏に於いて弟子となり、常に侍りて、仏に近く、経を聞きて、能く持(たも)てば、仏は常に歎誉したまえり。是の阿難は、能く経蔵を結集せん。』と。
『長老阿尼廬豆』が、
こう言った、――
是の、
『長老阿難』は、
『仏弟子として!』、
常に、
『仏』の、
『近くに!』、
『侍り!』、
『経』を、
『聞いて!』、
『記憶した!』ので、
『仏』は、
『常に!』、
『歎誉(称誉)されていた!』。
是の、
『阿難』ならば、
『経蔵』を、
『結集することができるだろう!』、と。
  (お):[場所・位置・時]於いて/在( in, at, on )、[原因・目的]為めに( for the sake of, in order to, for the reason that )、[方向]~に/向って( for )、[比較・所発]~より/から( from )。
是時長老大迦葉摩阿難頭言。佛囑累汝令持法藏。汝應報佛恩。佛在何處最初說法。佛諸大弟子能守護法藏者皆以滅度。唯汝一人在。汝今應隨佛心憐愍眾生。故集佛法藏。 是の時、長老大迦葉の、阿難の頭を摩でて言わく、『仏は、汝に嘱累して、法蔵を持(たも)たしむ。汝は、応に仏恩に報ずべし。仏は、何処に在りて、最初に法を説きたまいしや。仏の諸の大弟子の、能く法蔵を守護する者の、皆、滅度せるを以って、唯だ汝一人在るのみ。汝は、今応に仏の心に随うて、衆生を憐愍し、故に仏の法蔵を集むべし。』と。
是の時、
『長老大迦葉』は、
『阿難』の、
『頭を摩でて!』、こう言った、――
『仏』は、
お前に、
『嘱累(附属)して!』、
『法蔵』を、
『記憶させられた!』。
お前は、
『仏』の、
『恩』に、
『報いねばならぬ!』。
何処で、
『仏』は、
『最初に!』、
『説法されたのか?』。
『仏』の、
諸の、
『大弟子』の、
『法蔵』を、
『守護できる!』者は、
皆、
『滅度した!』ので、
唯だ、
お前、
『一人』が、
『在るのみだ!』。
お前は、
今、
『仏の心』に、
『随って!』、
『衆生』を、
『憐愍し!』、
故に、
『仏』の、
『法蔵』を、
『集めねばならぬ!』、と。
  嘱累(ぞくるい):ゆだねる。付嘱。
是時阿難禮僧已坐師子床。時大迦葉說此偈言
 佛聖師子王  阿難是佛子 
 師子座處坐  觀眾無有佛 
 如是大德眾  無佛失威神 
 如空無月時  有宿而不嚴 
 汝大智人說  汝佛子當演 
 何處佛初說  今汝當布現
是の時、阿難は、僧を礼し已りて、師子の床に坐せり。時に、大迦葉は、此の偈を説きて言わく、
仏は聖師子の王なり、阿難は是れ仏の子なり
師子座に処坐して、衆を観るに仏有ること無けん
是の如き大徳衆も、仏無くんば威神を失わん
空に月無き時には、宿有るも厳かならざるが如し
汝大智の人よ説け、汝仏の子よ当に演(の)べよ
何処にか仏初めて説きたまえる、今汝当に布現すべし
是の時、
『阿難』は、
『僧を礼して!』、
『師子の床』に、
『坐した!』。
その時、
『大迦葉』は、
此の、
『偈』を、
『説いて!』、こう言った、――
『仏』は、
『聖師子の王であり!』、
『阿難』は、
『仏』の、
『子である!』が、
『師子の坐処』から、
『衆を観ても!』、
『仏』は、
『無い!』。
是のような、
『大徳衆』も、
『仏が無ければ!』、
『威神(威光)』を、
『失う!』、
譬えば、
『空』に、
『月』が、
『無ければ!』、
『宿(星座)』が、
『空に有っても!』、
『威厳がないようなものだ!』。
お前!
『大智の人よ!』、
『仏の子よ!』、
『演べ説くがよい!』、
何処で、
『仏』は、
『初めて説かれたのか?』。
今、
お前は、
『布現せねばならぬ!』、と。
  (ごん):急かす/厳格に/厳しく( urgent, stern, strict )、緊密( tight, close )、厚い( thick )、辛辣/残酷( bitter, cruel )、威厳/まじめ( majestic, serious )、父の尊称( father )、警戒( strictry )、畏懼/怖れる( fear )、きちんとする( set in order )、尊敬( respect )。
  布現(ふげん):演説布現。演説を広く実現する。
是時長老阿難一心合手。向佛涅槃方。如是說言
 佛初說法時  爾時我不見 
 如是展轉聞  佛在波羅柰 
 佛為五比丘  初開甘露門 
 說四真諦法  苦集滅道諦 
 阿若憍陳如  最初得見道 
 八萬諸天眾  皆亦入道跡
是の時、長老阿難は、一心に手を合わせて、仏の涅槃したまいし方に向い、是の如く説きて言わく、
仏初に法を説きたまいし時、爾の時我れは見(まみ)えず
是の如く展転して聞けり、仏は波羅奈に在(ましま)せり
仏は五比丘の為に、初めて甘露の門を開き、
四真諦の法を説きたまえり、苦集滅道の諦なり
阿若憍陳如、最初に見道を得て、
八万の諸の天衆も、皆亦た道の跡に入れり
是の時、
『長老阿難』は、
『一心』に、
『手』を、
『合せて!』、
『仏の涅槃された!』、
『方』を、
『向いて!』、
是のように説いて、言った、――
『仏』が、
『初めて!』、
『法』を、
『説かれた!』時、
爾の時、
わたしは、
『見ていない!』が、
是のように、
『展転として(次々伝えて)!』、
『聞いている!』。
『仏』は、
『波羅奈』に、
『在られた!』時、
『五比丘』の為めに、
初めて、
『甘露の門』を、
『開いて!』、
『四真諦の法』の、
『苦、集、滅、道諦』を、
『説かれた!』。
『阿若憍陳如』が、
『最初に!』、
『道』を、
『見ることができ!』、
『八万の諸天衆』も、
皆、
『道の跡』に、
『入った!』、と。
  展転(てんでん):寝返りを打つ/床に臥せて安らかならざる状( toss about (in bed) )、多くの人/場所を経過する( pass through many hands or places )。
  波羅奈(はらな):梵名vaaraaNasiiの音訳。中印度の古国の名。『大智度論巻21上注:婆羅痆斯国』参照。
  五比丘(ごびく):梵語paJca bhikSavaHの訳。五人の比丘の意。又五群比丘とも名づく。釈尊成道の後、初めて教化を受けたる五人の比丘を云う。『大智度論巻22下注:五比丘』参照。
  四真諦(ししんたい):梵語catvaary aarya-satyaaniの訳。四種の真実にして改まらざる理の義。即ち苦と苦の集、苦集の滅、苦集滅の道に関する真実にして改まらざる道理を云う。『大智度論巻18下注:四聖諦』参照。
  阿若憍陳如(あにゃきょうちんにょ):巴梨名aJJa-koNDaJJa。梵名aajJaata-kauNDinya。五比丘の一。釈尊の最初に化度せられたる比丘として有名なり。『大智度論巻22下注:阿若憍陳如』参照。
  見道(けんどう):梵語darzana-maargaの訳。理を見る道の意。三道の一。具に見諦道と称し、略して見諦とも名づく。即ち世第一法の無間に始めて無漏の慧を得て四諦の理を見照する位を云う。「倶舎論巻23」に、「苦法智忍を初と為し、道類智忍を後と為す。其の中、総じて十五刹那あり、皆見道の所摂なり。未見諦を見るが故なり。第十六の道類智の時に至りては、一の諦理として未だ見ざるを今見ることなし。曽見を習うが如くなるが故に修道に摂す」と云い、又「同巻」に、「世第一の無間に、即ち欲界の苦を縁じて無漏の法忍を生じ、忍の次に法智を生ず。次に余界の苦を縁じて類忍類智を生ず。集滅道諦縁じて各四を生ずること亦然り。是の如き十六心を聖諦現観と名づく」と云える是れなり。是れ苦法智忍を初とし、道類智忍に至る十五心を総じて見道となすの意なり。蓋し世第一法一刹那の後、無間に欲界苦聖諦の境を縁じて無漏の法智忍生ずることあるを苦法智忍duHkhe dharma-jJaana-kSaantiHと名づく。此の忍生ずる時、即ち正性離生に入るなり。苦法智忍の無間に亦即ち欲界の苦聖諦の境を縁じて無漏の法智生ずることあるを苦法智duHkhe dharma-jJaanamと名づく。苦法智の無間に上二界の苦聖諦の境を縁じて類智忍生ずるを苦類智忍duHkhe 'nvaya-jJaana-kSaantiHと名づけ、此の忍の無間に亦此の境を縁じて類智生ずるを苦類智duHkhe 'nvaya-jJaanamと名づく。又苦類智の無間に欲界の集聖諦の境を縁じて法智忍生ずるを集法智忍、此の忍の無間に亦此の境を縁じて法智生ずるを集法智、次に上二界の集聖諦の境を縁じて類智忍生ずるを集類智忍、此の忍の無間に亦此の境を縁じて類智生ずるを集類智と名づく。次に欲界の滅聖諦の境を縁じて法智忍生ずるを滅法智忍、此の忍の無間に亦此の境を縁じて法智生ずるを滅法智、次に上二界の滅聖諦の境を縁じて類智忍生ずるを滅類智忍、此の忍の無間に亦此の境を縁じて類智生ずるを滅類智と名づく。次に又欲界の道聖諦の境を縁じて法智忍生ずるを道法智忍、此の忍の無間の亦此の境を縁じて法智生ずるを道法智、次に上二界の道聖諦の境を縁じて類智忍生ずるを道類智忍、此の忍の無間に亦此の境を縁じて類智生ずるを道類智と名づく。此の中、最初に諸法の真理を証知するが故に法智と称し、其の境智乃ち前と相似するが故に類智の名を得。是の如く次第に十六心ありて四聖諦を現観するを聖諦現観と名づくるなり。然るに此の十六心の中、小乗説一切有部に於いては前の十五心を以って見道と為し、第十六心を修道に属す。是れ蓋し前十五心は未曽見の理を見るが故に見道と名づくるも、第十六心に未曽見の理を見るに非ず、第十五心に於いて已に曽て見たる所の理を修習するものなるが故に、即ち修道に摂すべしとなすなり。「倶舎論光記巻23」に四種の量を立てて、道類智は見道の摂に非ざることを論ぜり。即ち其の文に、「又釈す、道類智は見道の摂に非ず、是れ果に摂するが故に、余の修果の如し。道類智は見道の摂に非ず、頓に八智十六行を修するが故に、余の修果の如し。道類智は見道の摂に非ず、前道を捨するが故に、余の修果の如し。道類智は見道の摂に非ず、相続して起るが故に、余の修道の如し」と云える是れなり。又「異部宗輪論」等に依るに、犢子部に於いては十二心見道の説を立て、十二心を以って行向となし、第十三心を住果と為すと云えり。十二心とは一諦に三心あり、一に苦法智は即ち欲界の苦を観じ、二に苦法忍は後に欲界苦諦の惑の断未断を観ず。猶お上界の惑あるを以っての故に断等を重観するなり。三に苦類智は即ち合して色無色の苦を観ず。苦諦の三界尽くるを以っての故に復た重観せず。是の如く集滅道の三諦に亦各三心あるが故に、合して唯だ十二心あり。第十三心は或いは道類智の第二念の相続心を云い、或いは総じて四諦を観ずる心を云う。是れ即ち道類智を見道の摂となせるものなり。又「大毘婆沙論巻51、103」、「倶舎論巻23」等に依るに、大衆部は頓現観の説を立て、四聖諦に於いて一刹那に能く之を了知すと云い、又「異部宗輪論」及び「同述記」には、大衆部の本宗同義を挙げ、一刹那に能く四諦を知ると雖も、然も但だ総じて了するのみにして、未だ別に知ること能わず。故に現観の後辺に更に別に智を起し、亦一刹那に能く四諦差別の諸相を知ると云えり。是れ一時頓現観の説なり。又「成唯識論巻9」に依るに二種の見道を立つ。一に真見道、二に相見道なり。真見道とは又一心真見道と名づく。即ち根本無分別智が実に生法二空所顕の真理を証し、実に煩悩所知二障の分別の随眠を断ずるを云う。其の中に無間、解脱並びに一の勝進あり。即ち多刹那を経て事方に究竟すと雖も、而も其の相、相似たるが故に、総じて一心見道と称す。相見道とは前の根本無分別智の深観の後、後得智を起して更に安立諦、非安立諦の境を観ずるを云う。之に亦二種あり、一に三心相見道、二に十六心相見道なり。三心相見道とは、即ち三心を作して非安立諦の境を観ずるを云う。三心とは一に内遣有情仮縁智を以って能く煗品の分別の随眠を除き、二に内遣諸法仮縁智を以って能く中品の分別の随眠を除き、三に徧遣一切有情諸法仮縁智を以って能く一切分別の随眠を除くを云う。此の中、前の二は内身を縁じて、各別に我と法との分別の二障を除くが故に法智と名づけ、後の一は総じて内外を縁じて、合して一切の我法分別の随眠を除くが故に類智と名づく。是の如き三心を以って真見道の二障を断ずる相を仿学するが故に、称して相見道と為すなり。但し有説は二空二障漸証漸断の義に依り、此の三心を以って真見道と為せるも、有説は二空二障頓証頓断の義に依り、身見道は別縁せざるが故に、此の三心を以って相見道と為せり。十六心相見道とは、十六心を作して安立諦の境を縁ずるを云う。之に復た二類あり、第一は所取能取を観ずるに依りて法類十六種の心を別立す。即ち苦諦に四種の心あり、一に苦法智忍は三界苦諦の真如を観じて、正しく三界見苦所断の二十八種の分別の随眠を断ず。二に苦法智は忍の無間の前の真如を観じ、前の所断の煩悩の解脱を証す。三に苦類智忍は智の無間に無漏の慧生じ、前の法の忍と智とに於いて、各別に内証す。四に苦類智は此の無間に無漏の智生じて、苦類智忍を審定印可す。是の如く余の集滅道の三諦にも亦各法忍法智類忍類智の四心あるが故に、総じて十六心を成ずるなり。此の中、所取とは即ち諦理にして、法忍法智が之を縁じて境と為すを云い、能取とは縁理の智にして、類忍類智が之を縁じて境と為すを云う。故に十六心の中、法品の八は真如を観じ、類品の八は正智を観ず。真見道の無間解脱に摸倣して建立するが故に、亦即ち相見道と名づくるなり。第二は下上諦の境を観ずるに依りて法類十六種の心を別立す。即ち欲界を下とし色無色界を上とし、此の上下二界の各四諦を観ずるに、各現観忍と現観智との二あるが故に合して十六心ありとす。即ち前記「倶舎論」等に説く所と同じ。之に依るに唯識大乗の説は、小乗諸部の諸説を綜合せしものと謂うべし。又大乗に於いては見道を以って初地とし、此の地を得るを菩薩の正性離生に入るとなせり。「摂大乗論本巻中」に、「菩薩、唯識の性に悟入するが故に所知の相に悟入す、此に悟入するが故に極喜地に入る。善く法界に達し、如来の家に生じ、一切有情平等の心性を得、一切菩薩平等の心性を得、一切仏平等を得。此れを即ち名づけて菩薩の見道と為す」と云える是れなり。又密教にては、浄菩提心の始めて生ずるを名づけて見道となせり。「真言三密修行問答」に、「三妄執を超ゆる時、浄菩提心の生ずるを出世の悉地と名づく。(中略)浄菩提心の初めて生ずるを見道と名づく」と云える即ち其の意なり。又「解深密経巻3」、「大毘婆沙論巻3、4、54、75、95」、「成実論巻1、15」、「雑阿毘曇心論巻5」、「阿毘達磨順正理論巻73」、「瑜伽師地論巻55」、「顕揚聖教論巻17」、「大乗阿毘達磨雑集論巻9、13」、「同述記巻9、10」、「成唯識論巻6、9」、「同述記巻9末」、「同了義灯巻5末」、「大乗義章巻17本」、「四教義巻3、6」、「大乗法苑義林章巻2末」、「倶舎論頌疏巻23」、「同宝疏巻23」等に出づ。<(望)
  見諦道(けんたいどう):梵語darzana-maargaの訳語にして、また見諦、見道と称す。修行の階位にして、修道、無学道と合わせて三道と称す。即ち無漏の智を以って四諦を現観し、その理を見照する位なり。見道以前を凡夫と無し、見道に入りて以後を則ち聖者と為す。その次、見道の後、更に具体の自相に対して反復して加行し、以って修習する位は即ちこれ修道なり、見道と合わせて有学道と称す。これに相対する無学道はまた無学位、無学果、無学地と作し、意はすでに究竟の最高悟境に入り、而もすでに学ぶ所無きに達する位なり。小乗に依れば、三賢、四善根等の準備的修行を修むるを以って始と為し、よく無漏智を生じて見道に趣入す。大乗は則ち初地を以って見道に入ると為し、故に菩薩の初地を称して見道と為し、第二地以上を修道と為し、第十地の仏果に与るに至りてまさに無学道と称すべし。また「倶舎論巻23」、「大毘婆沙論巻3、巻54、巻75」、「成実論巻1、巻15」、「雑阿毘曇心論巻5」、「阿毘達磨順正理論巻73」、「成唯識論巻6、巻9」、「瑜伽師地論巻55」、「顕揚聖教論巻17」、「大乗阿毘達磨雑集論巻9」等に出づ。<(佛)
是千阿羅漢聞是語已。上昇虛空高七多羅樹。皆言咄無常力大。如我等眼見佛說法。今乃言我聞。便說偈言
 我見佛身相  猶如紫金山 
 妙相眾德滅  唯有名獨存 
 是故當方便  求出於三界 
 勤集諸善根  涅槃最為樂
是の千阿羅漢は、是の語を聞き已りて、虚空に上昇すること、高さ七多羅樹、皆の言わく、『咄、無常の力は大なり。我等が眼に、仏の法を説きたまえるを見るが如く、今乃(すなわ)ち、我れ聞けりと言えり。』と。便(すなわ)ち偈を説いて言わく、
我れ仏の身相を見るに、猶お紫金の山の如し
妙相も衆徳も滅すれば、唯だ名のみ有りて独り存す
是の故に当に方便して、三界を出でんことを求め
勤めて諸の善根を集むべし、涅槃を最も楽と為せばなり
是の、
『千阿羅漢』は、
是の、
『語』を、
『聞く!』と、
高さ、
『七多羅樹』の、
『虚空』に、
『上昇して!』、
皆、こう言った、――
咄(ホーッ)!
『無常』の、
『力』は、
『大である!』。
わたし達の
『眼』で、
『仏の説法』を、
『見ているようだ!』。
今、
やっと、
『わたしは聞いた!』と、
『言えそうだ!』、と。
そこで、
『偈』を説いて、こう言った、――
わたしは、
『仏』の、
『身の相』を、
『見た!』、
まるで、
『紫金色』の、
『山のようだ!』が、
『仏』の、
『妙相』も、
『衆徳』も、
『滅してしまえば!』、
唯だ、
『名』が、
『残るだけだ!』。
是の故に、
『方便して!』、
『三界』を、
『出る!』ことを、
『求めて!』、
『勤めて!』、
『諸の善根』を、
『集めよう!』、
『涅槃こそ!』、
『最も!』、
『楽だから!』。
  多羅樹(たらじゅ):梵名taala。巴梨名同じ。又哆羅に作る。重、岸、又は高竦樹と訳す。学名Borassus flabelliformis、棕櫚科に属する喬木なり。「起世経巻1閻浮洲品」に、「次に菴婆羅樹林、閻浮樹林、多羅樹林、那多樹林あり。亦各縦広五十由旬なり」と云い、「称讃浄土仏摂受経」に、「極楽世界の浄仏土の中には、処処に皆七重行列の妙宝欄楯、七重行列の宝多羅樹あり」と云い、「集異門足論巻4」に、「如来は此の不清浄の現行の身業に於いて已に断じ、已に遍知すること、草根多羅樹の頭を断ずるが如し」と云い、又「大唐西域記巻11恭建那補羅国の條」に、「城北遠からずして多羅樹あり、周三十余里あり。其の葉は長広、其の色は光潤なり。諸国書写に採用せざるはなし」と云える是れなり。此の樹はpalmyra tree又はfan-palmと称し、高さ約七十尺、周囲下部約五尺五寸、上部二尺五寸あり、印度、錫蘭、マドラス地方に産し、特に海岸に近き砂地に繁茂す。幹は材木として広く使用せられ、樹液より棕櫚酒toddy又は砂糖を採取し、花は房状をなし、種子、果実及び紡錘根は共に食用に供せらる。其の葉は筵、扇、草鞋、帽子、傘、葺草等に製せられ、又広く紙に代用せらる。「玄応音義巻2多羅の條」に、「西域記を安ずるに云わく、其の樹の形は椶櫚の如し。極高なるものは七八十尺あり、果熟すれば則ち赤くして大石榴の如し。人多く之を食す。東印度の界に其の樹最も多し」と云い、「同巻23多羅果の條」に、「其の樹の形は棕櫚に似たり、直にして高く聳え、大なる者は数圍あり。花は白くして大に、両手を捧ぐるが如し。果熟すれば即ち赤く、状は石榴の若し。生じて百年を経ば方に花果あり。旧に貝多と云うは訛なり」と云えり。又此の樹は喬木にして其の高さ略ぼ一定なるを以って、往往丈量の単位とせらるることあり。「法華経巻5分別功徳品」に、「即ち為に僧坊を起立し、赤栴檀を以って諸の殿堂を作ること三十有二、高さ八多羅樹あり」と云い、「大般涅槃経巻1」に、「仏神力を以って地を去ること七多羅樹、虚空の中に於いて黙然として住す」と云い、又「有部毘奈耶薬事巻14」に、「技藝を試みんと欲し、大金柱を置く、高さ七多羅樹あり」と云える皆其の例なり。又此の樹葉は紙に代用せられ、経文等は古来多く之に書写せられたり。就中、錫蘭等に於いては鉄筆を以って葉上に経文を刻写し、後其の上に墨を点じ、尼波羅地方には竹筆に墨を浸して直に書写するの別あり。但し印度に於いては多羅葉の外に、樺、棕櫚等の葉、又は金属の薄葉を以って紙に代用することあり。「慧琳音義巻10」に、「貝多、西国の樹名なり。其の葉は以って裁して梵夾となし、墳藉を書写すべし。此の葉は麁厚にして、鞭にして用い難し。若し書するには多く刀を以って画して文と為し、然る後墨を寘む。葉厚きが為の故なり。多羅樹葉の薄輭光滑にして白浄細好なるに如かず。全く貝多に勝る。其の多羅樹は最も高くして衆樹の表に出づ。若し其の苗を断ぜば決定して生ぜず。所以に諸経に多く引きて喩と為す。此等の形状は匹も棕櫚に似たり。五天に皆有るも、南印度の者の上たるに及ばず。西域記中に具に説く、其の梵夾の葉は数種同じからず。方国土に随って或いは赤樺の木皮を用い、或いは紙を以って作り、或いは獣皮を以ってし、或いは金銀銅葉を以ってす。良に諸土に紙なきが為の故なり」と云えり。之に依るに多羅葉は写経等に用いらるる料紙の中、最も好適なるものを見るべく、又貝多は梵語貝多羅patraの音写にして、今の多羅樹と別種の樹なるを知るべし。又我が国にも多羅葉と称する植物あり、学名Ilex latifoliaと云い、冬青科に属するものにして、印度の多羅樹と同じからず。又「法華経巻6薬王菩薩本事品」、「大薩遮尼揵子諸説経巻1」、「新華厳経巻33、71」、「大般涅槃経巻7」、「不空羂索神変真言経巻1」、「善見律毘婆沙巻17」、「翻梵語巻9」、「玄応音義巻6」、「慧苑音義巻上」、「慧琳音義巻25、27」、「翻訳名義集巻7」、「多羅葉記巻中」等に出づ。<(望)
  (とつ):驚怪の表示/叱声( tut-tut )、怒声( noise of rage, cry out in anger : hoots )。
  (ない):すなわち。上を受ける語。
  便(べん):すなわち。そこで。即。
  方便(ほうべん):梵語upaayaの訳。手段、打開の方策、巧妙な方法等の意。『大智度論巻41下注:方便』参照。
  三界(さんがい):衆生の住すべき三種の界の意。欲界、色界、無色界を云う。『大智度論巻1下注:三界』参照。
  善根(ぜんごん):梵語kuzala-muulaの訳。巴梨語kusala-muula、善の根本となるの意。又善本、或いは徳本とも訳す。即ち根となりて他の善法を生ずるを云う。「中阿含巻7大拘郗羅経」に、「若し比丘あり、是の如く善を知り善根を知らば、是れを比丘、見を成就して正見を得、法に於いて不壊浄を得、正法の中に入ると謂うなり」と云い、「大品般若経巻1序品」に、「諸の善根を以って諸仏を供養し、恭敬尊重讃歎し、意に随って成就せんと欲せば当に般若波羅蜜を学すべし」と云い、「法華経巻5如来寿量品」に、「諸の善根を生ぜしめんと欲し、若干の因縁譬喩言辞を以って種種に法を説く」と云い、又「無量寿経巻上」に、「国中の菩薩、諸仏の前に在りて其の徳本を現ぜんに、欲求する所の供養の具、若し意の如くならずんば正覚を取らじ」と云える其の例なり。其の語義に関しては、「入阿毘達磨論巻上」に、「能く根と為りて余の善法を生ず、故に善根と名づく」と云い、又「梁訳摂大乗論釈巻7」に、「未だ有らざるを生ぜしめ、已に有るを増長せしむ、故に持菩薩善根と名づく」と云えり。是れ根となりて余の諸善を生ぜしむるものを善根と名づけたるなり。即ち無貪無瞋無癡を体とし、之を三善根と称するなり。又「仏本行経巻5降象品」、「悲華経巻8」、「旧華厳経巻4盧舎那仏品」、「同巻15金剛幢菩薩十廻向品」、「大宝積経巻78具善根品」、「大悲経巻3善根品、殖善根品」、「同巻5殖善根品」、「大方等大集経巻17」、「舎利弗阿毘曇論巻6善根品」、「大智度論巻30」、「大乗荘厳経論巻3菩提品」、「注維摩詰経巻9」、「華厳経探玄記巻7」等に出づ。<(望)
  涅槃(ねはん):梵語nirvaaNa。滅、寂滅、滅度、或いは寂と訳す。一切の煩悩災患の永尽せる境地を云う。『大智度論巻1上注:涅槃』参照。
  多羅樹(たらじゅ):印度の高木。その樹形は棕櫚の如く、極めて高きは七八十尺(17~20メートル)、果熟せば則ち赤にして大柘榴の如く、人は多くこれを食う。東印度界にその樹最も多し。『玄応音義巻2』
  (とつ):嘆息の声。ああ。
  (ない):すなわち。やっと、ようやくの意。
  便(べん):すなわち。すみやかに、するりとの意。
  紫金(しこん):紫色を呈する最高純度の金。
  金山(こんせん):金色に輝く山。仏身に喩える。
  仏身(ぶっしん):仏の肉身。
  妙相(みょうそう):考えられないほど美しい姿。
  (とく):衆生に福を与える力。善行を起す力。功德。
  方便(ほうべん、upaaya):般若に対する語。真如の智に達するを般若といい、権道の智に通ずるを方便という。権道とは乃ち他に利益する手段方法なり。この釈により、大小乗一切の仏教は概ね称して方便と為す。方とは方法、便とは便用、便用して一切の衆生の機に契(かな)う方法なり。また方を方正の理と為し、便を巧妙なる言辞と為し、種種の機に対して、方正の理と巧妙の言とを用うるなり。また方とは衆生の方域、便とは教化の便法にして、諸の機の方域に応じて化に適する便法を用う、これを方便と謂う。これ皆一大仏教に通じてこれに名づくるなり。『往生論下』に、「三には、方便門に依って一切の衆生の心を憐愍す。自身を供養し、恭敬する心を遠離するが故に。正直を方と曰い、己を外にするを便と曰う、正直に依るが故に一切の衆生を憐愍する心を生じ、己を外にするに依るが故に自身を供養し恭敬する心を遠離す」と云い、また「向に説く智慧と慈悲と方便との三種の門は、般若を摂取し、般若は方便を摂取す、まさに知るべし。般若とは如に達する慧の名にして、方便とは権に通ずる智の称なり。如に達すれば則ち心行寂滅し、権に通ずれば則ち備えて衆機を省みる」と云えるこれなり。<(望)
  三界(さんがい):凡夫の生死して往来する世界を分かちて三と為す。(1)欲界:婬欲と食欲の二欲有る有情(うじょう、衆生)の住処、上は六欲天中より人界の四大洲、下は無間地獄に至る。(2)色界:色とは質礙の義、有形の物質をいう。この界は欲界の上に在り、婬食二欲を離れた有情の住処である。謂わゆる身体、謂わゆる宮殿等の物質的物は、総じて殊妙にして精好なるが故に色界という。この色界は禅定の浅深と麁妙によって四級に分かれ、これを四禅天という。(3)無色界:この界は無一色、無物質的物、無身体、また無宮殿国土であり、ただ心識を深妙の禅定に住めるを以っての故にこれを無色という。ここは既に無物質の世界なれば則ちその方所すら定むべきに非ず、ただ果報勝るるの義に就いて、色界の上に在りと言うのみ。これに四天有り、これを四無色という。<(望)
  善根(ぜんこん):身口意三業の善の固くして抜くべからざる、これを根という。また善はよく妙果を生じ、余の善を生ずるが故に根という。
  涅槃(ねはん):滅、滅度、寂滅、不生、無為、安楽、解脱等と訳す。滅とは生死の因果を滅するの義。滅度とは生死の因果を滅して、生死の瀑流を渡る、これは滅即ち度である。寂滅とは有無を寂して空寂安穏と為すの義。滅とは生死の大患滅するの義。不生とは生死の苦果の再び生ぜざる義。無為とは惑業の因縁の造作すること無きの義。安楽とは安穏快楽。解脱とは衆果を離るるの義である。この中に単に滅と訳すのが正翻であり、他は皆義翻と為す。
爾時長老阿泥盧豆。說偈言
 咄世間無常  如水月芭蕉 
 功德滿三界  無常風所壞
爾の時、長老阿尼廬豆の偈を説いて言わく、
咄世間は無常なり、水月芭蕉の如し
功徳三界に満てども、無常の風に壊(やぶ)らる
爾の時、
『長老阿泥盧陀』は、
『偈』を説いて、こう言った、――
咄!
『世間』の、
『無常』は、
『水月・芭蕉のようだ!』。
『功徳』は、
『三界』を、
『満たしていた!』が、
『無常』の、
『風』に、
『壊(やぶ)られた!』、と。
  水月芭蕉(すいげつばしょう):水に映った月、芭蕉の葉の破れやすき、共にはかないものの喩え。
爾時大迦葉。復說此偈
 無常力甚大  愚智貧富貴 
 得道及未得  一切無能免 
 非巧言妙寶  非欺誑力諍 
 如火燒萬物  無常相法爾
爾の時、大迦葉の復た此の偈を説かく、
無常の力の甚大なる、愚、智、貧、富、貴
道を得たる、及び未だ得ざる、一切に能く免るる無し
巧言、妙宝にも非ず、欺誑、力諍にも非ず
火の万物を焼くが如く、無常相の法も爾(しか)り
爾の時、
『大迦葉』は、
復た、
此の、
『偈』を説いた、――
『無常』の、
『力』は、
『甚だ大きく!』、
『愚癡、智慧、貧窮、富貴』も、
『道を得た!』者、
『得ない!』者、
一切は、
『免れることができない!』。
『無常』の、
『法』は、
『巧言・妙宝でもなく!』、
『欺誑・力諍でもない!』が、
譬えば、
『火』が、
『万物』を、
『焼くように!』、
『無常』の、
『相、法』も、
『全く同じだ!』、と。
  巧言(ぎょうごん):巧みなことば。
  欺誑(ごこう):だますこと。
  力諍(りきじょう):力を尽くして争うこと。
大迦葉語阿難。從轉法輪經至大般涅槃。集作四阿含。增一阿含中阿含長阿含相應阿含。是名修妒路法藏。 大迦葉の阿難に語らく、『転法輪経より、大般涅槃に至るまで、集めて四阿含と作せ。増一阿含、中阿含、長阿含、相応阿含なり、是れを修妒路法蔵と名づく。』と。
『大迦葉』は、
『阿難』に、こう語った、――
『転法輪経、乃至大般涅槃経』を、
『集めて!』、
『増一阿含、中阿含、長阿含、相応阿含』の、
『四阿含』を、
『作れ!』。
是れを、
『修妒路()の法蔵』と、
『称する!』。
  転法輪経(てんぽうりんきょう):『雑阿含経巻15転法輪経』。
  大般涅槃(だいはつねはん):『仏遺教経1巻』、『大般涅槃経3巻』、『長阿含経巻3遊行経』。
  四阿含(しあごん):四部の阿含部経典の意。『大智度論巻2上注:四阿含経』参照。
  四阿含経(しあごんきょう):四部の阿含部経典の意。梵語阿含aagamaは伝承せられたる教説、若しくは其の教説を集成せる聖典を云う。即ち一に長阿含diirghaagama、二に中阿含madhyamaagama、三に雑阿含saMyuktaagama、四に増一阿含ekottarikaagamaなり。「増一阿含経巻1序品」に、「契経は今当に四段に分つべし。先なるを増一と名づけ、二を中と名づけ、三を名づけて長と曰い、多瓔珞経は後に在り」と云い、「有部毘奈耶雑事巻39」に、「若し経の伽陀と相応するは、此れ即ち名づけて相応阿笈摩と為す。旧に雑と云うは義を取るなり。若し経の長長に説くは此れ即ち名づけて長阿笈魔と為し、若し経の中中に説くは此れ即ち名づけて中阿笈魔と為し、若し経の一句事二句事乃至十句事を説くは、此れ即ち名づけて増一阿笈魔と為す」と云える是れなり。即ち漢訳にて後秦仏陀耶舎共竺仏念訳の「長阿含経二十二巻」、東晋瞿曇僧伽提婆訳の「中阿含経六十巻」、劉宋求那跋陀羅訳の「雑阿含経五十巻」、東晋僧伽提婆訳の「増一阿含経五十一巻」を称するなり。蓋し阿含は諸部に於いて其の所伝を異にせるが如く、現今錫蘭に伝うる「五尼柯耶」が総べて分別説部の所伝と目せらるるに対し、漢訳「四阿含経」は一部派の所伝に非ずして各其の所属を異にせしものなるが如し。明治四十二年柿崎正治氏は漢訳「四阿含経」と巴梨「五尼柯耶」中の長、中、相応及び増上の四部とを対照し、「The Four Buddhist Aagamas in Chinese.」と題して公刊し、昭和四年赤沼智善氏は亦之を対照し、前者に欠くる所の「増上部」と「増一阿含経」をも補い、「漢巴四部四阿含互照録」とあ題して刊行せり。又「薩婆多毘尼毘婆沙巻1」、「撰集三蔵及雑蔵伝」、「印度哲学研究巻2」等に出づ。<(望)
  増一阿含(ぞういちあごん):梵語ekottarikaagamaの訳。増一は一を増加したるものの義。即ち一法に関して当に修行すべき一法なる念仏、念法、念衆、念戒、念施等を説き、仏の声聞中第一の弟子の阿若拘鄰、優陀夷、摩訶男等、其の他種種の一法を説き、其れに一を増したる所の二法に関しては父母、兄弟等、種種の二法を説き、乃至放牛十一法の如く、主に数に関する説法を集めたる阿含を云う。
  中阿含(ちゅうあごん):梵語madhyamaagamaの訳。中ぐらいの長さの説法を集めたる阿含を云う。
  長阿含(ちょうあごん):梵語diirghaagamaの訳。阿含中長き説法を集めたるものを云う。
  相応阿含(そうおうあごん):曽て伽陀、謂わゆる偈頌と相応する説法を集めたるを云いしが、今は其れに関係なく、前三阿含中に摂せざるものを集めしものを云う。
  修妒路法蔵(しゅとろほうぞう):梵名修妒路suutraantaは経の義、法蔵は梵名piTakaの訳。即ち三蔵中の経蔵を云う。『大智度論巻1上注:三蔵』参照。
  四阿含(しあごん):阿含は小乗経蔵の総称。三蔵中の経蔵を分かって四と為す。(1)増一阿含経:法門の数を捜し集める者。(2)長阿含経:長い経文を集めた者。(3)中阿含経:不短不長の経文を集めた者。(4)雑阿含経、相應阿含経:前の三を混じて集めた者。これ等の四部の名は、経文の体裁に因る。
  修妒路(しゅとろ)、修多羅(しゅたら):契経、正経、貫経、経と意訳し、一切の仏法の総称、または特に九分教、或いは十二分教中の第一類を指す。本の意は線と紐とで花簇を串刺しに連ねるに由り、引いては前後の法語を串刺しに貫いて、法意を散失せしめざるをいう。また即ち理に契(かな)い、機に合せて法相を貫穿し所化を摂持するの義。文体と内容に就いて言えば、仏の所説の教法を指し、凡そ直説の長行に属せば皆修多羅に属す。<(佛)
諸阿羅漢更問。誰能明了集毘尼法藏。皆言。長老憂婆離於五百阿羅漢中持律第一。我等今請。即請言。起就師子座處坐說。佛在何處初說毘尼結戒。 諸の阿羅漢の、更に問わく、『誰か、能く明了に、毘尼法蔵を集めん。』と。皆の言わく、『長老優婆離は、五百阿羅漢中に於いて、持律第一なり。我等今請わん。』と。即ち請うて言わく、『起ちて師子座に就き、処坐して説け。仏は何処に在して、初めて毘尼を説きて、戒を結びたまいしや。』と。
諸の、
『阿羅漢』は、
更に、こう問うた、――
誰が、
『明了に!』、
『毘尼()の法蔵』を、
『集められるのか?』、と。
皆が、こう言った、――
『長老優婆離』は、
『五百阿羅漢』中の、
『持律第一である!』。
わたし達は、
今、
『請うてみよう!』、と。
そこで、
『請うて!』、こう言った、――
『起って!』、
『師子』の、
『坐処』に、
『就き!』、
『坐って!』、
『毘尼』を、
『説け!』。
『仏』は、
何処で、
初めて、
『毘尼を説き!』、
『戒を結ばれたのか?』、と。
  明了(みょうりょう):明白に理解する/知る( clearly understand, be clear about )。
  毘尼法蔵(びにほうぞう):梵語毘尼vinayaは律の義、法蔵は梵名piTakaの訳。即ち三蔵中の律蔵を云う。『大智度論巻1上注:三蔵』参照。
  優婆離(うばり)梵名upaali。巴梨名同じ。釈尊十大弟子の一。持律第一と称す。『大智度論巻24下注:優波離』参照。
  結戒(けっかい):戒法を制定するの意。
  毘尼(びに、vinaya)、毘奈耶(びなや):律と訳す。僧団の規律の義。毘尼には調伏、滅、離行、善治等の義を含み、乃ち諸多の過悪を制伏滅除するの意がある。これ乃ち仏の制定する所にして、比丘、比丘尼の為の遵守すべき生活に関する軌範の禁戒であり、即ち修道生活中に於ける実際に対し、具体上の需要によってこれを定める軌範であり、これを随犯随制という。仏弟子の出家衆の犯せる悪行の如きに、仏は則ち必ず教誡して、今後同様の行為を再び犯すべからず、再び犯すが如きは、則ち処罰せん、ということである。後に乃ち僧伽の為の規定と成るが故に、律には必ず処罰の規定を附すものである。律は乃ち出家衆に応じて制定するものであり、これは動かさるるものであるが故に、戒とは区別されるべきであるが、然るに後世には常に混同して使用される。
  (しょう):乞う、求める、願う、招く。
  憂婆離(うばり、upaali)、優波離(うはり):仏の十大弟子中の持律第一にして、また優婆離、鄔波離、憂波利等に作り、意訳して近執、近取と為す。印度迦毘羅衛国の人。出身は首陀羅種にして宮廷の理髪師と為る。仏成道の第六年、王子跋提、阿那律、阿難等の七人出家せる時、優波離もまた随って同じく出家せり。実に仏が広く門戸を開いて四姓平等にこれを摂化するの第一歩であった。優波離は戒律に精しく、修持すること厳謹なれば、持律第一と誉めらる。後に第一次経典結集の時、律部を誦出す。その善生の功德、出家の因縁に関しては『仏本行実経巻53~54』、また『中阿含巻52憂婆離経』には憂婆離の律に就いて仏に請うて問うを記述す。而るに『中阿含巻32』の憂婆離居士は師とは乃ち同名異人である。<(望)
憂婆離受僧教。師子座處坐說。如是我聞一時佛在毘舍離。爾時須提那迦蘭陀長者子初作婬欲。以是因緣故結初大罪。二百五十戒義作三部七法八法比丘尼毘尼增一。憂婆利問雜部善部。如是等八十部作毘尼藏。 憂婆離の僧の教を受け、師子座に処坐して説かく、『是の如く我れ聞けり、一時、仏は毘舎離に在せり。爾の時、須提那迦蘭陀長者子初めて婬欲を作し、是の因縁を以っての故に、初の大罪を結びたまえり。二百五十戒の義を、三部と作し、七法、八法比丘尼毘尼、増一、憂婆利問、雑部、善部、是の如き等の八十部を毘尼蔵と作す』、と。
『優婆離』は、
『僧』の、
『教(勅令)を受けて!』、
『師子の坐処』に、
『坐り!』、
こう説いた、――
是のように、
わたしは、聞いた、――
一時、
『仏』は、
『毘舎離』に、
『在られた!』。
爾の時、
『須提那迦蘭陀長者の子』が、
初めて、
『婬欲』を、
『作した!』ので、
是の、
『因縁』の故に、
初の、
『大罪(波羅夷罪)』を、
『結び!』、
総じて、
『二百五十戒の義』を、
『三部(比丘、比丘尼、雑)』と、
『作し!』、
『七法、八法、比丘尼毘尼、増一』、
『優婆離問、雑部、善部』の、
是れ等のような、
『八十部』を、
『毘尼蔵』と、
『作した!』、と。
  毘舎離(びしゃり):梵名vaizaali、中印度の国名。この国内の種族を離車licchaviといい、維摩大士はこの国に住した。仏滅後一百年、七百の賢聖によりここで第二回結集が行われる。『大智度論巻2上注:吠舍釐国』参照。
  吠舍釐国(べいしゃりこく):吠舍釐vaizaaliは梵名。巴梨名vesaali、又吠舎離、薜舎離、毘舎離、維耶離、毘耶離、鞞奢隷夜、鞞貰羅、維耶、維邪に作り、広博、或いは広厳と訳す。中印度に在りし国の名。又都城の称なり。其の名称の由来に関しては、「善見律毘婆沙巻10」に、往昔波羅㮈国王の夫人懐妊して肉一段を産み、羞じて江中に放つに、道士あり之を得て住処に帰り、肉片より男女二子を生む。因りて離車子と名づけ、牧牛人に托して之を養わしむ。二子長じて年十六に及び、牧牛人は縦横一百由旬の平博なる地処の中央に宅舎を造り、男を拜して王とし、女を其の夫人と為す。夫人一産毎に男女二児を挙げ、三十二児に至るや、牧牛人は諸児の為に各舎宅を建て、乃至三倒開広せしを以って毘舎離と名づくと云い、且つ「女人の相itthi-liGgaに因りて立てて名となす」と云えり。是れvaizaalii(巴vesaalii)は広大、有力、秀逸等の義なる梵語vizaala(巴visaala)を複重韻化し、女性語幹を作る後接字iiを附せし語なるを以って、斯かる伝説を生じたるものなるべし。又「注維摩詰経巻1」に羅什の説を挙げ、「毘は稲土の宜しき所なるを言うなり。耶離は広厳と言う。其の地平広荘厳なればなり」と云えり。是れ恐らく梵語zaaliに稲の義あるが故に、之に基づき転釈せしものなるべし。又「維摩経略疏巻1」に三義を挙げ、「此には広博厳浄と云う。其の国寛平なるを名づけて広博と為し、城邑華麗なるが故に厳浄と名づく。有師は翻じて好稲と為す、好き粳糧を出すこと余国に勝るが故なり。有るは好道と言う、国に好路ありて平正砥直なり。又好平道と言う、其の国の人民は好みて正道を楽い、自ら仁義に敦く、君主を須いざるも五百の長者共に道法を行じ、率土の人民徳に帰せざるなきが故に好道と云う」と云えり。蓋し此の地は古くより跋祇vRji種族の一種なる離車子licchavi族の住せし都市にして、「方広大荘厳経巻1勝族品」に、「毘耶離王は尊貴富盛にして安穏快楽なり。諸の怨敵なく、人民衆多にして、宮室苑園林泉花果、荘厳綺麗なること猶お天宮の若し。(中略)其の国土の中の諸の離車子は相敬順せず、各自ら尊しと称す」と云い、又「長阿含巻2遊行経」等にも此の国に離車民衆の住せしことを記せり。仏在世には頗る繁栄し、且つ仏は屡遊行せられて人民皆其の教を頂受せり。「長阿含巻3遊行経」に其の土の人民は衆多にして仏法を信楽すと云い、「十誦律巻40」には之を六大城の一に数え、仏は多く此等諸城に止住せりと云い、「大般涅槃経巻上」には、仏は阿難に対し毘耶離の優陀延支提udena-cetiya、瞿曇支提gotamaka-c.、菴羅支提sattambakaーc.、多子支提bahuputta-c.、娑羅支提saarandada-c.、遮波羅支提caapaala-c.は甚だ愛楽すべしと告げ給いたりと記し、「大智度論巻3」には、此の城中に摩呵槃及び獼猴池岸の精舎ありと云い、「八大霊塔名号経」には、広厳城霊塔思念寿量処を以って八大霊塔の一となせり。又「維摩経巻上」には、仏は毘耶離菴羅樹園に於いて其の経を説けりとし、「増一阿含経巻31」には、仏羅閲城に在りし時、毘舎離城に鬼神羅刹充満して死するもの多く、為に請に応じて遊化し、其の災患を除かれたることを記し、「菩薩本行経巻中」には、時に摩竭国王阿闍世は毘舎離国と怨嫌あり、其の疫鬼流行するを見て大いに歓喜せしも、仏の教説を聞き、毘舎離国使に仏を迎うることを聴せりと云い、「請観世音菩薩消伏毒害陀羅尼経」には当時仏は菴羅樹園大林精舎重閣講堂に在りて其の経を説けりとなせり。又仏が最後に此の城中に遊化し、却後三月涅槃に入るべしと宣し、尋いで拘尸那城に向われたることは有名なる事実にして、「長阿含巻3遊行経」等に之を伝え、又同城の離車衆が仏の舎利分を得、本土に帰りて塔を起したることも「同巻4」等に記述する所なり。仏滅後も仏教は或る時期まで盛んなりしが如く、「五分律巻30」、「四分律巻54」等には、仏滅百年当地の跋耆比丘は十事の非法を唱えたるにより、耶舎等の長老は此の地に於いて七百集法を行いしことを記せり。又「高僧法顕伝」には当国に於ける遺跡を敍し、城北の大林mahaavana重閣kuuTaagaarasaalaa精舎、阿難半身塔、城裏の菴婆羅女aamrapaalii仏塔、城南三里菴婆羅施園、城西門外の仏最後所行処塔、城西北三里放弓仗塔(多子塔)、其の東方三四里七百集法故跡塔、其の東四由旬阿難分身処等を挙げ、「大唐西域記巻7」には玄奘当時の国状を記し、「吠舍釐国は周五千余里あり、土地沃壌にして花果茂盛し、菴没羅菓、茂遮菓、既に多く且つ貴し。気序和暢、風俗淳質にして、福を好み学を重んじ、邪正雑え信ず。伽藍数百あるも多く已に圮壊し、存する者は三五、僧徒稀少なり。天祠数十ありて異道雑居し、露形の徒寔に其の党を繁くす。吠舍釐城は已に甚だ傾頽す、其の故基趾は周六七十里、宮城は周四五里にして少しく居人あり」と云い、且つ宮城西北五六里に一伽藍あり、寡少の僧徒住して正量部の法を習学す。其の傍らに「毘摩羅詰経(維摩経)」説法の故跡塔、東に舎利子等証果の故跡塔、其の東南に仏舎利塔、西北に阿育王石柱、其の南に獼猴池、又伽藍の東北三里に維摩故宅塔、其の附近に維摩現疾説法処、維摩の子宝積の故宅塔、菴没羅女故宅塔(仏姨母等涅槃処)、伽藍の北三四里に仏拘尸那に向いし時諸人随従の故趾塔、其の西北に仏最後所行の故趾塔、南に菴没羅女施園精舎、其の側に仏告涅槃処塔、附近に千子塔、如来経行の旧迹、其の東に重閣講堂余趾、阿難半身舎利塔、千独覚入寂滅処等、又大城の西北五六十里に栗呫婆子が仏に永訣せし旧跡の大塔、城の西北減二百里に摩訶提婆本生説法処塔、城の東南十四五里に七百賢聖重結集処大塔、其の南八九十里に湿吠多補羅svetapura僧伽藍、過去四仏座及び経行遺迹、阿育王塔、僧伽藍の東南三十余里恒河河畔に阿難分身処塔の存せしことを記せり。吠舍釐の位置に関しカンニンガムA.Cunninghamは之を現今のガンダクGandak河の左岸ハーヂープルHaajiipurの北十八哩に当るマザッファルプルMazaffarpur地方のベーサールbesaarhなりとし、ブローチBlochも亦此の地方を発掘して其の事実なるを証せり。然るにホイHoeyは之に反し、恒河河岸チャプラChapraの東七哩なるチヒラーンドchiraandに比定せり。又「巴梨文島史diipavaMsa,v.」、「同大史mahaavamSa,iv.」、「大般若経巻502称揚功徳品」、「仁王護国般若波羅蜜多経巻下奉持品」、「旧華厳経巻29菩薩住処品」、「大般涅槃経巻1、26」、「仏母大孔雀明王経巻中」、「五分律巻2」、「有部毘奈耶薬事巻2」、「有部毘奈耶破僧事巻3」、「翻梵語巻8」、「玄応音義巻4、8」、「慧苑音義巻下」、「慧琳音義巻6、10、25、26」、「希麟音義巻8、9」、「西域行程(継業)」、「翻訳名義集巻7」等に出づ。<(望)
  須提那迦蘭陀長者子(しゅだいなからんだちょうじゃし):梵名sudinna kalandaka-putra。須提那は比丘の名。迦蘭陀村の迦蘭陀長者の子。また耶舎(yaza)と称し、かつて重閣講堂に於いて仏の説法を聞いて出家せるも、後にその婦と欲行を行いしに因り、仏は則ち禁婬の戒を制定せり。『大智度論巻2上注:迦蘭陀子』参照。
  迦蘭陀子(からんだし):迦蘭陀kalandakaは梵名。子は梵語putraの訳。巴梨名kalandaka-putta、又羯蘭鐸迦子に作る。好鳥、或いは山鼠と訳す。中印度毘舎離国迦蘭陀村に住せし迦蘭陀長者の子なり。本名は須提那sudinna(又蘇陣那、須達多に作る)、又は耶舎yazaと称す。「善見律毘婆沙巻6」に依るに、毘舎離王は嘗て諸の妓女と共に山に入りて遊戯し、疲れて樹下に眠る。大毒蛇あり、窟より出でて王を螫さんとす。時に樹上に鼠あり、頻りに鳴き叫びて王を覚醒し、纔かに事なきを得たり。王再び眠る。蛇復た出でて王を螫さんとし、鼠亦為に大に叫ぶ。王起って樹下の毒蛇を見、即ち驚怖を生じ、四顧して諸妓を求むるに更に見ることなし。思えらく、我れの活くるは偏に鼠の恩に由ると。爾来己れの禄を廻して彼の鼠に与う。之に依りて山辺の村を迦蘭陀と称す。時に此の村中に金銀四十億を有せる長者あり、王は彼れに長者の名を賜い、村名によりて迦蘭陀長者と号せしむと云えり。「薩婆多毘尼毘婆沙巻1」、「玄応音義巻5」等にも亦此の説話を出すも、而も山鼠といわずして之を鳥となせり。但し此の「善見律毘婆沙」の記事は同本なる「巴梨文samantapaasaadikaa」に之を欠けり。迦蘭陀子は重閣講堂kuuTaagaarasaalaaに於ける仏の説法を聞きて出家し、後其の婦と欲を行じて婬戒制定の因縁をなせり。迦蘭陀竹園を仏に奉施せし迦蘭陀長者とは別人なり。「五分律巻1」、「摩訶僧祇律巻1」、「四分律巻1」、「十誦律巻1」、「有部毘奈耶巻1」、「鼻奈耶巻1」等に出づ。<(望)
  参考:『十誦律巻1』:『佛在毘耶離國。去城不遠有一聚落。是中有長者子。名須提那加蘭陀子。富貴多財種種成就。自歸三寶為佛弟子。厭世出家剃除鬚髮被著法服而作比丘。遠離鄉土到憍薩羅國一處安居。時世飢饉乞食難得。諸人民妻子尚乏飲食。何況能與諸乞求人。時須提那作是念。此大飢饉乞求難得。我等諸親里多饒財富。當因我故布施作福。今正是時。作是念已。夏安居過三月自恣竟作衣畢。著衣持缽還毘耶離。經遊諸國至本聚落。晨朝時到著衣持缽入村乞食至親里舍。為諸比丘各各勸與種種飲食。自行頭陀受乞食法。次乞食已還到自舍。而作是言。先許當還我今來歸。作是語已便駃出去。其家小婢見其駃去。即馳往白須提那母。向須提那入門便去。其母念言。須提那入門即去。或能愁憂欲還捨戒不樂梵行。我今當往教令還家自恣五欲布施作福。作是念已。往到其所語須提那。汝若愁憂不樂梵行欲捨戒者。便來還家受五欲樂布施作福。即答母言。我無愁憂不欲捨戒不厭梵行。亦不欲捨沙門之法心樂梵行。其母自念。我雖口言不迴其心。當語其婦言。汝淨潔時到則來報我。便往語之。婦言如是受其母教。淨潔時到。往報母言。今何所作。時母教言。本須提那所喜衣服嚴飾之具悉皆著來。受教還房。著其所喜衣服嚴具。母即將到須提那所。便作是言。汝若愁憂不樂梵行欲捨戒者。當自還家受五欲樂布施作福。佛法難成出家勤苦。即答母言。我不愁憂心不動轉自樂修梵行不樂五欲。母言。善哉須提那。汝樂梵行不欲捨戒者。今婦時到當留續種。若家無嗣。所有財物悉當入官。爾時世尊未結此戒。是須提那即便心動答母。言爾。母即避去。便將其婦屏處行婬。如是再三。尋時懷妊。有福德子月滿而生。名曰續種。至年長大信樂佛法。出家學道勤行精進。逮得漏盡成阿羅漢。時須提那既行婬已。心生疑悔。愁憂色變無有威德。默然低頭垂肩迷悶不樂言說。時知識比丘來相問訊在一面坐。問須提那。汝先有威德顏色和悅樂修梵行。今何以故。愁憂色變默然低頭迷悶不樂。汝身為病為私屏處作惡業耶。須提那言。我身無病。私屏作惡業故心有愁憂。時諸比丘漸漸急問。便自廣說如上因緣。諸比丘聞已。種種因緣呵須提那言。汝應愁苦憂悔。乃作如是私屏惡業。汝所作事非沙門法。不隨順道無欲樂心。作不淨行。出家之人所不應作。汝不知佛世尊以種種因緣呵欲欲想欲欲欲覺欲熱。以種種因緣稱讚斷欲捨欲想滅欲熱。佛常說法教人離欲。汝尚不應生心。何況乃作起欲恚癡結縛根本不淨惡業。時諸比丘種種呵已。向佛廣說。佛以是事集比丘僧。諸佛常法。知而故問。或有知而不問。有知時問。有知時不問。有益事問。無益事不問。有因緣問。佛世尊知彼時。以正念安慧問須提那。汝實作是事不。答言實作世尊。佛以種種因緣呵責須提那言。汝所作事非沙門法。不隨順道無欲樂心作不淨行。出家之人所不應作。汝愚癡人不知我以種種因緣呵欲欲想欲欲欲覺欲熱。種種因緣稱讚斷欲捨欲想滅欲熱。我常說法教人離欲。汝尚不應生心。何況乃作起欲恚癡結縛根本不淨惡業。語諸比丘。是愚癡人開諸漏門。寧以身分內毒蛇口中。終不以此觸彼女身。佛如是種種因緣呵已語諸比丘。以十利故為諸比丘結戒。攝僧故。極好攝故。僧安樂住故。折伏高心人故。有慚愧者得安樂故。不信者得淨信故。已信者增長信故。遮今世惱漏故。斷後世惡故。梵行久住故。從今是戒應如是說。若比丘同入比丘學法。不捨戒行婬法。是比丘得波羅夷不共住』
  二百五十戒:比丘戒の総数。比丘尼の戒は通称五百戒、実には三百五十戒前後。
  三部七法八法比丘尼毘尼増一憂婆利問雑部善部:これ等は皆、『十誦律』に就いてであり、第一乃至第三誦は比丘律、第四誦は七法、第五誦は八法、第六誦は雑誦、調達事、第七誦は比丘尼律、第八誦は増一法、第九誦は憂婆離問法、第十誦は旧に善誦、改めて毘尼誦といい、三部とはこの中の比丘律部、比丘尼律部、その他の部とする。
  八十部:憂婆離は総じて八十誦し、これを律蔵と為した。
諸阿羅漢復更思惟。誰能明了集阿毘曇藏。念言。長老阿難於五百阿羅漢中。解修妒路義第一。我等今請。即請言。起就師子座處坐。佛在何處初說阿毘曇。 諸の阿羅漢の、復た更に思惟すらく、『誰か、能く明了に阿毘曇蔵を集めん。』と。念じて言わく、『長老阿難は、五百阿羅漢中に、修妒路の義を解すこと第一なり。我等今請わん。』と。即ち請うて言わく、『起ちて師子座に就き、処坐せよ、仏は、何処に在して、初めて阿毘曇を説きたまえる。』と。
諸の、
『阿羅漢』は、
復た、
更に、こう思惟した、――
誰が、
『明了に!』、
『阿毘曇()の蔵』を、
『集められるのか?』、と。
『念じて!』、こう言った、――
『長老阿難』は、
『五百阿羅漢』中に、
『修妒路の義』を、
『理解して!』、
『第一である!』。
わたし達は、
今、
『請うことにしよう!』、と。
そこで、
『請うて!』、こう言った、――
『起って!』、
『師子の坐処』に、
『就いて!』、
『坐れ!』、――
『仏』は、
何処で、
初じめて、
『阿毘曇』を、
『説かれたのか?』、と。
  阿毘曇蔵(あびどんぞう):阿毘曇abhidharmaは梵名、論と訳す。蔵は梵名piTakaの訳。即ち三蔵の一。論蔵と称す。『大智度論巻1上注:三蔵』参照。
阿難受僧教師子座處坐說。如是我聞一時佛在舍婆提城。爾時佛告諸比丘。諸有五怖五罪五怨不除不滅。是因緣故此生中身心受無量苦。復後世墮惡道中。諸有無此五怖五罪五怨。是因緣故於今生種種身心受樂。後世生天上樂處。何等五怖應遠。一者殺二者盜三者邪婬四者妄語五者飲酒。如是等名阿毘曇藏。 阿難は、僧の教を受けて師子座に処坐して説けり、『是の如く我れ聞けり、一時、仏は舎婆提城に在せり。爾の時、仏の諸の比丘に告げたまわく、諸の五怖、五罪、五怨の除かず、滅せざる有るもの、是の因縁の故に、此の生中に、身心に無量の苦を受け、復た後世には悪道中に堕つ。諸の、此の五怖、五罪、五怨無き有れば、是の因縁の故に、今の生に於いて、種種の身心に楽を受け、後世には天上の楽処に生ず。何等の五怖をか、応に遠ざくべき。一には殺、二には盗、三には邪淫、四には妄語、五には飲酒なりと。是の如きを、阿毘曇蔵と名づく。』と。
『阿難』は、
『僧』の、
『教を受けて!』、
『師子の坐処』に、
『坐る!』と、
こう説いた、――
是のように、
わたしは、聞いた、――
一時、
『仏』は、
『舎婆提城』に、
『在られた!』。
爾の時、
『仏』は、
諸の、
『比丘』に、こう告げられた、――
諸の、
有る、
『五怖、五罪、五怨』が、
『除かれていず!』、
『滅していない!』者は、
是の、
『因縁』の故に、
此の、
『生』中には、
『身、心』に、
『無量の苦』を、
『受け!』、
復た、
『後世』には、
『悪道』中に、
『堕ちるだろう!』。
諸の、
有る、
此の、
『五怖、五罪、五怨』の、
『無い!』者は、
是の、
『因縁』の故に、
『今生』には、
『種種の身、心』に、
『楽』を、
『受け!』、
『後世』には、
『天上』の、
『楽処』に、
『生じるだろう!』。
何のような、
『五怖』を、
『遠ざけるべきか?』、――
一には、
『殺生であり!』、
二には、
『偷盗であり!』、
三には、
『邪淫であり!』、
四には、
『妄語であり!』、
五には、
『飲酒である!』。
是れ等を、
『阿毘曇の蔵』と、
『称する!』、と。
  舎婆提(しゃばだい):梵名zraavastii、又舎衛国と称す。即ち憍薩羅(梵kosala)国の王都、城内に祇園精舎あり、此の城内に於いて釈尊は、数乞食せられたりと伝う。『大智度論巻22上注:舎衛国』参照。
  (しょう):梵語jaata、又はjaatiの訳。生起の意。十二因縁の一、具に生支と名づく。即ち過去の業力に由りて正しく当来の果を結するを云う。『大智度論巻21上注:生』参照。
  (せつ):梵語praaNa-atipaataの訳。命を害するの義。五戒の一。『大智度論巻2上注:殺生戒』参照。
  (とう):梵語adattaadaanaの訳。与えられざるを取るの義。五戒の一。『大智度論巻2上注:偸盗戒』参照。
  邪婬(じゃいん):梵語kaama-mithyaacaaraの訳。不適切な性行為の義。五戒の一。『大智度論巻2上注:邪婬戒』参照。
  妄語(もうご):梵語mRSaa-vaadaの訳。真実ならざる言葉の義。五戒の一。『大智度論巻2上注:妄語戒』参照。
  飲酒(おんじゅ):梵語suraa-maireya-madya-paanaの訳。人を酩酊させる飲み物の義。五戒の一。『大智度論巻2上注:飲酒戒』参照。
  殺生戒(せっしょうかい):梵語praaNaatipaataの訳。又はpraaNaatighaata、巴梨語paaNaatipaata、又断人命学処と名づけ、或いは殺人戒、殺戒とも称す。四波羅夷の一。十重禁の一。五八十具の一。即ち人命を殺害することを制せる戒なり。「四分律比丘戒本」に、「若し比丘、故に自ら手にて人命を断じ、刀を持ちて人に与え、死の快なるを歎誉して死を勧め、咄男子、此の悪活を用うることを為さんや、寧ろ死して生きざれと。是の如き心の思惟を作し、種種に方便して死の快なるを歎誉し死を勧めば、是の比丘は波羅夷にして不共住なり」と云い、又「梵網経巻下」に、「仏子、若し自ら殺し、人を教えて殺さしめ、方便して殺し、殺を讃歎し、作すを見て随喜し、乃至呪して殺さば、殺の因、殺の縁、殺の法、殺の業あらん。乃至一切の有命の者は故に殺すことを得ざれ。是れ菩薩は応に常住の慈悲心、孝順心を起し、方便して一切衆生を救護すべし。而も反って恣心快意に殺生せば是れ菩薩の波羅夷罪なり」と云える是れなり。是れ自ら手を下して人の命を断じ、或いは人に刀を与えて自殺を勧めば波羅夷を犯ずることを説けるものなり。「四分律巻2」に、仏曽て毘舎離に在りて不浄観を説くに、諸比丘は其の身命を厭患し、婆裘河辺の園中に於いて勿力伽難提をして其の命を断ぜしめたるにより、仏は其の過を呵して人命を断ずるを制し、之を犯ずる者は即ち波羅夷なりと宣示せられたることを記せり。「五分律巻2」等に出す所亦之に同じ。但し「摩訶僧祇律巻4」には之を以って仏成道第六年の冬分第三半月九日(即ち陰暦十月二十四日)に起れる事となせるも、「有部毘奈耶巻1」、「大智度論巻40」等には、成道十二年中諸弟子に未だ過失なかりしことを伝え、「善見律毘婆沙巻6」には、二十年中未だ諸弟子の為に戒を結せずと云えり。されば「僧祇律」の成道六年結戒の説は一種の異伝となさざるべからず。又「四分律」等には四波羅夷法中、此の戒を以って第三位に置き、婬盗殺妄と次第すと雖も、「雑阿含経巻33」、「優婆塞五戒相経」等所説の五戒、「中阿含巻55持斎経」、「大毘婆沙論巻124」等所説の八斎戒、「受十善戒経」、「菩薩資糧論巻1」等所説の十善戒、「梵網経」所説の十重波羅提木叉等の中には各皆之を第一位に列せり。之に関し「大智度論巻13」に、「仏は十不善道を説く中、殺罪は最も初に在り。五戒の中にも亦最も初に在り。若し人種種に諸の福徳を修するも、而も不殺生戒なくば則ち所益なし。(中略)諸の余罪の中に殺罪最も重く、諸の功徳の中に不殺第一なり、世間の中に命を惜むを第一と為す」と云えり。是れ殺罪は最も重罪なるが故に、十不善業道の中には之を最初に置くとなすの意なり。又「同論巻46」に、「婬欲は衆生を悩さずと雖も、心繋縛するが故に大罪と為す、是を以っての故に戒律の中には婬欲を初と為す。白衣の不殺戒の前に在るは、福徳を求むるが為の故なり」と云い、又智顗の「菩薩戒経義疏巻下」に、「殺戒は十重の始なり。声聞の非梵行の初に在るが若きは、人多く過を起すが故に、地繋の煩悩重きが故に之を制す。殺は性罪なりと雖も、出家の人は此の罪を起すこと希に、亦防断すること易し。婬は既に起し易ければ之を制すること当に初なるべし。大論に云わく、声聞の戒は人情を消息して多く起の辺を防ぐと。軽きもの多く起れば、是の故に重く制し、重きもの起ること希なれば、軽罪として之を制する所以なり。婬欲は性罪に非ず、殺は是れ性罪なれば、大乗には之を制すること当に初なるべし」と云い、法蔵の「梵網経菩薩戒本疏巻1」には、菩薩は大悲を以って本となすが故に、大乗戒には殺戒を先に制す。声聞戒は犯じ已りて方に制す、婬戒初に在るが故に殺戒は先ならずと云えり。是れ出家に在りては殺生戒を犯ずること稀に、且つ声聞戒は随犯随結の戒なるが故に諸律には婬盗殺妄と次第し、在家は福徳を求め、又大乗の菩薩は大悲を本とし、且つ其の体性罪なるが故に、五戒若しくは十波羅夷等の中には之を第一位に置くものなることを明にせるなり。此の戒の犯相に関しては、「摩訶僧祇律巻4」に、「五事ありて殺人を具足す、犯ずれば波羅夷なり。何等か五なる、一には人、二には人の想、三には方便を興す、四には殺心あり、五には命を断ず。是れを五事と名づく」と云い、「成実論巻8十不善道品」に、「四の因縁を以って殺生罪を得す。一に衆生あり、二に是れ衆生なりと知り、三に殺さんと欲するの心あり、四に其の命を断ず。是の人此の四因を備えば如何ぞ罪なからんや」と云い、又「倶舎論巻16」に、「要ず先づ殺さんと欲するの故思を発し、他の有情に於いて他の有情の想あり。殺の加行を作し、誤らずして殺すに由る」と云えり。是れ先づ殺心を起し、前者に対して衆生若しくは衆生の想を作し、方便加行を用いて其の命を断ずれば即ち殺罪を成ずることを説けるものなり。「大智度論巻13」、「菩薩戒義疏巻下」、「四分律行事鈔巻中之1」等に出す所亦之に同じ。但し「瑜伽師地論巻59」には、此の中の殺心を開きて欲楽と煩悩の二となし、方便と断命とを合して一の方便究竟とし、「大乗阿毘達磨蔵集論巻7」には、此の中の衆生想を欠き、亦殺心を開きて意楽と煩悩の二となし、共に五相を分別せり。開合異ありと雖も其の義皆同一なりというべし。又此の中、殺の方便に関しては「四分律巻2」に総じて二十種を挙ぐ。即ち一に自ら殺し、二に教えて殺さしめ、三に使を遣わして殺し、四に使を往来して殺し、五に使を重ねて殺し、六に展転して使を遣わして殺し、七に男子を求めて殺し、八に人に教えて男子を求めしめて殺し、九に刀を持する人を求めて殺し、十に教えて刀を持する人を求めしめて殺し、十一に身に相を現じ、十二に口に説き、十三に身口倶に相を現じ、十四に使を遣わし、十五に書を遣し、十六に教えて使と書とを遣し、十七に坑陥し、十八に倚発し、十九に薬を与え、二十に殺具を安ずる是れなり。又「五分律巻2」には自殺乃至優波害の三十一種、「十誦律巻2」には自殺教人及び遣使の三種、用内色、用非内色、用内非内色の三種、並びに憂多殺乃至胎中初受二根身根命根於中起方便殺の十五種、「摩訶僧祇律巻4」には、歎誉殺乃至外道殺の二十一種、「善見律毘婆沙巻11」には自、教、擲、安、呪及び神力の六種の方便を出せり。又所殺の衆生に関しては、人命を断ずるを波羅夷とし、畜生を殺すを波逸提となすなり。「四分律巻16」に、「若し比丘、故に畜生の命を殺さば波逸提なり」と云い、「四分律比丘含注戒本巻上」には、人を殺すを大殺戒と名づけ、畜生を殺すに簡別せり。又「菩薩戒義疏巻下」には、広く衆生中に就き三品の別を立て、罪に軽重ありとなせり。即ち彼の文に「衆生多しと雖も大に三品と為す。一には上品は謂わく諸仏聖人父母師僧なり、害せば則ち逆を犯ず。三果の人には両解あり、一に云わく、同じく逆なり、声聞を害する時已に是れ重中の重なるを以っての故なり。二に云わく、重を犯ず。大経に三種の殺を明すに、三果の人を殺すをば但だ中殺に入れて上殺に在らず。故に知る逆に非ず。菩薩の人は以うに解行已上を取る。大経に云わく、畢定の菩薩は上の科に同じと。今二乗と作らざるを取りて畢定位と為す。或いは七心已上を取る、皆断と為すべきなり。養胎母は一に云わく逆なし。二に云わく逆を犯ず、大士の重は声聞よりも重ければなり。中品は即ち人天なり、害心あらば重を犯ず。三に下品は四趣なり。両解あり、一に云わく、同じく重なり、大士は殺を防ぐこと厳重なるが故なり。文に云わく、一切の有命の者は故に殺すことを得ざれと。即ち其の証なり。二に云わく、但だ軽垢を犯ず。重戒の中に在りて兼ねて制するも道器に非ざるを以っての故なり。文に有命者と云うは軽を挙げて重に況するのみ」と云える是れなり。是れ概して諸仏聖人父母等の上品の衆生を害するを五逆罪、人及び天の中品の衆生を害するを波羅夷罪、畜生等の下品の衆生を害するを軽垢罪となせるものなり。又「瑜伽師地論」等には利益殺生の殺あり、即ち彼の論の「論巻41」に、「如し菩薩、劫盗賊の財を貪らんが為の故に多生を殺さんと欲し、或いは復た大徳の声聞独覚菩薩を害せんと欲し、或いは復た多くの無間業を造らんと欲するを見ば、是の事を見已りて発心思惟すべし。我れ若し彼の悪衆生の命を断ぜば那落迦に堕せん、如し其れ断ぜずば無間業成じて当に大苦を受くべし。我れ寧ろ彼れを殺して那落迦に堕するとも、終に其れをして無間の苦を受けしめじと。是の如く菩薩意楽思惟し、彼の衆生に於いて或いは善心を以って、或いは無記心もて此の事を知り已り、当来の為の故に深く慚愧を生じ、憐愍の心を以って而も彼の命を断ず。是の因縁に由りて、菩薩戒に於いて違犯する所なく、多くの功徳を生ず」と云える其の説なり。是れ菩薩戒に特殊なる開制にして、古来一殺多生の説と称せらるる所なり。又殺生の果報に関しては、「旧華厳経巻24十地品」に、「殺生の罪は能く衆生をして地獄餓鬼畜生に生ぜしむ。若し人中に生ぜば二種の果報を得、一には短命、二には多病なり」と云い、「大毘婆沙論巻113」に、「断生命を若しは習い、若しは修し、若しは多く修習せば、那落迦傍生鬼趣に生ず。是れ異熟果なり。彼の処より没し、人中に来生して多病短命なるは是れ等流果なり。彼れ増上するが故に所感の外物に皆光沢少なく、久しく堅住せざるは是れ増上果なり」と云えり。是れ殺生罪に三果あり、地獄等に堕するは異熟果、人中に生じて多病短命なるは等流果、外物の堅住せざるは増上果なりとなすの意なり。又「大智度論巻13」には殺生に十罪ありとし、「一には心常に毒を懐きて世世絶えず、二には衆生憎悪して目に見るを喜ばず、三には常に悪念を懐きて悪事を思惟し、四には衆生之を畏るること蛇虎を見るが如し、五には睡時に心怖れ、覚むるも亦た安からず、六には常に悪夢あり、七には命終の時に狂怖して悪死し、八には短命業の因縁を種え、九には身壊して命終して泥梨の中に堕し、十には若し出でて人となるも常に当に短命なるべし」と云えり。是れ広く現当に亘りて苦報を受くることを説けるものなり。又「長阿含巻8散陀那経」、「中阿含巻3伽藍経」、「正法念処経巻1」、「菩薩瓔珞本業経巻上」、「優婆塞戒経巻5」、「五分律巻8」、「有部毘奈耶巻6至8、40」、「大毘婆沙論巻18」、「順正理論巻42」、「阿毘達磨蔵顕宗論巻22」、「根本薩婆多部律摂巻3、12」、「倶舎論光記巻16」、「同宝疏巻16」、「四分律疏巻3」、「同開宗記」、「同資持記巻中1下」等に出づ。<(望)
  偸盗戒(ちゅうとうかい):偸盗は梵語adattaadaanaの訳。巴梨語adinnaadaana、具に不与取学処と名づけ、又不与取戒、或いは盗戒とも称す。四波羅夷の一。十重禁の一。五八十具の一。即ち与えられざるに他人の財物を取るを制する戒なり。「中阿含巻19迦絺那経」に、「諸賢、我れ不与取を離れ、不与取を断じ、与えられて後取り、与取を楽い、常に布施を好みて歓喜して悋むことなく、其の報を望まず。我れ不与取に於いて其の心を浄除す」と云い、「四分律比丘戒本」に、「若し比丘、若しは村落、若しは閑静処に在り、与えざるに盗心にて取り、不与取の法に随って、若しは王と王の大臣の為に捉らえられ、若しは殺され、若しは縛せられ、若しは国より駆出せられ、汝は是れ賊、汝は癡、汝は無所知なりと。是の比丘は波羅夷にして不共住なり」と云える是れなり。是れ与えられざるに他物を取り、国法を以って処罰せらるる罪を制して波羅夷となせるものなり。蓋し此の戒は陶師子檀尼迦dhanikaa比丘が木屋を作らんと欲し、守材の人を欺きて瓶沙王の材木を盗みしにより、始めて制せられたるものにして、「摩訶僧祇律巻3」には、之を仏成道第六年の冬月第二半月十日のこととなせり。盗物の定限に関しては、「五分律巻1」に、「若し比丘、五銭已上を盗まば波羅夷を得、不共住なり」と云い、「四分律巻1」、「十誦律巻1」、「摩訶僧祇律巻3」等にも亦同一の記事あり。是れ仏在世の時、摩揭陀の国法に於いて五銭(即ち重物)、若しくは五銭已上、又は価五銭、若しくは五銭已上の物を盗まば、死刑、捕縛、若しくは配流等の重罪に処せられたるが故に、即ち之を波羅夷の定限となせしものなり。「四分律巻1」に、「爾の時復た一比丘あり、名づけて迦楼と曰う。本と是れ王の大臣にして善く世法を知る。世尊を去ること遠からず、衆中に在りて坐す。爾の時、世尊は知りて而も故に迦楼比丘に問うて言わく、王法に不与取は幾許の物か応に死すべきと。比丘、仏に白して言わく、若し五銭、若しは直い五銭の物を取らば応に死すべし」と云い、又「薩婆多毘尼毘婆沙巻2」に、「此の戒は要らず国法に依る。盗物の多少は、断命罪を得ば、則ち依りて戒を結す。婬殺の二戒は事成ずれば則ち罪成ず、多少を問わず。妄語は国に此の法なし。(中略)盗むこと五銭に至らば波羅夷を得とは、謂わく閻浮提に現に仏法あるの処、及び弗婆提、拘耶尼の三天下は、唯王舍の国法によりて五銭を以って限と為す。又五銭は重罪を成ずと言うは、仏、王舍の国法に依りて戒を結するが故に、限りて五銭に至らば波羅夷を得。是の如く各国法に随い、依りて罪を制す」と云えるは、即ち其の制意を説けるものなり。四銭已下に関しては、「四分律巻1」に、「方便して過五銭を求めて減五銭を得ば偸蘭遮、方便して過五銭を求めて得ざれば偸蘭遮なり」と云い、又方便して五銭、若しは減五銭を求め、或いは人を教えて過五銭、五銭、若しくは減五銭を求めしめ、而して過五銭、五銭、減五銭を得、若しくは全く得ざる場合に就き、一一其の得べき罪を細説する所あり。又其の犯相に関し、「四分律巻1」には三縁乃至六縁等の十七種の別を挙げ、「十誦律巻1」には三縁等の十一種、「摩訶僧祇律巻3」には二種の五縁、「善見律毘婆沙巻10」には五縁及び六縁の二種を出せり。就中、「四分律」所説の五縁及び六縁とは、彼の文に、「復た五種あり、若しは他物、他物の想、若しは重物、盗心、本処を挙離す。(中略)復た六種の不与取あり、波羅夷なり。自ら手にて取り、看して取り、人を遣して取り、若しは重物、盗心、本処を挙離す。非己物、非己物の想に六種あることも亦是の如し。是れを六種取となす、波羅夷を得」と云える是れなり。是れ他人の重物に対し、他人の物なりと知り、而も盗心を起して其の本処より是れを動かす時、五縁具して波羅夷を得るを五種取とし、又或いは自手にて、或いは人を看し、或いは人を遣し、盗心を以って一の重物を其の本処より離し、又己が物に非ずと知り、或いは暫時借用するに非ず、或いは持主の同意を得ず、而も盗心を以って一の重物を其の本処より離すを共に六種取となせるものなり。「倶舎論巻16」、「四分律行事鈔巻中之1」、「梵網経菩薩戒本疏巻上」等には、此の外別に方便の一を加えて六縁若しくは七縁となせり。「十誦律」等に出せる諸縁の説も亦略ぼ之に准じて知るべし。又「梵網経巻下」にも十重禁の一として盗戒を説き、「若し仏子、自ら盗み、人に教えて盗ましめ、方便して盗み、呪して盗まば、盗の因、盗の縁、盗の法、盗の業あらん。乃至鬼神、有主、劫賊の物、一切の財物、一針一草も故に盗むことを得ざれ。而も菩薩は応に仏性孝順心、慈悲心を生じ、常に一切の人を助けて福を生じ楽を生ぜしむべし。而るを反って更に人の財物を盗まば是れ菩薩の波羅夷罪なり」と云えり。是れ五銭等に限らず、一針一草も故に盗まば、即ち波羅夷を成ずとなせるものにして、上記小乗戒と同じからざる所なり。凡そ偸盗は不善業なるが故に必ず悪果を感ず。之に関し、「旧華厳経巻24十地品」に、「劫盗の罪は亦衆生をして三悪道に堕せしむ。若し人中に生ぜば二種の果報を得、一には貧窮、二には共財にして自在を得ず」と云い、「大毘婆沙論巻113」に、「諸の不与取を若しは習い、若しは修し、若しは多く修習せば那落迦傍生鬼趣に生ず。是れ異熟果なり。彼の処より没し、人中に来生して財宝匱乏なるは是れ等流果なり。彼れ増上するが故に所感の外物に災あり患あり、多く霜雹塵穢等の障に遭うは是れ増上果なり」と云えり。又「大智度論巻13」には偸盗に十罪ありとし、「一には物主常に瞋る、二には重疑、三には非時に行じて籌量せず、四には悪人に朋党し賢善を遠離し、五には善相を破し、六には罪を官に得、七には財物没入し、八には貧窮の業の因縁を種う、九には死して地獄に入る、十には若し出でて人と為り、勤苦して財を求むるも五家に共せらる。若しは王、若しは賊、若しは火、若しは水、若しは不愛子に用いられ、乃至蔵埋するも亦失す」と云い、「大方等大集経巻50」には、偸盗を止息せば十種の功徳ありとなせり。又「瑜伽師地論巻41」には、利益衆生の為に偸盗を開するの説あり。即ち彼の文に、「如し菩薩、劫盗賊が他の財物、若しは僧伽物、窣堵波物を奪い、多物を取り已りて執りて己が有と為し、情を縦にして受用するを見ば、菩薩は見已りて憐愍の心を起し、彼の有情に於いて利益安楽の意楽を発生し、力の能くする所に随って逼りて奪取し、是の如きの財を受用するが故に当に長夜の無義無利を受けしむること勿し。此の因縁に由りて奪う所の財宝にして、若しは僧伽の物は僧伽に還復し、窣堵波の物は窣堵波に還し、若しは有情の物は有情に還復す。(中略)菩薩は是の如く不与取すと雖も、而も違犯なく、多くの功徳を生ず」と云える是れなり。是れ菩薩は彼の劫賊をして更に悪業を造り、来世に多苦を受けざらしめんが為に、反って其の物を奪取するも、戒に於いて違犯する所なく、多くの功徳を生ずべしとなすの説なり。主として菩薩の慈悲を強調せんとするの意に出でたるものにして、固より声聞小乗の戒儀を以って律すべきに非ざるを知るべし。又「中阿含巻3思経」、「同巻55持斎経」、「増一阿含経巻7五戒品」、「正法念処経巻1」、「新華厳経巻35」、「四分律巻55」、「五分律巻28」、「有部毘奈耶巻2至5」、「優婆塞五戒相経」、「善見律毘婆沙巻8、9」、「薩婆多毘尼摩得勒伽巻1、7、8」、「大毘婆沙論巻124」、「成実論巻8」、「瑜伽師地論巻3」、「菩薩戒経義疏巻下」、「倶舎論光記巻16」、「四分律疏巻2末」、「同疏飾宗記巻4本」、「同開宗記巻2本」、「同行事鈔資持記巻中1下」等に出づ。<(望)
  邪淫戒(じゃいんかい):邪淫は梵語kaama-mithyaacaaraの訳。巴梨語kaamesu micchaacaara、欲邪行の義。五戒の一。在家の持する戒にして、即ち人及び法に守護せらるる婦女、並びに非支非時等に於いて婬を行ずるを制したるもの。「長阿含巻6転輪王修行経」に、「四十時の人、復た是の念を作す。我等は少修善に由りて寿命延長す、今寧ぞ更に少善を増すべき、何の善か修すべき。当に邪淫せざるべし。是に於いて其の人尽く邪淫せず、寿命延長して八十歳に至る」と云い、「中阿含巻55晡利多経」に、「邪淫は必ず現世及び後世に悪報を受く。若し我れ邪淫せば便ち当に自ら害し、亦他を誣謗すべし」と云える是れなり。又「大智度論巻13」に邪淫の相を委説し、「邪淫とは若し女人ありて父母兄弟姉妹夫主児子、世間の法、王法の為に守護せらるるを若し犯ぜば是れを邪淫と名づく。若し守護せられずと雖も法を以って守となすあり、云何が法守なる、一切の出家の女人と在家の一日戒を受くると、是れを法守と名づく。若しは力を以って、若しは財を以って、若しは誑誘し、若しは自ら妻あるも、受戒、有娠、乳児、非道、乃至華鬘を以って婬女に与えて要をなし、是の如く犯ぜば名づけて邪淫と為す。是の如く種種作さざるを名づけて不邪婬と為す。問うて曰わく、人守は人瞋り、法守は法を破れば応に邪淫と名づくべし。人の自ら妻ある何を以って邪となすや。答えて曰わく、既に一日戒を受くるを聴さば法の中に堕す、本と是れ婦なりと雖も今は自在ならず。受戒の時を過ぐれば則ち法守に非ず。娠むることあるの婦人は、其の身重きを以って本の所習を厭う。又為に娠を傷つく。乳児の時其の母を婬せば乳則ち竭く。又心婬欲に著するを以って復た児を護らず。非道の処は則ち女根に非ざれば女心楽しまず。強いて非理を以ってするが故に邪淫と名づく」と云い、又「瑜伽師地論巻59」に、「若し不応行を行ずるを欲邪行と名づく。或いは非支非時非処非量非理に於いてする、是の如き一切は皆欲邪行なり。若しは母等母等に於いて護せらる、経に広く説くが如し、不応行と名づく。一切の男及び不男の自に属し他に属する皆不応行なり。産門を除いて外の所有の余分を皆非支と名づく。若し穢下る時、胎円満の時、児に乳を飲ましむる時、斎戒を受くる時、或いは病ある時、謂わく所有の病は習欲に宜しからず。是れを非時と名づく。若し諸の尊重の所集会の処、或いは霊廟の中、或いは大衆の前、或いは堅鞭の地にして高下平ならず、安穏ならざらしむ。是の如き等の処を説いて非処と名づく。量を過ぎて行ずるを名づけて非量となす、是の中の量とは極めて五に至る。此の外の一切を皆過量と名づく。世の礼に依らざるが故に非理と名づく、若し自ら欲を行じ、若しは他を媒合す、此の二を皆欲邪行の摂と名づく。若し有るは公顕、或いは復た隠竊、或いは誑諂方便矯乱に因り、或いは委託に因りて邪行を行ずる、是の如きを皆欲邪行罪と名づく」と云えり。以って制戒の趣旨を知るべし。又「中阿含巻30優婆塞経」、「優婆塞戒経巻3」、「大毘婆沙論巻113」、「瑜伽師地論巻60」、「倶舎論巻16」、「順正理論巻42」、「大乗阿毘達磨蔵集論巻7」、「倶舎論光記巻16」等に出づ。<(望)
  妄語戒(もうごかい):妄語は梵語mRSaa-vaadaの訳。巴梨語musa-vada、又故妄語、虚妄語、虚誑語、或いは欺とも訳す。五八十具戒の一。十重禁の一。即ち不実の言を以って他を欺誑するを制したるもの。「雑阿含経巻37」に、「不実の説を作し、見ざるを見ると言い、見るを見ずと言い、聞かざるを聞くと言い、聞くを聞かずと言い、知るを知らずと言い、知らざるを知ると言い、自に因り他に因り、或いは財利に因り、知りて妄語して而も捨離せず。是れを妄語と名づく」と云い、「大智度論巻13」に、「妄語とは不浄心に他を誑さんと欲し、実を覆隠して異語を出し、口業を生ず。是れを妄語と名づく」と云える是れなり。是れ自利等の為に真実を隠蔽し、故に虚言を以って他を欺誑するを妄語となせるものなり。「四分律巻11」に之を単提法の第一となし、「若し比丘、知りて而も妄語せば波逸提なり」と云えり。「五分律巻6」、「十誦律巻9」、「摩訶僧祇律巻12」等亦之に同じ。又「四分律巻2」に之を妄語して自ら上人法uttara-manuSya-dharmaを得たりと称するを特に波羅夷罪の一となし、「若し比丘、実に知る所なくして自ら称して言わく、我れ上人法を得、我れ已に聖智勝法に入り、我れ是れを知り、我れ是れを見ると。彼れ異時に於いて若しは問い、若しは問わざるも、自ら清浄を欲するが故に是の説を作す、我れ実に知らず見ざるを知ると言い見ると言えり、虚誑の妄語なりと。増上慢を除き是の比丘は波羅夷不共住なり」と云えり。是れ妄語して自ら上人法を得たりと言う時、波羅夷罪を犯ずることを説けるものなり。「四分律行事鈔巻中1」に、此の中の単提法の妄語を以って小妄語となし、波羅夷法の妄説上人法を大妄語となせり。妄語の果報に関しては「旧華厳経巻24」に、「妄語の罪は亦衆生をして三悪道に堕せしむ」と云い、「大智度論巻13」には、妄語の人は心に慚愧なく、天道、涅槃の門を閉塞すと云い、又之に口気臭等の十過罪報ありとなせり。又「長阿含巻6、8、14」、「中阿含巻3」、「善見律毘婆沙巻12」、「梵網経巻下」、「同菩薩戒本疏巻3(法蔵)」、「四分律疏巻3本、5本」等に出づ。<(望)
  飲酒戒(おんじゅかい):梵語madya-paana-viratiの訳。巴梨語suraa-meraya-majja-pmaadaTTaanaa veramaNii、飲酒を制するの意。五戒の一。梵網四十八軽戒の一。酒は迷乱起罪の根本なれば大小二乗道俗七衆倶に制するなり。「四分律巻16」に依るに、仏曽て支陀国に在りし時、娑伽陀は拘睒弥主の家に詣りて飲食を受け、又黒酒を与えられて之を飲み、既に飽満し、帰路遂に地に倒れて吐く。仏即ち之を知りて比丘の飲酒を制し、之を犯す者は波逸提なりとし、且つ飲酒に十過あることを説けり。十過とは一に顔色悪し、二に力少なし、三に眼視明らかならず、四に瞋恚の相を現じ、五に田業資生の法を壊し、六に疾病を増致し、七に闘訟を益し、八に名称なくして悪名流布し、九に智慧減少し、十に身壊し命終りて三悪道に堕すと云える是れなり。又「長阿含巻11阿[少/兔]夷経」には飲酒に六失ありとし、一に財を失い、二に病を生じ、三に闘訟し、四に悪名流布し、五に恚怒暴に生じ、六に智慧日に損ずと説き、又「大智度論巻13」には広く三十五失を出せり。一に現世の財物虚竭す、人飲酒して酔わば心に節限なく、用費度なきが故なり。二に衆病の門なり、三に闘諍の本となる、四に裸露して恥なし、五に醜名悪声ありて人敬せず、六に智慧を覆没す、七に応に得べき所の物を得ず、已に得たる所の物を散失す。八に伏匿の事尽く人に向けて説く、九に種種の事業廃して成辦せず、十に酔は愁と本と為る。酔中には失多く、醒め已りて慚愧憂愁すればなり。十一に身力転た少なし、十二に身色を壊す、十三に父を敬することを知らず、十四に母を敬することを知らず、十五に沙門を敬せず、十六に婆羅門を敬せず、十七に伯叔及び尊長を敬せず、酔悶怳惚として別つ所なきが故なり。十八に仏を尊敬せず、十九に法を敬せず、二十に僧を敬せず、二十一に悪人に朋党す、二十二に賢善の人を疎遠す、二十三に破戒の人と作り、二十四に慚なく愧なし、二十五に六情を守らず、二十六に色を縦にして放逸なり、二十七に人憎悪して之を見るを喜ばず、二十八に貴重の親属及び諸の知識に共に擯棄せらる、二十九に不善の法を行ず、三十に善法を棄捨す、三十一に明人智士の信用せざる所となる、酒は人を放逸ならしむるが故なり。三十二に涅槃を遠離す、三十三に狂癡の因縁を種う、三十四に身壊し命終りて、悪道泥梨の中に堕す、三十五に若し人と為るを得るも、所生の処常に当に狂騃なるべしと云える是れなり。又「大方便仏報恩経巻6」には、飲酒によりて他の諸罪を犯すことあるを説き、「飲酒は是れ放逸の本にして能く四戒を犯ず。迦葉仏の時の如き、優婆塞あり、酒を飲むを以っての故に他の婦を邪淫し(邪婬)、他の鶏を盗殺す(偸盗)。他人問うて曰わく何を以っての故に爾る。答えて言わく、作さず(妄語)と。酒乱を以っての故に一時に能く四戒を破す。或いは飲酒を以っての故に能く四逆を作る。唯だ破僧すること能わざるのみ。宿業に非ざれども狂乱の報あり、飲酒を以っての故に迷惑倒乱すること猶お狂人の如くなればなり。又酒乱の故に正業坐禅誦経を廃失す」と云えり。又「分別善悪所起経」、「倶舎論巻14」、「阿毘達磨順正理論巻37、38」、「倶舎論光記巻14」、「大乗義章巻7」、「法苑珠林巻93」、「梵網菩薩戒本疏巻3」等に出づ。<(望)
  舎婆提(しゃばだい、zraavasTii):憍薩羅(こうさら、kozalaa、kauzala)国の王都。また舎衛、舎衛国、室羅伐国、尸羅跋提国、舎囉婆悉帝国等に作り、意訳して聞物、聞者、無物不有、多有、豊徳、好道と為す。またこの城の多く名人を出だし、多く勝物を産せるが故に聞物国と称せり。本、北憍薩羅国(uttara-kozalaa)の都城名なりしも、南憍薩羅国(dakSiNa-kozalaa)と別たんが為の故に都城を以って代称せり。仏在世時には波斯匿王(prasenajit)ここに居し、城内に祇園精舎有れり。<(望)
三法藏集竟。諸天鬼神諸龍天女種種供養。雨天華香幡蓋天衣。供養法故。於是說偈
 憐愍世界故  集結三藏法 
 十力一切智  說智無明燈
三法蔵集め竟れるに、諸天、鬼神、諸龍、天女は種種に供養せり。天の華香、幡蓋、天衣を雨ふらし、法を供養するが故に、是(ここ)に於いて偈を説かく、
世界を憐愍するが故に、三蔵の法を集結して
十力の一切智、智なる無明の灯を説けり
『三法蔵』が、
『集まる!』と、
諸の、
『天、鬼神、』、
諸の、
『龍、天女』は、
種種に、
『供養して!』、
『天の華香、幡蓋、天の衣』を、
『雨ふらし!』、
『法』を、
『供養する!』が故に、
是(ここ)に、
『偈』を、こう説いた、――
『世界を憐愍する!』が故に、
『三蔵の法』を、
『集めて!』、
『結んだ!』、
『十力、一切智』等の、
『智』という、
『無明の灯』を、
『説いた!』。
  (ばん):梵にpataakaaに作り、また旛(ばん)に作る。乃ち旌旗の総称。もと武人の戦場に用いて軍旅を統領し、軍威を顕揚せし物なるも、仏教にこれを取りて以って仏菩薩降魔の威徳を顕示す。幢(どう)と同じく仏菩薩の荘厳の供具なるも、幡は各種の色に着色される。<(佛)
  (どう):梵にdhvajaに作り、また宝幢、天幢、法幢に作り、ハタボコ(旗鉾)と訓じる。幡と同じく旗の一種であるが、形状に依って区別することが有り、円桶状を幢といい、長片状を幡という。<(望)
  (がい):梵にchattraに作り、即ち日を遮り雨を防ぐ傘なり。また傘蓋、笠蓋、宝蓋、円蓋、花蓋と称す。樹皮蓋、樹葉蓋、竹蓋の三種有り。印度は熱帯に位処すれば、彼の国の人は日中屋外に在る時、多く蓋を以って日を遮る。蓋は、形状に依り二種に分けられ、一般に多く見られるのは柄が内部中央に附く者であるが、また柄が外面上部に附き蓋を懸ける者もあり、これを天蓋と称す。後世に円筒形の絹製品を作り、高く仏座或いは高座の上に懸けて仏殿の荘厳具と為す。<(佛)
  無明(むみょう):梵語a-vidyaaの訳。十二因縁の一。又無明支と名づく。癡に同じ。即ち事理に於いて愚にして之に了達せざる精神情態を云う。『大智度論巻15下注:無明』参照。
  十力(じゅうりき):諸法を如実に知る智力。
  (1)処非処智力:物ごとの道理と非道理を知る智力。処は道理のこと。
  (2)業異熟智力:一切の衆生の三世の因果と業報を知る智力。異熟とは果報のことであるが、まだその果報の善悪が決定していないことをいう。
  (3)静慮解脱等持等至智力:諸の禅定と八解脱と三三昧を知る智力。
  (4)根上下智力:衆生の根力の優劣と得るところの果報の大小を知る智力。根とは能く生ずることをいい、何かを生み出す能力のこと。
  (5)種々勝解智力:一切衆生の理解の程度を知る智力。
  (6)種々界智力:世間の衆生の境界の不同を如実に知る智力。
  (7)遍趣行智力:五戒などの行により諸々の世界に趣く因果を知る智力。
  (8)宿住隨念智力:過去世の事を如実に知る智力。
  (9)死生智力:天眼を以って衆生の生死と善悪の業縁を見通す智力。
  (10)漏尽智力:煩悩をすべて断ち永く生まれないことを知る智力。
  一切智(いっさいち):一切を知る仏の智慧。



阿毘曇の分別

問曰。八犍度阿毘曇六分阿毘曇等。從何處出。 問うて曰く、八揵度阿毘曇、六分阿毘曇等は、何処より出づるや。
問い、
何処から、
『八犍度阿毘曇、六分阿毘曇』は、
『出たのですか?』。
  八揵度阿毘曇(はちけんどあびどん):阿毘達磨八揵度論30巻、または阿毘達磨発智論20巻といい、迦旃延の作る八揵度(けんど、章)の阿毘曇。(1)雑揵度、(2)結使揵度、(3)智揵度、(4)行揵度、(5)大揵度、(6)根揵度、(7)定揵度、(8)見揵度。
  六分阿毘曇(ろくぶんあびどん):六足論、または阿毘達磨六足論といい、八揵度阿毘曇の六部からなる注釈書にして根本説一切有部所依の論の総称。(1)阿毘達磨集異門足論20巻(舍利弗の造)、(2)阿毘達磨法蘊足論12巻(大目乾連の造)、(3)施設足論7巻(大迦多衍の造)、(4)阿毘達磨識身足論16巻(提婆説摩の造)、(5)阿毘達磨品類足論18巻(筏蘇蜜多羅の造)、(6)阿毘達磨界身足論3巻(同人の造)。
答曰。佛在世時法無違錯。佛滅度後初集法時亦如佛在。後百年阿輸迦王。作般闍于瑟大會。諸大法師論議異故。有別部名字。 答えて曰く、仏の在世の時、法に違錯無し。仏の滅度の後、初めて法を集めし時も、亦仏在るが如し。後の百年にして、阿輸迦王、般闍于瑟大会を作し、諸の大法師の論議異なるが故に、部の名字を別にする有り。
答え、
『仏』の
『在世の時』には、
『法』の、
『違錯(逸脱・錯謬)』が、
『無かった!』し、
『滅度の後』、
初めて、
『法』を、
『集めた!』時も、
亦た、
『在世の時』と、
『同じであった!』が、
『百年の後』、
『阿輸伽王』が、
『般闍于瑟大会(五年大会)』を、
『開く!』と、
諸の、
『大法師』の、
『論義』が、
『異なっていた!』が故に、
有る者は、
『部の名字』を、
『別にしたのである!』。
  違錯(いしゃく):違背錯謬( transgress and error )。
  阿輸迦王(あしゅかおう):阿輸迦azokaは梵名。西紀前三世紀頃、印度を統一せし王の名。仏経の大庇護者として知らる。『大智度論巻20下注:阿育王』参照。
  般闍于瑟大会(はんじゃうしつだいえ):五年毎に設くる大会を云う。『大智度論巻2上注:般遮于瑟会』参照。
  般遮于瑟会(はんしゃうしつえ):般遮于瑟paJca-vaarSikaは梵名。会は梵語mahaの訳。又般闍于瑟、般闍婆瑟、般遮越師、或いは略して般遮に作り、五年一大会、五年大会、五年一切大衆集、五年功徳会、五年会、五歳会、或いは五歳筵とも訳す。即ち王者等が五年に一回僧衆に布施する大集会を云う。「阿育王伝巻2」に、「王右顧して駒那羅を見、即ち上座に語りて言わく、我れ庫蔵を尽くし、一切の宮人並びに諸の輔相、及び我が身、子駒那羅等を一切の僧に施さん。請う我れを称して般遮于瑟と名づけよ」と云い、「大智度論巻2」に、「阿輸迦王は般闍于瑟大会を作す。諸大法師論議異なりしが故に別部の名字あり」と云い、又「大荘厳論経巻4」に、「一女人あり、昼闇山に至りて衆人等が彼の山中に於いて般遮于瑟を作すを見る。時に彼の女人は会に於いて乞食し、既に衆僧を覩て心に歓喜を懐く」と云える其の例なり。「玄応音義巻17」に其の語義を解し、「般闍于瑟、或いは般遮于瑟に作る。皆訛略なり。応に般遮跋利沙と言うべし。又般遮婆栗史迦と言う。般遮は此に五と云い、婆栗史迦は此に年と云う。謂わく五年一大会なり。仏世を去りて一百年の後、阿輸迦王此の会を設くるなり」と云えり。蓋し般遮于瑟会は広く印度及び西域地方に行われたるものにして、多く春季を選び、遠近の諸僧を会して種種の供養を展べ、長きは三月に及びたるが如し。「高僧法顕伝竭叉国の條」に、「其の国王の般遮越師を作すに値う。般遮越師は漢に五年大会と言うなり。会時には四方の沙門を請し、皆来たりて雲集す。集まり已れば衆僧の坐処を荘厳し、繒幡蓋を懸け、金銀の蓮華を作りて僧座の後に著け、浄坐具を鋪く、王及び群臣法の如く供養すること、或いは一月二月或いは三月にして多く春時に在り。王は会を作し已れば、復た諸の群臣に勧めて供を設けて供養すること、或いは一日二日五日乃至七日せしむ。供養都べて畢らば、王は所乗の馬の鞍勒を以って自ら副い、国中貴重の臣をして之に騎らしめ、並びに諸の白氎、種種の珍宝、沙門所須の物は、諸の群臣と共に発願して衆僧に布施す。僧に布施し已りて還た僧より贖う」と云えり。以って其の行事の盛大なりしを見るべし。又「雑宝蔵経巻5乾陀衛国画師罽那設食獲報縁」に、般遮于瑟会には一日三十両金を要すと云い、「大唐西域記巻5竭若鞠闍国の條」に、「五歳に一たび無遮の大会を設け、府庫を傾竭して群有に恵施す」と云うに依れば、此の会を設くるに当り巨費を投じたるを知るなり。又「撰集百縁経額上有真珠鬘比丘尼縁」、「大荘厳論経巻8」、「仏本行集経巻30菩薩降魔品」、「摩訶僧祇律巻3」、「十誦律巻5」、「有部毘奈耶巻17」、「阿毘曇毘婆沙巻14」、「賢愚経紀(出三蔵記集巻九所収)」、「大唐西域記巻1」等に出づ。<(望)
  別部(べつぶ):仏滅後、結集せる時、諸師論議を異にせるを以って、互いに譲らず、遂に僧伽を二部に分ちて、其れを上座部、大衆部と称するに至れるを云う。『大智度論巻2上注:上座部、大衆部』参照。
  名字(みょうじ):名目に同じ。
  上座部(じょうざぶ):梵語阿離耶悉他陛攞尼迦耶 aarya- sthavira- nikaaya、又は aarya- sthaaviraaH の訳。巴梨名 thera- vaada、又梯毘棃、他鞞羅、体毘履、他毘利与に作り、聖上座部とも訳す。小乗根本分派の一なり。大衆部に対す。即ち仏滅後に於ける上座の部党を云う。「三論玄義」に、「如来二月十五日、涅槃に入り、諸の聖弟子は四月十五日、王舎城耆闍崛山の中に於いて三蔵を結集す。爾の時即ち二部の名字あり。一に上座部とは謂わく迦葉を上座と為す。迦葉の上に陳如は一夏なるも、仏は法を以って迦葉に付属せしが為に上座部と名づくるなり。迦葉の領する所は但だ五百人あり。「智度論」に依らば則ち千人あり。(中略)是れより以来、仏滅度の後百一十六年に至り、但だ二部の名字あるも未だ異執あらず。百一十六年の外に舶主の児あり、摩訶提婆と名づく。端正聡明にして三逆罪を作り、後仏法に入る。凡そ二事あり、一には諸大乗経を取りて三蔵の中に内れ之を釈す。諸の阿羅漢法蔵を結集せし時、已に此の義を簡除す。而るに大衆部は此の義を用い、上座部は之を用いず。爾るに因りて諍を起して遂に二部と成る。二には摩訶提婆自ら偈を作りて言わく、余人染汚衣、無明疑他度、聖道言所顕、是諸仏正教と。此の一偈を以って戒の後に安置し、布薩誦戒し竟りて亦此の一偈を誦す。(中略)時に衆此の五義を諍い、或いは是とし或いは非とす。故に二部を成ずるなり」と云い、「異部宗輪論」に、「四衆共に大天の五事を議すること同じからざるに因り、分れて両部と為る。一に大衆部、二に上座部なり」と云える是れなり。是れ仏滅一百余年に至りて異執起り、上座大衆の二部分裂せしことを説けるものなり。又「異部宗輪論」に依るに、上座部は初め一味和合せしも、三百年の初に至りて乖諍を生じ、分れて亦説一切有部、本上座部の二部となり、更に第四百年の初に至るまでに犢子部、法上部、賢胄部、正量部、密林山部、化他部、法蔵部、飲光部、及び経量部の諸派を生じ、総じて十一部となれりと云えり。但し「巴梨文島史diipavamsa,v」に依るに、此の外別に説転部samkantika(異部宗輪論には経量部sautraantikaの異名となす)の一部を出して凡べて十二部とし、又本上座部の別名なる雪山部hemavatikaを挙ぐるも、之を二部の外に置けり。又「西蔵文教団分裂詳説sde-pa tha-dad-par-byad-pa daG rnam-par-bzad-pa」には、其の第一説に密林山部を除き、説一切有部の異名なる説因部rgyur smra-ba-pa及び分別説部 rnam- par- phye-ste smra- ba-pa を加えて亦十二部となせり。又「舎利弗問経」、「文殊師利問経巻下分別部品」、「大毘婆沙論巻99」、「大乗玄論巻5」、「大乗法苑義林章巻1本」、「四分律疏巻2」、「南海寄帰内法伝序」等に出づ。<(望)
  大衆部(だいしゅぶ):梵語摩訶僧祇mahaasaGghikaの訳。巴梨語 mahaasaGghikaa、又莫訶僧儀尼迦耶 mahaa- saGghika- nikaaya に作り、具に阿離耶莫訶僧祇尼迦耶 aarya- mahaa- saGghika- nikaaya と云う。聖大衆部と訳す。小乗根本分派の一。上座部に対す。即ち仏滅後に於ける大衆の部党を云う。「異部宗輪論」に、「是の時、仏法大衆初めて破る。謂わく四衆共に大天の五事を議すること同じからざるに因り、分れて両部と為る。一に大衆部、二に上座部なり」と云い、又「三論玄義」に、「如来は二月十五日涅槃に入り、諸の聖弟子は四月十五日、王舎城耆闍崛山の中に於いて三蔵を結集す。爾の時即ち二部の名字あり、一に上座部、(中略)二に大衆部は即ち界外の大衆にして乃ち万数あり、婆師波羅漢を主となす。此に涙出と云う。常に苦の衆生を悲しみて涙堕つればなり。即ち五比丘の中の一人にして大迦葉よりも年あり。界外の大衆を教授す。(中略)是れより以来、仏滅度の後百十六年に至るまでは但だ二部の名字のみあり、未だ異執あらず。百一十六年の外に舶主の児あり、摩訶提婆と名づく。端正聡明にして三逆罪を作り、後仏法に入る。凡そ二事あり、一には諸大乗経を取りて三蔵の中に内れ之を釈す。諸の阿羅漢法蔵を結集せし時、已に此の義を簡除す。而るに大衆部は此の義を用い、上座部は之を用いず。爾るに因りて諍を起して遂に二部と成る。二には摩訶提婆自ら偈を作りて言わく、余人染汚衣、無明疑他度、聖道言所顕、是諸仏正教と。此の一偈を以って戒の後に安置し、布薩誦戒し竟りて亦此の一偈を誦す。(中略)時に衆此の五義を諍い、或いは是とし或いは非とす。故に二部を成ずるなり」と云える是れなり。此の中、「異部宗輪論」は仏滅百余年の時、大天の五事を議すること同じからざるによりて、上座大衆の二部始めて分裂すとなすの意なるも、「三論玄義」は、二部の名は既に第一結集の時に在りとし、又分派の起因も五事及び大乗雑糅の二由ありとなすなり。「大唐西域記巻9摩伽陀国の條」にも大迦葉波結集処の外に別に大衆部結集の処所ありとし、又「摩訶僧祇律巻32」には別に結集の事を言わざるも、窟外に一千の比丘ありしことを記せり。蓋し仏滅直後に窟内窟外の両結集行われたりとするは恐らく事実に非ざるべきも、二部対立の傾向は当時或いは既に存したるやも知るべからずというべし。又南方所伝の「島史diipavaMsa,v.」、「大史maahaavaMsa,v.」及び仏音の「論事註 kathaavatthuppakaraNaTThakathaa 序」等には、根本二部分裂の所由を跋耆族比丘の十事非法に帰し、即ち仏滅第二百年に至り、毘舎離に於いて七百比丘会合し、跋耆族比丘等の主唱せし十事の法非法を議し、之を非法と決したるを上座部とし、別に一万の衆徒あり、之を合法と決したるを大衆部となすと云えり。其の他諸説あり、今更に縷述せず。又大衆部は初め一味和合せしも、後分裂して数多の部派を生ぜり。「異部宗輪論」に依るに、仏滅第二百年に大衆部より一説部、説出世部、鶏胤部の三部を出し、次に又第二百年に多聞部、次に説仮部、次に第二百年満に制多山部、西山住部、北山住部の三部を出し、本末合して九部となると云えり。されど南方及び西蔵等の所伝は之に異なるもの多し。其の所立の教義に関しては、「異部宗輪論」に大衆部、一説部、説出世部、鶏胤部の四部の本宗同義を掲げ、「諸仏世尊は皆是れ出世なり、一切の如来には有漏法なく、諸の如来の語は皆転法輪なり。仏は一音を以って一切法を説く。世尊の所説には不如義なし。如来の色身は実に辺際なく、如来の威力も亦た辺際なく、諸仏の籌量も亦辺際なし。仏は有情を化して浄信を生ぜしめ、厭足の心なし。仏には睡夢なく、如来は問に答うるに思惟を待たず。仏は一切の時に名等を説かず。常に定に在るが故なり。然も諸の有情は名等を説くと謂いて歓喜踊躍す。一刹那の心に一切法を了す。一刹那の心は般若に相応して一切法を知る。諸仏世尊は尽智無生智恒常に随転し、乃ち般涅槃に至る。一切の菩薩は母胎の中に入るも、皆羯刺盈頞部曇閉尸鍵南を執受して自体と為さず。一切の菩薩は母胎に入る時白象形を作し、一切の菩薩は母胎を出づる時皆右脇より生ず。一切の菩薩は欲想恚想害想を起さず。菩薩は有情を饒益せんと欲するが為に願じて悪趣に生じ、意に随って能く往く。一刹那の現観辺の智を以って遍く四諦の諸相差別を知る。眼等の五色身には染あり離染あり。色無色界に六識身を具す。五種の色根は肉団を体と為す。眼は色を見ず、耳は声を聞かず、鼻は香を齅がず、舌は味を嘗めず、身は触を覚せず、等引の位に在りて語言を発することあり、亦調伏心あり、亦諍作意あり、所作已に辦ずれば容受法なし。諸の預流の者の心心所法は能く自性を了す。阿羅漢は余の為に誘わるることあり、猶お無知あり、亦猶豫あり。他悟入せしめ、道は声に因りて起る。苦は能く道を引き、苦の言能く助く。慧を加行となして能く衆苦を滅し、亦能く楽を引く。苦も亦是れ食なり。第八地の中に亦久住することを得、乃至性地法にも皆退ありと説くべし。預流の者には退の義あり、阿羅漢には退の義なし。世間の正見なく、世間の信根なし。無記法なし。正性離生に入る時、一切の結を断ずと説くべし。諸の預流者は一切の悪を造る、唯無間を除く。仏所説の経は皆是れ了義なり。無為法に九種あり、一に択滅、二に非択滅、三に虚空、四に空無辺処、五に識無辺処、六に無所有処、七に非想非非想処、八に縁起支性、九に聖道支性なり。心性は本浄なり、客塵随煩悩に雑染せらるるを説いて不浄と為す。随眠は心に非ず心所法に非ず、亦所縁なし。随眠は纏と異に、纏は随眠と異なり。応に随眠は心と相応せず、纏は心と相応すと説くべし。過去未来は実有の体に非ず。一切の法処は所知に非ず、所識に非ず。所通達に非ず。都べて中有なし。諸の預流の者も亦静慮を得。是の如き等は是れ本宗同義なり」と云えり。就中、仏身無漏、色身無辺、仏寿無量の説の如き、又一音中に一切法を説き、及び心性を本浄となすが如き、頗る大乗の所説と交渉する所あるを見るべし。又「南伝論事kathaavatthu」中にも大衆部の教義を列ぬる所あり、今之を上記「宗輪論」の説に対照するに、其の三四は合する所あるも、他は概ね同じからず。之に依るに「南伝」の所謂大衆部は、「宗輪論」等に伝うる大衆部と全同ならざるものなるを知るべし。又「舎利弗問経」、「文殊師利問経巻下分別部品」、「部執異論」、「十八部論」、「大毘婆沙論巻99」、「大乗玄論巻5」、「大乗法苑義林章巻1」、「異部宗輪論述記」、「南海寄帰内法伝巻1」等に出づ。<(望)
  阿輸迦(あしゅか、azoka):また阿輸伽、阿恕伽、阿戍笴、阿育、阿儵等に作り、意訳して無憂王と為し、また天愛喜見王(devaanaJpriya priyadrazi)の称有り。西紀前三百二十一年頃、印度に於いて孔雀王朝を創立せし旃陀掘多(せんだくつた、candragupta)大王の孫。紀元前二百七十年頃、全印度を統一し、大いに仏教を保護して、これをして各地に宣布せしめた。『阿育王経』に依れば、その母を瞻婆羅(せんばら)国の婆羅門女と為し、名を須跋羅祇(すばつらぎ)という。王は幼時甚だ狂暴にして父の愛する所と為らず、兄の修私摩(しゅしま)を以って嗣と為す。たまたま領内の德叉尸羅(とくしゃしら、takSaziila)国に反乱生ずれば、王は彼に命じて往きて討たしむるも、器仗資具を悉くこれに与えず。父王の意は蓋しその陣に没するを期す。然るに彼は豪邁にも善戦して反乱を平定し、威権はこれに由って大いに張れるに、遂に父王の崩御するに於いて、修私摩を殺して王位に登れり。<(望)
  般闍于瑟(はんじゃうしつ、paJcavaarSika):また般遮于瑟、般遮婆瑟、般遮跋瑟迦、般遮越師等に作り、具に般遮跋利沙といい、また般遮婆栗迦史という。即ち五年会と直訳し、五年ごとに設ける大会を指し、義に無遮会と訳して、一切の人を容受して遮遺せざるを示す。<(望)
從是以來展轉。至姓迦旃延婆羅門道人。智慧利根盡讀三藏內外經書。欲解佛語故。作發智經八犍度。初品是世間第一法。後諸弟子等。為後人不能盡解八犍度故。作鞞婆娑。 是れより以来展転して、姓迦旃延なる婆羅門の道人に至り、智慧利根にして尽く三蔵、内外の経書を読みて、仏の語を解せんと欲するが故に、発智経八犍度を作れるに、初品は、是れ世間第一法なり。後、諸の弟子等、後の人の尽くは八犍度を解する能わざるが為の故に、鞞婆娑を作る。
是れより以後、
展転として、
『迦旃延姓』の、
『婆羅門道人』に、
『至る!』と、
『道人』は、
『智慧・利根であり!』、
『三蔵、内外の経書』を、
『読み尽し!』、
『仏の語』を、
『理解しよう!』と、
『思い!』、
是の故に、
『発智経』の、
『八犍度(八品)』を、
『作り!』、
是の、
『初品』は、
『世間第一法であった!』が、
後に、
諸の、
『弟子』等が、
『後の人』は、
『八犍度』を、
『尽くは、理解できないだろう!』と、
『思う!』が故に、
則ち、
『毘婆沙』を、
『作ったのである!』。
  迦旃延(かせんねん):梵名kaatyaayana。西北印度の仏経を宣揚せし有部の大論師にして発智論の著者。『大智度論巻22上注:迦多衍尼子』参照。
  発智経(ほっちきょう):迦旃延の造りし有部の論書。『大智度論巻2上注:阿毘達磨発智論』参照。
  阿毘達磨発智論(あびだつまほっちろん):梵名abhidharma-jJaana-prasthaana。二十巻。小乗論部迦多衍尼子造。唐玄奘訳(顕慶二年至五年)。又「説一切有部発智論」と称し、略して発智論とも云う。仏滅三百年中、北印度至那僕底国答秣蘇伐那僧伽藍に於いて製する所と伝え、初め二万八千頌ありしが、後代の誦者広略不同にして、一本は一万八千頌、一本は一万六千頌なりと云えり。此の論は「集異門足」等の六論と併せて七論と称せられ、説一切有部根本所依の論蔵たり。又六論は文義少なく、各一支を辯ずるに過ぎざるが故に、之を足に譬えて足論と名づけ、此の論は文義具足するが故に之を身に譬えて身論と称するなり。凡べて八蘊を立て、四十四品を分つ。一に雑蘊は四善根、四聖果、有余無余涅槃等の種種の法を説く。之に世第一法の納息、智納息、補特伽羅納息、愛納息、無慚納息、相納息、無義納息、思納息の八品あり。二に結蘊は三結五蓋等種種の結使を説く。之に不善納息、一行納息、有情納息、十門納息の四品あり。三に智蘊は聖者が惑障を断ずることによりて得すべき無漏の智を説く。之に覚支納息、五種納息、他心智納息、修智納息、七聖納息の五品あり。四に業蘊は身口意の三業に起す所の善悪の諸行を説く。之に悪行納息、邪語納息、害生納息、表無表納息、自業納息の五品あり。五に大種蘊は三世に約して四大種所造の善悪の色法を説く。之に大造納息、縁納息、具見納息、執受納息の四品あり。六に根蘊は四果及び三世に約して六根五根等の法を説く。之に根納息、有納息、触納息、等心納息、一心納息、魚納息、因縁納息の七品あり。七に定蘊は三界諸天の定及び二乗所修の定に種種の不同あることを説く。之に得納息、縁納息、摂納息、不還納息、一行納息の五品あり。八に見蘊は凡夫外道の断常二見、及び六十二見等の種種の見を説く。之に念住納息、三有納息、想納息、智納息、伽他納息の六品あり。又此の論に古訳あり。苻秦僧伽提婆と竺仏念の共訳(建元十九年)せるものにして、「阿毘曇八犍度論」と名づく。又一に「迦旃延阿毘曇」、或いは「阿毘曇経八犍度」と称す。三十巻あり。八犍度跋渠を立つること今の新訳に同じ。「大毘婆沙論巻1」、「大智度論巻2」、「倶舎論巻1」、「婆藪槃豆法師伝」、「出三蔵記集巻2、10」、「大唐西域記巻4」、「倶舎論光記巻1」等に出づ。<(望)
  犍度(けんど):巴梨語khandha。又揵度、建陀、建図に作る。梵語塞犍陀skandha、又塞建図、娑犍図、塞建陀に作る。蘊、聚、陰、衆、肩、又は分段と訳す。即ち同類の法を聚集して一括と為すを云う。「四分律巻31」以下に、受戒、説戒等の二十犍度を説き、「阿毘曇八犍度論」に、雑、結使等の八犍度を立つる如き其の例なり。蓋し旧訳家は衆又は陰の訳を用いて、色受想行識を五衆又は五陰と称す。「摩訶止観巻5上」に陰の義を釈して、「陰は善法を陰蓋す、これ因について名を得。又陰はこれ積聚、生死重沓すればなり。是れ果について名を得」と云い、陰を陰蓋の義に解したるも、是れ原語の意に親しからず。新訳家は専ら蘊の訳に依りて色等を五蘊と称し、「大毘婆沙論」には、雑、結使等の八犍度を翻じて八蘊と為せり。又義浄訳の「能断金剛般若波羅蜜多経論釈巻上註」に、「梵に塞建陀と云うは其の多義あり。或いは是れ聚の義、或いは是れ肩の義、或いは是れ分段の義なり。若し是の方に依りて之を訳して聚と為さば、但だ積聚お義を得て遂に余の義なし。此の中、且く二種に拠る。此れ昔人、梵音を解せざるが為なり。又之を訳して趣と為す、深く遼落を成ず。又復た須らく知るべし、此の聚の義、肩の義、解する時極めて難きことを」と云えり。又「能断金剛般若波羅蜜多経論釈巻上」、「倶舎論巻1」、「玄応音義巻5、18、24」、「四分律疏巻7本」、「四分律飾宗記巻7本」、「四分律行事鈔資持記巻上1之1」等に出づ。
  世間第一法(せけんだいいっぽう):梵語laukikaagra-dharmaの訳。四善根位の一。有漏世間に於いて最勝なる法を云う。『大智度論巻18上注:四善根位』参照。
  鞞婆娑(びばしゃ):梵語vibhaaSaa、広説、広解等に訳す。三蔵中律、論蔵に関する注釈書。『大智度論巻2上注:毘婆沙』参照。
  毘婆沙(びばしゃ):梵語vibhaaSaa、又毘頗沙、鞞婆沙、鞞婆娑、或いは鼻婆沙に作り、広解、広説、勝説、異説、種種説、或いは分分説と訳す。註解書の名なり。其の語義に関し、「玄応音義巻17」に、「毘婆沙、随相論には毘頗沙に作る。此に広解と云う。応に鼻婆沙と言うべし。此に訳して種種説と云い、或いは分分説と言い、或いは広説と言う。同一義なり」と云い、「倶舎論光記巻1」に、「毘は名づけて広と為し、或いは名づけて勝と為し、或いは名づけて異と為し、婆沙は説に名づく。謂わく彼の論(大毘婆沙論)の中には義を分別すること広きが故に広説と名づけ、説義勝るるが故に名づけて勝説と為し、五百阿羅漢各異義を以って発智を解釈するを名づけて異説と為す。此の三義を具するが故に梵音を存す」と云えり。蓋し梵語vibhaaSaaは「話す」又は「言う」の義なる五根bhaaSに、「別に」或いは「離れて」の義なる前接字viを附加せし動詞vi-bhaaSの女性名詞形にして、古来注釈書の意に用いらる。又「随相論」に、「仏は本と優波提舎経を説きて以って諸義を解す。仏の滅後に阿難、迦旃延等、還た先時の所聞を誦出し、以って経中の義を解す。諸の弟子の如き論を造りて経を解す、故に名づけて経優波提舎と為す。毘婆沙も復た優波提舎中より略優波提舎を出す。既に是れ伝出なるが故に経毘婆沙と言わず」と云い、「大唐西域記巻2迦溼弥羅国の條」に、「是の五百の賢聖は先づ十万頌鄔波第鑠論を造りて素怛䌫蔵を釈し、次に十万頌毘奈耶毘婆沙論を造りて毘奈耶蔵を釈し、後十万頌阿毘達磨毘婆沙論を造りて阿毘達磨蔵を釈す」と云うに依れば、優波提舎と毘婆沙とは用例を異にし、即ち優波提舎は経の解釈を云い、毘婆沙は律及び論の開釈書の名に用いられたるを知るべし。現存漢訳蔵経には律の注釈に「薩婆多毘尼毘婆沙」、「善見律毘婆沙」、論の注釈に「大毘婆沙論」、「五事毘婆沙論」等あり。唯「十住毘婆沙論」は直に「十地経」を釈せるものなるも毘婆沙と題せり。又「大智度論巻2、100」、「玄応音義巻24」、「倶舎論宝疏巻1」、「翻訳名義集巻10」等に出づ。<(望)
  摩訶迦旃延(まかかせんねん、mahaakaatyaayana)迦旃延(かせんねん、kaatyaayana):また摩訶迦旃延子(mahaa-kaatyaayani-putra、迦多衍)、仏十大弟子中の論義第一。西印度阿槃提(あばんだい、avanti)国の人、その族姓及出家器物の因縁に数説有り、『仏本行集経巻37那羅陀出家品』の載する所に依れば、師は乃ち彌猴食聚落の大迦旃延婆羅門の第二子にして名を那羅陀(ならだ、naalaka)といえり。初め国都の優禅那尼(うぜんなに)城付近の頻陀(ひんだ)山の中に入りて外舅阿私陀仙人より吠陀(べいだ、veda)の教を学べり。後に阿私陀仙は釈尊出生の時に相好の荘厳せるを見て、将来必ずよく成仏せんと予言し、遂に命終に於いて遺言してそれをして釈尊に礼して師と為さしむ。彼は出家帰仏の後、その本姓によって大迦旃延と称し、勤行懈らず、阿羅漢果を証得せり。仏の滅度の後も、師はなお存して、教化に従事し、しばしば外道と論戦し、仏の弟子中に於いて論義第一と称さる。『六足論大迦多衍之施設足論』を作る。<(望)
  発智経(ほっちきょう):『阿毘達磨発智論20巻』、十大弟子の迦旃延と同族の子孫、迦多衍尼子(かたえんにし)の作。
  世間第一法:世第一法、四加行位(しけぎょうい、四諦の理を明了に見る見道直前の位、四善根位。煖法、忍法、頂法、世間第一法)の第四。有漏智の最極、世俗法中の第一殊勝者。無間定に依り上品の如実智を発し、所取能取の空無を観て、見道の位に直入する。
  毘婆沙(びばしゃ):注釈書。経論を広く議し広く論ずるの義。多くは経書に注釈するを憂波提舎(うばだいしゃ)と称し、律に注釈するを毘婆沙という。
有人言。六分阿毘曇中。第三分八品之名分別世處分。(此是樓炭經作六分中第三分)是目犍連作。六分中初分八品四品。是婆須蜜菩薩作。四品是罽賓阿羅漢作。餘五分諸論議師所作。 有る人の言わく、『六分阿毘曇中の、第三分八品の分別世処と名づくる分は(此れは是れ楼炭経にして、六分を作す中の第三分なり)是れ目犍連の作なり。六分中の初分八品の四品は、是れ婆須蜜菩薩の作なり。四品は是れ罽賓の阿羅漢の作なり。余の五分は、諸の論議師の作る所なり。』と。
有る、
『人』は、こう言っている、――
『六分阿毘曇』中の、
『第三分の八品』は、
『分別世処分』と、
『称する!』が、
是れは、
『目揵連』の、
『作である!』。
『初分の八品』中の、
『四品』は、
『婆須蜜菩薩』の、
『作であり!』、
『四品』は、
『罽賓の阿羅漢』の、
『作であり!』、
『余の五分』は、
諸の、
『論議師』の、
『所作である!』、と。
  六分阿毘曇(ろくぶんあびどん):発智論を補足すべき六種の論書を云う。『大智度論巻2上注:阿毘達磨六足論』参照。
  阿毘達磨六足論(あびだつまろくそくろん):梵名SaT-paada-zaatstra。根本説一切有部所依の六部の論の総称。即ち「阿毘達磨集異門足論」、「阿毘達磨法蘊足論」、「施設足論」、「阿毘達磨識身足論」、「阿毘達磨品類足論」なり。「大智度論巻2」に、「有人言わく、六分阿毘曇の中、分別世処分(此れは是れ楼炭経なり、六分中の第三分となす)は是れ目犍連の作なり。六分中の初分に八品あり、四品は是れ婆須蜜菩薩の作、四品は是れ罽賓阿羅漢の作なり。余の五分は諸の論議師の所作なりと。有人言わく、仏在時に舎利弗は仏語を解するが故に阿毘曇を作る。後犢子道人等読誦す。乃ち今に至りて名づけて舎利弗阿毘曇となす。摩訶迦旃延は仏在時に仏語を解し蜫勒を作る。乃ち今に至りて南天竺に行わる」と云えり。之に依るに六分阿毘曇の名は古くより印度に行われたるを知るべく、又其の作者に関し夙に異説ありしを見るべし。又「阿毘曇八犍度論巻24」の後記に曇摩卑の言を挙げて、「八犍度は是れ体のみ。別に六足あり、百万言ばからい」と云い、又「倶舎論光記巻1」に、「前の六論は義門稍少なく、発智の一論は法門最も広し。故に後代の論師は六を説いて足となし、発智を身となす」と云えり。称友yazomitraの「梵文倶舎釈論」、並びに西蔵所伝にも亦六論の名称を出すも、其の順序及び作者名は異あり。玄奘所伝には「集異門足論」を舎利弗、「法蘊足論」を大目乾連、「施設足論」を大迦多衍那、「識身足論」を提婆設摩、「品類足論」及び「界身足論」を筏蘇蜜多羅の作とし、前の三を仏在世の三論、後の三を仏滅後の三論と称せり。又「出三蔵記集巻10」等に出づ。<(望)
  目犍連(もっけんれん):具に梵名摩訶目犍連mahaamaudgalyaayanaと称す。釈尊十大弟子中の一。神通第一と称す。『大智度論巻21下注:摩訶目犍連』参照。
  婆須蜜菩薩(ばしゅみつぼさつ):説一切有部の一祖なりと伝う。『大智度論巻2上注:世友』参照。
  世友(せゆう):梵語筏蘇蜜多羅vasumitraの訳。又伐蘇蜜呾羅、婆須蜜多、婆修蜜多、和須蜜多、婆須蜜、或いは惒須蜜に作り、天友とも翻ず。説一切有部の一祖なり。「阿毘曇毘婆沙論巻40(大毘婆沙論巻77亦同じ)」に、「薩婆多の中に四大論師あり、第一を達摩多羅と名づけ、第二を瞿沙と名づけ、第三を和須蜜と名づけ、第四を仏陀提婆と名づく」と云い、「大智度論巻2」に、「六分の中の初分に八品あり、四品は是れ婆須蜜菩薩の作、四品は是れ罽賓阿羅漢の作なり」と云い、「達摩多羅禅経巻上」に、「仏滅度の後、尊者大迦葉、尊者阿難、尊者末田地、尊者舎那婆斯、尊者優波崛、尊者婆須蜜、尊者僧伽羅叉、尊者達摩多羅、乃至尊者不若蜜多羅の諸の持法者は、此の慧灯を以って次第に伝授す」と云い、又「出三蔵記集巻12所載薩婆多部記目録」に説一切有部師宗相承五十三祖を列ぬる中、第一大迦葉羅漢、第二阿難羅漢、第三末田地羅漢、第四舎那婆斯羅漢、第五優波掘羅漢、第六慈世子菩薩、第七迦旃延羅漢、第八婆須蜜菩薩、第九吉栗瑟那羅漢、第十長老脇羅漢、第十一馬鳴菩薩等と次第せり。之に依るに師は説一切有部の一祖にして、大迦多衍尼子の後に出世せしものなるを見るべし。其の事蹟に関しては、「惟日雑難経」に、「惒須蜜菩薩は師に事えて三たび経四阿含を諷し、華を持して師の上に散ずるに当り、師に語りて言わく、我れ已に四阿含経を諷すと。師忘れて復た識ること能わず。惒須蜜復た自ら思惟すらく、我れ是の四阿含中の要語を合会して一巻の経を作らんと欲す、四輩の弟子に於いて之を説くべしと。諸の道人あり経を聞きて皆歓喜す。大いに来たりて聴問し、而も坐禅することを得ず。諸道人言わく、我が聴く所の経は但だ坐行を用っての故なり。我れをして悉く以って道を行ぜしむるに、応に復た経を聞くべからず、但だ当に捨てて去るべしと。惒須蜜は其の心の所念を知り、因りて手を以って火中に著くるに焼けず、是れ精進ならずと言わんや。便ち大石の上に於いて坐して道を行ずるあり、当に輭座に於いてすべし。惒須蜜言わく、我れ石を取りて跳し、一石未だ地に堕ちざるに阿羅漢を得んと。已に一を跳し便ち肯て起たず。天因りて上に於いて其の石を牽き堕せしむことを得ず。言わく卿は菩薩道を求む、我曹は悉く当に卿に従って脱を得べし。却後二十劫に卿は当に仏道を得べし。善意を壊すること莫かれ」とあり。是れ師が阿羅漢果を証せんとして石を空中に跳すに、天人あり其の石を留め、師の当来成仏すべきことを予言せりとなすの説なり。又「大唐西域記巻3迦溼弥羅国の條」には、「健馱邏国の迦膩色迦王は、如来涅槃の後、第四百年を以って期に応じ運を撫し、王風遠く被りて殊俗内に附す。機務の余暇、毎に仏経を習う。(中略)其の王は是の時、諸の羅漢と与に彼より至り、伽藍を建立し、三蔵を結集して毘婆沙論を作らんと欲す。是の時、尊者世友は戸外に納衣す。諸の阿羅漢あり世友に謂って曰わく、結使未だ除かず、諍議乖謬せん。爾は宜しく迹を遠ざけ、此に居ること勿かれと。世友曰わく、諸賢は法に於いて疑なく、仏に代わりて化を施し、方に大義を集めて正論を製せんと欲す。我れ不敏なりと雖も粗ぼ微言に達し、三蔵の玄文、五明の至理、頗る亦沈研して其の趣を得たりと。諸の羅漢曰わく、言以って是の若くなるべからず、汝宜しく屏居すべし。疾く無学を証し已りて而も此に会するも時未だ晩からざるなりと。世友曰わく、我れ無学を顧みること其れ猶お洟唾のごとし。仏果を志求して小径に趍らず。此の縷丸を擲って未だ地に堕ちざるに、必ず当に無学の聖果を証得すべしと。時に諸の羅漢重ねて之を訶して曰わく、増上慢の人とは斯の謂なり。無学果は諸仏の讃ずる所、宜しく速かに証して以って衆疑を決すべしと。是に於いて世友は即ち縷丸を空中に擲つに、諸天あり縷丸を接して請いて曰わく、方に仏果を証して慈氏に次補すべし、三界の特尊にして四生の頼む所なり。如何ぞ此に於いて小果を証せんことを欲するやと。時に諸の羅漢は是の事を見已りて咎を謝し徳を推し、請じて上座と為す。凡そ疑義あるものは咸く決を取る」と云えり。是れ前の「惟日雑難経」と同一事実を伝えたるものなるも、之を迦膩色迦王婆沙結集の時に起れりとなすは大に異あり。古来此の記事に依りて師を婆沙会の上首となし、又達摩多羅(法救)、瞿沙(妙音)、仏陀提婆(覚天)と共に婆沙会の四大論師と称し、師を以って実に「大毘婆沙論」編纂の業に参加せるものとなすに至れりと雖も、是れ恐らく事実に非ざるべく、師は達摩多羅等と共に説一切有部に於ける有名なる古論師なるが故に、「大毘婆沙論」中に多く其の説を挙げ、且つ疑議ある時は師の説を以って其の決を取りしものなるが如し。「大毘婆沙論巻77」に三世の建立に関し諸説を挙げ、其の中師の義を評取せるが如き即ち其の例なり。蓋し師が四大論師の一たることは前記「旧婆沙論」等に伝うる所なるも、彼の文には唯薩婆多の中に四大論師ありと云い、婆沙会中と言わず。惟うに「西域記」に婆沙結集の時、師が阿羅漢果を証せざるの故を以って入場を拒絶せられたりとなせるは、第一結集の時、阿難が証果せざるの理由によりて摩訶迦葉の為に擯出せられたりと云える伝説を借用せるものなるべく、即ち師の婆沙会参加の説は、彼の「大毘婆沙論」をして権威あらしめんが為に後人の作成せしものなるべきを想定せざるべからず。又師の当来成仏説に関しては、「尊婆須蜜菩薩所集論序」に、「婆須蜜菩薩大士は次いで弥勒に継ぎて作仏し、師子如来と名づくるなり。釈迦文に従って鞞提国に降生し、大婆羅門梵摩瑜の子と為り、厥れを鬱多羅と名づく。父命じて仏を観ぜしめ、尋いで侍すること四月、具に相表威変容止を覩て還って所見を白す。父不還を得たり。已に出家学道して字を婆須蜜と改め、仏般涅槃の後、周妒国槃奈園に遊教す。高才にして世を蓋い、奔逸して塵を絶し、斯の経を撰集す」と云い、又「師子月仏本生経」には、仏一時迦蘭陀竹園に住せられし時、婆須蜜多と名づくる菩薩の比丘あり、園中の樹を昇降して猨猴の声を作し、衆の怪しむ所となりしにより、仏は為に彼の比丘が過去に獼猴たりし因縁を説き、当来弥勒に次いで作仏して師子月仏と号すべしと懸記せられたるを記せり。此等は皆師が当来弥勒に次いで成仏し、師子如来と号すべきことを説けるものにして、前の「惟日雑難経」の説を更に布衍し、具体化せるものというべし。既に「大智度論」等に尊称して婆須蜜菩薩と云い、今亦弥勒に継いで作仏すと伝えらるるを以って見るに、師は夙に大名を有し、将来の仏陀として衆の為に尊重せられたるを知るなり。其の著述として伝えらるるものに、「阿毘達磨品類足論十八巻(衆事分阿毘曇論十二巻は其の異訳)」、「阿毘達磨界身足論三巻」、「尊婆須蜜菩薩所集論十巻」、「異部宗輪論一巻」あり。就中、「品類足論」に八品ある中、「大智度論巻2」には四品は師の作、四品は罽賓阿羅漢の作なりと云えり。又「界身足論」は玄奘は之を師の造となせるも、称友の「梵文倶舎釈」並びに「西蔵所伝」には之を富楼那の作となせり。又「異部宗輪論」は真諦、玄奘共に之を師の撰述となし、且つ其の巻首に、「世友大菩薩、倶大智覚慧、釈種真苾芻、観彼時思択」云云の偈を掲ぐるも、彼の初訳なる「十八部論」には其の序偈中に世友大菩薩等の句なく、且つ「羅什法師集」の語あるに依れば、此の論は恐らく後人之を撰し、後師の名を冠せしものなるべし。其の出世年代に関しては、「倶舎論光記巻1」に、「三百年の初に至り、筏蘇蜜多羅は品類足論を造る」と云い、又「異部宗輪論述記」には、「宗輪論」の作者世友を仏滅四百許年の出となせり。是れ「品類足論」の作者と「宗輪論」の作者とを同名異人とし、更に後者を婆沙会の四大論師の一として、其の出世を仏滅四百年に置けるものなりと雖も、此の伝説は前述の所論によりて否認せらるべく、恐らく師は「薩婆部記目録」の所伝の如く、迦多衍尼子の後、脇比丘等の前に在りて出世せしものなるべし。又「倶舎論巻5」に依るに、「尊者世友の問論の中に説く、若し滅定に全く心あることなしと執せば此の過あるべし。我れ説く、滅定には猶お細心あり、故に此の失なしと」と云い、「大乗成業論(玄奘訳)」にも亦同文を出せり。「倶舎論光記巻5」並びに「成唯識論述記巻4末」に、此の中の尊者世友は経部の異師にして婆沙会中の世友に非ず。印度国に世友と名づくること一に非ずと云うに依れば、経部師の中に亦世友と名づくる論師あり、問論を製して滅定有心説を唱えたるを知るべし。但し「大乗成業論」の異訳(元魏毘目智仙訳)なる「業成就論」には、滅定有心説を以って、「毘婆沙五百羅漢和合衆中の婆修蜜多大徳」の説なりとなせり。然るに玄奘訳の「成業論」に此等の語を挙げざるのみならず、「大毘婆沙論巻152」に此の説を以って譬喩者分別論師の所執なりと云えば、滅定有心説の主唱者たる世友は今の「品類足論」の作者と同名異人なるを知るべく、随って彼の「業成就論」の五百羅漢云云の説は謬伝なりと断ずるを得べし。又「倶舎論光記巻2」に、「和須蜜の倶舎釈」を援引するも、是れ称友を誤りて和須蜜となせるなり。又「五事毘婆沙論」、「倶舎論巻20」、「出三蔵記集巻9」、「大唐西域記巻2」、「倶舎論光記巻20」等に出づ。<(望)
  罽賓(けいひん):国名。梵名kapiza。また迦湿弥羅kazmiiraと称し、今のカシミールを云う。『大智度論巻20下注:阿育王』参照。
  参考:『舎利弗問経』:『舍利弗問經  附東晉錄  如是我聞。一時佛住羅閱祇音樂樹下。與大比丘眾一千二百五十人俱。名聞十方結盡解脫。八部鬼神等願聞法要 舍利弗從座而起。前白佛言。世尊。佛是法王。隨眾生欲散說法教。令諸天人恭敬奉持。或聞傳聞。或行不行。云何名行法者。云何名不行法者。佛言。善哉善哉。汝能為諸眾生。作如是問諦聽諦聽。吾為汝說。夫行法者。有聞而持。有傳聞而持。皆名曰僧。如寶事比丘。聞佛所說諸行無常。即觀生滅斷諸有漏。真吾弟子是行法者。其傳聞者。如觀身比丘聞汝說。迦留陀夷說。飲酒者開放逸門。於行道者作大留難。即入無諍三昧。得見道斷集。行我法者不行非法。行非法者是名不行是非法人。非吾弟子。入邪見稠林。舍利弗白佛言。云何世尊。為諸比丘所說戒律。或開或閉。如為忽起長者設供。斷諸比丘不聽朝食。如為社人請。復聽食飯[米*(犮-乂+又)]魚肉。如為頻富村人請。復不聽食飯但食薄粥。如為頻婆娑羅王請。復聽飽食飯食。如為闡陀師利請。復聽多家數數食。皆不得飽。諸如此語。後世比丘比丘尼優婆塞優婆夷。云何奉持。佛言。如我言者。是名隨時。在此時中應行此語。在彼時中應行彼語。以利行故皆應奉持。我尋泥洹。大迦葉等當共分別。為比丘比丘尼作大依止。如我不異。迦葉傳付阿難。阿難復付末田地。末田地復付舍那婆私。舍那婆私傳付優波笈多。優婆笈多後。有孔雀輸柯王。世弘經律。其孫名曰弗沙蜜多羅。嗣正王位顧問群臣。云何令我名事不滅。時有臣言。唯有二事。何等為二。猶如先王造八萬四千塔。捨傾國物供養三寶。此其一也。若其不爾。便應反之。毀塔滅法。殘害息心四眾。此其二也。名雖好惡俱不朽也。王曰。我無威德以及先王。當建次業以成名行。即御四兵攻雞雀寺。寺有二石師子。哮吼動地王大驚怖退走入城人民看者嗟泣盈路。王益忿怒。自不敢入驅逼兵將乍行死害。督令勤與呼攝七眾。比丘比丘尼沙彌沙彌尼式叉摩尼出家出家尼一切集會。問曰。壞塔好不。壞房好不。僉曰。願皆勿壞。如不得已。壞房可耳。王大忿厲曰。云何不可。因遂害之無問少長。血流成川。壞諸寺塔八百餘所。諸清信士。舉聲號叫悲哭懊惱。王取囚繫加其鞭罰。五百羅漢登南山獲免。山谷隱險軍甲不能至。故王恐不洗賞慕諸國。若得一首即償金錢三千君徒缽歎阿羅漢。及佛所囑累流通人。化作無量人。捉無量比丘比丘尼頭。處處受金王諸庫藏一切空竭。王益忿怒。君徒缽歎現身入滅盡定。王自加害。定力所持初無傷損。次燒經臺。火始就然飆炎及經。彌勒菩薩以神通力。接我經律上兜率天。次至牙齒塔。塔神曰。有蟲行神。先索我女。我薄不與。今誓令護法。以女與之使至心伏。蟲行神喜。手捧大山用以壓王及四兵眾一時皆死。王家子孫於斯都盡。其後有王。性甚良善。彌勒菩薩化作三百童子。下於人間以求佛道。從五百羅漢諮受法教。國土男女復共出家。如是比丘比丘尼還復滋繁。羅漢上天。接取經律還於人間。時有比丘名曰總聞。諮諸羅漢及與國王。分我經律多立臺館。為求學來難 時有一長老比丘。好於名聞亟立諍論。抄治我律開張增廣。迦葉所結名曰大眾律。外採綜所遺誑諸始學。別為群黨互言是非。時有比丘。求王判決。王集二部行黑白籌。宣令眾曰。若樂舊律可取黑籌。若樂新律可取白籌。時取黑者乃有萬數。時取白者只有百數。王以皆為佛說。好樂不同不得共處。學舊者多從以為名為摩訶僧祇也。學新者少而是上座。從上座為名。為他俾羅也。他俾羅部。我去世時三百年中。因於諍故。復起薩婆多部及犢子部。於犢子部。復生曇摩尉多別迦部。跋陀羅耶尼部。沙摩帝部。沙那利迦部。其薩婆多部。復生彌沙塞部。目揵羅優婆提舍。起曇無屈多迦部。蘇婆利師部。他俾羅部。復生迦葉維部。修多蘭婆提那部。四百年中。更生僧伽蘭提迦部。摩訶僧祇部。我滅度時二百年中。因於異論生。起鞞婆訶羅部。盧迦尉多羅部。拘拘羅部。婆收婁多柯部。缽蠟若帝婆耶那部。三百年中。因諸異學。於此五部。復生摩訶提婆部。質多羅部。末多利部。如是眾多久後流傳。若是若非。唯餘五部各舉所長。名其服色。摩訶僧祇部。勤學眾經宣講真義。以處本居中。應著黃衣。曇無屈多迦部。通達理味開導利益。表發殊勝。應著赤衣薩婆多部。博通敏達以導法化。應著皂衣迦葉維部。精勤勇猛攝護眾生。應著木蘭衣。彌沙塞部。禪思入微究暢幽密。應著青衣。是故羅旬喻比丘分衛。不能得食。後以五種律衣更互而著。便大得食。何以故。是其前世執性多慳。見沙門來急閉門戶云。大人不在。見他布施歡喜攝念。發心願作沙門。是故今身雖得出家窮弊如此。我法出家。純服弊帛及死人衣。因羅旬踰故。受種種衣也。舍利弗言。如來正法。云何少時分散如是。既失本味云何奉持。佛言。摩訶僧祇其味純正。其餘部中如被添甘露。諸天飲之。但飲甘露棄於水去。人間飲之水露俱進。或時消疾或時結病。其讀誦者亦復如是。多智慧人能取能捨。諸愚癡人不能分別。舍利弗言。如來先云。若寒國土。聽諸比丘身著俗服及覆頭首。迦那比丘行大林聚落。值天大寒鳥獸死盡。村人與其俗衣。世尊令其懺悔何耶。佛言。聽著染色置在衣裏耳。舍利弗言。云何世尊常言。諸比丘不得以缽布地。當擎以淨物。若無淨物。當以草葉木葉。君輸柯比丘。與其眷屬受日難王請。行淨板擎缽。云何世尊。而罵之言。是惡魔行非行法者。我言以清淨物不受染。若淨無者。乃用草木之葉。一用即棄。不得用木皮木肉。以其體中本有膠故。若膠若漆。以受塵故若已枯燥。本是有故。濕熱更流故。舍利弗白佛言。世尊。云何聽諸比丘受施主請食及僧家常食。云何蘭若提比丘。受無畏長者。請食如來罵云。是土木人。不應食人食也。佛言。以破壞威儀行食之。時但以眼視不以手受。外道梵志尚知受取。況我弟子而不受食。何況於食。一切諸物不得不受。唯除生寶及施女人。若作法者。猶應授與體上之衣。若貯金器受則判施。舍利弗白佛言。云何世尊。說遮道法不得飲酒。如葶藶子。是名破戒開放逸門。云何迦蘭陀竹園精舍。有一比丘疾病。經年危篤將死。時優波離問言。汝須何藥。我為汝覓。天上人間乃至十方。是所應用我皆為取。答曰。我所須藥是違毘尼故。我不覓以至於此。寧盡身命無容犯律。優波離言。汝藥是何。答曰。師言須酒五升。優波離曰。若為病開如來所許。為乞得酒。服已消差。差已懷慚。猶謂犯律。往至佛所慇懃悔過。佛為說法。聞已歡喜得羅漢道。佛言。酒有多失開放逸門。飲如葶藶子。犯罪已積。若消病若非先所斷。舍利弗又白佛言。云何如來常言。不得殺眾生乃至蟻子。而以臘月八日。於舍衛國長水河邊。與輸麗外道捔術。先逼以神通力令墮負處。其生慚羞投水自盡。眼視沈沒而不拯救。不亦殺乎。方復告眾言。輸麗持此惡法惑亂眾生。前世善熟滅此惡身轉生善見不亦快乎。我諸弟子。當於此日設清淨浴洗。浣身垢念除倒見身。若清淨心亦清淨。似結使人無有慈悲。佛言。大智。汝能為諸未通達者。問斯誠要。輸麗外道。於無量世中積習邪見。誓障正法。往昔燈明佛時。我行菩薩道。遇一村落。人多癘病。死者縱橫。我採眾藥隨宜救濟皆得除愈。其中一人名曰不戴(吳音)是梵志學自負多能。不肯信服。臨欲終時方復求我。我語之云。汝先可治與藥不取。今將氣盡方復有求。如汝即時非藥能治。不戴曰。我今不能復判優劣。願未來世共決勝負。我若負者當殺身。求生為汝弟子。汝若不如為我走使。時我報云。善哉善哉。故今生此土與我相值。臨終善熟共契所會。發言失據恥其眷屬。投水自害。身雖死亡。心發善故。生我法中。有勝進故我不救也。舍利弗言。云何於訓戒中。令弟子偏袒右肩。又為迦葉村人說城喻經云。我諸弟子當正被袈裟。俱覆兩肩勿露肌肉。使上下齊平現福田相行步庠序。又言。勿現胸臆。於此二言云何奉持。佛言。修供養時。應須偏袒。以便作事。作福田時。應覆兩肩。現田文相。云何修供養。如見佛時問訊師僧時。應隨事相。若拂床。若掃地。若卷衣裳。若周正薦席。若泥地作華。若揵高足下。若灑若移種種供養。云何作福田時國王請食。入里乞食。坐禪誦經巡行樹下。人見端嚴有可觀也。舍利弗復白佛言。世尊。八部鬼神。以何因緣生於惡道。而常聞正法。佛言。以二種業。一以惡故生於惡道。二以善故多受快樂。又問。善惡二異可得同耶。佛言。亦可得耳。是以八部鬼神。皆曰人非人也。天神者。其之先身。以車輿舍宅飲食。供養三寶父母賢勝之人。猶懷慳儉諂嫉妒者故。受天神身。如普光淨勝天神等。虛空龍神者。修建德本。廣行檀波羅蜜。不依正念。急性好瞋故。受人非人身。如摩尼光龍王等。夜叉神者。好大布施。或先損害。後加饒益。隨功勝負。故在天上空中地下。乾闥婆者。前生亦少瞋恚。常好布施。以青蓮自嚴。作眾伎樂。今為此神。常為諸天奏諸伎樂。阿修羅神者。志強。不隨善友所作淨福。好逐幻偽之人。作諸邪福。傍於邪師。甚好布施。又樂觀他鬥訟。故受今身。迦婁羅神者。先修大捨。常有高心。以倰於物故受今身。緊那羅神者。昔好勸人發菩提心。未正其志逐諸邪行。故得今身。摩[目*侯]羅伽神者。布施護法性好瞋恚。故受今身。人非人等。皆由依附邪師行諂惡道。以邪亂正俱謂是道。以自建立。夫出世道者。不雜魔邪諂悅之語。諂悅之語非出生死。是入惡道。諂悅邪人所可言說。大觀似道細則睒鑠。當依正法及行正法者。當得佛法僧力解脫無為。若依相似法。依行邪導師。繫縛生死永淪惡趣。是無知人非求出世。入邪見網。邪導師者。雖讀眾經。以邪事業矯製邪科。出邪諂法誑惑凡人。以求敬仰非人所知。說云我知。非人所得。說云我得。或人難曰。那知那得。答曰。空界天神幽中知識。密以語我。或云。某年某月有利有害。逆相開示應防應救。此滅彼興我得汝失。如是欺誑薄俗之人。不能深思德本。隨逐邪末失其正見。興造邪業生顧錢帛。死入惡道。拔舌吞銅百千萬歲。後作畜生亦無量歲。復生為鬼。或在山林曠野河海舍宅。益懷諂誑無有休息。或迷謗行人使失道徑。或示語邪巫言。先亡形服恐動百端。甚可惡賤求人飲食。無有終極。值我弟子心懷正直不失正念者。聞即呵叱終敢復為。若我弟子。心懷怯弱易失心者。從其求免踰得其便。千端萬緒求索無厭。如是之人無丈夫相。為邪所動。死墮惡趣。甚可悲念。舍利弗復白佛言。八部鬼神。依空為空神。依地為地神耶。佛言別有地神。如淨華光等。過去世時好修布施。多瞋難滿嗜酒喜歌舞。故作此神。著純白之衣。潔淨無垢。舍利弗。復白佛言。云何如來。告天帝釋及四天大王云我不久滅度。汝等各於方土護持我法。我去世後。摩訶迦葉。賓頭盧君徒般歎。羅[目*侯]羅。四大比丘住不泥洹。流通我法。佛言。但像教之時信根微薄。雖發信心不能堅固。不能感致諸佛弟子。雖專到累年。不如佛在世時一念之善。其極慊至無復二向。汝為證信。隨事厚薄為現佛像僧像。若空中言。若作光明。乃至夢想。令其堅固。彌勒下生聽汝泥洹。舍利弗復白佛言。如來現世二十年前。度諸弟子無有常施隨有便施。自二十年後。施多定物。是義云何。佛言。有長者子。名曰分若多羅。宿有善根。生婆羅門家。樂欲捨家修無上道隨大目犍連。於巴連弗邑天王精舍。求受具戒。目連語云。汝可七日七夜悔汝先罪皆使清淨。無諸妨障者。我當為汝從僧中乞。分若多羅言。云何得知妨障已滅。云何得知我受得戒。仰願諸佛。加我威神。令我罪滅得見得戒之相。佛言。汝但勤誠。誠至自見。分若白佛。謹奉尊教。懇惻日夜到第五夕。於其室中雨種種物。若巾若帊若拂若帚若刀若斧若錐若鏟次第分別墮其目前。分若多羅。生歡喜心。生得果心。滿七日已。具白目連。目連問我。我語之曰。是離塵相拂割之物也。當以嚫師。師其緣也。夫受戒者。隨其力辦可以為施。不限於此不必備此。舍利弗復白佛言。世尊。有諸檀越。造僧伽藍厚置資給供。來世僧有似出家僧。非時就典食僧。索食而食。與者食者得何等罪。其本檀越得何等福。佛言。非時食者。是破戒人。是犯盜人。非時與者。亦破戒人。亦犯盜人。盜檀越物是不與取。非施主意施主無福。以失物故。猶有發心置立之善。舍利弗言。時受時食。食不盡者非時復食。或有時受至非時食。復得福不。佛言。時食淨者。是即福田。是即出家是即僧伽。是即天人良友。是即天人導師。其不淨者。猶為破戒。是大劫盜。是即餓鬼。為罪窟宅。非時索者。以時非時非時輒與。是典食者。是名退道。是名惡魔。是名三惡道。是名破器。是癩病人。壞善果故。偷乞自活。是故諸婆羅門。不非時食。外道梵志亦不邪食況我弟子知法行法。而當爾耶。凡如此者非我弟子。是盜我法利。著無法人。盜名盜食。非法之人。盜與盜受。一團一撮片鹽片酢。死墮燋腸地獄。吞熱鐵丸。從地獄出生豬狗中。食諸不淨。又生惡鳥。人怪其聲。後生餓鬼。還伽藍中處。都圊內噉食糞穢。並百千萬歲。更生人中貧窮下賤。人所棄惡。所可言說人不信用。不如盜一人物其罪尚輕。割奪多人故。良福田故斷絕出世道故。舍利弗復白佛言。如來宗親多有出家。為自發心。為佛神力耶。佛言。諸釋憍慢著樂。何能願樂。特是父王宣勒。宗室生二子者。一人隨我。阿那律久積善根深樂正法。攜率釋子跋提難提金毘羅難陀跋難陀阿難陀提婆達多優波離。澡浴清淨來至我所。欲求出家。時有上座名毘羅茶。別度阿難阿難陀。次一上座名婆修羅。別度提婆達多跋難陀。唯阿難修不忘禪。宿習總持。於少時中得佛覺三昧。積百萬川水。攬以為雨。雨水奔流入于大海。阿難手從海中取以分別色味。不雜。還置本源。無有漏失。文殊師利。白佛言。世尊。舍利弗者。如來常言。其於聲聞中智慧第一。不謂小心能問要義。佛言。其久種明悟。發揚我法。以諸慧利利眾生故。云何如來。說父母恩大不可不報。又言。師僧之恩不可稱量其誰為最。佛言。夫在家者。孝事父母在於膝下。莫以報生長與之等。以生育恩深故言大也。若從師學開發知見。次恩大也。夫出家者。捨其父母生死之家。入法門中受微妙法。師之力也。生長法身。出功德財。養智慧命。功莫大也。追其所生乃次之耳。又言。當何名斯經。佛言。當名菩薩問喻。以廣大故。又名舍利弗問。爾時四眾聞說是已。五十新學比丘。信根成立法眼清淨。舊德天人八部等。皆大歡喜。作禮而去  舍利弗問經』
  楼炭経(ろうたんきょう):大楼炭経6巻、世界の成壊情形を叙述する。起世経10巻、起世因本経10巻、長阿含経巻18以下5巻を異訳と為す。
  目揵連(もっけんれん、maudgalyaayana):大目乾連、目連、また拘律陀(くりつだ)、拘律ともいい、仏の十大弟子中の神通第一と誉えられる。古代印度摩竭陀(まがだ)国王舎城外の拘律陀村の人にして婆羅門種。生じて容貌端正、幼きより舍利弗との交情甚だ篤く、同じく刪闍耶(さんじゃや)外道の弟子と為り、各々徒衆二百五十人を領す。かつて舍利弗と互いに、先に得悟解脱した者は必ず以って相い告ぐることを約し、遂に共に競いて精進して修行せしに、後に舍利弗、仏の弟子の阿説示に逢うに因り、諸法無我の理を悟り、並べて目犍連に告ぐれば、目揵連も遂に弟子を率いて一同仏を拝謁し、その教化を蒙れり。時に一月を経るに、阿羅漢果を証得す。目揵連と舍利弗とは仏に帰依せし後、共に同じく精進して道を修むるに、遂に諸の弟子の中の上首と成り、仏の教化を補翼せり。晩年、王舎城内にて行乞の時、惨くも仏の教団を嫉恨せる婆羅門徒の執杖梵志に遭い瓦石を以って撃たれて死す。これ仏の涅槃前に係わる事にして、仏は竹林精舎の門辺に塔を建ててこれを弔えり。<(佛)
  婆須蜜(ばすみつ):仏入滅四百年後の大論議師、婆沙会四評家の一。乃ち迦膩色迦(かにしか)王、迦湿弥羅(かしみら)国に於いて薩婆多(さつばた、説一切有)部の三蔵を結集競るとき、五百の賢聖の上座に居れり。<(佛)
  罽賓(けいひん、kapiza):迦湿弥羅(かしみら、kazmiira)、印度北部西域の国名。現在のカシミール辺。
有人言。佛在時舍利弗解佛語故。作阿毘曇。後犢子道人等讀誦。乃至今名為舍利弗阿毘曇。 有る人の言わく、『仏の在せる時、舎利弗は、仏の語を解するが故に、阿毘曇を作り、後に犢子道人等読誦するに、乃至今まで、名づけて舎利弗阿毘曇と為せり。』と。
有る、
『人』は、こう言っている、――
『仏の在世時』に、
『舎利弗』が、
『仏の語』を、
『理解していた!』が故に、
『阿毘曇』を、
『作り!』、
後に、
『犢子道人』等が、
『読誦して!』、
『今』に、
『至った!』ので、
是れを、
『舎利弗の阿毘曇』と、
『称する!』。
  舎利弗(しゃりほつ):梵名zaariputra。釈尊十大弟子の一。智慧第一と称す。『大智度論巻21下注:舎利弗』参照。
  犢子道人(とくしどうにん):小乗犢子部の道人。犢子部は梵語跋私弗底梨与vaastii-ptriiyaの訳。小乗二十部の一。『大智度論巻21下注:犢子部』参照。
  舎利弗阿毘曇(しゃりほつあびどん):仏在世時大弟子舎利弗の所造と伝えられたる阿毘曇を云う。『大智度論巻2上注:舎利弗阿毘曇論』参照。
  舎利弗阿毘曇論(しゃりほつあびどんろん):梵名zaariputraabhidharma-zaastra。三十巻。印度小乗論部。姚秦曇摩耶舎共曇摩崛多等訳。又「舎利弗阿毘曇」とも云う。諸法を分類組織し之を解釈せるもの。総じて四分三十三品あり。即ち第一問分に入品、界品、陰品、四聖諦品、根品、七覚品、不善根品、善根品、大品、優婆塞品の十品、第二非問分に界品、業品、人品、智品、縁品、念処品、正勤品、神足品、禅品、道品、煩悩品の十一品、第三摂相応分に摂品、相応品の二品、第四緒分に遍品、因品、名色品、仮結品、行品、触品、仮心品、十不善業道品、十善業道品、定品の十品あり。就中、第一問分の十品には十二入、十八界、五陰、四諦、二十二根、七覚、三不善根、三善根、四大及び五戒に就きて問答解釈し、第二非問分の中、初の四品には色界非色界等の百六十事、思業思已業等の二百五事、凡夫人非凡夫人等の七十五事、及び正見正智等の二百三十四事に就き、法母を挙げて之を略解し、縁品、正勤品及び神足品には、十二因縁、四正勤、四神足を具釈し、念処品及び禅品には、「中阿含巻24念処経」及び「雑阿含経巻30」等に出せる文を引きて之を随釈し、道品には身念処乃至十一解脱入の三十八事、煩悩品には恃生乃至六十二見の四百二十事を増上法に依りて列挙解釈せり。又第三摂相応分中、摂品には初に苦諦繋法非苦諦繋法等の四百二十三事の法母を挙げ、次に性門摂事門を分ち、性門に於いて此等の諸法を略解し、摂事門に於いて此等諸法の陰界入の摂不っを明し、相応品には眼識界耳識界等の七十二事を釈し、且つ各法の相応関係を説き、第四緒分には因縁無間縁等の十縁、因因無間因等の三十二因、因起等の六十六名色、見結等の十結、身口意の三行、身触心触等の百五十八触、聖心非聖心等の百三十七心、殺生等の十不善業道、不殺生等の十善業道、五支定五智定等の二百六十三定を釈し、及び其れ等諸法の相互の関係等を説けり。之を「法蘊足論」に比するに、預流支、証浄、聖種の三品を欠き、「品類足論辯千問品」に比するに、四証浄及び四聖種の二事を欠き、「巴梨文毘崩伽vibhaGga」に比するに、ダハンマハダヤdhammahadayaを欠くも其の他は悉く之を含み、又別に此の論に特異なるもの多し。「大智度論巻2」に有人の言を挙げ、「仏在時に舎利弗は仏語を解するが故に阿毘曇を作る。後犢子道人等読誦す。乃ち今に至りて名づけて舎利弗阿毘曇と為す」と云い、又「部執異論疏(冠頭三論玄義所引)」並びに「三論玄義」に、舎利弗は仏の九分毘曇を釈して法相毘曇と名づく。羅睺羅は和上舎利弗の毘曇を弘め、可住子(即ち犢子)は更に亦和上羅睺羅の所説を弘むと云えり。此等は本論を以って舎利弗に由来すとし、且つ犢子部所伝の論となすものなるも、「法華経玄賛巻1」には之を正量部の義とせり。又「本論巻27仮心品」に、「心性は清浄にして客塵の垢を離るるも、凡夫は未だ聞かざるが故に、如実に知見すること能わず、亦心を修することなし。聖人は聞くが故に能く如実に知見し、心を修することあり」と云えり。是れ大衆部の所立と同義なれば、亦大衆部にも通ずるものありというべし。又「出三蔵記集巻2」等に出づ。<(望)
  犢子部(とくしぶ):梵にvaatsii-putriiyaahに作り、音訳して跋私弗底梨与部、跋私弗多羅部、婆蹉妒路部、婆蹉富羅部、婆麁富羅部、婆蹉富多羅部、跋私弗部、婆蹉部等に作り、小乗犢子部と意訳す。その名の由来に種種有るも、その一例を挙ぐれば凡そ次の如し、上古に仙あり、山の静処に居り。貪欲すでに起りて止まる所を知らず、近に母牛あり、因て染して子を生む。自後の仙種を皆犢子という。仏の在日に犢子外道あり、仏に帰して出家す、この後の門徒相い伝えて絶えず、ここに至りて部を分かち、遠く襲うて従って名とし、犢子部という、と。またその法脈は仏より、舎利弗に伝え、舎利弗は羅睺羅(らごら、仏の実子にして弟子)に伝え、羅睺羅は犢子に伝えしものと聞こゆ。<(望)
  舍利弗阿毘曇(しゃりほつあびどん):舍利弗阿毘曇論30巻、小乗の諸法の名義を解釈する。体裁を六足論中の集異門足論と同じうし、計して四分三十三品に分かつ。(1)問分十品:十二入、十八界、五陰、四諦、二十二根、七覚、三不善根、三善根、四大、五戒等に就いて問答解釈す。(2)非問分:先に略して解釈する色界、非色界等の百六十の事、思業、思已業等の二百五の事、凡夫人非凡夫人の七十五の事、正見正智等の二百三十四の事。それに次いで、再び十二因縁、四正勤、四神足を詳釈す。(3)摂相応分:初めに苦諦繋法、非苦諦繋法等四百二十三の事を挙げ、次いで性門と摂事門とに分かつ。また眼識界、耳識界等の七十二事を闡釈して各法の相応関係を説く。(4)緒分:因縁、無間縁等の十縁、因因、無間因等の三十三因、因起等の六十六名色、見結等の十結、身口意等の三行、百五十八触、聖心、非聖心等の百三十七心、殺生等の十不善業道、不殺生等の十善業道、五支定、五智定等の二百六十三定を闡釈する。<(佛)
摩訶迦旃延佛在時。解佛語作昆勒。(昆勒秦言篋藏)乃至今行於南天竺。 摩訶迦旃延は、仏の在せる時、仏の語を解して、昆勒(昆勒を、秦に筺蔵と言う)を作れり。乃至今まで、南天竺に行わる。
『摩訶迦旃延』は、
『仏の在世時』に、
『仏の語』を、
『理解して!』、
『昆勒(筺蔵)』を、
『作り!』、
『今に至るまで!』、
『南天竺』で、
『行われている!』。
  摩訶迦旃延(まかかせんねん):梵名mahaakaatyaayana。釈尊十大弟子中の一。論議第一と称す。『大智度論巻26上注:摩訶迦旃延』参照。
  昆勒(こんろく):梵名。筺蔵と訳す。摩訶迦旃延所造の論部の名。『大智度論巻18上注:蜫勒』参照。
  昆勒(こんろく):『大智度論巻18(上)』に『答えて曰く、昆勒には三百二十万言有り。仏の在世の時、大迦栴延(だいかせんねん、仏弟子摩訶迦栴延)の所造なり。仏の滅度の後、人寿は転た減じ、憶識(おくしき、記憶)の力も少なく広く誦すること能わざれば、諸の得道の人、撰びて三十八万四千言と為す。もし人昆勒の門に入らば、論議は則ち窮まり無し。その中に随相門、対治門等の種種の諸門有り』、と云えるも、今は散逸せり。 
皆是廣解佛語故。如說五戒。幾有色幾無色。幾可見幾不可見。幾有對幾無對。幾有漏幾無漏。幾有為幾無為。幾有報幾無報。幾有善幾不善。幾有記幾無記。如是等是名阿毘曇。 諸の論議師の、皆、是れ広く仏の語を解する故に、五戒の幾ばくか有色なる、幾ばくか無色なる、幾ばくか可見なる、幾ばくか不可見なる、幾ばくか有対なる、幾ばくか無対なる、幾ばくか有漏なる、幾ばくか無漏なる、幾ばくか有為なる、幾ばくか無為なる、幾ばくか有報なる、幾ばくか無報なる、幾ばくか有善なる、幾ばくか不善なる、幾ばくか有記なる、幾ばくか無記なると説くが如き、是の如き等を、是れ阿毘曇と名づく。
諸の、
『論議師』は、
皆、
『仏の語』を、
『広く!』、
『理解した!』が故に、
例えば、
『五戒を説いて!』、――
『五戒』中の、
何れが、
『有色か?』、
『無色か?』、
何れが、
『可見か?』、
『不可見か?』、
何れが、
『有対か?』、
『無対か?』、
何れが、
『有漏か?』、
『無漏か?』、
何れが、
『有為か?』、
『無為か?』、
何れが、
『有報か?』、
『無報か?』、
何れが、
『有善か?』、
『不善か?』、
何れが、
『有記か?』、
『無記か?』のように、
『説けば!』、
是れ等の、
『説』を、
『阿毘曇(論義)』と、
『称する!』。
  :皆是広解の前に於いて、他本に従い、『諸論議師』の四字を加う。
  五戒(ごかい):在家の男女の受持する所の五種の制戒。(1)不殺生戒:生物を殺さず。(2)不偸盗戒:与えられざるを取らず。(3)不邪淫戒:看守有る者を犯さず。(4)不妄語戒:無実の言を為さず。(5)不飲酒戒:酒を飲まず。
  有色(うしき)、無色(むしき):欲界と色界の有情有色の身を有色、無色界の有情無色の身を無色という。情は心、色は物質、または肉体。『大智度論巻2上注:七十五法』参照。
  可見(かけん)、不可見(ふかけん):見える法を可見といい、見えない法を不可見という。眼耳鼻舌身の五根と色声香味触の五境との中、ただ色の一種のみを可見と為し、その他の十種を不可見と為す。『大智度論巻2上注:七十五法』参照。
  有対(うたい)、無対(むたい):対象に拘束される法を有対、拘束されない法を無対という。眼等の六根、色等の六境、眼識等の六識の十八界について、(1)障礙有対、(2)境界有対、(3)所縁有対の三種の有対に分別す。対とは礙(障害物)の義。礙には、(A)障礙の義、(B)拘礙の義の二種有り。(A)障礙の義とは、障礙有対を指し、五根五境の小色を以って体と為すに、この十色は互いに相い障礙すること、手の手を礙(さまた)げ、石の石を礙ぐるが如し、故に障礙といい、障礙とは即ち有対である。(B)拘礙の義とは、境界有対と所縁有対とである。境界有対とは、六根六識の十二界と法界との一分の心所法であり、この十三界の法は境によって拘礙(拘束)されるが故に有対という。所縁有対とは、六識及び境界の七心界と法界との一分の心所法である。この八界は、所縁の境に拘礙されるが故に有対という。<(佛)『大智度論巻2上注:七十五法』参照。
  有漏(うろ)、無漏(むろ):漏とは煩悩の異名であり、煩悩を有する事物を含めてこれを有漏という。一切の世間の事体は尽く有漏法であり、煩悩を離れた出世間の事体は尽く無漏法である。『大智度論巻2上注:七十五法』参照。
  有為(うい)、無為(むい):為とは造作の義。造作が有ればこれを有為といい、即ち因縁所生の事物は尽く有為である。能生は因縁であり、これが所生の事物を造作する者である。所生の事物には、必ずこの因縁の造作が有り、故にこれを有為法という。本来自ずから爾りて、因縁の所生に非ざる者、これを無為法という。故に有為とは因縁を有すると言うが如し。『大智度論巻2上注:七十五法』参照。
  有報(うほう)、無報(むほう):四種の業報有り、(1)現報:現世所造の善悪の業は、来生を待たずして今生に於いて即ち果報を受く。(2)生報:現世所造の善悪の業は、来生の身に始めて果報を受く。(3)後報:現世所造の善悪の業は、本生には未だ報を受けずして、多生の後に於いて始めて果報を受く。(4)無報:不善不悪の無記の業は苦果を受くるとも、また楽果を受けざるとも記する能わず。以上四種の業報は小乗の謂う所にも相当し、現報には順現業を配し、生報には順生業を配し、後報には順後業と順不定業とを配することができる。<(望)『大智度論巻2上注:七十五法』参照。
  有善(うぜん)、不善(ふぜん):不善は善の対称、善、悪、無記の三性の一にして、悪と同義、その性は安穏ならずして、よく今世及び他世を違損する黒悪の法をいう。『倶舎論巻13』によれば、不善に四種有り、(1)自性不善:無慚、無愧、及び貪、瞋、癡の三不善根、有漏法中のこの五法は自体が不善であり、なお毒薬の如し。(2)相応不善:無慚、無愧、三不善根と相応して同時に倶に生ずる一切の心心所法。不善に相応するに由って乃ち不善の性を成す。(3)等起不善:身語業及び不相応行法。等起とは善に依って善を起し、悪に依って悪を起し、能起と所起と同等なるをいい、乃ち自性不善及び相応不善に由って引き起される者。(4)勝義不善:生死の法を指す、生死の中の諸法は善有り不善有りといえども、然も皆苦を以って自性と為し、極めて不安穏なり、即ち真諦の実義に由って不善の義を定むるが故に勝義不善と称す。<(佛)『大智度論巻2上注:七十五法』参照。
  有記(うき)、無記(むき):有記法は無記法の対称にして善、悪の二法を指す、善、悪の二法はその相が顕明であり、当来の果相を記別すべきが故に有記法と称す。即ち果報を引き起こす法。無記とは一切法は善、不善、無記等の三性に分けることができる、無記とは即ち非善非不善なる者は、その善、或いは悪を記する能わざるに因るが故に無記と称す。或いは、無記とは異熟果(善悪の果報)を招感する能わざるに因り、異熟界を記する能わず、この故に無記と称す、とも謂う。<(佛)『大智度論巻2上注:七十五法』参照。
  七十五法(しちじゅうごほう):七十五種の法の意。即ち倶舎等に於いて一切法を分類して総じて七十五種の法となすを云う。「倶舎論法宗原」に、「説一切有部に依るに諸法の宗原に略して五種あり、一には色法、二には心法、三には心所有法、四には心不相応行法、五には無為法なり。(中略)以上総じて七十五法あり、諸法の体となす」と云い、又「維摩経疏菴羅記巻18」に、「毘曇には有為無為の法数総じて七十五法あり」と云える是れなり。就中、色法に十一種、心法に一種、心所有法に四十六種、心不相応行に十四種、無為法に三種あり。初に色法の十一種とは、一に眼根cakSur-indriya、二に耳根zrotrendriya、三に鼻根ghraaNendriya、四に舌根jihvendriya、五に身根kaayendriya、六に色境ruupa-viSaya、七に声境zabda-viSaya、八に香境gandha-viSaya、九に味境rasa-viSaya、十に触境spraSTavya-viSaya、十一に無表色avijJapti-ruupaなり。此の中、初の五は五根、次の五は五境なり。次に心法の一種とは即ち六識心王cittaなり。三に心所有法の中、大地法に十、大善地法に十、大煩悩地法に六、大不善地法に二、小煩悩地法に十、不定地法に八あり。合して四十六なり。就中、大地法mahaa-bhuumikaa dharmaaHの十種とは、一に受vedanaa、二に想saMjJaa、三に思cetanaa、四に触sparza、五に欲chanda、六に慧prajJaa、七に念smRti、八に作意manasi-kaara、九に勝解adhimokSa、十に三摩地samaadhiなり。大善地法kuzala-mahaa-bhuumikaa dharmaaHの十種とは、一に信zraddhaa、二に不放逸apramaada、三に軽安prazrabdhi、四に捨upekSaa、五に慚hrii、六に愧apatraapya、七に無貪alobha、八に無瞋adveSa、九に不害ahiMsaa、十に勤viiryaなり。大煩悩地法kleza-mahaa-bhuumikaa dharmaaHの六種とは、一に無明avidyaa、二に放逸pramaada、三に懈怠kausiidya、四に不信aazraddhya、五に惛沈styaana、六に掉挙auddhatyaなり。大不善地法akuzala-mahaa-bhuumikau dharmauの二種とは、一に無慚aahriikya、二に無愧anapatraapyaなり。小煩悩地法pariitta-kleza-bhuumikaa dharmaaHの十種とは、一に忿krodha、二に覆mrakSa、三に慳maatsarya、四に嫉iirSyaa、五に悩pradaasa、六に害vihiMsaa、七に恨upanaaha、八に諂maayaa、九に誑zaathya、十に憍madaなり。不定地法niyata-bhuumikaa dharmaaHの八種とは、一に尋vitarka、二に伺vicaara、三に睡眠middha、四に悪作kaukRtya、五に貪raaga、六に瞋pratigha、七に慢maana、八に疑vicikitsaaなり。四に心不相応行法の十四種とは、一に得praapti、二に非得apraapti、三に衆同分nikaaya-sa-bhaaga、四に無想aasaMjJika、五に無想定aasaMjJi-samaapatti、六に滅尽定nirodha-samaapatti、七に命根jiivitentriya、八に生jaati、九に住sthiti、十に異anyathaatva、十一に滅vyaya、十二に名身naama-kaaya、十三に句身pada-kaaya、十四に文身vyaJjana-kaayaなり。五に無為法asaMskRta-dharmaの三種とは、一に虚空aakaaza、二に択滅pratisaMkhyaa-nirodha、三に非択滅apratisaMkhyaaa-nirodhaなり。即ち合して七十五法あり。是れ「倶舎論」等に出す所の説なり。此の中、心所有法の分類、及び其の数等は「大毘婆沙論」等に出す所と稍異あり。即ち彼の「論巻42」に大地法に受等の十種(上記に同じ)、大煩悩地法に不信、懈怠、放逸、掉挙、無明、妄念、不正知、心乱、非理作意、邪勝解の十種、小煩悩地法に忿等の十種(上記に同じ)、大善地法に信等の十種(上記に同じ)、大不善地法に無明、惛沈、掉挙、無慚、無愧の五種、大有覆無記地法に無明、惛沈、掉挙の三種、大無覆無記法に受等の十種(前の大地法の十種に同じ)ありとし、有覆及び無覆無記地法を別立するのみならず、妄念、不正知、心乱、非理作意、及び邪勝解の五種を立てて大煩悩地法とし、又無明、惛沈、及び掉挙の三種を大不善地法に加えたるが如き、皆「倶舎」の説に同じからざる所なり。又「大毘婆沙論巻75」には厭及び怖を説き、「同巻143」並びに「入阿毘達磨論巻上」には欣及び厭を説き、「順正理論巻11」には前記小煩悩地法十種の外に、不忍、不楽、憤発等の心所ありとなせり。されば心所有法の分類及び其の数等は元と一定せざりしを知るべく、即ち世親に至りて之を整理し、且つ廃立を試みたるものとなすべきが如し。彼の「成実論」所立の八十四法、法相宗所立の百法等は、皆亦此等の説に基づき敷衍を加えたるなり。今上記七十五法に就き、若し色非色を分別せば、色の十一種は是れ色、余の六十四法は非色なり。即ち変礙の義あるを色とし、之に反するを非色とす。若し有見無見を分別せば、色の十一種の中、色境は唯有見、余の七十四法は無見なり。即ち可見を有見とし、之に反するを無見とす。若し有対無対を分別せば、五根五境の十種は有対、余の六十四法は無対なり。即ち障礙あるを有対とし、之に反するを無対とす。若し有漏無漏を分別せば五根五境は唯有漏、無表は漏無漏に通じ、心王は亦二に通ず。四十六の心所の中、大地法の十、大善地法の十及び尋伺の二は二に通じ、余の二十四は唯有漏なり。十四不相応の中、得と四相は漏無漏に通じ、余の九種は唯有漏なり。三無為は亦唯無漏なり。若し有為無為を分別せば、前の七十二法は有為、後の三種は無為なり。即ち造作あるを有為とし、之無きを無為とす。若し相応不相応を分別せば、心心所法を合して四十七種は是れ相応、余の二十八種は不相応なり。即ち時と依と行と縁と事との五義平等なるを相応とし、之に反するを不相応とす。若し有上無上を分別せば、七十四法は有上、寂滅無為は無上なり。即ち涅槃の上を有するを有上とし、有せざるを無上とす。若し四大種所造非所造を分別せば、眼等の五根、色声香味、及び無表は所造、触は二種に通じ、余の六十四法は非所造なり。若し諦非諦を分別せば、七十三法は是れ諦、虚空非択滅の二無為は非諦なり。即ち苦集滅道の四諦を諦とし、之に反するを非諦とす。若し有執受無執受を分別せば、眼等の五根と色香味触は二種に通じ、余の六十六法は唯無執受なり。即ち心心所法の為に執持せらるるを有執受とし、之に反するを無執受とす。若し有所縁無所縁を分別せば、心心所法四十七種は是れ有所縁、余の二十八種は無所縁なり。即ち所縁を有するを有所縁と名づけ、之に反するを無所縁とす。若し異熟非異熟を分別せば、五根と色香味触は二種に通じ、声及び無表は非異熟なり。心王は二種に通じ、心所法の中、大地法の十と尋と伺と眠の十三法は亦二種に通じ、余の三十三法は唯非異熟なり。不相応の中、得と同分と四相は二種に通じ、無想の異熟命根は唯異熟、非得と二定と名句文は非異熟、三無為も亦非異熟なり。即ち是れ無記にして異熟因より生ずるを異熟とし、之に反するを非異熟とす。若し見非見を分別せば、慧は二種に通じ、眼は唯見、余の七十三法は唯非見なり。即ち観照推度の用あるを見と名づけ、之に反するを非見とす。若し積集非積集を分別せば、五根五境は積集、余の六十五法は非積集なり。即ち極微所成を積集とし、之に反するを非積集とす。若し根非根を分別せば、五根及び心王と、念と定と慧と受と信と勤と命の十三種は是れ根、余の六十二法は非根なり。即ち増長の義あるを根とし、之に反するを非根とす。若し有異熟無異熟を分別せば、色と声と無表及び心王は二種に通じ、心所の中、大不善地法の二と、小煩悩地法中の忿と覆と慳と嫉と悩と害と恨と、不定地法中の悪作と瞋との十一種は唯有異熟、余の三十五法は二種に通ず。不相応の中、四相は二種に通じ、無想等の二定は有異熟、余の七種及び三無為は無異熟なり。即ち不善と善と有漏とを有異熟とし、無記と無漏とを無異熟とす。其の他又三性、三断、繋不繋等の諸分別あり。応に随って知るべし。又「倶舎論光記巻4」、「同釈頌疏義鈔巻中本」、「教乗法数巻40」、「八宗綱要巻上」等に出づ。<(望)
復次七使。欲染使瞋恚使。有愛使憍慢使。無明使見使疑使。是七使。幾欲界繫幾色界繫幾無色界繫。幾見諦斷幾思惟斷。幾見苦斷幾見集斷。幾見盡斷幾見道斷。幾遍使幾不遍使。 復た次ぎに、七使は、欲染使、瞋恚使、有愛使、憍慢使、無明使、見使、疑使、是の七使の、幾ばくか欲界繋なる、幾ばくか色界繋なる、幾ばくか無色界繋なる、幾ばくか見諦断なる、幾ばくか思惟断なる、幾ばくか見苦断なる、幾ばくか見集断なる、幾ばくか見尽断なる、幾ばくか見道断なる、幾ばくか遍使なる、幾ばくか不遍使なる。
復た次ぎに、
『七使』は、
『欲染使』、
『瞋恚使』、
『有愛使』、
『憍慢使』、
『無明使』、
『見使』、
『疑使であり!』、
是の、
『七使』の、
何れが、
『欲界繋か?』、
『色界繋か?』、
『無色界繋か?』、
何れが、
『見諦断か?』、
『思惟断か?』、
何れが、
『見苦断か?』、
『見集断か?』、
『見尽断か?』、
『見道断か?』、
何れが、
『遍使か?』、
『不遍使か?』。
  七使(しちし):使とは煩悩の異名。世の公使(公吏)の罪人に随逐してこれを繋縛するが如く、煩悩もまた行人に随逐して三界に繋縛し、出離せしめざるが故に使という。また使とは駆役の義、煩悩はよく人を駆役するが故にこれを使という。使には九十八使等種種有るが、この中に主なる七使あり、(1)欲愛:欲界の貪欲、(2)恚:瞋恚、(3)有愛:色界無色界の貪欲、(4)七慢:(ⅰ)慢:劣に於いては己勝ると謂い、等に於いては己等しと謂う者、これ境に於いて称すといえども、心の髙挙するを以っての故に慢という、(ⅱ)過慢:等に於いては己勝ると謂い、勝に於いては己等しと謂う者、(ⅲ)慢過慢:他の勝る中に於いて己は更に勝ると謂う者、(ⅳ)我慢:有我と有我所に執して心をして髙挙せしむる者、(ⅴ)増上慢:未だ聖道を証得せざるに己証得すと謂う者、(ⅵ)卑慢:他の多分に勝る中に於いて己は少分劣ると謂う者、(ⅶ)邪慢:悪行を成就するに悪に恃みて髙挙する者、(5)無明:癡惑、(6)五邪見:(ⅰ)身見:我見我所見を指す、吾身は五陰和合の仮の者と知らずして実に我身有りと計度し(我見)、また我の身辺の諸物には一定の所有主の無いことを知らずして実に我の所有物であると計度する(我所見)、(ⅱ)辺見:一旦我身有りと我見を起した後、その我は或いは死後に断絶する者であると計度し、或いは死後にもまた常住して滅せざる者であると計度す、この二義有りて、身見の後辺に於ける妄見を起す(唯識)、断或いは定の一辺に偏る(倶舎)、(ⅲ)邪見:因果の道理は無しと頑なに思い、以って世に招くべき結果の原因は無く、また原因に由って生ずる結果も無し、故に悪は恐れるに足らず、善もまた好むに足らず、と為す、かくの如きの謬見は、乃ち邪の最邪なるが故に邪を以って名を付ける、(ⅳ)見取見:劣った知見を以って始める者がその他の種種の劣事を取りながら、これは最勝殊妙だと思う者、即ち自見に執して他の勝れた見を取らない者、(ⅴ)戒禁取見:上の見取見に由り、遂に非理非過の戒禁(戒律)を以って始めた者がその他の種種の行法を取り、これを以って生天の因、或いは涅槃の道と為す者、即ち牛の戒、鶏の戒等を以って生天の因と為すが如き、因に非ざるに因を計し、また塗灰断食等の苦行を修めて以って涅槃の道と為すが如き、道に非ざるを道と為す、この二種の戒禁取見有り、(7)疑:四諦の理を疑う。<(佛)
  欲界繋(け)、色界繋無色界繋:諸法を三界に分け、欲界に於いて繋属(繋縛)する法を欲界繋、色界に繋属する法を色界繋、無色界に繋属する法を無色界繋という。
  見諦断思惟断:見道(見諦)とは、修道(思惟)、無学道を合せて三道と称し、即ち無漏智を以って四諦を現観し、その理を見照する修行の階位を指す。見道以前の者を凡夫と為し、見道に入る以後を則ち聖者と為し、それに次いで、見道の後に更に具体の事相に対して相い反覆を加え以って修習する位を修道という。見道と修道を合せて有学道と称し、これに相い対して、無学道は、また無学位、無学果、無学地とも作り、意は既に窮極、最高の悟境に入る者を指す。この有学道の各位に於いてそれぞれ断つべき煩悩を見道断(見諦断、見惑)、修道断(思惟断、思惑)という。
  四諦(したい):苦諦、集諦、滅諦、道諦を合せて四諦と称し、涅槃に入るためには、これを観察して各真諦を明了ならしむ、この各真諦に於いて断つべき煩悩を、それぞれ見苦断、見集断、見滅断、見道断という。(1)苦諦:苦とは、即ち広くは逼迫せる身心の苦悩の状態を指し、実に世間の事物は有情、非情を論ぜず悉く皆苦と為すと審らかにし、世俗の一切は本質的に皆苦であると認める、苦諦とは即ち生死に関して実にこれ苦なりと了解する真諦である、(2)集諦:集とは、即ち招聚の義、実に一切は煩悩の惑業であり、実によく三界の生死の苦果を招集すると審らかにす、集諦とは即ち世間の人生に於ける諸苦の生起及びその根原に関する真諦である、(3)滅諦:滅とは即ち寂滅の義、実に苦の根本なる愛欲を断除すれば、則ち苦の滅するを得、涅槃の境界に入ることができると審らかにす、滅諦とは即ち苦、集を滅尽することに関する真諦である、(4)道諦:道とは即ち能通の義、実に滅苦の道を審らかにす、乃ち(a)正見:即ち苦はこれ苦なり、集はこれ集なり、滅はこれ滅なり、道はこれ道なり、善悪の業有りて善悪の業報有り、此の世と彼の世と有り、父母有り、世に真人の往き至る善処あり、善を去りて善に向う、此の世と彼の世とに於いて自覚自証成就す、と見る、(b)正思惟:即ち欲覚、恚覚及び害覚の無きをいう、(c)正語:即ち妄言、両舌、悪口、綺語等を離る、(d)正業:即ち殺生、与えざるに取る等を離る、(e)正命:呪術等の邪命を捨てて、如法に衣服、飲食、床榻、湯薬等の生活の具を求める、(f)正精進:願を発して、已生の悪法をして断たしめ、未生の悪法をして起たしめず、未生の善法をして生ぜしめ、已生の善法をして増長満具せしむ、即ちよく方便を求めて精勤すと謂う、(g)正念:即ち自ら身、受、心、法等の四者を共に相い観察す、(h)正定:即ち欲、悪不善の法を離れて、初禅乃至四禅を成就す、等の八正道は、もしこれに依って修行すれば苦、集の二諦を超脱して寂静涅槃の境地に到達すると審らかにす、道諦とは即ち八正道に関する真諦である。<(佛)
  見所断見苦断見集断見滅断見道断):見道所断。見道に断ぜらるるものの意。修所断、非所断と倶に三断を為す。倶舍論巻二に「八十八睡眠及び彼の倶有法と、並びに随行の特とは皆見所断なり」と云い、同光記巻二にこれを釈して「見断の睡眠及び相応法は、理に迷うて起るが故に四相を得とは、これ彼の見惑の親しく発起するが故に皆見所断なり。修断の相無ければ修断に通ぜず、無漏に非ざるが故に非断に通ぜず」と云えり。これ八十八使の見惑及びその相応倶有たる大地法等の心所、並びに四相及び随行の得を総じて見所断と為すの説なり。ただし見道十五心の中、順次に四諦の理を見るに随って所断の殊あり。即ち見道の苦諦所断を見苦所断、集諦所断を見集所断、滅諦所断を見滅所断、道諦所断を見道所断と名づく。倶舍論巻十九に「十睡眠(貪、瞋、癡、慢、疑及び五見)の中、薩迦耶(さっかや、身見)見はただ一部に在り、謂わく見苦所断なり。辺執見(辺見)もまた爾り。戒禁取は通じて二部に在り、謂わく見苦、見道の所断なり。邪見は四部に通ず、謂わく見苦集滅道の所断なり。見取と疑ともまた爾り。余の貪等の四は各五部に通ず、謂わく見四諦及び修所断なり」と云える、即ちその意なり。即ち、見苦諦所断には、貪、瞋、癡、慢、身見、辺見、邪見、見取、戒禁取、疑が有り、見集諦所断には、貪、瞋、癡、慢、邪見、見取、疑が有り、見滅諦所断には貪、瞋、癡、慢、邪見、見取、疑が有り、見道諦所断には貪、瞋、癡、慢、邪見、見取、疑が有り、修所断には貪、瞋、癡、慢が有る。<(佛)
  遍使不遍使:遍使とは、十一遍使、十一遍行惑とも称し、遍行因(六因の一)の惑を指す、即ち苦諦十惑(貪、瞋、癡、慢、疑及び五見)中の身見、辺見、邪見、見取見、戒禁取見、疑、無明(癡)に迷い、及び集諦七惑(貪、瞋、慢、邪見、見取見、疑、無明)中の邪見、見取見、疑、無明に迷う、この十一とは一切の煩悩の生因にして遍く一切の惑を生ず。この十一の惑以外の煩悩を不遍使という。
  六因(ろくいん):梵語 Sad- hetavaH の訳。凡そ有為法の生は、必ず因縁の和合に依れば、因体を論ずるに六種有り、(1)能作因(梵 kaaraNa- hetu ):謂わゆる凡そ生法の為に力を以って与る者は、また障害を作さざるが故にこの因には与力、不障の二種有り。与力とは、法の生ずる時、勝力を与える者なり。眼根の眼識を生ずること、大地の草木を生ずるが如き、これを力有りてよく因と作ると為す。この有力能作因の因体は、ただ有為法に限り、無為法には通ぜず。無為法を以って無作用と為し、彼の生法に向って力を与えざる者なり。不障とは、謂わゆる他の生法を妨げず、他をして自在に生ぜしむ者なり。虚空の万物に于けるが如く、これを無力なれどよく因と作ると為すが故に、この無力能作因は、一切の無為法に通ずるなり。この因所得の果を名づけて増上果と為す。(2)倶有因(梵 sahabhuu- hetu ):倶に果を有する因と為すが故に倶有因と名づく。謂わゆるこれは必ず二個以上の法が相い依って生ず。束ねた蘆の相い依るが如く、地等の四大種の住等の四相を生ずることこれなり。蓋し四大種の生は必ず互いに相い依って生じ、一も欠くべからず。これを同時倶有の法と為し、互いに因と為り互いに果と為れば、これを互いに果を為す倶有因と謂う。この因所得の果を士用果(士は男、用は作用なり、士の作用の強きを以って名づく)と名づく。(3)同類因(梵 sabhaaga- hetu ):謂わゆる同類の法とは、同類の法を以って因と為すなり。善法は善法の因と為り、乃ち無記法は無記法の因と為るに至る。この同類の名は、善悪の性に就いて立て、色心等の事相に就いてには非ず。善の色蘊と善の識蘊との相い望むこと、猶盗塁因の等しく果に流るるが如き故なり。蓋しこの因所得の果は、乃ち等流果なり。(4)相応因(梵 saMprayukta- hetu):心と心所との法は必ず同時に相応して生ずるが故に相応法と名づく。この一聚の心心所に就いて他を一望するを以って名づけて相応因と為すこと、彼の倶有因の如し。蓋し倶有因の中に於いて特別に心心所の法を開いてこの因を立つる者ならん。故に所得の果も、倶有因を以って例と為し、称するに士用果と為す。(5)遍行因(梵 savratraga- hetu ):これも同類因に由ると為し、特に煩悩法を開いて立つる者なり。蓋し見惑に在りては、苦諦下の五見及び疑と無明と、集諦下の邪見、見取の二見及び疑と無明とは、遍く一切の惑を生ずれば、故に遍行因と名づくるも、これは同類因の一種に過ぎざるが故に、所得の果は即ち等類果と為す。(6)異熟因(梵 vipaaka- hetu ):これは悪と有漏善との二法を以って体と為し、五逆の悪法を以って、地獄の報を感じ、十善の有漏善を以って天上の果を招くが如し。果の天上と地獄との果は、皆非善非悪にして、ただ無記性と為す。かくの如き善因悪因を以って、皆無記の果を感じ、因果類を異にして熟すが故に因を異熟因と為し、果を異熟果と為す。倶舍論六には、「因に六種有り:一能作因、二倶有因、三同類因、四相応因、五遍行因、六異熟因」と曰うを、旧訳の智度論三十二には、「相応因(相応因)、共生因(倶有因)、自種因(同類因)、遍因(遍行因)、報因(異熟因)、無障因(能作因)」と為す。<(丁)
  四縁(しえん):縁(えん)とは攀縁(はんえん、しがみつく)の義。人の心識は一切の境界に攀縁す、眼識は色境に攀縁してこれを見、乃至身識は触境に攀縁してこれを覚るが如し。因って心識を能縁と為し、その境界を所縁と為すとき、その心識の境界に向かって動く作用、これを縁と謂う。即ち心の境界に攀縁するなり。縁とは心の境に対するときの作用であり、これを言い易うれば、則ち心の慮知(思慮)と為す。蓋し即ち対象を心に映ずることならん。即ち、一切の有為法の生起に憑藉(ひょうせき、寄与)する所を包括する四種の縁あり。即ち因縁、等無間縁、所縁縁、増上縁なり。(1)因縁:自果を産出するに直接内在する原因を指す。例えば種子に由って芽を生ずるが如き、種子は即ちこれ芽の因縁なり。その因縁と名づくる所以は、通常結果を生ずる主要条件を称して因と為し、次要条件を称して縁と為せば、ここに於いて則ち因を以って強調するも、また衆多の条件の一と為す。故に因縁と称するも、尋常に謂う所の因と縁との義には非ずして、またこの縁は精神と物質等との一切の現象に於いて適用すべし。(2)等無間縁:即ち心心所の相続する中に、前の一刹那の路を譲るに由って後の一刹那の生起を開引する原因を指す。また即ち心心所は過去の前の一刹那に於いて滅謝し、また現在の後の一刹那の生起に給与する力用なり。謂わゆる等とは、前念既に滅すると後念継いで生ずるとの二念の体と用との同等なるを謂う。これに反して、もし前の一刹那を善心聚と為し、後の一刹那を悪心聚と為せば、則ちその善語の刹那の相い望むに、則ち相い異なれば同等に非ず。謂わゆる無間とは、前後二念の間の念念に生滅して刹那も停らず、而も間隔の有ること無きを謂う。この縁は僅かに精神現象に於いて適用し、認識活動の以って発生することを得る条件と為す。(3)所縁縁:即ち心心所、攀縁する所の一切の対象を指す。また即ち一切の外在する事物が内の心所に対して産出する所の間接、直接の縁なり。例えば眼識は必ず一切の色を以って所縁縁と為し、耳識は必ず一切の声を以って所縁縁と為し、乃至意識は必ず過去現在未来等の一切法を以って所縁縁と為すが如し。(4)増上縁:上述の三縁以外の一切は、或いは無礙に於いて、現象の発生に於いて助くること有る原因条件なることを指す。大毘婆沙論巻二十一に云わく、「謂わく一刹那の心心所法は、次後の刹那の同類の心心所を引起するが故に立てて因縁と為し、即ちこれ開避して次後の刹那の心心所法を生ずることを得しむるが故に立てて等無間縁と為し、即ちこれよく次後の刹那の心心所法の所取の境と為るが故に立てて所縁縁と為し、即ちこれ障礙せずして次後の刹那の心心所法を得しむるが故に立てて増上縁と為す」と。また倶舎論巻七に云わく、「四種の縁あり、説かく因縁は五因の性なり。等無間は後に非ず、心心所の已生なり。所縁は一切法なり。増上は即ち能作なり」と。この中は即ち、因縁とは六因の中の能作因を除き、余の倶有相応等の五因の性にして、諸法の生起する時親しき原因となるものを云い、等無間縁とは前念の心心所法が開避して、よく無間に後念の心心所法を生ぜしむる縁となるを云い、所縁縁とは心心所法の為に所取の境となるを云い、増上縁とは六因の中の能作因にして、即ち障礙をなさずして、よく後念の法を生起せしむるを云う。蓋し心心所法は必ずこの四縁を藉りて生じ、色法と不相応法とはただ因縁及び増上の二縁によりて生じ、不相応中の滅尽定と無想定とは、所縁縁を欠きて余の三縁あり。就中、色法等は能縁に非ざるが故に、所縁及び等無間縁無く、滅尽及び無想の二定は、無心定なるが故に所縁縁無きなり。即ち、一切の万法を分かちて、心法、心所法、心不相応行法(その性は、非色悲心にして、心に相応せざる有為法なり)、色法、無為法等の五大類と為し、称して五位と為す。もし五位の生起と四縁との関係に就いて言わば、心法及び心所有法(精神現象)の生起は須く四縁全部を具備すべし;心不相応行法中の無想定と滅尽定の生起は、僅かに因縁、等無間縁、増上縁を須いて、所縁縁無し。これ無想と滅尽の二定は既に無心定に於いて属せば、已に心識の作用の言う可きものの無く、而も所縁縁は則ち須く心識を以って産生作用の相応条件と為せばなり。故にこの二定の生起には所縁縁を具えず;心不相応行法のその余の十二法と色法(一切の物質現象)との生起は、皆僅かに因縁と増上縁とを須う。これ色法とその余の十二種の心不相応行法とは已に心識の作用無く、故に所縁縁も無ければ、その生起の前後の両相もまた同等に非ずして、かつ固定の相続の次序も無きが故に等無間縁も無し。;無為法には乃ち生滅変化を有する諸法の真実の体性無く、自然なれば生起の原因条件の言う可きものの無し。故に四縁の範囲の外に在り。また、もし時間、空観を以って言わば、等無間縁は時間に属する因素なり、所縁縁は空間に属する因素なり、因縁及び増上縁は則ち時空二者に通ず。<(望)
十智法智比智世智他心智。苦智集智滅智道智。盡智無生智。是十智。幾有漏幾無漏。幾有為幾無為。幾有漏緣幾無漏緣。幾有為緣幾無為緣。幾欲界緣幾色界緣幾無色界緣。幾不繫緣。幾無礙道中修。幾解脫道中修。四果得時幾得幾失。 十智とは、法智、比智、世智、他心智、苦智、集智、滅智、道智、尽智、無生智、是の十智の、幾ばくか有漏なる、幾ばくか無漏なる、幾ばくか有為なる、幾ばくか無為なる、幾ばくか有漏縁なる、幾ばくか無漏縁なる、幾ばくか有為縁なる、幾ばくか無為縁なる、幾ばくか欲界縁なる、幾ばくか色界縁なる、幾ばくか無色界縁なる、幾ばくか不繋縁なる、幾ばくか無礙道中に修する、幾ばくか解脱道中に修する、四果を得る時、幾ばくか得る、幾ばくか失う。
『十智』は、
『法智』、
『比智』、
『世智』、
『他心智』、
『苦智』、
『集智』、
『滅智』、
『道智』、
『尽智』、
『無生智であり!』、
是の、
『十智』の、
何れが、
『有漏か?』、
『無漏か?』、
何れが、
『有為か?』、
『無為か?』、
何れが、
『有漏縁か?』、
『無漏縁か?』、
何れが、
『有為縁か?』、
『無為縁か?』、
何れが、
『欲界縁か?』、
『色界縁か?』、
『無色界縁か?』、
『不繋縁か?』、
何れが、
『無礙道中の修か?』、
『解脱道中の修か?』、
『四果を得た!』時、
何れを、
『得るのか?』、
『失うのか?』。
  十智(じっち):小乗に於いては十智を立て、以って一切の智を摂す。(1)世俗智:見諦以前の一切の凡夫の智なり、煩悩と相応するが故に有漏智と称す。(2)法智:欲界の苦集滅道を証せる智なり。(3)類智:上二界の苦集滅道を証せる智なり。(4)苦智:上下界の苦諦を知る智なり。(5)集智:上下界の集諦を知る智なり。(6)滅智:上下界の滅諦を知る智なり。(7)道智:上下界の道諦を知る智なり。(8)他心智:他人の心を知る智なり。(9)尽智:既に尽く一切の煩悩を断って則ち我はすでに苦を知り、集を断ち、滅を証し、道を修むと知る。即ち尽く煩悩を断つ時、生ずる所の自信智なり。(10)無生智:これは利根の羅漢のみ所有せる智に限り、既に知断証修の事おわりて更に知断証修の事無きが故に無生と云う。自らこの無生を覚り、而も我は再び知断証修をせずと知る智なり。鈍根の羅漢には、更に退没すること有りて再び知断証集を要すれば、則ちこの知を具うること能わず。『倶舎論26』参照。
  有漏縁無漏縁:有漏縁は有漏法に縁ずる煩悩にして無漏縁は無漏法に縁ずる煩悩を指す。即ち無漏縁とは、謂わゆる滅諦と道諦とを証得して断ずる所の六煩悩にして無漏法に縁ず。即ち有漏縁の対称なり。また有漏縁とは、即ち有漏法を以って縁取の対象と為すなり。「倶舎論巻十九」によるに、九十八睡眠(使)中の滅、道の二諦所断の邪見、疑、無明等の六惑は無漏縁に属して、その余の睡眠は皆有漏縁の惑に属す。また即ち苦、集の二諦下の惑及び修惑は有漏縁に属するも、滅諦下の四惑及び道諦下の見取、戒禁取、貪、瞋、慢等の五惑は、重迷なる惑に係わるに因って、無漏縁の惑の後に随起すれば、直接無漏法に縁じて取ること能わざるが故に皆有漏縁に属す。無漏縁は、謂わゆる滅諦と道諦とを証得して断ずる所の六煩悩は無漏法に縁じ、有漏縁の対称と為す。九十八睡眠中の、滅と道との二諦所断の邪見、疑に相応する無明及び不共無明には六惑有りて、この六煩悩は親しく滅、道二諦の無漏法に縁ずるが故に無漏縁と称す。その中の滅諦の三惑は僅かに自地の択滅(涅槃)に縁じて、異地の択滅には縁ぜず。択滅の苦、集に於いて異なるに因り、因果の範囲を脱離し、故に上下地の択滅は互いに相い縁ぜず。これに依って、欲界の三惑は僅かに欲界の択滅に縁じ、即ち有頂天の三惑は僅かに有頂天の択滅に縁ずるに至る。邪見等の煩悩もまたかくの如し。また道諦の三惑中、欲界の三惑は未至定、中間定、四根本静慮等の六地の法智品の無漏道に縁ず。色界と無色界との八地の三惑は縁じて九地の類智品の無漏道に縁じ、その所縁の配意は滅諦の時の僅かに自地の情形に縁ずるに異なり、各地の法類智に由り互いに同類因と為すに係わり、故に六地、九地は皆よく通縁す。「倶舍論巻十九、順正理論巻四十八、倶舍論光記巻十九」参照。蓋し無漏法を所縁と為す煩悩を無漏縁、その他の煩悩を有漏縁と為す。<(望)
  有為縁無為縁:有為縁とは尽諦(滅諦)所断の有為法の縁ずる使(煩悩)の中の無明使(癡)に相応するもの、即ち疑使と、邪見使とを除ける余の使なり。無為縁とは同じく相応せざるもの、即ち疑使と、邪見使なり。『大智度論巻31(上)注:八十九有為法縁、六無為法縁』参照。
  欲界縁色界縁無色界縁不繋縁:前三は心が欲界に縁じて生ずる煩悩、乃至色界、無色界に縁じて生ずる煩悩、まさに欲界攀縁、色界攀縁、無色界攀縁と言うべし。攀縁とは攀取縁慮の意にして、心がある一対称に執著する作用を指す。衆生の妄想は縁じて三界の諸法を取るも、これ乃ち一切の煩悩の根原なり。蓋し凡夫人は妄想を微動だにすれば即ち諸法に攀縁せん。妄想には既に攀縁する所有れば、善悪すでに分かれ、善悪すでに分かてば、則ち憎愛並びに熾盛なり。ここに由り、内に煩衆を結び、外に万疾を生ず。これ皆攀縁の作用の致す所の者なり。不繋縁は繋とは三界に繋縛する煩悩、不繋は涅槃の意。不繋縁は涅槃に縁じて生ずる煩悩を指す。<(望)
  無礙道解脱道:正しく煩悩を断つ位の九無漏道を指す。また九無間道に作る。間とは即ち礙、或いは隔の義にして、謂わゆる真智の理を観て、惑に間礙(隔)せられざるなり。煩悩なお存するも後に於いて択滅(涅槃)の理を得んと念ずるが故に煩悩と択滅の間に更に間隔無きを無間と称す。三界を分かちて九地と為すに、九地の一一に修惑、見惑有り。一地の修惑をまた九品に分かちてこれを断じ、一品の惑を断ずる毎に、各々無間、解脱の二道有り。即ち正しく煩悩を断ずる位を無間道と為し、断じて後に相続して得る所の智を解脱道と為す。修惑は各地に立ちて九品有り、故によく対治する道もまた九品有り、これを九無間道、九解脱道と称す。無学の聖者も根を練って種性を転ずる時もまた九無間、九解脱有り。「倶舎論巻二十五、巻三十三」参照。<(望)
  四向(しこう)、四果(しか):小乗修道の階位。向は果に至る途中と為す。(1)須陀洹(しゅだおん):預流と訳し、聖者の流れに身を預けるの意なり。(ⅰ)預流向:即ち見道に入る時、初めて四聖諦の理を観て、無漏小乗の智慧眼(清浄法眼)を得る階位を指す。またその直ちに預流果に至りて三悪趣に堕ちざるが故にまた無退堕法と称す。ただしこの位の聖者はなお未だその果位に証入せざるに因り、故に果と称せずして、向と称す。蓋しその初果に趣向するの義を取るべし。(ⅱ)預流果:また初果と称し、尽く三界の見惑(八十八使)を断ちて、聖道の法流に預入するを指す。第十六心を以って無漏の聖道(聖者)の階位に入る十六見道位の中の聖者にしてその根の鈍利に由って二に分かつ、(a)随信行:鈍根の者を指し、即ち自己は経文を披閲せず、ただ他人の言を信じて悟道を得る者なり。(b)随法行:利根の者を指す。自己にて経典を閲読し法に随いて行う者なり。預流果の聖者の生死に輪廻すること、最も長くも僅かに人界と天界との中に於いて各々往返七度なり。これ即ち十四生の間に必ず阿羅漢果を証得し、絶えて第八度の再び生を受くることの無き者と言う、故に称して極七返有、極七返生と為す。(2)斯陀含(しだごん):一来と訳す。(ⅰ)一来向:即ちすでに欲界の九品の修惑を断除する中の前六品の者を指す。この位の聖者はなお未だ後の三品の修惑を断除せざるが故に一度天界に生じて再び人間に来、而して般涅槃に入る、故に称して一来と為す。然るにこの位の聖者はなお未だその果位に証入せざるに因って、僅かに第二果に趣向するが故に称して一来向と為す。(ⅱ)一来果:即ち第二果にして、すでに欲界の九品の修惑の中の前六品を断除して、並びに果位に証入せる者を指す。また一来向の聖者の中に於いて前三品或いは前四品を断除せる者を称して家家聖者と為し、簡に称して家家と為す。家家とは即ち一家より出でて別の一家に至るなり。例えば人間より天界に生じ、また天界より人間に生ずるが如し。欲界の九品の修惑に由り、遂に須く欲界の中に在りて生死すること七次、即ち人、天中に各々七生を受く。故にもし九品の修惑の中の前三品(上上、上中、上下)を断除せば、その余の六品の修惑に由り、なお須く三大生(人、天各二生)を受く、これを三生家家と称す。もし前四品(上上、上中、上下、中上)の修惑を断除せば、則ちその余の五品の修惑に由り、二大生(人、天各二生)を受け、称して二生家家と為す。三生家家の中は「天三人三」或いは「人三天三」、二生家家の中は「天二人二」或いは「人二天二」の生を受くる者は、その人、天中に受くる生の次数の相い等しきに因るが故に称して等生家家と為す。三生家家の中の「天三人二」或いは「人三天二」、二生家家の中の「天二人一」或いは「人二天一」の生を受くる者はその人、天中の受くる生の次数の同じからざるに因るが故に生して不等生家家と為す。その中に天界或いは人間に於いて預流果を悟得せる聖者を称して家家聖者と為し、天界に於いて阿羅漢果を得る聖者なれば則ち称して天家家と為し、人間に於いて阿羅漢果を得る聖者なれば則ち称して人家家と為す。(3)阿那含(あなごん):不還と訳す。(ⅰ)不還向:即ちすでに一来果を証得せる聖者にして、まさに欲界九品の修惑中の後の三品を断除すべくして、即ちまさに不還果の階位に証入せんとする者を指す。その第三果に趣向するを以っての故に不還向と称す。不還向の中に、もし欲界の九品の修惑中の七品或いは八品を断除して、なお余すこと一品或いは二品なる者にして、須く欲界に於いて天界の中に生を受くること一次なれば称して一間と為す。また一生、一品惑に作り、即ち間一生を隔てて、果を証する義なり。また一種子と称し、或いは一種と称す。(ⅱ)不還果:即ち第三果にして、すでに欲界九品の修惑の中の後の三品を断じ尽くして、再び欲界に返り至りて生を受けざる階位を指す。その再び欲界に返り至りて生を受けざるに因るが故に称して不還と為す。不還果はまた分かちて五種と為すべく、生して五種不還と為し、また五種阿那含、五不還果、五種般に作る。即ち(a)中般:不還果の聖者の欲界に死して色界に生ずる時、色界の「中有」の位に於いて般涅槃に入る者を指す。(b)生般:聖者は既に色界に生じ、未だ久しからざるに即ち能く道を未だ久しからざるに即ちよく道の聖なるを起し、無色界の惑を断除して般涅槃に入る者なり。(c)有行般:色界に生じて長時を経過する加行に勤修して般涅槃に入る者なり。(d)無行般:色界に生ずるも、ただ未だ加行に勤修せずして任運することの久しきを経て、方才(方法と才能)もて無色界の惑を断除して般涅槃に入る者なり。(e)上流般:先に色界の初禅に生じて漸次上の色界の余天の中に生じ、最後に色究竟点或いは有頂天に至って、般涅槃に入る者なり。上流般は分かちて楽慧、楽定の二種を為す、この二種の上流般は、また全超般、半超般、遍没般の三種に分かつべし。全超般とは、色界の最下層の煩衆天に生じて中間の十四天を越過して、色界或いは無色界の最上天に生ずる者を指す。半超般とは、中間の一天乃至十三天を超越する者を指す。遍没般とは、一天すら超過せず遍く諸天に聖を受くる者を指す。上述の五種の不還は再び上に加えて般を現すこと、無色般二種あれば、則ち成して七種不還と為す。この外に、中般を将って別に三種を立つ、即ち速般、非速般、経久なり、上の生般に加うるに行般と無行般と有り、及び上流般とは別に全超般、半超半、遍没般等を立てて則ち成して九種不還と為す。もし僅かに別に上流般を立てて三種と為せば則ち前の四般を合せて七善士趣と称す。また次ぎに、滅尽定に入りて、涅槃の寂静楽を証得する不還果の者を称して身証、或いは証不還と為す。而るに欲界九品の修惑を断除して、不還果を獲たる聖者の、再び欲界の煩悩を生起して、不還果より退堕すれば、則ち称して離欲退と為す。(4)阿羅漢(あらかん):意訳して応供、応、無学と作す。(ⅰ)阿羅漢向:すでに不還果を証得せる聖者にして阿羅漢道に入るも、なお未だその果位に証入せざるを指す。ただその第四果を趣向するを以っての故に阿羅漢向と称す。(ⅱ)阿羅漢果:即ち第四果にして、また極果、無学果に作り、すでに色界、無色界の一切の見惑、修惑を断じ尽くして、永く涅槃に入り、再び生死に流転せざる階位を指す。阿羅漢果に証入せる聖者は、三界を超出して、四智すでに円融無礙なるを経て、すでに法として学ぶべきものの無きが故に称して無学と為す。前に述ぶる所の四向三果は皆漏の尽くるを得て以って阿羅漢果に証入せるに、常に楽しむに戒、定、慧の三を以ってせば、修学と為すが故に称して有学と為す。<(佛)
  参考:『大智度論巻31』:『問曰。有為法因緣和合生。無自性故空。此則可爾。無為法非因緣生法。無破無壞常若虛空。云何空。答曰。如先說若除有為則無無為。有為實相即是無為。如有為空無為亦空。以二事不異故。復次有人聞有為法過罪而著無為法。以著故生諸結使。如阿毘曇中說。八十九有為法緣六無為法緣三當分別。欲界繫盡諦所斷無明使。或有為緣或無為緣。何者有為緣。盡諦所斷有為法緣使相應無明使。何者無為緣。盡諦所斷有為法緣使不相應無明使。色無色界無明亦如是。以此結使故能起不善業。不善業故墮三惡道。是故言無為法空。無為法緣使。疑邪見無明。疑者於涅槃法中有耶無耶。邪見者若生心言定無涅槃。是邪疑相應無明。及獨無明合為無明使。』
如是等分別一切法。亦名阿毘曇。為阿毘曇三種。一者阿毘曇身及義。略說三十二萬言。二者六分。略說三十六萬言。三者昆勒。略說三十二萬言。昆勒廣比諸事以類相從。非阿毘曇。略說如是我聞一時總義竟 是の如き等の一切の法を分別するを、亦た阿毘曇と名づけ、阿毘曇を三種と為す、一には阿毘曇の身、及び義、略説すれば三十二万言なり。二には六分、略説すれば三十六万言なり。三には昆勒、略説すれば三十二万言なり。昆勒は、広く諸の事を比して、類を以って相従えば、阿毘曇に非ず。『是の如く我れ聞く、一時』の総義を略説し竟りぬ。
是れ等のように、
一切の、
『法』を、
『分別する!』ことも、
亦た、
『阿毘曇』と、
『称し!』、
是の、
『阿毘曇』を、
『三種と為し!』、
一に、
『阿毘曇の身(本体)と義』は、
『略説して!』、
『三十二万言であり!』、
二に、
『六分』は、
『略説して!』、
『三十六万言であり!』、
三に、
『昆勒』は、
『略説して!』、
『三十二万言である!』。
『昆勒』は、
諸の、
『事』を、
『比校(比較・考察)』して、
『分類する!』ので、
是れは、
『阿毘曇ではない!』。
以上、――
『如是我聞一時』の、
『義』を、
『略説した!』。
  (ひ):相照合し選択するの義。
  (じゅう):したがう。あわせる。合。群。


著者に無断で複製を禁ず。
Copyright(c)2013 AllRightsReserved